経堂緑岡教会  説教ブログ

松本牧師説教、その他の牧師の説教、松本牧師の説教以外のもの。

伝道への派遣

2013年10月25日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(51)

民数記11章16~17節

ルカによる福音書10章1~16節

 2011年2月27日

      牧師 松本 敏之

 

(1)サクラメントの日系教会

去る1月16日の礼拝に、米国カリフォルニア州の州都であるサクラメントにありますサクラメント日系合同メソジスト教会の山田宗枝(もとえ)牧師が、この教会の礼拝に出席されました。山田牧師は、教会員の山田泉さんの義理の娘さんに当たられますが、平日にも教会をお訪ねくださって、2時間余り親しくお話をいたしました。

 彼女の来日の直前、山田泉さんがサクラメント日系合同メソジスト教会のウェブサイトをご覧になって、ある興味深い事実を発見されました。それは、その教会の初代牧師が木原外七(ホカシチ)牧師であるということでした。木原外七牧師とは、他でもない私どもの経堂緑岡教会の前身である経堂教会の初代牧師でもあります。山田泉さんにしてみれば、自分の属する教会と、義理の娘が牧する、遠く離れたアメリカの全く関係のないように見える教会の初代牧師が同じであったというのは、興味深い偶然ということを超えて、驚くべき神の摂理のように感じられたことでありましょう。私も少なからず驚きました。

 山田宗枝牧師は、そういうつながりがあるから、何か姉妹教会のような交わりができたらいいですね、とおっしゃり、アメリカに戻られた後、そうした日本での経験のことを、ご自分の教会のウェブサイトにも書きこんでおられます。

 

このサクラメント日系合同メソジスト教会は、パイオニア・サクラメント・メソジスト教会とフローリン日系メソジスト教会という二つの教会が合同してできたそうですが、その点でも、経堂教会と青山学院教会の二つのルーツをもつ私たちの教会と似ていると思いました。

サクラメント日系合同メソジスト教会のサイトの“A Centennial Legacy: History of the Japanese Christian Missions in North America”(百年受け継がれたもの-北米における日系キリスト教宣教の歴史)には、次のようなことが記されています。「二つの教会のうち古い方のパイオニア・サクラメント教会はアメリカで三番目に古い日系メソジスト教会である。そのルーツは、1891年にさかのぼる。何人かの宣教師たちがサンフランシスコの日系メソジスト教会から川舟でサクラメントへ来て、彼らがサクラメントの日本人居住者のために礼拝と路傍伝道をしたのが最初であった。群れ(コングリゲーション)としては、1892年、最初に任命されたキハラ・ソトシチ牧師(誤読)によって、510Lストリートの家にはじめて集められ、翌年、スーパーインテンデントのハリスの指導のもと、正式に教会となった。」

 

(2)木原外七牧師

 私たちの『経堂緑岡教会50年史』には、初代木原外七牧師について次のような記述があります。「(木原)外七は漢学の塾に学び、25歳の時(1890年)、(※別の資料では、23歳の時、1888年)、米国に渡り、教会経営の寄宿舎に泊り、日本人教会に出席し、ハリス牧師夫妻を中心にした大リバイバル運動の中ではじめて祈った。その時の祈りは『創造の主よ、私は、仏が真の救主か、基督が真の救主かわかりません。ただこの罪人を救いうる救主よ、我を救いたまえ』という切実な祈りで、初めてイエス・キリストに罪のゆるしをねがった。1890年(明治23年)6月11日午後9時15分のことだった。」

ここで時刻まで記しているのは、メソジスト教会の創始者であるジョン・ウェスレーの回心を思い起こさせます。

「この時から、福音をのべつたえずにはおられない使命感にもえ、4年後、ハリス監督より按手礼をうけハワイ伝道に赴いた。」

この深い祈りから4年後のハワイ伝道にいたる間に、彼がアメリカで何をしていたか、それがここに明らかになりました。サクラメントで伝道活動をしていたのです。

「更に、ドルウ神学校に学び、ニューヨークに日本人教会を設立、帰朝、長倉ムラと結婚、青森を経て、朝鮮、沖縄、満州などにおける開拓伝道に従事し各地で教会を設立、金沢教会、藤沢教会を牧していた。」

 その後、1930年に私たちの経堂教会を設立することになるのですが、そこからさかのぼること、38~9年前、アメリカでの青年木原外七の活動があったのです。ですから、この「姉妹教会」は、経堂緑岡教会よりもだいぶお姉さんの教会というふうに言えるでしょう。

 

(3)ウェスレー「世界はわが教区」

 こういう伝道のスピリット、それはメソジスト教会ならではのものであると、私は思います。そのメソジスト教会の祖となったジョン・ウェスレーの有名な言葉に、「世界はわが教区」“All the World My Parish”という言葉があります。

当時の聖公会は、教区ごとに分担して管轄されていましたが、ウェスレーたちは、教区を超えて伝道しました。サーキット(巡回区)と言います。

時には、地理的には全く離れた地域が自分のサーキットに属するということもありました。この伝道方法は日本でも初期のメソジスト教会で用いられました。特に山梨や静岡など(英和女学院があるところ)ではサーキット伝道が盛んに行われました。また家庭集会を中心にした「組会」というのもそうです。一人の牧師が、さまざまな組会を巡回しながら育てていったのです。

ウェスレーの「世界はわが教区」という言葉のもとをたどれば、やはりイエス・キリストの世界的視野にさかのぼると言えるでしょう。今日、読んでいますルカ福音書10章というのは、まさにそういうことについて語っている箇所であると思います。

 

(4)72人の派遣

「その後、主はほかに72人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に2人ずつ先に遣わされた」(1節)。

 この言葉は、実は、ルカによる福音書だけに出てくるものです。この前の12人の弟子たちの派遣(9章)というのは、マタイやマルコも記していますが、ルカは、それを超えて先のことまで視野に入れているのです。ここに後の教会の姿が映し出されているという人もいます。

72人という数字ですが、70人という写本も多くあります。70人だとすれば、旧約聖書にはその元になるふたつの記述があります。

ひとつは、先ほど読んでいただいた民数記11章16~17節にあるイスラエルの長老たちの人数であります。

「(主はモーセに言われた。)イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を70人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。」

モーセの仕事を分担して担う人が70人であったということと、イエス・キリストの手足となって働く人が70人であったということと重なってきます。

もうひとつは、創世記10章にある世界の諸民族の表です。そこで世界の民族が70となっているのです。ですから、ここで、この70人(あるいは72人)は全世界に派遣されていくということを暗示しているのであろうと思います。

ルカは世界的な視野を持ち、福音書の続編として使徒言行録を書きました。その先に世界宣教があり、それはやがてウェスレーの「世界はわが教区」という精神にもつながっていくのだと思います。

 

(5)収穫は多い

 さて、この後に書かれている言葉をすべて追っていくことはできませんが、いくつかを拾いながら読んでいきましょう。

 「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(2節)。       

 これから世界中に福音が宣べ伝えられていく時に、働き手が必要だということであり、そこに72人の人たちを任命して派遣していくのです。

「途中でだれにも挨拶をするな」(4節)。これは「途中で挨拶している暇がない」という意味であり、「挨拶をするな」ということではないでしょう。ですからどこかの家に入ったら、まず、「この家に平和があるように」と挨拶をします。それを受けとめる「平和の子」がいれば、その平和はそこに留まるし、いなければ自分に戻って来るというのです(5~6節)。

「しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と」(10~11節)。

9節にも「その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい」という言葉がありますが、ここでは「足についたこの町の埃さえも払い落とし」ながらも、そこで告げているのは「神の国が近づいた」ということなのです。それを受け入れる人にも、受け入れない人にも一貫して、「神の国は近づいた」と語るのです。その次の「言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む」(12節)というのは、弟子たちに向かって語られた言葉であって、その町の人に向かって語られた言葉ではありません。イエス・キリストの嘆き、悔い改めないところにおける厳しい気持ちが弟子たちに対して表れているのです。

 

(6)身を切る叫び

そういう理解からすれば、13節以下の厳しい言葉も、ひとつの読み方ができてくるのではないかと思います。

「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない」(13節)。

コラジン、ベトサイダとは、主イエスが活動されたガリラヤ地方の町々です。一方、ティルス、シドンは信仰的に堕落した町の代名詞のようなものです。裁きを受ける町として旧約聖書に何度も登場します(イザヤ書23章、エゼキエル書26章など)。

「また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。」(15節)。

カファルナウムもやはりガリラヤ地方にあり、主イエスが特に「自分の町」(マタイ9:1)として愛された町でした。

ガリラヤの町々は、主イエスによって恵みのみ言葉を聞かされ、奇跡さえ経験しながら悔い改めようとしない。それゆえ神の裁きは、ティルス、シドンが受けた裁きよりももっと厳しい、ということです。

ただし「不幸だ」(13節)というのは、決して呪いの言葉ではありません。これは、痛い時、悲しい時に思わず口から飛び出る呻き、叫びのような言葉でした(原語でウーアイ)。主イエスは、身を切られるような思いで「ああ何と言うことだ」と呻かざるを得なかったのです。

 この言葉そのものには、どこにも救いがないように見えます。しかし、私は、恵みの主イエス・キリストがこの言葉を語られたということに注目したいと思うのです。主イエスは、傍観者のように「ああ不幸だ」と言われたのではありません。この言葉の果てには、主イエスの十字架が立っています。イエス・キリストは滅び行く者を見放しにするのではなく、そこにこそ自分の行く道を重ね合わせられました。十字架上の「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)という言葉は、まさしく滅び行く者の声を担っています。そして陰府にまで下って行かれるのです。

 

(7)憐れみに胸を焼かれる

私はこれを読みながら、ホセア書11章の言葉を思い起こしました。神様の愛がどういうものであるか、生き生きと語られているところです。

神様はイスラエル、神の民に対して一心に愛を注がれましたが(ホセア11:1~4)、神の民のほうはそれを理解せず、自分勝手な道を歩み、今にも滅んでしまいそうになっています。しかしその次の瞬間に、神様ご自身がいても立ってもいられなくなり、こう叫ぶのです。

「ああ、エフライムよ、

お前を見捨てることができようか。

イスラエルよ、

お前を引き離すことができようか。

アドマのようにお前を見捨て、

ツェボイムのようにすることができようか。

わたしは激しく心を動かされ、

憐れみに胸を焼かれる」(8節)。

アドマ、ツェボイムは、先ほどのティルス、シドン同様、滅んでしまった町の名前です。神様は、自分が愛する者が滅んで行くのをとても黙って見ていることはできない、と言われる。これが神様の愛の姿です。神様ともあろうお方が、何だかおろおろしているように見えます。ある意味で神様らしくない姿です。全知全能の神であり、全世界の神であれば、何があっても動揺しないと考えるのが普通でしょう。

私は、この神がイエス・キリストを遣わし、そのイエス・キリストが72人を遣わしているということを忘れないようにしたいと思うのです。伝道者は、必ずしも行った先で歓迎されるとは限りません。しかしどういう状況にあっても「神の国が近づいた。平和があるように」と宣べ伝えよ、と命じられるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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何を優先するか

2013年10月10日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(50)

申命記26章16~19節

ルカによる福音書9章51~62節

  2011年2月6日

      牧師 松本 敏之

 

(1)エルサレムへの旅行記

今日から、ルカ福音書の新しい部分に入ります。これは、エルサレムへの旅の途上の話ということで、19章28節まで続きます。随分長く、ルカ福音書の約半分に相当します。しかしずっと読んでいきますと、必ずしもガリラヤからエルサレムへ順に近づいて行くということにはなっていません。この後の10章38~42節では、イエスは、エルサレムに近いベタニアにいることになりますし(ヨハネ12:1~3が正しいとすれば)、13章31節ではガリラヤに戻っています。17章11節ではガリラヤとサマリアになり、18章35節から19章10節ではエリコに、そして19章11節ではエルサレムの近くにいることになっています。恐らくルカは、旅をひとつの舞台として、イエス・キリストの言葉や業を記したのでしょう。映画でもロード・ムービーと言って、旅の状況を描いた映画というのが多いのですが、その枠組みの中でいろいろな人間のドラマが語られるのです。

ルカはここで、その旅に、私たち読者を招いているのでしょう。それは、イエス・キリストがエルサレムへ向かう旅でしたが、同時に受難へと向かう旅であり、さらに神の国を目指す旅でもありました。

 

(2)サマリアにて

イエス・キリストの一行は、まずサマリア地方において、自分たちを受け入れない人々と出会います。サマリア人というのは、全く異邦人というわけではなく、異邦人とユダヤ人との間に生まれた人々であったと言われます。その中途半端さが、かえってユダヤ人にはゆるせなかったのでしょう。

「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」(54節)。彼らの正義感、使命感、イエス・キリストを思う気持ちがイエス・キリストを通り越して、過激になっていく。こういうことは歴史上、しばしば起こってきたし、今日でも起こっていることです。ここには、弟子たちが権力を手にすると、それがいかに際限なくエスカレートしていくかが表れていると思います。しかし、そこにイエス・キリストの心はありませんでした。イエス・キリストは、「よし、やってこい」というのではなく、彼らを戒められるのです。このイエス・キリストの心を私たちも学ばなければならないでしょう。

 

(3)イエス・キリストに従いたい人

 その後、3人の人がイエス・キリストに出会います。一人目の人は「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」(57節)と言って近づいてきました。この人は主イエスのなさること、語られることを見ていて感動した人なのでしょう。

