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オバマの有名な演説 後半

2008年09月20日 13時57分19秒 | その他翻訳
マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝

バラク・オバマ 2004年の大統領選挙 民主党大会のキーノートスピーチ(後半) <前半はこちら

ジョン・ケリーは、コミュニティや信念や奉仕の理想を理解しています。なぜならまさしくそれらがケリーの人生を形作っているものだからです。ベトナムでの英雄的な奉仕、検察官、州副知事としての年月、アメリカ上院での二十年をとおして、ケリーはアメリカに人生をささげてきました。何回も、われわれはもっと安易な道があるのに、厳しい道を選ぶケリーをみてきました。

ケリーの価値観や行動は、われわれの持つもっともよい部分を強化するものです。ジョン・ケリーは、アメリカが努力が報われる場所だと信じています。海外へ雇用を移転させている企業への減税のかわりに、ここ本国で雇用を創出する企業への減税をしています。

ジョン・ケリーは、アメリカが、ワシントンの政治家が自分たちに提供しているのと同じ健康保険が、すべてのアメリカ人に提供される場所だと信じています。

ジョン・ケリーは、エネルギーでの自立を信じています。われわれは石油会社の利益や、外国の油田のサポタージュに首根っこをつかまれているわけではないのです。

ジョン・ケリーは、憲法で保障された自由を信じています。それこそが世界中の国々がうらやむものであり、ケリーは決してわれわれの基本的な権利を侵すことはないし、信念をわれわれを分断させるくさびとして使うこともないでしょう。

そしてジョン・ケリーは、危険な世界では、戦争も場合によっては選択肢の一つだということを信じています。でもまちがっても最初の選択肢ではありません。

そう、しばらくまえ、しばらく前にわたしはイリノイ州のイースト・モリーンの海外復帰兵記念ホールでシャーマスという若い男性と会いました。好感の持てる若者で、身長は187、いや190センチ近く、すんだ目をして自然な笑みをうかべていました。海軍に入隊したこと、翌週イラクに行くことになっていることをわたしに話してくれました。なぜ入隊したのか、自分の国やリーダーたちにゆるぎない信頼をいだいていること、義務と奉仕に身をささげることに、わたしは耳をかたむけました。わたしはこの若者こそ、だれもが小さいころに願ったそのものすべてだと思いました。

ただ、わたしは自問自答しました「シャーマンがわれわれに尽くしてくれたのと同じことを、われわれはシャーマンにしているだろうか?」

わたしは故郷へと帰ってこれなかった900人の男女、息子や娘、夫と妻、友達や隣人のことを思いました。愛する人の収入がなくなって、生活するのが苦しくなった家族のことを思いました。愛する人が手足をなくしたり、神経を傷つけて帰ってきて、ただ予備兵なので、長期の医療補助はない家族のことを思いました。

若者たちに犠牲を強いるときに、われわれには数字をごまかしたり、なぜ若者が行かなければならないかの真実を覆い隠すようなことをしない、という厳粛たる義務があるのではないでしょうか。またかれらが行っているあいだ、家族の面倒をみたり、兵士の復帰に当たっては面倒をみたり、戦争に勝ち、平和をもたらし、世界の尊敬を得られるのに、十分な軍隊を送らないのなら戦争に行かせないといった義務があります。

さて、はっきりさせましょう、はっきりさせます。われわれには、世界において本当の敵がいます。なんとしても見つけ出し、追いつめ、打ち負かさなくてはいけません。ジョン・ケリーはそのことを知っています。ケリー中尉は、ベトナムで自分についてきた部下を守るのに、命をかけることを厭いませんでした。ケリー大統領は、アメリカを安心で安全なところにするために軍隊を使うことを、少しも躊躇したりはしないでしょう。

ジョン・ケリーはアメリカを信じています。ただ、われわれのうちのある人たちにとってはそれだけでは、上手くやっていくのに十分ではないことも知っています。われわれの有名な独立独歩の精神とならんで、アメリカの歴史には別の側面もあります。それは、われわれが一人の人のように団結できるという信念です。もしシカゴの南部に一人の子供がいて、字が読めないとしたら、わたしの子供でなくても、それはわたしにとって問題です。もし処方薬を買えないお年寄りがいたら、薬代と家賃のどちらかを選ばなければならないはめにおちいってるとしたら、わたしの祖父・祖母でなくても、わたしの人生はみじめなものになります。もしアラブ系のアメリカ人の家族が、弁護士やきまったプロセスの恩恵なしに一斉に検挙されるとしたら、わたしの市民権もおびやかされたことになります。

