内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

道の哲学 ― 和辻哲郎『倫理学』本論第二章第二節から

2018-05-25 18:07:06 | 哲学

 「道の哲学」という今日の記事のタイトルをご覧になって、道教(タオイズム)への哲学的アプローチか、あるいは、武道・茶道・華道・書道などに共通して使わている〈道〉という概念についての哲学的考察か、と思われた方もいらっしゃるかも知れない。しかし、今日の話題はそれらとはまったく関係がない。
 今日の話題は、人間存在の公共的空間性の具体的表現としての〈道〉のことである。
 和辻哲郎『倫理学』本論第二章「人間存在の空間的・時間的構造」の第二節「人間存在の空間性」の冒頭の段落に、「「交通」とは人間の交際の空間的表現であって、その交通の仕方の固定したものが道路である。道路は空間的にのび、ある個所において空間的に交叉する」(岩波文庫版『倫理学(一)』234頁)とある。
 私たちは、常日頃、道を歩き、ときに走る。あるいは、自転車で、自動車で、オートバイで道路を走る。その際、私たちは一定の規則に従う。公道は、まさにその最初の漢字が示しているように、公共性をもった場所である。そこを利用するとき、私たちは好き勝手には動けない、動いてはいけない。バスという公共交通機関を利用して公道を移動することもある。
 私たちの生活空間には、道路に話をかぎっても、多元的・多重的に行動図式が重なり合っている。しかも、その図式が機能する範囲は様々に異なる。これらの複雑性を私たちは普段特に意識しないで、道路を利用して生活している。
 私有地内の私道でもなければ、道路は勝手に作れないし、変えることもできない。他の人たちとの「交際」は、私たちが使うことができる道路によって限定されている。と同時に、道路をどう使うかによって、私たちは他者との「交際」の仕方を公的空間において表現している。