 私たちはまずこの人の勇気と熱意に注目して、それを評価したいと思います。主イエスも、「よく言った。でもこの道は厳しいぞ」くらい、言われてもよかったような気もしますが、その答えは冷たく響きます。

「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(58節)。

これは一度聞いただけでは、真意をはかりかねる言葉です。あまり積極的に受け止めておられないということはわかります。そっけない言葉です。ただしこの人を頭から拒否されたのでもないと思います。ただ感銘を受けて、一時の気持ちでキリストに従っていこうとする彼に向かって、その厳しさを告げられたのでしょう。

あまりにも自信に満ちた言葉は、かえって信用できないものです。ペトロも十字架を目前にしたイエス・キリストに向かって、「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(ルカ22:33)と言いましたが、主の十字架を前に裏切って、逃げてしまうことになります。

ただし「もっとじっくり考えて、覚悟を決めてから従ってきなさい」と言われたのであるとすれば、果たして誰が主イエスに従っていくことができるだろうか、という気もします。牧師である私も含めての話であります。ですからこの時、主イエスが、この人に対して少し突き放されたような言葉を語られたのは、「従うことを全うされるのは、あなたではなく(人間ではなく)、神なのだ」ということかもしれません。

私たちが主に従うということが、もしも私たちの決心に基づいているのだとすれば、結局のところ、頼りないものではないでしょうか。それは、主イエスの召しに対する応答です。主イエスに召しだされて、「それに従うかどうか」の決断をするのです。私たちの場合にあてはめるならば、「主に従いたい」という思いがわきあがった時、それが本当に主の召しに基づくものか、果たして自分の思い込みであるのか、祈りをもってよく考えてみるとよいと思います。「他のことがうまくいかないので、牧師にでもなろうか」というような献身は要注意です。しかし本当にその思いが強ければ、何年もかけてそれを吟味しながら、その道に進んでいくということもあるでしょう。

 

(4)柳元宏史さんのこと

経堂緑岡教会に一昨年まで神学生としておられた柳元宏史さんのことを思い起こしました。今は、岡山蕃山町教会の伝道師ですが、この4月に山口信愛教会の牧師になられる予定です。彼は、高校卒業の際に、「牧師になりたい」と思いを強くもったそうです。しかしキリスト教とは関係のない家庭でしたので、まわりの人に反対されて断念し、キリスト教主義の大学の社会学部に進みました。大学卒業時にもう一度、「牧師になりたい」と願って、就職すると同時に日本聖書神学校に入学しました。しかし今の日本の社会では、新入社員が夕方5時に退社して、「では神学校へ行ってまいります」というようなことはゆるされません。「お前、本気でこの会社で働く気があるのか」ということになるでしょう。結局、両立できず挫折して、半年で会社も神学校も辞めて実家へ帰る事態になりました。もうすぐ30歳になろうとする時に、「やはり牧師になりたい」というので、ある人の紹介により、私のところを訪ねて来たのでした。最初の「従いたい」という気持ちから10年余りかけて神学校入学を果たし、さらに4年かけて伝道者として巣立っていったことになります。

私たちの服従は、私たちの覚悟に基づいているのではなく、それを支えている神様、そしてイエス・キリストの確かさに基づいているということを心に留めたいと思うのです。フィリピの信徒への手紙にこういう言葉があります。

「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(フィリピ1:6)。

 

(5)「まず父を葬りに行かせてください」

 その次には、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言って、主に従うことを躊躇した弟子のことが記されています。これは先ほどの全く逆のケースです。彼自身は、そんなことを予期していないし、期待もしていないのに、イエス・キリストのほうから声をかけられる。彼自身は、どちらかと言えば、というよりも明らかに逃げ腰です。これが先ほどの人であったならば、きっと「はい、喜んでついていきます」と言っていたでありましょう。でも彼は何かぐずぐずしている。

子どもが親を葬るというのは、古今東西を問わず、誰もが大切にすることでしょう。日本でも身内の葬儀ともなれば、すべてを中断して、それを優先するものであります。クリスチャンは、「供養をしないと、死者の霊が浮かばれない」というような考え方はしませんので、「クリスチャンは死者(先祖)を大事にしない」という批判を、時々聞くことがあります。もちろんクリスチャンも葬儀を大切にします。むしろクリスチャンの葬儀に連なった方から、「キリスト教のお葬式って、心がこもっていていいなあ」という声もしばしば聞きます。

 

(6)死者を最も配慮できるお方

 主イエスの、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」(60節)という言葉は、一見、死んだ人の家族の気持ちを逆なでするような言葉に聞こえるかもしれません。しかし、ここで二つのことを考えなければならないと思います。

まず「父を葬りに行く」というのは、今日の葬儀のように一日や二日で済むことではなかったということです(創世記50章など参照)。

 もう一つは、この言葉を語っておられるのは誰かということです。それは、イエス・キリストであります。確かにこの言葉だけを取り上げるならば、突き放したような言葉に聞こえますが、「イエス・キリストの福音」という大きなコンテクストの中で読むならば、また違った響きをもってくるのではないでしょうか。

イエス・キリストというお方は、私たちの死というものを最も配慮に満ちた形で受け止められた方であります。そして私たちの死を他の誰もなしえない形で解決してくださった方であります。そしてそのために自分の命を賭け、自分の命を捧げられた方であります。無責任に「死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせなさい」と言われた訳ではありません。

私たちは、死んだ人に対して、究極のところでは何もしてあげることはできません。だからこそ、せめて心を込めて葬りをしてあげたいと願うのでしょう。それが、私たちが死んだ人に対してなすことのできる、最後の、そして唯一のことだからであります。私たちの手元を離れたその人は、神様のみ手に委ねるより仕方がない。供養をしても、それで死者の魂が浮かばれる訳ではありません。意味があるとすれば、それはのこされた側の者にとって、慰めになり、記念の時になるということでありましょう。

 私はイエス・キリストの「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」という言葉には、「死んだ人はもうあなたの手の届かないところにあるのだ。それは私の領域だ。私が配慮することだ。その人のことは私が引き受けるから、あなたは心配する必要はない」、そういう響きを感じるのです。だからこそそれを前提にして、「わたしに従いなさい」と言われたのではないでしょうか。決して突き放しておられるのではありません。むしろその人の生全体が受け止められた上での言葉なのです。「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」(60節)。

 

(7)「まず神の国と神の義を求めなさい」

 さて3人目が登場します。これは、ルカにだけ出てくる人です。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください」(61節)。

この言葉の背景には、恐らく列王記に出てくるエリシャ物語があるのでしょう。エリヤがエリシャを後継者として目を留め、招いた時に、エリシャは家族にいとまごいを求め、エリヤはそれをゆるしました(列王記上19:20)。

ここではそれを想定しながらも、何を優先するかということが問われているのだと思います。イエス・キリストは「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」(62節)と言われました。家族へのいとまごいというのも、恐らく何日もかかることであったのだと思います。

 「まず」という言葉で思い起こすのは、イエス・キリストの「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)という言葉です。イエス・キリストは、これに続けて、「そうすれば、これらのもの(必要なもの)はみな加えて与えられる」と言われました。

私たちには、この世の生活を営んでいく限り、大切にしなければならないことがあります。人とのつきあいがあります。仕事の面で優先しなければならないことがあります。家族を養わなければなりません。年老いた両親の面倒をみなければなりません。しかしそういう、さまざまの「しなければならないこと」に取り囲まれた生活の中で、究極のところ一体何を優先するのかということが問われているのではないでしょうか。

 こんな話を聞いたことがあります。ある青年がイエス・キリストに呼びかけられた。「私に従いなさい。」彼は「主よ、あなたに従うには、私はまだ若すぎます。もっと人生経験を積んで、もっといろいろなことがわかるようになってから従いたいと思います」と断りました。

それから20年くらいが経ちました。「私に従いなさい。」「主よ、従いたいのですけれども、今はそれどころではないのです。もう少しお待ちください。そうすれば時間もできますから。」大体、40代、50代というのは、社会でも一番使われる年代です。イエス様が、「よし、わかった」と言われたかどうかは、わかりませんが、とにかくその時も過ぎ去っていった。

それからさらに20年か30年か経ちました。イエス・キリストはもう一度現れて言われました。「私に従いなさい。」そうすると彼は、こう答えました。「主よ、あなたに従うには年を取り過ぎました。もう少し若かったらよかったのですが。」

笑うに笑えない話です。この話が意味することは、私たちは主の招きを断ろうと思えば、いつでも何かしらの理由をもっているということでありましょう。「主よ、あなたは私がどんな状況にあるか、わかっておられますか。今はそれどころではないのです」。そう思う人もあるかもしれません。しかし主イエスはむしろ、私たちのそのようながんじがらめのような生活をすべてご存知の上で、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われたのではないでしょうか。この主イエスに自分を委ねて、従う者となりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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主イエスと弟子たち

2013年09月27日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(49)

箴言3章5~7節

ルカによる福音書9章43b~50節

 2011年1月23日

     牧師 松本 敏之

 

(1)わかったと思うところに落とし穴

 イエス・キリストの教えは不思議なものです。「もうこれでわかったから、卒業」ということがありません。教会生活が長くなればなるほど、確かにある部分は成長しますが、逆に、「もうわかった」という落とし穴があり、「結局、何もわかっていなかった」ということがしばしばあります。いやそういうほうが、かえって健全であり、そういうことが全くないほうが恐ろしいとも言えるでしょう。

イエス・キリストの教えは、この世の普通の考え方と異質な何かをもっています。それを一つの原理として、一般化し、普遍化しようとすると、しばしば、信仰的なようでありながら、この世的なものと融合した何かに変質していきます。それはキリスト教「主義」であるかもしれませんが、生きた「信仰」でなくなってしまっています。

 私たちは、この世の価値判断というものをもっています。それは必ずしも悪いものではありません。クリスチャンにとっても、この世の市民として生きるバランス感覚が必要です。自分の信仰を相対化して、客観的に見る視点がないと、ひとりよがりの信仰になってしまいます。そして「外の世界では通じる常識的なことが、教会ではどうして通じないのか」ということが時々あるのではないでしょうか。この点では、信仰のことをよく知っているはずの牧師たちの世界のほうがより一層、根が深いことも多いものです。

教区総会に出席したり、教団総会の様子を伺ったりすると、そういうことをため息交じりに、よく思います。どうしても譲らないで、やりあっている。そして結局は、力の強いほうが勝つ、数の多いほうが勝つ、という最もこの世的な仕方で物事が進んでいきます。一般信徒の方には、本当につまずきになるようなことが、現実に起きてしまうのです。「どうしてこんなことで議論をしているのか。もっと他にすべきことがあるだろう」という思いがします。一般の人のバランス感覚からしても、そうではないでしょうか。主イエスが聞かれたら、きっと叱られるだろう、悲しまれるだろうと思うのです。

 

(2)ガリラヤ伝道の結び

そのようなイエス・キリストへの無理解、クリスチャンの仲間内での競争意識、そしてちょっと違った信仰の人々に対する不寛容は、最初の時代からあったということを、今日の箇所を読んで思わされるのです。

 今日、私たちに与えられた箇所(9章43節以下)は、まさにそうした弟子たちの無理解、競争意識、そして他者に対する不寛容を示す記事であると思います。弟子たちの言葉や行いに対してイエス・キリストがどのように対応されたかということも記されています。

この箇所は、4章14節から始まった「イエス・キリストのガリラヤ伝道」と呼ばれる長い部分の結びにあたります。そういう意味では、ここはひとつの区切りでありますが、弟子たちの無理解、イエス・キリストとの意識のずれは、この後も続いていきます。いやむしろそれが決定的となって十字架の出来事に至る、と言ってもよいかもしれません。

 

(3)弟子たちの無理解

この箇所は、小さな三つの段落から成り立っています。最初の段落(43節b~45節)では、弟子たちの戸惑いがよく表われています。この前の段落で、弟子たちは、イエス・キリストの圧倒的な力を目にしました。子どもから悪霊を追い出してやったのです。

「イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。人々は皆、神の偉大さに心を打たれた」(42~43節a)という言葉を受けて、「イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた」(43節b)と続きます。しかしここで語られたことは、なんとご自分が、やがて人の手に渡されて殺されるということでした。以前にも、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」(9:22)と言われたことがありました。今回が二回目です。「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている」(44節)。

しかし弟子たちにはその言葉の意味が理解できません。なぜあれほどの力をもった方がそのような目にあうのか。ご自分の力でもって、悪い奴ら、逆らう奴らを滅ぼさないまでも、懲らしめられたらよいではないか。しかしイエス・キリストは、そういう道をお取りにならない。このことは、当時の弟子たちだけではなく、その後の歴史においても、私たち現代のクリスチャンにとっても不思議なことです。

キリスト教世界の内部においても、そうでしょう。「どうして今こそ、力をお示しにならないのか。このまま沈黙しておられると、教会は堕落してしまう。」私たちには理解できないことです。「彼らには理解できないように隠されていたのである」(45節)とあります。ここではまだ言葉だけですが、やがてその徹底的な無力さを、弟子たちは十字架において目の当たりにすることになります。

この時の弟子たちにしてみれば、「これからいよいよという時に、どうしてそのような不吉なことをおっしゃるのかわからない」という思いだったでしょう。しかし、誰も尋ねることもできませんでした。

 

