≪前回からのつづき≫
次に、一部分を使って練習することについて。
「ひとりでできる!!練習法」シリーズでは、身体の一部分だけ使って練習しています。
一部分の練習だけでは、頼りなく感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
確かに、一部分がみれたからといって全体がみれるとは限りません。
けれども一部分がみれないようでは、全体などみれっこないというのも確かなことです。
この一部分の動きがわかれば、やがて全身の動きがわかるようになっていきます。
大切なことは、動きが「ある」「ない」(大きすぎる・少ないも含めて)状態とは、どのような感触であるのか。
また、動きが回復していく感触とはどのようなものであるのかを、身体にしみ込ませておくことです。
それがなぜ大切なのか?
いくつか理由はありますが、たとえば関節モビライゼーションは刺激のグレードを、ある方法では5段階、別の方法では3段階など、メソッドによって異なる分類をしていることがあります。
どのような方法を学んだときでも自分の感覚がベースにあれば、あるグレードはどのような刺激のことを指しているのか感覚的に理解できます。
刺激の分類が、それぞれのメソッドによって異なっていても混乱しません。
これがグレードの分類を知識だけで細かく記憶しようと思ったら、覚えるメソッドが増えれば増えるほど整理はたいへんになります。
そちらにエネルギーを取られすぎると、かえって実践がおぼつかなくなるかもしれません。
ですから知識を整理する上でも、自分の中に確かな動きの感覚をじっくりと養っておくことはとても大切になります。
また臨床では、組織の状態が各グレードにクリアに分類できるケースばかりではありません。
あるグレードとグレードの、中間程度の刺激を必要としている状態のこともあります。
その場合、自分の感覚で匙加減をして、刺激を調整しなければなりません。
それができるためには、身体でさまざまな感触を覚えておく必要があるわけです。
その土台になるものを、身体の一部分を使って鍛えているわけです。
ですから、たった一部分だからといって、軽くみてはいけません。
徹底的に練習してくださいね。
さいごに、学びと充実感について。
このシリーズのはじめのほうでも少しふれましたが、直接法と間接法それぞれのアプローチを身につけておくと、刺激を加える技術的な幅がグッと大きくなります。
これは、セラピストとして治療の幅が広がることを意味します。
私自身は、こちらもシリーズのはじめにお話ししたように、間接法をメインに使っている訳ではありません。
それでも、いざとなったら使えるという思いがあることで、気持ちに余裕を持てています。
ただ幅が広がるとは、それだけ目の前の患者さんにはどのような刺激が最適かなど、より多くのことを判断しなければなりません。
これには経験と知識、そして刺激に対する組織の反応を素早く感じとる触診技術に磨きをかける必要があります。
ひとつひとつを確実にとはいえ、学べば学ぶほどさらに多くのことを学ばなければいけませんね。
たいへんですが、できることが増えてくると、私たち自身も仕事をより面白く感じるようになります。
一日の仕事が終わった時「今日も面白かった」「良い仕事ができた」と感じられることは、とても幸せなことだと思います。
そして、できることが増えるということは、さまざまな状態の患者さんに対応できるということ。
多くの患者さんを笑顔にさせることができるということです。
手技療法が対処できる体性機能障害は、単独で命に直接かかわるようなことはないものの、患者さんの仕事や生活にとって大きな問題となっていることがあります。
ですから機能障害がよくなる、ならないで、患者さんの人生が変わってしまうこともあります。
その患者さんにとって、私たちはたいへん意味のある治療をしていることになるわけです。
長くこの仕事をしていらっしゃる方なら、ご経験はあるのではないでしょうか。
こうして学べば学ぶほど、自分やまわりの人の喜びが増えるというのはステキなことだと思いませんか。
それによって、私たちもより充実感をもって仕事をすることができるのだと思います。
よく「自分の仕事に誇りを持て」と言われます。
その核になっているのは、自分の内面で感じる充実感だと思います。
充実感が外に向かってかもし出されたとき、誇りとして自然と現れるのではないでしょうか。
ときどき、これみよがしに肩肘を張っているような方をみることがありますが、なにも不自然にそのようなことをする必要はないわけですね。
もちろん、落ち込むときだってときにはあります。
数日では立ち直れない場合だってあるでしょう。
でも、自分の中で仕事への充実感があれば、起き上がり小法師のようにまた起き上がって歩き出すことができます。
それ以前よりも強くなって。
伝えたいことを思いつくままお話ししたので、ずいぶん脱線してしましました。
私は仕事には、自分の人生観が現れるものだと思っていますので、このようなお話しになってしまいました。
この手技療法の寺子屋ブログでお伝えしているような練習法も、ひとつひとつは地味なもの、ちいさな石ころです。
けれどもそれを積み重ねていくことで、やがて強固な礎石のひとつとなり、セラピストとしての幅を広げ、多くの患者さんの役に立ち、みなさんの内面の充実感につながっていくものと私は信じています。
毎度のことながら、まとまりがないさいごになりましたが、「おまけの話」なので勘弁してくださいね。
次に、一部分を使って練習することについて。
「ひとりでできる!!練習法」シリーズでは、身体の一部分だけ使って練習しています。
一部分の練習だけでは、頼りなく感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
確かに、一部分がみれたからといって全体がみれるとは限りません。
けれども一部分がみれないようでは、全体などみれっこないというのも確かなことです。
この一部分の動きがわかれば、やがて全身の動きがわかるようになっていきます。
大切なことは、動きが「ある」「ない」(大きすぎる・少ないも含めて)状態とは、どのような感触であるのか。
また、動きが回復していく感触とはどのようなものであるのかを、身体にしみ込ませておくことです。
それがなぜ大切なのか?
