ほぼ週刊 元祖ブルーォグラス

ニッチなブルーグラス情報を。

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「ブルーグラス」とはなんであるか ①

2018年11月27日 | 自由研究
ブルーグラスとはなんであるか。

これは私にとって究極の命題である。
そんなことグダグダ論じる前に弾くか歌うかしろや、と怒られそうな話ではあるが。

いつの間にか21世紀も10何年も経ってしまって、このテーマを議論していた大切な先輩も何人も亡くなった。
いったい何をしているんだろう。自分がしてきたことは正しかったのだろうか。考え続けてるだけじゃダメだ。

だから今、これまで自分が何を目指してきたか、本当は何を目指したいか、あえて誰も読んでいないここで、初心に帰って振り返ってみたいと思う。

ブルーグラスとはなんであるか。

行き当たりばったりなので、とりとめのない文章になると思うし、更新は何ヶ月も(もしかしたら何年も)止まるかもしれない。

もしも読んでしまった、続きが読みたいという奇特な人がいたらどんな手段でもいい、教えて欲しい。その教えはきっと私の連載に対する動機の一助になるだろう。人は人の目を気にすることでしか動くことのできない打算的な生き物だ。

とはいえ読者がいなくても、まあとにかく書きはじめないといけないし、実際もう書きはじめてしまったのだ。
いつかやりたいと思っているうちに人は死ぬ。
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帰ってきた口パクファミリーバンド

2018年05月08日 | 自由研究


本ブログで一世を風靡したあの「The Punches Family」が時を経て、大きくなって帰ってきました。
今日のファミリーバンド



すでに口パクではなく、貫禄すら感じさせる演奏。
お父さんも愛娘達の演奏にご満悦の表情。
にしても変わらないこの異様なステージ風のPVは一体どういうシチュエーションなんでしょうか。


「継続は力なり」という言葉がぴったりの、仲睦まじいファミリーにもう一度大きな拍手を。
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アメリカ民謡研究会の研究

2018年03月22日 | 自由研究
6年くらい前にmixiに書いた記事を改変して掲載。
記事中の年数、HPの内容は当時のものです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ブルーグラス界の東の草分け的存在、A山学院大学では軽音楽同好会の中で「ブルーマウンテンボーイズ」は1961年(昭和36年)に初代が結成してから、‘86年(昭和61年)に24代目がお茶の水「日仏ホール」で最後の解散コンサートを開くまでの間、26年の長きにわたり、その歴史の幕を降ろしました。

H海道大学のブルーグラス研究会はフォークソング研究会から35年前に分離独立しています。現在のフォークソング研究会はロック、Jポップをやっています。サークルというものには年や時代の流行によって、そうした変質があるのだと思います。

特に大学サークルなどでは、設立から現在に至るまでの間、年を経るにつれてに当初の理念から大きく変質していることが少なくありません。

ブルーグラス演奏者の出身にも多い『アメリカ民謡研究会』という団体もその一つです。
『アメリカ民謡研究会』というサークルが現在どのようになっているか、現存するものを見てみましょう。

(以下各団体ホームページより抜粋・改変)

【Y稲田大学】
アメリカ民謡研究会では月一回のライブを中心にオールジャンルでの音楽活動を行っております。学生会館地下1階B127にある部室は機材がそろったスタジオになっています。

【R教大学】
アメ民(アメリカ民謡研究会)はバンドサークルです。
毎年40人前後の会員がいます。昭和47年の設立当時はアメリカのアコースティックな音楽を演奏していたらしいのですが、今はいろんなのをやってます。

【N山大学】
アメリカ民謡研究会(通称アメ研)とは愛知県名古屋市昭和区・南山大学における部活動です。
主に同学年の中でバンドを結成し、オリジナル曲を作曲しての活動を行なっていくことを目的としています。バンド単位での活動が基本となり、制約も特にない自由な雰囲気の部活動です。

【K戸学院大学】
アメリカ民謡研究会です。あ、アメ民っていってもアメリカ民謡は研究してません! オールジャンルでバンドやってます!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「研究してません」って言い切るのすごいな・・・。

まあこんな感じで、団体としての名前はあるけど活動内容が変わるってこともよくあるんだろうと思います。音楽に限らず。

また、T山商船高専の『ブルーグラス同好会』が、設立から数年後に「バンジョーを弾ける人ががいなくなった」という理由で『アイリッシュ同好会』と改称した時には、その手があったか!と衝撃が走りました。

長い時間の経過の中では、こうして活動内容に合わせて改称しているパターンも相当数あるのでしょう。

もちろん、そうした活動の変容や改称がいいか悪いかというのは一概には言えません。当事者たちにとってはその時の活動が楽しければそれでよいのでしょう。 部外者にそれを強制することはできません。

でも、たまにはその名前に込めた先人達に想いを馳せてみてもいいのではないかと思ったりもするのです。
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テスト

2016年03月18日 | 自由研究
テスト
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ブルーグラスのミュージシャンを勉強してみよう!

2015年02月19日 | ブルーグラス人物紹介
J. D. Crowe(ジェイディクロウ)
本名 James Dee Crowe
1937(昭和12)年8月27日 ケンタッキー州出身
バンジョープレイヤー
1950年代半ばに Jimmy Martin's Sunny Mountain Boysに在籍。
1970年代からJ.D.Crowe & New Southのリーダーとして、多数の優秀なメンバーを擁し、活躍する。
当時としてはプログレッシブな演奏手法にもチャレンジし、バンドサウンドを模索する。
1975年8月には東和企画の招聘により来日公演。アルバム「Live in Japan」などでその演奏を聞くことができる。
1980年からブルーグラスアルバムバンド(Bluegrass Albam Band)の一員としても活動。ブルーグラススタンダードの確立に多大な貢献を果たす。
現在77歳。

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※この企画はWikipediaなどを参照し、ブルーグラスミュージシャン情報を日本語でお伝えするとともに、自分でもメモ的に情報を集めることを目的としています。間違いがあればコメント欄等でお知らせいただければ速やかに修正いたします。
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