(4)弟子たちの競争意識

続いて、弟子たちの間で議論が起こりました。それは「自分たちのうちだれがいちばん偉いか」という議論でした(46~48節)。信仰の世界、弟子たちの世界においても、人よりも偉くなりたいという競争意識があったのです。これはまさに、この世的な発想なのですが、それがこの世の中で起きている場合は、私たちは信仰の目でもって、それを相対化させて、ブレーキをかけることもできるでしょう。イエス・キリストの福音でもって、それを正すことができる。

しかしそれがひとたび教会(教団)の中で起こってくるとやっかいです。「だれがいちばん偉いか」というのは、まさにこの世の価値観であるにもかかわらず、自分たちはこの世の価値観とは違うことをやっていると思い込んでいるからです。信仰の指導者がそうであれば、もう誰もそれを正すことができなくなってしまうのです。

イエス・キリストはどうなさったでしょうか。彼らの心の内を見抜き、一人の子どもの手を取り、ご自分のそばに立たせて言われました。

「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」(48節 b)。

信仰の逆説です。たえず自分を謙虚にしなければならない。あわせてこのようにも語られました。

「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(48節 a )。

イエス・キリストは、小さな子どもと自分を重ね合わせられます。自分をどのような存在と同一視しておられるかがよく表れています。私たちは大きなもの、強いものに注目します。価値あるもの、有益なものを評価します。きらびやかなもの、美しいものに心ひかれます。しかし、そこにイエス・キリストはおられない。なぜならば、それはそれで十分評価されているからです。むしろイエス・キリストは、評価されない者に自己同一化されるのです。

だからかつてはそのような小さな存在であったとしても、注目されて評価され始めると、そこからイエス・キリストは去っていかれるということもあるでしょう。小さい者がその小ささを誇り始め、それが既得権のようになって、「自分が認められるのは当然のことだ」と主張し始めると、そこでもまた逆転現象が起こりうる。それは固定化できないものなのです。固定化し、それが主義主張になる時に、イエス・キリストの心から離れていくことになり、イエス・キリストも私たちから離れていかれるでしょう。私たちは、そのことをこそ悟らなければならないと思います。

 

(5)弟子たちの不寛容

三つ目の段落もまた興味深いものです。

 「そこで、ヨハネが言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました』」(49節)。

ヨハネは自分が正しいことをやっていると信じ込んでいたことでしょう。彼は、自分の基準で、「わたしたちと一緒にあなたに従わない」というのです。そしてやめさせようとします。ヨハネを含む弟子たちは、イエス・キリストのことを思い、イエス・キリストの名前が乱用されてはいけないと、やきもきしています。彼らは、自分たちの従い方こそが唯一の従い方で、その他はありえない、信仰を守らなければならないと思い込んでいます。そして自分たちこそ、間違った仕方での宣教をやめさせる責任がある、間違った仕方で宣教している者を裁かなければならないと、いきり立っています。しかしそうした中で、イエス・キリストの心からずれてしまっていることに気づかないのです。そこでイエス・キリストは何と語られたでしょうか。

「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである」(50節)。

 私は、この時の弟子たちの判断基準よりも、イエス・キリストの判断基準の方が、幅が広くて、懐が深いということを思うのです。今日のキリスト教の世界でも、そのようにすれば、どんなに味方が増えていくことでしょう。私たちは味方に取り囲まれているのです。しかしそれに気づかないで自分の価値基準で改めさせようとし、敵にしてしまう。そこに落とし穴があるのではないでしょうか。それは信仰について深く学べば学ぶほど、そして知識が増えていけばいくほど、陥りやすい落とし穴です。

 

(6)キリスト教一致週間

 今日は、キリスト教一致祈祷週間の中の日曜日です。毎年1月第三週から第四週にかけて行われている世界規模のエキュメニカル礼拝の時です。カトリックとプロテスタントが一つのみ言葉を聴き、共に祈りをささげる。東京でも、毎年、カトリック教会とプロテスタント教会が交互に会場となって、一致祈祷会が行われています。

 私たち世田谷地域では、独自に3年ぶりに、本日、世田谷地区一致祈祷会をもつこととなりました。日本基督教団の千歳船橋教会を会場にして、成城カトリック教会の福島一基神父が説教をされます。私が今回の責任者でありますので、大勢参加していただきたいと願っています。今年は、使徒言行録2章42節から「教え、交わり、パン、祈りにおいてひとつ」というテーマを掲げました。

 カトリックとプロテスタント、確かに違う点もたくさんあります。ブラジルのように、ほとんどがクリスチャンの国では、カトリックとプロテスタントの違いばかりが強調されがちです。「私はプロテスタントです」ということは、「私はカトリックではありません」ということを意味しています。しかし私たちは、そこで共通項を見いだして、共に祈りながら、イエス・キリストのみ業をこの世界で違った形で実践している仲間なのだということを、心に留めていく必要があるでしょう。日本ではクリスチャンそのものが少数派なので、カトリックもプロテスタントも共に歩む仲間だという意識をもちやすい面があります。

 

(7)自分自身を知恵ある者と見るな

一つの教派の中においても、自分の考えで、排除し合ったり分裂したりするのではなく、イエス・キリストの心がどこにあるかということを考える必要があるでしょう。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである」というキリストの声に耳を傾け、キリストの思いがどこにあるかを考えていきたいと思います。

今日は、あわせて箴言を読んでいただきました。

 「心を尽くして主に信頼し、

自分の分別には頼らず

常に主を覚えてあなたの道筋を歩け。

そうすれば

主はあなたの道を

まっすぐにしてくださる。

自分自身を知恵ある者と見るな。

主を畏れ、悪を避けよ」

(箴言3章5~7節)

 私たちは、信仰をもっていても、いつも自分の分別に頼り、この世の価値観で判断してしまう。それがきちんと分離されていればよいのですが、自分に都合のよい形で融合させてしまい、それによって事を謀り、いろいろなことを裁こうとしてしまいます。そのところで、この箴言の言葉にも耳を傾け、歩んでいきたいと思います。

私たちが真っ直ぐに主イエスと向き合い、自分を絶対化しないで、謙虚にいつも自分を開いていく。そのようにして、イエス・キリストに仕えていく時に、イエス・キリストは行くべき道を示してくださるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

日本キリスト教団 経堂緑岡教会

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救い主を出迎えて

2013年09月20日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(48)

マラキ書3章1節

ルカによる福音書9章37~43節

  2010年12月5日

       牧師 松本 敏之

 

(1)群衆がイエスを出迎えた

 講壇のキャンドルに二つ灯がともり、待降節第二主日を迎えました。私たちも心に一つ一つ灯をともすように、心を整えてクリスマスを待ち望みたいと思います。

私たちは、ルカによる福音書を読み進めていますが、今日もその続きを読むことにいたしましょう。

 「翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた」(37節)。

 前回は、山の上でイエス・キリストの姿が真っ白に輝いたという出来事でした。復活の前触れとも言える、栄光の姿です。栄光のイエス・キリストは山の上こそが住まいとして似つかわしいお方です。

 山の下は、人間の問題が満ちあふれた世界です。悲惨な現実があり、人々のいがみあう世界です。不信仰がうずまく世界です。よこしまな世界です。イエス・キリストご自身が、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」(41節)と嘆いておられるとおりです。

しかしイエス・キリストは、山の上に留まらず、山から下りて来られるのです。それは、イエス・キリストがふるさとである天に留まっていないで、私たちの住む地上世界に降りて来てくださったことを指し示しているようです。そしてそれこそがクリスマスの出来事に他なりません。

山から下りて来られたイエス・キリストを大勢の群衆が出迎えたとありますが、私たちも天から降りて来てくださったイエス・キリストを出迎える備えをしたいと思うのです。

 

(2)なんと信仰のない時代なのか

 一人の男が群衆の中から大声で言いました。「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません」(38~39節)。

 この話は、マルコ福音書、マタイ福音書にも記されているものです。ルカはマルコ福音書のものをかなり短くしているのですが、「一人息子です」というのは、逆にルカだけが記していることです。それは、息子の命が、彼にとってかけがえのないものであったことを示そうとしているのでしょう。この子どもの苦しみは、同時に父親の苦しみでもあったことでしょう。

「この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした」(40節)。

イエス・キリストが山から下りて来られる前に、すでに弟子たちが悪霊を追い出そうと試みていたのです。しかしできなかった。筆頭格のペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人の弟子は、山の上に同行していますから、それ以外の弟子たちが試みたのでしょう。

イエス・キリストは弟子たちを呼び集め、派遣されるにあたって、このように言われていました。

「イエスは12人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった」(9:1)。

悪霊払いは弟子たちの重要な仕事であったということがわかります。しかし彼らには、それができなかったというのです。イエス・キリストは、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか」(41節)と嘆かれます。

この言葉は、一体だれに向けられているのか、はっきりしないところがあります。「信仰のない、よこしまな時代」と言っておられるので、弟子たちの不信仰だけではないのでしょう。

 

(3)弟子たちの不信仰

マタイ福音書の記述では、イエス・キリストがこの子をいやされた後で、弟子たちがこっそりと「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた形になっています。この時の弟子たちの気持ちをよく表していると思います。弟子としての面目丸つぶれです。恥ずかしい失敗経験です。「一生懸命やりましたが、どうも先生のようなわけにはいきません。」マタイ福音書では、「信仰が薄いからだ」と答えられました(マタイ17:20)。私たちが読んでいるルカ福音書でも「信仰のなさ」が指摘されています。

「信仰のなさ」は、第一には、やはり弟子たちに向けられているのでしょう。弟子たちの信仰のなさとは、何だったのでしょうか。修行を積むように、信仰の訓練を重ねていけば、やがて悪霊をも追い出せるようになれる、ということでしょうか。魔法使いの弟子が魔法を学ぶようなものでしょうか。あるいは医者の卵が治療法を習うようなものでしょうか。

私は、むしろ逆に、ここには弟子たちであったからこそ落ちた落とし穴があったのではないかと思うのです。「『信仰』という名の『不信仰』」とでも言えばよいでしょうか。「自分たちは信仰をもっているのだから、これくらいのことはできる」という思いです。ところが信仰というのは、そういうものではありません。自立するということはない。逆説的な言い方をすれば、自立すると思った瞬間に、それはすでに信仰ではなくなっているのです。

どんなに信仰の訓練を積み重ねても、魔法を取得するように、私たちが奇跡を起こせるようになるわけではありません。この時の弟子たちの無力な姿は、同時に私たち今日のクリスチャンの姿でもあろうかと思います。「信仰をもっていても、こんなこともできないのか」。そうした批判的な訴えにさらされることもあります。批判だけではありません。自分がクリスチャンであることを知って、あるいは牧師であることを知って、真剣に助けを求めて来る人もあります。何を頼ってよいかわからず、わらをもすがるような感じで、自分のところへやって来られた。しかし何もしてあげられない。自分の無力を痛感するのです。牧師としては、特にそういう経験をすることが多いものです。信徒の方でもそういう経験があるのではないでしょうか。しかしそれを認めつつ、イエス・キリストから自立するのではなく、「先生、何とかしてください」と、イエス・キリストに絶えず帰っていくことが求められるのでしょう。

 

(4)父親の不信仰

この父親の不信仰も問われたのかもしれません。ルカ福音書では省略された言葉ですが、マルコ福音書では、こういうやり取りが記されています。「『霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。』イエスは言われた。「『できれば』というか。信じる者には何でもできる。」そうすると、この父親は即座に、こう叫ぶのです。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(マルコ9:22~24)。

この父親も、息子がいやされるとは信じていなかったのでしょう。それが「おできになるなら」という言葉にあらわれています。

この問答は、私には、小さな苦い思い出があります。神学校(東京神学大学大学院)の入学面接の日のことです。入学志願者は、事前に「自分自身の召命」についての証しのような文章を提出するのですが、私は、その中に、「これまで勉強してきた神学を続けて学びたい。そしてできれば牧師として立ちたい」というようなことを書いていました。私は、神学校に入る前に、立教大学のキリスト教学科で、神学の学びをしていたので、そのような書き方をしたのです。ところがそこを突っ込まれました。「『できれば牧師として立ちたい』というのは、どういう意味ですか。」総合大学の神学部であれば、そういうことでも入れてくれたかもしれませんが、東神大は厳しいのです。あわてて、「いやそれはいくら本人が望んでも、最後には神様がお決めになることですから」というような苦しい言い訳をしました。すると、その時の面接官の一人が(あとで船水衛司先生と、知りました)、「そうですか。それでは、今日、家に帰ってマルコ福音書の9章をよく読んでください」と言われました。そうすると、この言葉が書いてあったのです。

「『もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる』。その子の父親はすぐ叫んで言った、『信じます。不信仰なわたしを、お助けください』」(マルコ9:23~24 口語訳)。

「まいりました」という感じでした。私たちの信仰とは、その程度のもの。この父親のそういう疑いというものを、主イエスは見抜いておられたのではないかと思います。

 

(5)群衆の不信仰

さらに、この出来事に際しては大勢の群衆が見守っていました。しかし彼らにとっては、この子どもの病気のことなどどうでもよかったのではないでしょうか。ただイエス・キリストの奇跡を見たい、その力を見たい。ショーのようなものです。無責任で、自分勝手です。そのような信仰です。それも含めて、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と言われたのではないでしょうか。

「翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた」とありました。しかし彼らの出迎え方というのは、最初から、自分本意ではなかったかと思います。

私は、私たちの世界のちまたのクリスマスにも、そのような面があると思います。ただのお祭り騒ぎのようなクリスマスがいかに多いことでしょうか。信仰とは、全く関係がない。クリスマスの深い意味も知ろうとは思わない。願い事をするにしても、自分勝手な願いがいかに多いことでしょう。主イエスにしてみれば、自分の誕生日を用いて、全く関係のない祝いをしている。「なんと不信仰な、よこしまな時代なのか」ということになるかもしれません。

