内的自己対話-川の畔のささめごと

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南方熊楠と夏目漱石 ― インド洋上ですれ違っていた未来の日本の二人の知的巨人、あるいは不邂逅という運命

2018-06-12 17:32:20 | 読游摘録

 1900年9月27日から28日にかけて、南方熊楠と夏目漱石はインド洋上ですれ違っている。熊楠は、アメリカ・キューバ・英国での十数年間に渡る海外放浪・生物採集・学問修業生活からの帰途、漱石は、文部省からの官命による英語研究のための留学への途上であった。もちろんそのことをお互い知る由もない。
 両者の因縁めいたすれ違いと僅かな接点については、すでに多くの先行研究があるが、両者の比較研究は今なおとても刺激的なテーマであることに変わりはない。
 二人は同じ1867(慶応三)年生まれで、1884年に同時に大学予備門に入学している。しかし、両者は生涯ついに出逢うことはなかった。
 接点と言えば、英国時代に熊楠が英国人と共訳した『方丈記』が、同じく『方丈記』の英訳を独自に手掛けていた漱石の訳と誤って世間に紹介され、この誤りは後に熊楠自身によって動かぬ証拠とともに訂正されている。
 気鋭の熊楠研究者である唐澤太輔は、「もし、両者に交友があったら……と考えるだけでも面白い。しかし筆者は、両者はやはり、出会わないことが必然だったと考える。二人はあまりにもその気質が違いすぎたのではないか」と述べている(『南方熊楠 日本人の可能性の極限』中公新書、2015年)。
 確かに、熊楠の大英博物館での次のような「武勇伝」を知る者にとって、下宿に籠もり切りで神経衰弱に陥りかけていた漱石とは、あまりにも対蹠的な人格としか見えない。

小生大英博物館に在るうち、独人膠州湾をとりしことあり。東洋人の気焔すこぶる昂がらず。その時館内にて小生を軽侮せるものありしを、小生五百人ばかり読書する中において烈しくその鼻を打ちしことあり。それがため小生は館内出入を禁ぜられしが、学問もっとも惜しむべき者なりとて、小生は二ヵ月ばかりの後また登館せり。当時このこと『タイムス』その外に出て、日本人を悪むもの、畏るるもの、打たれたものは自業自得というもの、その説さまざまなりし。小生はそのころ日本人がわずかに清国に勝ちしのみで、概して洋人より劣等視せらるるを遺憾に思い、議論文章に動作に、しばしば洋人と闘って打ち勝てり。(『履歴書』、平凡社版『南方熊楠全集』第七巻収録。河出文庫『〈南方熊楠コレクション〉Ⅳ 動と不動のコスモロジー』にも収録されている。上掲引用箇所は314頁)。

 しかし、二人はまったく話が合わなかったかどうか。まったく興味関心の向う方向が重なり合うことはなかったかどうか。両者ともに夢に対して強い関心を持っていたから、その点では、少しは語り合えたかも知れない。夢について、たとえ柳田國男との膨大な書簡のやり取り(『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』上下二巻、平凡社ライブラリー、1994年)にはまったく比ぶべくもないないとしても、二人の間に書簡のやり取りでもあったならと空想してみるのは楽しい。











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