内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

終戦か敗戦か、鎖国は事実か ― 歴史を学ぶということ

2021-08-15 19:13:31 | 雑感

 午前4時起床。4時58分、ジョギングに出発。6時10分までの1時間12分で12,3キロ走る。シャワーを浴び、ジョギングウエアを洗濯し、脚部をマッサージしてから、体組成計で計測。BMI 19,7(この三ヶ月で確かに痩せた。ウエストは70センチジャスト、三ヶ月前より4センチ減。大腿部も目に見えて細くなり、三ヶ月前にはちょっときつかったズボンが今ではゆるゆる)。にもかかわらず、体脂肪率は 19, 3% 台と高止まり。内臓脂肪レベル5,0。皮下脂肪率は悪化の一途。つまり、もう脂肪からのエネルギー供給を期待できない筋肉を運動で酷使しているために、筋肉量が減少し続けているとしか考えられない。少し休ませてあげたほうがいいのかな。
 今日は日本では「終戦記念日」だ。そう命名することが歴史的事実に照らして間違いではないにしても、私はこの偽善的な名称がずっと嫌いだった。この日、戦争は単に終わったのではなくて、敵味方問わず、途方もない数の犠牲者を出して、日本は敗戦したのだ。数十年前のこの日、「今日は終戦記念日ですね」と、何気なく、普段身近に接する機会があった、尊敬おく能わない老婦人に話しかけたら、即座に、そして、きっぱりと、「私にとって、今日は、終戦の日ではなく、敗戦の日です」と切り返されたことがある。それは私を嗜めるためではなく、ご自身の戦争体験が自ずとそう言わせたのだとすぐにわかった。それは私にとって忘れがたい経験で、以来、終戦という言葉に隠された欺瞞に敏感になった。
 今日、午前中、1時間ほど、修士論文を指導している学生と ZOOM 面談をした。前半は、声に出して読む日本語レッスン。彼女の修論のテーマと直接関わりのある荒野泰典の『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫 2019年)の一部を読ませ、間違った読み方、曖昧な読み方を矯正し、かつ修論にとって大事なところを日本語で説明する。後半は、フランス語で彼女の質問に答える。修論のテーマは、対馬藩の近世外交史であるとしても、対馬が日本史上、地理的・政治的・地政学的に置かれてきた特異な立場を古代から近世までざっと概観する一節を序論に組み入れたほうがいいだろうという前回の私の助言にしたがって、古代における対馬(津島)の歴史と神話との関係に関して彼女が調べた資料についての質問。論文の主題ではないから、6世紀からすでに伊勢・壱岐と並んで卜部を輩出する国として認知されていたことを示せば十分だろうと答える。ただ、白村江の戦い以降、国家防衛上の重要拠点としての役割が大きくなっていくことは触れたほうがよいと付け加える。
 歴史そのもの、あるいは歴史的事実そのまま、などというものはどこにも存在しない。誰がいつどのようになんのために過去を捉えなおし、それをどのような歴史観に基づき、どのような語彙で記述しようとしたかについての考察抜きに歴史研究はありえない。
 江戸時代の日本が鎖国だったか、鎖国ではなかったか、そのいずれかに決着をつけることが研究の最終目的ではない。どうしてそのように相異なった見方が成り立つのか、それぞれの根拠を明らかにすることが大事だ。端的に言えば、「開/閉」という二者択一的思考は不毛である。そもそも「鎖国」論は、西洋起源の近代的かつ外在的な視角の産物に過ぎず、それを幕末から明治にかけて「逆輸入」した結果、1970年代半ばまでの百年余り、日本人はその見方に囚われきたのであり、19世紀の前半まで、江戸時代の人たちは「「鎖国」している」などという意識はほとんど持っていなかった。
 ざっとこんな話をした。「論文、いい感じで進んでいると思うよ」というと、「ありがとうございます。論文書きながら、毎日発見があって楽しいです」と嬉しそうに答えてくれた。
 面談から2時間ほどして、「嬉しい知らせです」と、「10月末にオープン予定!!対馬市朝鮮通信使歴史館」という記事を送ってくれた。「修論提出前に、国境が再び開かれたら、是非行ってみたい!」そうなるといいね。