しかし私は、それでもクリスマスには意味があると思います。そのような不信仰な時代、不信仰な世界であるがゆえに、クリスマスは貴いのです。この時も、イエス様は「なんと不信仰な、よこしまな時代なのか」とおっしゃって、立ち去られたわけではありませんでした。これは、捨てゼリフではなかったのです。その言葉に続けて、こう言われるのです。

「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい」(41節)と言われます。その途中でも、悪霊は、その子を投げ倒し、引きつけさせました。イエス様は汚れた霊をしかり、その子どもをいやしてあげるのです。つまり叱責しながらも、見捨てるのではなく、共に居続けてくださる。「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、我慢しなければならないのか」と言いながら、我慢し続け、共に居続けてくださるのです。そして大きな業をなしてくださるのです。

 

(6)我慢し続ける

ここで「我慢する」と訳された言葉は、もともとは「上げた手を支え続ける」という表現だそうです。「上げた手を支え続ける」のは大変なことです。

出エジプト記17章8節以下に、イスラエルとアマレクの戦いのことが記されています。モーセは、神の杖を手に持って、アロンとフルと共に「丘の頂に立つ」のです。山の上でモーセが手を上げている間は、イスラエルが優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になりました。モーセは手を下ろすわけにはいかない。しかしモーセの手が重くなってきます。必死で我慢するのですが、もちこたえられません。ついにアロンとフルが、モーセの両側に立って、モーセの手を支えることになりました。それでようやく、イスラエルが勝つのです。

私はまた、イエス・キリストの十字架を思い起こします。イエス・キリストは十字架の上で両手を広げて、死ぬまでそれを下ろさずに支え続けられました。イエス・キリストの両腕を支えたのは、アロンとフルではなく、ペトロとヨハネでもなく、手のひらに打ち込まれた大きな釘でありました。いつまで我慢できようか。いつまでこの手を支え続けられようか。イエス・キリストは、死に至るまで、それを支え続けてくださいました。

イエス・キリストのひとつひとつの業、ひとつひとつの言葉には、イエス・キリストの命がかかっているのです。

 

(7)主はきませり

イエス・キリストは、私たちと共にいるために、この世界へ来てくださったのです。それは、主の天使がマリアの夫ヨセフに語ったとおりです。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。

その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ1:23)。

イエス・キリストは、そのインマヌエルという約束の言葉通りの生涯を送り、今もそれを証ししてくださっています。このお方は悪霊を追い出す力をもったお方です。

「悪魔の力を うちくだきて、

捕虜(とりこ)を放つと

主は来ませり 主は来ませり」

「もろびとこぞりて

いざ、むかえよ

主は来ませり 主は来ませり」

(『讃美歌21』261)

私たちもそのように歌いつつ、主を迎えたいと思います。

 

  

 

 

 

日本キリスト教団 経堂緑岡教会

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天国をかいま見る

2013年09月05日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(47)

詩編90編1~12節

ルカによる福音書9章28~36節

  2010年11月7日

      牧師 松本 敏之

 

(1)召天者記念礼拝

 本日は、年に一度の召天者記念礼拝です。受付で、皆様に経堂緑岡教会召天者名簿をお渡ししました。このリストは、年代順になっていますので、この1年の間に、教会員で召天されたのは、最後の5名の方々、松扉(しょうひ)栄子さん(2009年12月2日)、鈴木榮伍(えいご)さん(2010年3月2日)、菊地尚志(たかし)さん(2010年5月10日)、牧英子(ふさこ)さん(2010年5月20日)、矢吹薫子(かおるこ)さん(2010年5月29日)であります。

 松扉栄子さんは、おとなしい方でしたので、ご存じでなかった方も多いと思いますが、20年以上にわたって、礼拝後毎週、事務室で献金を数えるという地味な奉仕をしてくださった方でありました。

鈴木榮伍さんは、オルガニストの池田みどりさんの父上であり、召天される2か月前に病床洗礼を受けられたばかりでした。

菊地尚志さんは背の高いダンディな紳士であられました。晩年は教会に来られることも少なくなりましたが、音楽がお好きで、KAY合唱団(恵泉、青山、YMCA)の中心メンバーで、ヘンデルのメサイアをはじめ、バッハやモーツァルトの合唱曲を歌い続けられました。

牧英子さんは、お姉様の山中静子さんとご一緒に、よく礼拝に出ておられました。召天された5月に行われた女性の会のバス旅行も行くつもりで申し込んでおられました。またご葬儀を通して、お孫さんの牧兼充さんが教会に熱心に通われるようになり、8月1日に洗礼を受けられました。

矢吹薫子さんは、5年前にお嬢さんのおられる神奈川の金沢文庫に引っ越されるまで、礼拝だけではなく、祈祷会の常連メンバーであり、親しいお交わりがありました。

また教会員ではありませんでしたが、教会員であった佐倉初音さんの親族(義娘)の佐倉怜子さん(2010年2月16日)の葬儀を教会でいたしました。さらに石川直義さんの義理のお父様隅郁生さんの葬儀と、廣田晃基さんのお連れ合い、廣田和子さんの葬儀を、私が執り行いました。

6月19日には、多磨霊園にあります経堂緑岡教会の墓地にて、鈴木榮伍さんと桃井和馬さんのお連れ合いであられた桃井綾子さんの納骨式をいたしました。綾子さんは、3年前(2007年5月18日)、41歳でくも膜下出血で召天された方です。あわせて、心に留めていただければ、と思います。

またその他にも、私が存じ上げているだけでも、大切なご家族を天に送られた方が何人かおられますが、それ以外にもきっとあることと思います。お慰めをお祈りします。

 

(2)「天に一人を増しぬ」

サラ・ストックというイギリス人女性が、愛する弟が亡くなった時に、ひとつの詩を書きました。富士見町教会の牧師であった植村正久牧師が美しい日本語に訳されたものをご紹介しましょう。

「家には一人を減じたり

楽しき団樂(まどい)は破れたり

愛する顔いつもの席に見えぬぞ悲しき

さはれ 天に一人を増しぬ

清められ 救われ 

全うせられし者一人を

 

家に一人を減じたり

帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ

行くを送る言葉ひとつ消え失せぬ

別れることの絶えてなき浜辺に

ひとつの魂は上陸せり

天に一人を増しぬ

 

家には一人を減じたり

門を入るにも死別の哀れに堪えず

内に入れば空しき席を見るも涙なり

さはれ はるか彼方に 

我らの行くを待ちつつ

天に一人を増しぬ」

One less at home,

one more in heaven!

 

(3)非日常的な出来事

 さて私たちは、今ルカ福音書を続けて読んでいますが、今日、私たちに与えられたテキストは9章28~36節、「山上の変貌(変容)」と呼ばれる物語です。本日の召天者記念礼拝にふさわしい箇所が与えられたと思います。これは、まさに天国をかいま見るような物語であるからです。

 「この話をしてから8日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」(28~29節)。これだけでも神秘的な話ですが、さらに次のように続きます。

「見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(30~31節)。

この情景は、一体何を意味しているのでしょうか。ひとつ言えることは、これは普通では考えられない特別な、非日常的な出来事であったということです。そして、イエス・キリストが一体誰であるかということが三人の弟子たちに示された瞬間でありました。前回、イエス・キリストはこれから先、「苦しみを受けて殺される。しかし三日目に復活する」と予告されましたが、今日の物語は、その話が本当なのだということを印象付けるものです。

 

(4)モーセとエリヤ

 モーセとエリヤの2人は、旧約聖書を代表する人物であります。律法と預言を代表すると言ってもよいでしょう。当時の人々が誰しも、神に最も近い人物と考えていた二人であります。その二人とイエス・キリストが対等に話しておられる。

「山上の変貌」の記事は、マタイ福音書にもマルコ福音書に出てくるのですが、いくつかの違いがあります。その一つは、ルカだけがその話の内容を記していることです。三人は「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」というのです。この「最期」というのは、原語のギリシア語では、「エクソドス」という言葉が使われています。出発、旅立ちという意味ですが、聖書では、特に「出エジプト」を意味する言葉です。エジプトからの「エクソドス」を経験したモーセと共に、これから起ころうとしているイエス・キリストの「エクソドス」が語られている。イエス・キリストの十字架の死と復活は、終わりではなく、新たなステージへの出発だということを暗示しているのでしょう。さらに終わりの日に、再びやって来ると信じられてきたエリヤもそれを認め、共に語り合っているのです。

 「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた」(32節)。

 三人対等に、ということを超えて、三人の中でも、イエス・キリストが中心におられました。「ひどく眠かった」とありますから、真夜中の出来事であったのでしょう。

 この場面に立ち会った三人の弟子たちは、驚き恐れ、そして興奮したことでしょう。ペトロは、とっさに「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」(33節)と言います。この「仮小屋」という言葉も、「幕屋」(仮住まい)と訳される言葉であり、これも出エジプトを彷彿とさせるものです。

 

(5)イエス・キリストの祈りの中へ

 さて、この不思議な物語が何を指し示しているか、あといくつかのことを申し上げたいと思います。

ひとつは、「イエス・キリストの祈り」ということです。ルカは、イエス・キリストが祈る姿を印象深く描いた福音書記者でした(6:12~13、9:18など)。今日の箇所も、「この話をしてから8日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた」(9:28)と始まっています。

ここでは、一人で祈るのではなく、筆頭株の三人の弟子を連れて行かれました。イエス・キリストの祈りの中に、弟子たちも招かれ、加えられている。これは、やがて来る最後のオリーブ山(ゲツセマネ)の祈りにおいても、そうでした(ルカ22:39~46)。同じ三人が夜を徹しての祈りに招かれたのです。あの時は、ひどく眠かっただけではなく、実際に眠りこけてしまいましたが、その祈りに弟子たちも招かれたのです。ここでは、栄光の姿が明らかにされる。それを弟子たちにもあらわされた。私は、これは後の教会の原形ではないかと思いました。主イエスの祈りに導かれ励まされて、私たちも祈りに加わるのです。そしてその中で、ご自身が誰であるかが明らかにされ、さらにヴィジョン、幻が示されていくのです。

 

(6)イエス・キリストの正体

さらにこれは、イエス・キリストが誰であるかということを明らかにする出来事でもあります。「イエス・キリストとは誰なのか」ということは、少し前の7章あたりから続いている問いでありますが、それに対する天からの答えがここに示されているということもできるでしょう。

「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」(35節)という言葉が天から、雲の中から聞こえてきます。神の子であることが示されたのです。

 私たち、キリスト教では、イエス・キリストを「真の神にして、真の人」というふうに信じています。あるいは「神の子」にして「人の子」と言ってもよいかもしれません。私たちの常識で言えば、人間であるということは神ではないということであり、逆に、神であるということは人間ではないということでしょう。

確かにこの二つは切り離したほうがわかりやすいでしょう。キリスト教の歴史でもこの二つを切り離して考えようとした人がたくさんいました。実はイエス・キリストは人間であって、神ではなかったとか、逆に神であって、人間ではなかったという説がいろいろとあるのです。しかしそのように切り離した瞬間に、キリスト教の信仰からずれていくのです。確かに人間は神になることはできません。しかし全能の神であれば、人間にだってなることができる。そしてそのように人間になられた。それがクリスマスの秘儀であります。

ただしそれは無限のお方があえて制限をもつ世界に入って来られたということであり、永遠のお方が時間の中に入って来られたということを意味しています。どうしてそんなことをなさったのか。人間を救うためです。人を愛されたからです。天の世界と地上世界に橋渡しをするためであります。その方によって、天と地を結ぶはしごがかけられたのです。

神であるお方が、真の人間として、私たちの代表として立ってくださる時に、私たちもそれに連なることが許されるのです。それが新約聖書の根本的メッセージです。

しかしその「神の子」としての姿は、隠された形で、この世にお生まれになり、真の人としてお過ごしになられました。覆いがかけられているのです。その覆いが完全に取り除かれ、真の神としての姿が明らかにされるのは復活の時であります。今日のこの山上の変貌という出来事は、その復活の前に、正体がちらっと見えた。三人の弟子たちにだけ、かいま見ることが許されたということではないでしょうか。

 ペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人は、この出来事について、当時は誰にも話しませんでした。恐らく話したとしても誰も信じなかったでしょう。彼らは、その深い意味を悟ってはいませんでしたが、この出来事は彼らをしっかりと内側から支え続けたのではないかと思います。

 

(7)光が差し込む瞬間

 私たちも、時にそういう経験をするのではないでしょうか。何かの時に、「ああやっぱり神様はおられる」「確かにイエス様は、私と一緒にいてくださる」。私たちの日常生活の中で、そういう非日常的な光がきらりと差し込むような瞬間がある。神様の現臨(存在)を思い、どきっとすることがある。人に言っても信じてもらえないようなことです。「そんなのは幻想だよ。思い込みだよ。夢でも見ていたんじゃないの。」確かにそうかもしれない。夢かもしれない。そのすぐ後には、何事もなかったかのように普段の情景に戻ってしまいます。しかし仮に夢だとしても、その夢を通して、神様は私に語りかけてくださった。しかしそうした確信が、私たちを支えてくれることがあるのではないでしょうか。それは天国の前味わいのようなものです。それが私たちに完全に明らかにされるのは、もっと将来でしょう。今は地上の旅を続けています。天国がどのようなところであるかは知りません。しかし、その世界を、時々、この地上でちらっと見せてくださることがある。この山上の変貌は、そうしたことを指し示しているように思いました。