いくつか理由はありますが、たとえば関節モビライゼーションは刺激のグレードを、ある方法では5段階、別の方法では3段階など、メソッドによって異なる分類をしていることがあります。
どのような方法を学んだときでも自分の感覚がベースにあれば、あるグレードはどのような刺激のことを指しているのか感覚的に理解できます。
刺激の分類が、それぞれのメソッドによって異なっていても混乱しません。
これがグレードの分類を知識だけで細かく記憶しようと思ったら、覚えるメソッドが増えれば増えるほど整理はたいへんになります。
そちらにエネルギーを取られすぎると、かえって実践がおぼつかなくなるかもしれません。
ですから知識を整理する上でも、自分の中に確かな動きの感覚をじっくりと養っておくことはとても大切になります。
また臨床では、組織の状態が各グレードにクリアに分類できるケースばかりではありません。
あるグレードとグレードの、中間程度の刺激を必要としている状態のこともあります。
その場合、自分の感覚で匙加減をして、刺激を調整しなければなりません。
それができるためには、身体でさまざまな感触を覚えておく必要があるわけです。
その土台になるものを、身体の一部分を使って鍛えているわけです。
ですから、たった一部分だからといって、軽くみてはいけません。
徹底的に練習してくださいね。
さいごに、学びと充実感について。
このシリーズのはじめのほうでも少しふれましたが、直接法と間接法それぞれのアプローチを身につけておくと、刺激を加える技術的な幅がグッと大きくなります。
これは、セラピストとして治療の幅が広がることを意味します。
私自身は、こちらもシリーズのはじめにお話ししたように、間接法をメインに使っている訳ではありません。
それでも、いざとなったら使えるという思いがあることで、気持ちに余裕を持てています。
ただ幅が広がるとは、それだけ目の前の患者さんにはどのような刺激が最適かなど、より多くのことを判断しなければなりません。
これには経験と知識、そして刺激に対する組織の反応を素早く感じとる触診技術に磨きをかける必要があります。
ひとつひとつを確実にとはいえ、学べば学ぶほどさらに多くのことを学ばなければいけませんね。
たいへんですが、できることが増えてくると、私たち自身も仕事をより面白く感じるようになります。
一日の仕事が終わった時「今日も面白かった」「良い仕事ができた」と感じられることは、とても幸せなことだと思います。
そして、できることが増えるということは、さまざまな状態の患者さんに対応できるということ。
多くの患者さんを笑顔にさせることができるということです。
手技療法が対処できる体性機能障害は、単独で命に直接かかわるようなことはないものの、患者さんの仕事や生活にとって大きな問題となっていることがあります。
ですから機能障害がよくなる、ならないで、患者さんの人生が変わってしまうこともあります。
その患者さんにとって、私たちはたいへん意味のある治療をしていることになるわけです。
長くこの仕事をしていらっしゃる方なら、ご経験はあるのではないでしょうか。
こうして学べば学ぶほど、自分やまわりの人の喜びが増えるというのはステキなことだと思いませんか。
それによって、私たちもより充実感をもって仕事をすることができるのだと思います。
よく「自分の仕事に誇りを持て」と言われます。
その核になっているのは、自分の内面で感じる充実感だと思います。
充実感が外に向かってかもし出されたとき、誇りとして自然と現れるのではないでしょうか。
ときどき、これみよがしに肩肘を張っているような方をみることがありますが、なにも不自然にそのようなことをする必要はないわけですね。
もちろん、落ち込むときだってときにはあります。
数日では立ち直れない場合だってあるでしょう。
でも、自分の中で仕事への充実感があれば、起き上がり小法師のようにまた起き上がって歩き出すことができます。
それ以前よりも強くなって。
伝えたいことを思いつくままお話ししたので、ずいぶん脱線してしましました。
私は仕事には、自分の人生観が現れるものだと思っていますので、このようなお話しになってしまいました。
この手技療法の寺子屋ブログでお伝えしているような練習法も、ひとつひとつは地味なもの、ちいさな石ころです。
けれどもそれを積み重ねていくことで、やがて強固な礎石のひとつとなり、セラピストとしての幅を広げ、多くの患者さんの役に立ち、みなさんの内面の充実感につながっていくものと私は信じています。
毎度のことながら、まとまりがないさいごになりましたが、「おまけの話」なので勘弁してくださいね。