使徒パウロは言いました。「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(一コリント13:12)。その日を喜びの日として待ち望みながら、それぞれ与えられた生を全うしていきましょう。

 

 

 

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信仰に立つ

2013年08月30日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(46)

マラキ書3章23節

ルカによる福音書9章18~27節

   2010年10月24日

       牧師 松本 敏之

 

(1)日々、従う

 本日は、年に一度の教会バザーです。みんなで心を込めて準備をしてまいりました。それらの準備が皆さんに喜ばれ、神様にも喜ばれて、豊かな実りがもたらされますように、祈りを合わせ、これに協力し合いたいと思います。またバザーと知らずに来られた方も、買い物をしたり、食べたりして、どうぞ一緒に楽しんでください。

 今日の聖書の中で、イエス・キリストは、こう言われています。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(23節)。

 これとほとんど同じ言葉が、マルコ福音書(8:34)にも、マタイ福音書(16:24)にも出てくるのですが、ルカに特徴的なのは、「日々」という言葉が入っていることです。「日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

「自分の十字架を背負って従う」とはどういうことなのか、いろいろな解釈があるでしょうが、ルカは、「日々」という言葉によって、私たちの献身というものが特別なこと、あるいは一生に一回だけのことではなくて、毎日の生活の中で自分を捧げていくことだと強調しようとしたのではないでしょうか。

「日々」という言葉から、私はバザーのことを思い起こしました。バザーを行う第一の意義というのは、それで収益をあげて、それを神様のご用のために用いていただくということでしょう。しかしそれと同時に、バザーをすることによって、私たち自身が変えられていく、献身ということを学ぶという側面もあるのではないでしょうか。もちろんバザーは、年に一回だから集中できるのであって、年に何回もあれば体がもたないということになるでしょう。しかしここで、年に一回であっても、自分を無にして働くことによって、献身の喜びを知るのです。「自分を無にして、従う」ということ、しかもそれを「日々の生活の中で行う」ということを学ぶのです。

 

(2)自己保身的ではなく

 イエス・キリストは、続けて、こうも言われました。

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(24節)。

謎かけのような少し難しい言葉に聞こえますが、要は、「自己中心の考え方や生活は危険だ。そこから逃れよ」ということではないでしょうか。これは真理であると思います。「自分のことばかり考えていると、それを失い、神のため(あるいは人のため)に自分の命を差し出すと、それを得る」という。これはパラドクス(逆説)です。

私たちは、毎日の生活を形成していかなければなりません。そのためには、どうしても自分の生活を支えるために働かなければなりません。しかし、自己中心的な生活や社会のシステムは、結局のところ、自己保存的であり、内向きです。みんながそのように自己中心的、自己保存的に考えるようになれば、ものの見方が狭くなってしまい、もう一つ大きなところで社会が壊れていくのを止めることができない。結局、そのような小さな自己保存的な考え方は大きなところでの崩壊を招いていき、そして結局のところ、自分自身の命を失わせることになっていく、という警告でもあるように思います。

むしろ社会に奉仕し、社会に貢献していくことによって、別のことが見えてくる、自分の生きている意義も見えてくるのではないでしょうか。イエス・キリストは、こうも言われました。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(着るものや食べるものなど)はみな加えて与えられる」(マタイ6:33)。

ただ今日はバザーですので、今日だけは、どうぞ「何を食べようか。何を着ようか」と、大いに思い悩んでください。何を食べようかと思い悩んで、結論を出しかねたら、まあ全部、お食べになったらいかがでしょうか(ぜいたくな悩み!)。食べ過ぎで、明日になったら動けなくなるかもしれませんけれども、イエス様も「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(?)とおっしゃっています。(そんな冗談を言っていれば、イエス様に叱られそうですが。)それらはすべて献金につながると思ってくださればよいでしょう。

 

(3)貪欲

 イエス・キリストは、続けてこう言われます。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか」(25節)。

この言葉は、先ほどの言葉の続きとして、「自己中心」の先にあるものは、「貪欲」だということを指し示していると思います。私たちは日々の生活のことで思い悩みますが、それが十分に与えられるようになっても、悩みはなくならないものです。それを手に入れたら、また次のものが欲しくなる。それを手に入れても、さらにまた次のもの、というふうに、私たちの「貪欲」(greed)というのは、決してなくならないのです。この貪欲を、人間の七つの大罪の一つに数えた人もいます。

アメリカ合衆国のオバマ大統領も、その就任演説で 「われわれの経済はひどく弱体化した。一部の者による貪欲さと無責任さの結果だ」と語っていました。私たちの貪欲さというのは、自分に十分なものが与えられた後でも、際限なく大きくなり、そのことがかえって死を招く原因になるのでしょう。

この教会のバザーの収益は、すべて外部への献金となりますので、こうした貪欲ではないところに、原動力があるものだと思います。

 

(4)イエスとは誰か

さて今日、私たちに与えられたテキストは、このように始まります。

「イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、『群衆は、わたしのことを何者だと言っているか』とお尋ねになった」(18節)。

「イエスとは、一体誰か」という問いは、少し前から問われ続けていることです。8章25節では、弟子たちが問うていました。

「弟子たちは恐れ驚いて、『いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか』と互いに言った。」

また9章9節では、ヘロデが問うていました。「『ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。』そして、イエスに会ってみたいと思った。」

しかし、答えは与えられていません。今や、イエス・キリスト自身がこの問いを取り上げ、弟子たちが人々の見解を紹介するのです。

「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます」(19節)。

 それらをひと言で言えば、イエスがメシアの先駆けだということでしょう。人々はメシアの時が来るという希望をもっていましたが、この希望を育んだのは、先ほど読んでいただいたマラキ書のような預言です。

「見よ、わたしは

大いなる恐るべき主の日が来る前に

預言者エリヤをあなたたちに遣わす。

彼は父の心を子に

子の心を父に向けさせる。

わたしが来て、破滅をもって

この地を撃つことがないように。」

(マラキ書3章23~24節)

この言葉をどのように理解するか、意見が分かれていたようです。神の国に先行して、エリヤ自身が来るということなのか、あるいはエリヤの霊をもった別の預言者が来るということなのか。イエス・キリストについても、群衆の見方はさまざまです。洗礼者ヨハネの生まれ変わりなのか、エリヤの霊を受けた別の預言者なのか、あるいはエリヤ自身なのか、いろいろな理解がありました。

しかし彼らの言葉に共通することは、「イエスはメシア(キリスト)ではなく、メシアの先駆けであろう」ということです。

 

(5)神からのメシア

それに対して、イエスは、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(20節)と、突っ込んで問われます。

 ペトロは、こう答えました。「神からのメシアです」(20節)。

「メシア」という言葉は、ヘブライ語で「油注がれた者」ということであり、それをギリシア語にしたものが「キリスト」です。少し言い換えて、「救い主」と言ってもよいと思います。この問答も、他の福音書にはないルカの特徴を言えば、「神からの」という言葉がついていることです(マタイ16:16、マルコ8:29参照)。

 これは、イエス・キリストという方は、メシアの先駆けを超えて、神ご自身から直接遣わされた方であるということが強調されているのではないでしょうか。

 「イエスとは誰か」という問いは、ここでの弟子たちや当時の人々だけの問題ではなく、今日の私たちまで続いている大きな問いであります。「イエスとは誰か」という問いに答えるのがキリスト教という宗教であると言ってもよいほどです。

 イエス・キリストが偉大な預言者である、あるいは預言者的リーダーである、というのは多くの人が認めることでありましょう。預言者というのは、真理を指し示す人、あるいは真理である方を指し示す人です。ところが聖書によれば、真理を指し示すイエス・キリスト自身が、同時に、指し示される真理になるのです(ヨハネ14:6等)。この方こそが私たちを救う力を持った方であり、神から遣わされた方である。ペトロはそのことを正面から、イエス・キリストに答えたのでした。

 

(6)苦しむメシア

それを受けて、イエス・キリストは誰にも話さないようにと命じながら、次のように語られます。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」(22節)。

これは苦しむメシア(救い主)です。人々が思い描き、待ち望んできたメシアは、そうではないでしょう。もっと強いメシアです。しかしここで示された姿は、何と弱々しく敗北的でしょうか。弟子たちもそれを聞いた時は一体、どうしてそんなことを言われるのか、わからなかったでしょう(マタイ16:22等参照)。

しかしながら、そういうお方として私たちの世界に来られたからこそ、実はもっと深い意味で、一人一人の心に届く、そして一人一人を救うことができるメシアであることが明らかになっていくのです。

 

(7)神の国を見る

最後に不思議な言葉があります。

「確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる」(27節)。

ルカという人は、神の国を、遠い将来のことだけではなくて、今、私たちの中に実現している、ということを強調した福音書記者です。ルカ福音書17章20節以下に、こういう問答があります。

「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:20~21節)。

 イエス・キリストがすでに来られて、私たちの群れの中、二人または三人の人がいる中で、イエス・キリストの名前が唱えられるところで、すでにイエス・キリストも一緒にいて、神の国が始まっている、ということです。ですから、今日の27節を、これに重ね合わせるならば、やがて、この世の終わりが来るまでは死なない者がいるというよりは、むしろ今そういう形で、あなたがたが生きている中で、神の国が実現しているということが、隠されて述べられているのではないでしょうか。

 これは、現在の私たちの群れの中でも同時に当てはまることです。私たちはやがて生涯を終えます。また私たちの生きている世界にもやがて終わりの日が来ます。しかしそれと同時に、私たちが今生きている中で、すでにそういう世界が実現している。私たちの群れの中に、イエス・キリストが来られて、神の国が始まっているということが、喜びの福音として告げられているのです。今この中で、天国の片鱗を、かいま見ることが許されているのだと思います。

 今日のバザーにおいても、そのような神の国の、イエス・キリストの共同体の中にある群れとして、私たちもその喜びを味わいながら、イエス・キリストに従っていく献身ということを学んでいきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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分かちあうパン

2013年08月15日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(45)

申命記8章2~3節

ルカによる福音書9章10~17節

   2010年10月3日

       牧師 松本 敏之

 

(1)世界聖餐日・世界宣教の日

 本日、10月第一日曜日は、世界聖餐日であります。世界中の教会が、一人の主イエス・キリストのひとつのからだであることを覚えて、共に聖餐に与(あずか)る日です。 また日本キリスト教団では、この世界聖餐日を、同時に世界宣教の日と定めています。

数年前に、この教会でも礼拝説教をしていただいた小井沼眞樹子宣教師は、当時は、お連れ合いの小井沼國光牧師と共に、サンパウロ福音教会で働いておられました。その後、國光牧師がALS(筋委縮症)という難病のためにサンパウロ福音教会を辞任して帰国され、國光牧師は数カ月後に、天に召されました。その後、眞樹子牧師は再び、単身でブラジルへ戻り、今度は、かつて私がサンパウロを離れた後、働いたブラジル北東部オリンダのアルト・ダ・ボンダーデ教会で働いておられます。

オリンダとは、レシーフェという大都市に隣接した町ですが、南緯8度の赤道地帯、大西洋岸、南米大陸の地図を思い浮かべていただくならば、三角定規のような形のアフリカ大陸に向けて、とんがった地域です。

 

(2)小井沼眞樹子牧師の宣教活動

小井沼眞樹子牧師は、今年の宣教師報告書『共に仕えるために』に、このように記しておられます。

 「日本人のいない教会で、日本語をまったく使わない宣教生活を始めて1年半が過ぎました。聞いてもよくわからない、言いたいことが言えないもどかしさを味わいながらも、教会の人々との心のつながりが強まっていることを実感しています。……

 アルト・ダ・ボンダーデはブラジル社会の中でもかなり劣悪な状況の居住区です。私は昨年後半から教会学校のある少年と関わるようになり、彼を麻薬の危険から救出し、よい教育の機会を提供するために、2月にレシーフェに引っ越しました。現在、もう一人支援を必要としている青年も迎えて、3人で共同生活をしています。

 ブラジルの負の歴史的遺産は、植民地支配と奴隷制度がもたらした貧富の大差と、富裕な権力者たちの腐敗、多くの貧困層の家族文化欠損という状況でしょう。それは13歳まで育った少年の環境そのものです。私はこれまで頭で知っているつもりだったことを、一人の男の子のいのちとつながることで、初めて生身の体で学ばされている気がしています。貧困と安全でない家庭環境がどんなに人格の歪みをもたらすか、この少年は一人の犠牲者でしょう。日々やっかいな事を起こす彼を許し受け入れることができない自分と向き合うたびに、回心を迫られているのは私の方だという反省を与えられています。私自身が神の無償の愛で満たされていなければ到底やっていけない、その愛への渇望はとりもなおさず、日々キリスト信者にさせられていく体験として、私を復活のイエスに結びつけてくれます。すると困難な状況にあってもなおこころに喜びが沸き起こってきて、アルト教会の信徒たちの信仰はまさしくこれだと共感できるようになりました。この小さな共同体のためにお祈り下さい。」

 これを読んで、私は改めて小井沼眞樹子牧師は、大事な働きをしておられるなあと思いました。一人の少年のいのちにかかわるということは、社会的影響力としては、とても小さなものでありましょう。しかし眞樹子牧師が、そこで一人の少年のいのちと成長に関わっておられるということは希望のしるしであり、その事実が、どれほど多くの人を励ますことでしょう。そして私たちは、そうした宣教師たちを支えることによって、その宣教に招かれているのであり、その宣教に、直接、間接にかかわっていくのであると思います。そしてそこからまた次の人材が生まれて来るのではないでしょうか。

 

(3)群衆を解散させてください

 さて今日は、「五千人の供食」と呼ばれる話を読んでいただきました。

 この物語は、珍しく、ヨハネ福音書を含む4つの福音書全部に出てきます。受難物語を除いては、他にそういう話はありません。それほど、この話は多くの人に大きなインパクトを与え、初代教会の支えになっていったということがうかがえます。

 「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた」(10節)。

ベトサイダという町は、ヨハネ福音書によればペトロやアンデレやフィリポの故郷でした(ヨハネ1:44)。伝道が思いのほか成果をあげたので、いい気になってしまう、という誘惑に打ち勝つためにも、あるいは疲れを癒して、次の伝道に備えるためにも、一時、群衆から離れて静かに黙想と祈りをもつのが大事だと考えられたのでしょう。しかしながら、群衆はそこまでも追いかけてくるのです。

「群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた」(11節)。

追いかけてくる人々を追い返すのではなく、喜んで受け入れられる様子がうかがえます。さて日が傾きかけてきました。彼らに夕食を食べさせるにも、それだけの食糧がありません。12人の弟子たちは、イエス・キリストに向かって、こう言いました。

「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです」(12節)。

 この時の弟子たちは、冷たく彼らをあしらおうとしたわけではりません。このままでは余計、気の毒なことになると思い、進言したのです。弟子たちの言葉から、今、彼らがいる場所が村からも遠く離れたところであったことがわかります。空腹の群衆は、荒れ野にいて、家から離れて来ている。日没が近づいているけれども今なら、まだ間に合う。宿をとることもできる。責任ある者としては、賢明な判断だと思います。早め早めの行動が大事です。

 

(4)イエス・キリストの行動

しかしイエス・キリストは、その賢明な進言に従うことはありませんでした。

「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(13節)。弟子たちは、「そんな無茶を言わないでください」と思ったことでしょう。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり」(13節)。

もちろん食べ物を買いに行くことは時間的にも、金銭的にも不可能なことはわかっています。ここで「パン五つと魚二匹」と具体的な数字を出していることからすれば、彼らは彼らで、すでに誰かが食糧をもっていないか、調査をしていたのでしょう。そして最後の手段として、「群衆を解散させてください」と報告していたのです。賢明です。

しかし、弟子たちが言った方法しかないであろう状況の中で、イエス・キリストは別の行動を始められます。「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせない」と言うのです。そして、彼らが報告した「五つのパンと二匹の魚」を取りあげられました。天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせました。すると、どうでしょう。「すべての人が食べて満腹した」というのです。男が五千人ということですから、女と子どもを合わせると、恐らく一万人以上の人がいたことでしょう。それらの「すべての人が食べて満腹した。」そして残ったパンの屑を集めると、12籠もあった、とのことです。12という数字は、恐らく12人の弟子ということと関係があるのでしょう。この報告からして、みんながわずかなものを分けあって食べて、精神的に満足した、ということではなくて、とにかく最初よりパンが増えたということを言おうとしているのでしょう。イエス様がここで不思議な奇跡を起こしてくださったということが、今日の話の一つのポイントです。

 

(5)ついには幸福にするために

 今日は、申命記8章の言葉を読んでいただきました。ここで注目したいことは、主が彼らを決して突き放したり、見放したりはされなかった、ということです。

「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。……主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる事をあなたに知らせるためであった」(申命記8:2~3)。

 この時、神様は「食べる物がなくても精神力で耐えろ」というのではなくて、食べ物を用意しながら、その信仰を確認させられたのです。ですからこの申命記8章の先をずっと読んでいきますと、こういう言葉に出会います。

「(主は)硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった」(申命記8:15~16)。

 「人はパンだけで生きるのではなく、主の言葉によって生きる」ということを、パンを与えながら、教えられました。

この時のイエス・キリストも、それに通じるところがあります。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われたのは、弟子たちの信仰が試されたのでしょう。一見、弟子たちを困らせているようでありますけれども、それで終わるのではなくて、「誰が彼らを本当に養うのか、それを味わい知れ。そしてあなたがたも、その信仰に立て」と弟子たちに、伝えようとされたのではないでしょうか。

 

(6)パンを与えることと、み言葉の宣教

最後に二つのことを、申し上げたいと思います。ルカ福音書9章というのは、イエス・キリストと弟子たちの派遣、宣教活動が語られているところです。その中に、この話があるということは、飢えている人に食べ物を分かち与えることと、み言葉を伝える宣教は切り離せない、一続きのことであるということでしょう。

教会は、その後、この物語を儀式のために用いることになるのですが、そのことはパンと魚という象徴的な言葉や聖餐式的な言葉(取り、祝福し、裂き、与えた)に表われているとおりです。そしてその際、この儀式は、「困窮している人たちの必要を満たす」という、より広い意味での宣教から切り離されることはありませんでした。

私たちの聖餐式は、毎日食べる物が十分にある中での聖餐式であろうと思います。教会の外では、肉の糧をいただき、聖餐式では霊の糧をいただく。

しかしこれが世界聖餐日として行われるということは、世界中の人々と今、一つの食卓に与っているということです。だとすれば、このイエス・キリストの食卓、聖餐式には、持てる者と持たざる者とが一緒に参加しているということです。十分に食べる物がある人と食べ物がない人が一緒に聖餐式に与っている。聖餐式が、空腹を満たす実際の食事から遠く離れてあるならば、それはいのちと切り離されたものとなります。

聖餐式というイエス様のいのちに与る霊的な食卓が、実際の私たちの肉体の食卓とくっついているのです。世界で、食事が十分にない人のことを思い起こしつつ、肉体を支える食事をも分かちあっていく、ということが、世界聖餐日の大事な意義であると思います。

 

(6)ゼロではなく、小さなものから

心に留めたいもう一つのことは、イエス・キリストが、この奇跡をゼロからなされたのではなく、ある何かを用いて始められたということです。私たちの神様は無から有を生み出すことのできるお方です。イエス・キリストも、ここで何もないところで、五千人を養おうと思えば、恐らくできたことであろうと思います。しかしそうではなくて、ある何かを用いられた。つまり五つのパンと二匹の魚を用いて、五千人を養われた。そこに差し出されたものは、ある誰かからの善意のしるしでありましょう。しかし、それを取って、祝福して、裂いて、分かちあう時に、イエス様は大きな奇跡にして、みんながそれで満足するということをなしてくださった。

私たちは、この世界の食糧難の問題、貧富の差の問題、そのようなとてつもなく大きな多くの問題を前にする時に、自分の小さな力は何の役にも立たないという、無力感に襲われるものです。しかしそこで、小さな善意が差し出される時、それをイエス様が大きな力に変えてくださるということを、この物語は示しています。

先ほど小井沼眞樹子牧師の宣教のことを申し上げましたが、彼女が一人の少年とかかわる、その子の成長にかかわる、ということは、大きな問題を抱えたブラジル社会の中ではほんの小さな働きであるかもしれません。大海の中のひとしずくのようなものかもしれません。しかし、それがイエス様に用いられていく時に、それは大きな宣教の業に変えられていくのです。何よりもまず、私たちがそうした宣教師の活動に目を向け、そして私たち自身が喜びを与えられて変えられて、共に歩んで行く決意を新たにすることができるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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弟子たちの派遣

2013年07月05日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(44)

ヨシュア記1章5~9節

ルカによる福音書9章1~9節

   2010年10月10日

    牧師 松本 敏之

 

(1)神学校紹介

日本キリスト教団では、10月の第二日曜日を、神学校日・伝道献身者奨励日と定めています。キリスト教会にとって、次の世代の伝道者を養成していくことは大事な課題です。その大切な役割を担っているのが神学校であります。日本キリスト教団には、現在、6つの認可神学校がありますが、簡単に紹介いたしましょう。

まず私たちの教会と最もかかわりが深いのは、深町牧師、東方牧師、本間牧師、一色牧師、私の出身校である東京神学大学でしょう。東京神学大学は、学部と大学院博士前期・後期課程を備え、充実した図書館を持つ、日本で唯一の神学専門の単科大学です。その伝統は、1873年の宣教師ブラウン塾にまでさかのぼります。日本でプロテスタント伝道が始まった約150年前の直後から、その前身である神学塾があったということになります。

二つ目は、目白にあります日本聖書神学校です。都心にある夜間の神学校ということで、働いている人たち、またそうでない人たちもたくさん学んでいます。日本聖書神学校は、第二次世界大戦直後の1946年5月、「日本の新生と世界平和の基礎はキリストの福音宣教にある」ことを示された同志たちにより開校されました。「聖書に基づき、他者と共感する霊性を養い、宣教の現場を重視した教育」を目指し、第三世界との連帯や、日本のアジアに対する歴史的責任を大切にしています。

三つ目は、町田市鶴川にあります農村伝道神学校であります。農村伝道神学校の設立にかかわったアルフレッド・ラッセル・ストーン宣教師は、1927年、日本への宣教の使命を受け来日し、27年間宣教師として働かれましたが、1954年に洞爺丸の沈没により52歳で亡くなられたことで知られた方です。教育の目標としては、「農村・地方教会に仕える伝道者の養成」を掲げ、特に①「農」にかかわる、②戦争責任、③大地、共同性、④エキュメニカルな神学校ということを大事にしています

四つ目に紹介したいのは、関西学院大学神学部です。こちらは総合大学の中の神学部です。また青山学院と同じく、メソジストの伝統にありますが、青山学院大学のほうは米国メソジスト監督教会が派遣した宣教師によって創設されたのに対して、関西学院大学のほうは、米国南部メソジスト監督教会の宣教師によって創設されました。

五つ目は同志社大学神学部であります。こちらも総合大学の神学部です。同志社大学は、1875年に新島襄が創立した同志社英学校を前身とし、会衆派教会、組合教会の伝統に立っています。神学部もその伝道者の養成ということを大切な任務として担ってきましたが、近年では、諸宗教間の対話ということにも力を注ぎ、最近では学内に、一神教学際センターというのができました。私たちの教会の礼拝にも出席しておられる佐伯幸雄先生も同志社大学神学部のご出身です。

六つ目、最後の一校は、東京聖書学校です。こちらは日本キリスト教団の中の「ホーリネスの群れ」の神学校です。私はよく知らないのですが、なかなか厳しい訓練をするようです。全寮制で、毎朝6時から早天祈祷会をして一日を始めるとのことです。

 

(2)多様な伝統を生かす

紹介が長くなりましたが、そのような伝道者養成の神学校のために、私たちは祈りをあわせると同時に、献金をして支えていかなければなりません。どの神学校も経済的には大変なようです。本日の礼拝献金はそのまま、日本キリスト教団伝道委員会を通して、これらの神学校のために捧げることになっていますので、よろしくお願いします。

私は、日本キリスト教団の中に、このようにいくつかの認可神学校があり、多様性があるということは、さまざまな教派が合同してできた「合同教会」として非常に大事なことであると思います。

私が活動委員と理事を務めています日本クリスチャン・アカデミーでは、そういう多様な神学校間の対話交流を促進すべく、神学生交流プログラムというのを、一昨年から始めました。約10の神学校から学生を二人ずつ招いて、講師と企画委員も加わって、共にひとつの学びをいたします。昨年の1回目のプログラムは東京で行われましたが、当時神学生であった佐伯先生のお孫さんも参加されて、とてもよい貢献をされました。2回目は今年、京都で行われましたが、3回目は、来年3月に鎌倉で行われることになっています。私もその企画委員の一人として参加する予定です。

実は、今の日本キリスト教団では、そういう神学校間の交わりがなかなか難しい状況にあるのですが、こういう企画によって対話が進められて、教団の中の多様な伝統が、そして多様な神学理解が共有できる教団に成長したいと願っています。

 

(3)神学校の入学式と卒業式

 さて、私たちはルカ福音書を読んでいますが、今日、私たちに与えられたテキストは、神学校日にふさわしく、弟子たちの派遣の記事です。少し前の6章12~16節では、十二弟子を選ばれたことが記されていました。あの箇所は、いわば神学校の合格発表と入学式のような感じでした。12人の名前が発表されて、その後、彼らはイエス・キリストと寝食を共にして訓練を受けるのです。イエス・キリストの言葉を直接聞き、共に祈り、イエス・キリストがなさった不思議な業を身近に見てきました。何よりもその心を学んできたと思います。いやしの業も見てきました。必要な訓練期間を経て、準備が整い、これから派遣されようとしている。その意味では、今日のテキスト(9:1~9)は、神学校の卒業式のような記事であるといえるでしょう。

 ちなみに、「弟子」(ディサイプル)と「使徒」(アポスル)は、どう違うのかと聞かれることがあります。顔ぶれは同じですが、そこに込められた意味は少し違います。「弟子」というのは呼び集められ、従う者、ということであり、「使徒」というのは、そこから派遣される者、ということです。求心的な言葉と遠心的な言葉、方向性が逆なのです。

 

(4)神の国宣教と病のいやし

 「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた」(1~3節)。

 イエス・キリストが十二使徒たちを遣わされる目的は、「神の国を宣べ伝えること」と「病人をいやすこと」でした。イエス・キリストも、この二つのことのために働かれた方でありました。「悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった」とありますので、この「いやし」には、「悪霊を追い出すこと」も含まれているのでしょう。

 今日では、病気をいやすことは、医師の仕事でしょう。牧師が医師と同じようなことを行っていると、問題になりかねません。ですから狭い意味での医療行為ではありませんが、やはり伝道者(牧師)の仕事というのは、心とからだ全体のいやしにかかわるものであります。よく牧師の仕事とは、「説教」と「牧会」であると言われます。「説教」とは、神の国を宣べ伝えることであり、「牧会」というのは、牧者として、パストラル(牧会)・ケアをすることです。スピリチュアル・ケアと言ってもよいでしょう。これが、「病人をいやすこと」に近いものかと思います。個々の魂にかかわっていく。その人を訪問し、その人を見舞い、その人と共に祈る。もちろんそのためには、牧師自身が大牧者であるイエス・キリストの羊として、養われ、いやされることが必要でしょう。

 そのように、イエス・キリストは12人を派遣するにあたって、力と権能をお授けになり、「行きなさい」と押し出されました。

 

(5)厳しい言葉は励ましでもある

そこでイエス・キリストが語られた言葉は、とても厳しいものでありました。

「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(3節)。

ここに記されたものは、最低限、生活に必要なものであります。彼らの旅は、観光旅行ではなく、放浪のような旅です。杖は長旅において、足を支えるものであったでしょう。袋とは手提げカバンのようなものでしょうか。さらにお金もパンも持つな、というのです。下着も、着替えの1枚で十分、というのですから、本当に手ぶらで行け、ということであります。しかも彼らの旅は、どこかに本拠地があって、そこに荷物を置いていくのではなく、放浪のような伝道生活ですから、「何も私有物を持つな」ということでしょう。私などは、真っ先に失格ということになりそうで、恥ずかしいのですが、私だけではなく、ここまで言われれば、ほとんどの伝道者は失格ということになるかもしれません。

しかし同時に、この言葉は、伝道者を安心させてくれる言葉でもあります。なぜなら、この言葉は、「必要なものはすべて私が用意するから心配はいらない。私を信頼しなさい」ということでもあるからです。マタイ福音書の並行記事では、「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」(マタイ10:9~10)という言葉が付け加えられています。

 地方の牧師たち、また牧師の家族の中には、厳しい生活を余儀なくされている方々が多くあります。そうした中で、このイエス・キリストの言葉を信頼して働いておられると言えるでしょう。

ですから、このイエス・キリストの言葉は、そのように伝道者を励ますと同時に、まわりの人たちや群れにも語られているのではないでしょうか。信徒の人たち、そして都会の比較的裕福な教会は、そのイエス・キリストの言葉が真実であると証しするために、支えて行く責任があるということにもなろうかと思います。それは神学校を支え、神学生を支えることの延長線上にあるのでしょう。

さらに、こう続きます。

「どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい」(5節)。

これも厳しい言葉です。そこには、旅人、特に伝道者をもてなすのが大事なこととされていたという背景があります。「自分が権能を授けて派遣された使徒たちを受け入れないということは、同時に自分を受け入れないことだ」という思いが込められています。これらもすべては、彼らを励まし、安心を与えるための言葉であったと思います。

 こうした言葉が書き残されたということは、逆に言えば、その後の彼らの生活には苦難が待ち受けているということを暗示しているのでしょう。どんなに励まされようとも、現実的には伝道者の生活は厳しいものです。そういう意味でも、この言葉には、神学校の卒業式の厳粛さを思わせるものがあります。

その後12人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやしました。

 

(6)ヘロデの戸惑い

今日はもうひとつ、次の段落までお読みしました(9:7~9)。

ここに出てくる領主ヘロデとは、かの悪名高きヘロデ大王の息子で、ヘロデ・アンティパスという人物です。彼は、イエス・キリストがたくさんの人を引き付けていたことに大きな戸惑いをもちました。人々がヨハネの再来だと言っていたからであります。彼は「ヨハネなら私が首をはねた」と言い、その死んだはずのヨハネが現れたとうわさされているのは、どういうことだろうと興味をもったのでしょう。ヘロデの関心というのは、彼を悔い改めに導くものではなく、全く興味本位のことでした。やがて、イエス・キリストが最後にピラトの裁判を受ける直前に、このヘロデの眼前に連れて来られ、もてあそばれて尋問されることとなります(ルカ23:6~12)。ですから、ここにはすでに受難の影が射しこんできていると言えるでしょう。それはまた、あの洗礼者ヨハネが受けた屈辱の線上にありました。

そうした中で、弟子たちが使徒として派遣されていくということは、イエス・キリストに従う時には、どこかでそういうことを伴ってくるものだということも語っているのでしょう。

 

(7)信徒としての使命

 さて、私たちはすべての人が牧師になっていくわけではありません。信徒として牧師や神学生を支えることも大事な使命です。それと同時に、牧師ではなくとも、私たちはキリストの弟子として集められ、使徒としてこの世の中に派遣されている、ということもあわせて、心に留めたいと思います。さまざまな苦難を伴ってくるかもしれないけれども、イエス・キリストが必ず必要なものを与え、その使命を全うできるようにしてくださる。そのことを信じて歩みたいと思います。そしてまた、そうした中から、神学校へ行き、キリストに仕え、伝道者として立っていく人が生まれてくるようにと願っています。

 

 

 

 

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悩み苦しみからの解放

2013年06月28日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(43)

詩編4編2~9節

ルカによる福音書8章40~56節

   2010年9月19日

      牧師 松本 敏之

 

(1)病と死

明日は敬老の日です。教会では、そのことを覚えて、今日、敬老のお祝いをいたします。教会でこのことを祝う最大の意味は、やはり神様がそのお年まで守り、導き、生かしてくださったことを共々に感謝するということでありましょう。

私たちの人生は、さまざまなものに脅かされています。まず外側から私たちの生活を襲うものがあるでしょう。自然の災害があります。戦争があります。さらには家族の崩壊、失業、経済的危機なども、これに加えることができようかと思います。さきの「湖での嵐」の記事は、そのような外的な危機を象徴していると思います(8:22~25)。

私たちを内側から脅かす力もあります。「湖での嵐」に続くゲラサ人のいやし、悪霊からの解放の記事(8:26~39)では、そうした私たちを内側から、精神的に追い込んでいく力について語っていました。

 さらに私たちを脅かすものは、病と死ではないでしょうか。人間誰しも、年をとっていくにつれて、健康であった人でも、さまざまな病を身に受けるものです。そして人間誰しも、どんなに長生きをしても、いつか死を迎えなければなりません。それはすべての人間に公平に与えられる厳粛な事実です。

どんなにお金があっても、どんなに家族に恵まれた人生であっても、病は容赦なく襲ってきます。そしてその向こうには死が待っているのです。私たちの人生を襲う最大の、そして最後の力は死であります。私たちは、自分の力では、これに対抗することはできません。自然の肉体が永遠に続くことはあり得ないからです。

 

(2)地位もお金も役に立たない

今日、私たちに与えられたテキストは、その病の力と死の力に対して、イエス・キリストが向き合ってくださり、それに打ち勝ってくださったという物語です。ここでは二つの物語がサンドイッチ形式で記されています。

イエス・キリストの一行は、ガリラヤ湖の東側、ゲラサ人の地から追い出されるようにして、ガリラヤ湖の西岸へ戻ってこられました。かの地では悪霊を追い出された人を除いて、誰からも喜ばれませんでした。しかし、ここではみんながイエス・キリストの帰りを待っていました。大勢の人がイエス・キリストのもとへ集まって来ます。そこへヤイロという名の会堂長がやって来て、イエス・キリストの足もとにひれ伏し、「自分の12歳の娘がひん死の病で伏しているので、ぜひ自分の家に来てほしい」(41~42節)と懇願しました。

会堂司というのは、ユダヤ教の礼拝堂(シナゴーグ)の世話をする責任者です。宗教者ではありませんが、単なる実務担当者でもありません。集会の指導的役員であり、社会的地位も高く、財産もあり、信用もある人がなりました。しかし私たちの人生には、身分も、地位も、財産も、教養すらも、全く役に立たないことがあります。自分にくっついている肩書がすべてはぎ取られ、裸の自分になった時に、イエス・キリストは語られ、力を発揮し、生きて働かれる主であることを示されるのです。

 

(3)12歳の少女の危篤と死

この少女は、最初はまだひん死の状態ですが、主イエスがたどり着く前に死んでしまいます。死というのは、老人にだけやってくるのではありません。働き盛りの人にもやってきますし、子どもにもやってくることがあります。そこでは、私たちは無力です。死というのは、一切の望みが消え果てる限界状況です。しかしこの限界状況に立って、初めて見えてくるものもあります。他の価値観はどんなに立派なものであろうとも、死で突然終止符を打たれるのです。ですから、その死というものを視野に入れて、私たちは一体何のために生きているのか、何が本当に私たちを生かすのかということを見据える必要があるでしょう。

この父親は娘をこよなく愛していたことでしょう。しかしいくら愛していてもどうすることもできないことがあります。その現実に立って、命の根源であるイエス・キリストの前に身を投げ出したのです。神の愛から湧き出てくる永遠の命だけが、人間の愛の無力さに力を与えるのです。

この父親も、娘の命の先がもうないという現実の中で、イエス・キリストの前にひれ伏すのです。

イエス・キリストは、彼の熱心な願いに心を動かされ、そして12歳の少女のことを思い、その人の家に赴かれます。大勢の人が外で待ち構えているにもかかわらず、であります。まるであの99匹の羊を野に残して、一匹の羊を追い求めて行く羊飼いのようです(ルカ15:4~6)。

 

(4)もう一人の女の12年間

しかしそのように12歳の少女の家に行こうと出発した直後に、もう一人の別の女に出会います。もう一匹の羊と言ってもいいでしょう。それは、12年間、病を負い続け、悩みに満ち、苦しみを背負っていた一人の女性でありました。12年間というのは、先ほどの少女が生きてきた年数と同じ期間であります。

 ルカは、12歳の少女と12年間出血が止まらない女性を並べることによって、全く異なる境遇の元に歩んできたこの二人の女性が、今やイエス・キリストによって等しく恵みに与っているという不思議な摂理に目を向けようとしたのでしょう。

 この出血が止まらないという病気は、当時は汚れた病気というふうに考えられていました。人に近づくことが禁じられ、近所づきあいも、場合によっては家族との接触も断たれていた。そういう病気であります(レビ記15:25以下参照)。ですから、この女性は自分からみんなのほうへ入っていくことができない。肉体の病と同時に、宗教的断罪と社会的疎外という三重の苦しみを負っていました。

ですから彼女は、誰にもわからないようにして、こっそりとイエス・キリストの後ろから近づいて行くよりほかにありませんでした。そもそもその衣の房に触るということも大それた行為でありました。しかし治りたいという一心で、イエス・キリストに近づいて行きました。その行為を、主イエスは「信仰」と呼んでくださるのです。もしかすると、逆に「何をするのだ。下がれ」と言われてもおかしくはない状況の中でありました。

この房というのは、ガウンのような衣服に四つの房が付いていたようです。着ている人が神に属するものであるというしるしであると考えられていました。着ている人自身が、その房を見て、自分は神に属する者として生活をしなければならない、ということを思い起こさせるしるしであったそうです。

この女性の場合は、対極のところにあったと言えるでしょう。そもそも彼女はその着物を着ることはできませんし、汚れの中にあって、神様の清さを受けることなどからはずっと遠い所にある。その彼女の目の前に、今その房がある。律法によれば、触ってはならない。近づいてもならない。しかし彼女は、迷信と言われようが、愚かと言われようが、絶望のただ中で、何とかその衣に触りたいと思いました。そしてそのように隠れて行動したのです。彼女は、そうする中で、イエス・キリストは神に属するお方だ、神様の清さに生きておられる方だと悟ったのです。イエス・キリストがほめられた「信仰」とは、そういうことではなかったでしょうか。そこには力がある。そこには自分を何とかしてくださるきっかけがあると、彼女が信じたということです。ご利益と言われようが、何と言われようが、そこから自分は変わっていくかもしれない、という思いがあったのです。

 

(5)なぜ、わざわざ尋ねたのか

「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」(46節)。

これも不思議な言葉であります。まわりの人は、「こんなに大勢の人がいるのです。誰が触ったかなんて、わかるはずがない」、あるいは「みんなが触っています」と思ったことでしょう。

愛の力が働いたということを、イエス・キリストご自身が感じた。そしてそこで立ち止まるのです。彼女の病が治ることだけであれば、主イエスの力が抜けて、その人を癒したのだから、もうそれでいい、ということになったでしょう。主イエスは早く次の場所へ行かなければならない。待っている人がいるのです。

しかし、彼女が本当の意味で新しく生きるために、そして彼女の病気が治ったということが町の人たち、共同体の中で認知されるためには、そのことが公表され、宣言される必要がありました。

彼女は自分が触ったということ、そして治ったということを知っていますが、それを言い出せないでいました。しかし隠しきれないと悟って、「私が触りました」と告げるのです。主イエスは言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(48節)。

 

(6)病と死に打ち勝つ力

そのことのために多くの時間を費やしたのでしょう。先に進み行こうとされましたが、その時に会堂長のほうから、ある人が使いとしてやってきました。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」残念ながら、もう来ていただく意味はありません。しかし主イエスは、これを聞いて会堂長に言われます。

「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」(50節)。

そして会堂長の家に足を向けられるのです。家に着いた時には、娘はすでに死んでいました。みんなで泣き悲しんでいたとあります。しかしその中の多くの人は、悲しみを盛り上げるために呼ばれた「泣き女」と呼ばれる人ではなかったかと思います。なぜなら、「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ」というふうにおっしゃった時に、人々は「あざ笑った」と書いてあるからであります。どんなにそれが信じられない状況であっても、「死んだのではない。眠っているだけだ」という言葉を聞いて、あざ笑うというのは、その娘の死の悲しみと離れたところにいた人であろうと思います。娘は、そこで霊が戻って、すぐに起き上がりました。

主イエスは、ひとりひとりの魂を心に留め、十把一絡げではなく、その都度立ち止まり、振り返り、そして命を注がれた。そうする中で、最後にはご自分の命をささげて、十字架にかかられたということができると思います。

 

(7)讃美歌「わたしに触れたのは誰か」

ブラジルにいた頃、この「出血の止まらない女」をそのまま歌にした「わたしに触れたのは誰か」という讃美歌に出会いました。最後にそれを紹介したいと思います。繰り返しのイエス・キリストの言葉(イタリック部分)は男声によって、それ以外は女声によって歌われます。

 

(くり返し)

わたしに触れたのは誰か?

誰かがわたしに触れた

わたしから力が出ていったことを感じた

わたしに触れたのは誰か?

 

1 わたしです

苦しんできた女

何の価値もない女です

12年の間ずっと

苦しみを引きずってきました

 

わたしです

ひどい痛みによって

律法によっても信仰によっても

人生の喜びから

締め出されてきた女です

 

2 わたしです

財産も使い果たしましたが

病気はよくなりませんでした

しかしあなたのうわさを聞き

希望がかえってきました

 

わたしです

いやす力をもって

来られた方のところに

押し入るように走って来た女です

わたしがあなたに触れました、主よ

 

3 わたしです

わたしの苦しみのいやしを

探し求めてきた女です

しかしこの苦痛が終わることを

わたしの体が証明しました

 

わたしです

うしろから身をかがめ

近づいたのはわたしです

心が締め付けられ

あなたの服に触れました

 

わたしの娘よ!わたしの娘よ!

あなたがわたしに触れた

わたしから力が出て行ったことを感じた

あなたの信仰があなたを救った

安心して行きなさい。

 

はい、行きます。

 

(作詞作曲:ジョアン・カルロス、

日本語訳:松本敏之)

 

 

 

 

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悪霊からの解放

2013年06月21日 | ルカによる福音書(1)

ルカ福音書による説教(42)

詩編7編1~7節

ルカによる福音書8章26~39節

   2010年9月5日

     牧師 松本 敏之

 

(1)内側から人間を襲う嵐

 主イエスの一行は、ガリラヤ湖で嵐に遭いましたが(22~25節)、ようやく無事にガリラヤ湖を渡り切って、向こう岸のゲラサ人の地方へ着きました。そこへ、「悪霊に取りつかれた男」がやってきました。その男は、「長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとして」(27節)いました。イエス・キリストを見ると、わめきながら、ひれ伏したというのです。

前回のところでは、自然が荒れ狂って嵐になりましたが、人間にもまた同様のことがあります。自然の嵐は外側から人間を襲いますが、この嵐は内側から人間を襲って、間化していきます。「この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されて」(29節)いました。恐らく凶暴で、放っておくと、まわりの者に危害を加えていたのでしょう。彼はそのように加害者でありましたが、それ以前に彼自身が、この嵐に襲われて苦しむ被害者でもありました。

 彼は墓場に住んでいたということですが、それはひとつには、まわりの人に迷惑をかけないように、まわりの人がそこへ追いやったということがあるでしょう。もうひとつは、彼自身が他のところでは落ち着かず、お墓だけが彼の安住し得る場所であったのかも知れません。それは、自分に閉じこもる姿の現れではないかと思います。しかしただ、閉じこもっていただけではなく、自分の存在をアピールしたかったのではないでしょうか。しかしうまくアピールができない。人にいやな思いをさせることだけが、彼らの存在のアピールの仕方であったのかもしれません。

 今日では、きちんとした病名がつくのかもしれませんが、聖書は、こうした事柄の背後に悪霊の働きを見るのです。イエス・キリストが私たちの世界に来られてなさったのは、その人自身と、その人に働いている悪霊を分けること、そしてその人から悪霊を追い出すことでありました。

 この時のイエス・キリストの働きも、そのような「悪霊を追い出す」働きであったと思います。この直前のところでは、嵐という大自然に働きかける力よりも、イエス・キリストの力のほうが上だ、ということを語りましたが、今日のところでは、人間を間化していく力に対して、それよりも上だということを語っています。

 ただこうしたことは、特別な病気をもった人についてだけではありません。人間だれしも、自分の中に、二人の自分がいて葛藤するということを経験するのではないでしょうか。そしてどちらかを選んでいる。「そんなことをやっても何の得にもならないから、やめておけ」とか、「今なら誰も見ていないから、やってしまえ」とか、そういう声と戦いながら生きているような面があるのだと思います。

 使徒パウロはこう言いました。「そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです」(ローマ7:17~18)。パウロも自分をよく洞察し、人間がどういう存在であるか、よく知っていたと思います。

 

(2)悪霊の言葉が意味すること

 さてこの人はイエス・キリストに向かって、こう叫びました。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」(28節)。この言葉は、彼自身のうちにいる「悪霊」の叫びであると言えますが、二つの意味で興味深い言葉です。

 ひとつは、悪霊がイエス・キリストのことを「いと高き神の子」と呼んでいることです。イエスを最初に「神の子」と認め、そう呼んだのは、信仰をもった人間ではなかった。これまでのところで、まだ誰もイエス・キリストのことを「神の子」と呼んだ人はいません。弟子たちの代表であるペトロが、イエス・キリストに対して、「神からのメシアです」と最初の信仰告白をするのですが、それはずっと後のことです(ルカ9:20)。これは、どんな人間よりも、悪霊のほうが、イエス・キリストが一体誰であるかを見抜いていたということではないでしょうか。悪霊は、力の面だけではなく、知恵の面(特に神を見抜く知恵の面)においても、われわれ人間よりも上手(うわて)なのです。

 もうひとつは、悪霊が、イエス・キリストに向かって、「かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」と言っていることです。悪霊は、自分の立ち位置をわきまえていました。人間なら、何とでもなる。人間は自分の手の内にあるようなものだけれども、神の子にはかなわないということを知っている。

マタイ福音書の並行記事では、ここに興味深い言葉が記されています。「まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか」(マタイ8:29)。「まだ、その時ではないのに」の「その時」とは、いつのことでしょうか。一言で言うとすれば、やはり恐らく「世の終わり」「終末の時」でしょう。おもしろいことに、悪霊たちは、世の終わりを、自分たちが滅ぼされる時として、わきまえていたということではないでしょうか。この当時の人々の間にも、世の終わりについてさまざまな考え方がありました。そしてそれはすべてが明るみに出る時ですから、ある意味では恐ろしい時として、考えられていたのも事実です。

 しかし世の終わりを誰よりも恐れていたのは、悪霊たちであったのです。自分たちの命は、世の終わりまででしかない。それまでは、ある意味で自分たちがあたかも支配者のように振る舞うことを許されているが、その時には、滅ぼされる運命にある。誰が一体彼らを滅ぼすのか。それは神であり、神の子です。ですからこの時、こんなにも早く神の子が登場してきてしまったので、悪霊たちはあわてたのでした。「あなたが登場されるのは、一番最後、フィナーレの時でしょう。少し早すぎるのではないですか。もう少し私たちに暴れさせてください」。

 

(3)「水戸黄門」

 テレビで「水戸黄門」などを見ていると、最初から黄門様が出てくると面白くないですね。最初の40分くらいは、悪いやつが暴れまわる。暴れまわるのは下っ端かもしれません。そのうしろに悪代官がいて、糸を引いている。顔を見せない。そして真面目に一生懸命働いている者が踏みにじられている。テレビの前のわれわれは、その外側にいる者だから、構造はわかっているわけです。それでも感情移入して見ています。

水戸黄門の印篭が出てくるのは、大体、8時45分頃です。「控えー控えー。ここにおられる方をどなたと心得るか。恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公にあられるぞー。頭が高い。」みんなの気持ちがいっぱい高まったところで出てくる。あれが8時半に出てきてしまうと、ちょっと早すぎる。

マタイが「まだその時ではないのに」と書いているのも、「神の子が登場するのは最後の時ではなかったですか。何でそんなに早く来てしまったのですか」というような感じです。

悪霊たちは、自分たちが神の子に負けることを知っていたので、その登場に非常に敏感であったのです。このことについても、悪霊は人間よりも敏感であったと言えるのではないでしょうか。

 

(4)レギオン

彼は「レギオン」と名乗りましたが、それは、「たくさんの悪霊がこの男に入っていたから」(30節)だとあります。レギオンというのは、ローマの軍団で歩兵6000とこれを護衛する300ないし600の騎兵から構成されていたということです。ローマの軍隊によって残虐行為を受けていたように、彼も内側からそのような目に遭っていたという理解もできるかもしれません。

 同時に、ここには、自らの元来の名前を失った人の姿があるように思います。名前はその人格を表すと言われます。かつて、日本軍は朝鮮半島において、朝鮮・韓国の人々の名前を奪って支配したことがありますが、名前と言うのは、その人のアイデンティティーにかかわり、尊厳にかかわるものです。ですからそれを奪われるというのは、自己が否定されるということであり、恐ろしいことです。彼は名前を失い、それを奪った者(悪霊)が名乗っているのです。

悪霊たちが、まだ自分たちの時だと思っているのに、実は神が勝利される時が始まっている。主イエスが来られたということは、世の終わりの時が始まったということです。悪霊たちは、いきなり神の子と出会って、あわてふためきました。何とか生き延びる道を見いだそうとして、たまたま目に触れた豚の大群を指して、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」(32節)と懇願いたします。

 しかし、イエス・キリストの力は、その男のアイデンティティーを奪ったものよりも強いのです。

その悪霊たちは、「底なしの淵へ行けという命令を出さないでください」と頼みました。そこがどんなところか知っており、同時に、最後の日にはそこへ行かざるを得ないということも知っていたのでしょう。どういうわけか、イエス・キリストは、その願いを聞き入れ、彼らは豚の中に入るのです。豚の群れは崖を下って、湖になだれ込み、おぼれ死にました。

 

(5)町の人の反応

 その出来事を見た豚飼いたちは、そのことを町中の人に告げました。真相を確かめるべく、町の人たちが現場にやってくると、それまで悪霊に取りつかれていた男が正気に戻って、服をきちんと着ていたので、びっくり仰天してしまいます。

 彼らは、イエス・キリストに「この町から出て行ってもらいたい」と願いました。どうしてでしょうか。ひとつには、彼らはイエス・キリストの中に、ただならぬ力、人間の力を超えた力が働いていて、それを彼らは受け入れられなかったということでしょう。その恐ろしい力のもとにはいたくない、と思ったのです。悪霊を追い出すほどの力をもっているのは、もしかすると悪霊の頭だろうと思ったのかもしれません(ルカ11:15参照)。彼らにしてみれば、今までの悪霊と何とか折り合いをつけながら、墓の中に追いやっているほうが、ましだと思ったのです。神の力は必要なかったと言ってもいいでしょう。

 もうひとつは、彼らが豚を失うという大きな経済的不利益を被ったことでしょう。神の力が働く時、自分たちの経済的利益をも破壊されかねない。経済的犠牲を伴うことはしたくなかった。小さな問題は解決したいけれども、「今のままの生活で十分です。悪霊とも、何とか共存しているのです。それでいいのです。それを乱さないでください」ということです。

 私たちの今のシステムも、神様の力が働くと、大きく揺さぶられる。都合が悪い。何かそういう気持ちを町の人の反応は表しているように思います。

 

(6)「自分の家に帰りなさい」

 そうした中、この悪霊を追い出してもらった人だけは違っていました。彼はこの町に留まるよりも、イエス・キリストと一緒にこの町を出て行きたいと思いました。そこで新しい自分の人生を歩み始めたい。この町では、これまでとは違った意味で異質な存在なのです。しかしイエス・キリストは、それをお許しになりませんでした。

この町に留まるということが、彼にとっての召命でありました。イエス・キリストが私たちを召される時には、必ずしも同じ仕方ではない。一人一人違った使命が与えられて、違った形でお召しになります。イエス・キリストに付いて行くことを求められる場合もありますし、自分が大きく変えられたということを、自分の町で証しすることを求められる場合もあります。彼の場合には、彼が町を出て行ってしまうと、恐らく町の人は、この事件を過去に追いやり、忘れ去ることになったでしょう。しかし、彼がそこに居続けることが、「あれは本当の出来事だったのだ」という証しになったのです。

 

(7)ゲラサ人の地方

「ゲラサ人の地方」というのは、ガリラヤ湖から南東50キロとかなり遠いところのようです。ここは、異邦人が多く住む地域でありました。新約聖書の中で、異邦人伝道というのは、復活のイエス・キリストの伝道命令から、始まっていきます。ルカは、使徒言行録においてそのことを書いていくのですが、その前触れがここにあると言ってもいいでしょう。イエス・キリストの異邦人伝道というのは、この男において始まっていたのです。そうしたことが、ゲラサ人の地方という言葉の中に、含まれていると思います。

 私たちは、そのようにして始まった異邦人伝道の延長線上を生きています。そのようにして一人の人に向かって語られた言葉は、同時に私たちに向かって語られていることであり、人間を内側から作り変えて、新しく生きるようにと召されています。

 そのことを心に留めて、秋の歩みを始めていきましょう。

 

 

 

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