これは基本的な信念です、たいへん基本的な信念です。わたしは国の兄弟を守りますし、国の姉妹を守ります。それがこの国を動かしているのです。われわれが個人の夢を追いかけられるのも、そしてひとつのアメリカ人の家族として集まれるのもそのおかげです。

ラテン語で「E pluribus unum」、「多くからつくられた一つ」です(訳注:アメリカの硬貨の多くに刻印されたモットー)

そしてあえて言わなければなりませんが、われわれを分断しようとしている人たちがいます。情報を操作したり、ネガティブキャンペーンをやったりして、「なんでもあり」の政治をすすめる人たちです。えぇ、わたしは、今晩かれらに言いたい。リベラルなアメリカや保守的なアメリカがあるわけではありません。アメリカ合衆国があるだけなのです。黒人のアメリカ、白人のアメリカ、ラテン系のアメリカ、アジア人のアメリカがあるわけではありません。アメリカ合衆国があるだけなのです。

評論家、そう評論家は、われわれの国を赤い州と青い州にわけ、赤い州が共和党で、青い州が民主党なんてことをいうのが好きです。そしてわれわれは評論家からこう聞かされます。青い州では「おそろしい神」を信仰していて、赤い州で連邦捜査員が図書館をかぎまわっているのは好ましくないと。青い州でリトルリーグのコーチをやるかって、そうやってます。赤い州にも、たくさん楽しい友達がいます。イラク戦争に反対しているのも愛国者だし、イラク戦争に賛成しているのも愛国者なんです。われわれは一人です、みなが星条旗に忠誠をちかい、みながアメリカ合衆国を守るのです。

終わりに、そう終わりにです、この選挙の意味について。われわれは皮肉な政治に参加しているのでしょうか、それとも希望の政治に参加しているのでしょうか?

ジョン・ケリーはわれわれに希望を求めます、ジョン・エドワードはわれわれに希望を求めています。

わたしは、むやみに楽観的になれといっているわけではありません。楽観的とは、失業なんて考えなければなくなるよ、とか、社会保障危機なんてものは、無視しておけばなくなるんだ、なんて考える、ほとんど意図的ともいえる無知のことです。そういうことをいってるんじゃないんです。もっと根本的なことを言ってるんです。焚き火をかこんで座り、自由の歌をうたった奴隷たちの希望、遠い大陸へと旅立った移民の希望、メコン・デルタを勇敢に偵察していた若い海軍中尉の希望、不利な条件をくつがえそうとした工場労働者の息子の希望、アメリカこそが自分の土地だと信じた奇妙な名前のやせこけた子供の希望、そういったものについて話しているんです。

希望です、困難に出会っても希望をすてず、先はわからなくても希望を持つ。勇敢な希望を持ちましょう。

最後に、この国の基礎は、神によって与えられたものです。目にはみえないものを信じ、これからよりよい日々がくると信じることです。

わたしは中流階級には安心を、そして働く家族たちには機会を提供できることを信じています。

わたしは、仕事のない人たちに仕事を、家のない人たちに家を提供し、アメリカ中の暴力と絶望にかられた都市の若者たちをすくいだせると信じています。

われわれは、すばらしい追い風を背に受け、歴史の分かれ道にきているときに、正しい選択ができ、目の前の挑戦にいどむことができると信じています。

アメリカよ、今夜、もしわたしと同じエネルギーを感じるなら、もしわたしと同じように急がなければと感じるなら、もしわたしと同じ情熱を感じるなら、もしわたしと同じ希望を感じるなら、もしやらなければならないことをやるのであれば、国中がフロリダからオレゴン、ワシントンからメインまで、11月にみながたちあがって、ジョン・ケリーが大統領として、ジョン・エドワーズが副大統領としての誓いをたてることをわたしは疑いません。そしてこの国がその約束をとりもどり、長く暗い政治の闇から、明るい日がくることをわたしは疑いません。

みなさん、どうもありがとう。神のご加護がありますように、ありがとう。



合衆国再生 バラク・オバマ


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1 コメント

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興味深い演説でした (陰陽師)
2008-09-21 10:44:35
こんにちは。
ふだん、わたしはあまりこうしたテキストを読んだり訳したりしないのですが、すごくおもしろかったです。

演説特有のレトリックみたいなもの(耳で聞くと、結構感動的なんですが、字面にするとちょっとうるさい部分です)を、うまく処理されてるなあ、って感心しました。

>われわれの有名な独立独歩の精神とならんで、アメリカの歴史には別の側面もあります。それは、われわれが一人の人のように団結できるという信念です。

なるほどなあ、ここがオバマのポイントかなあと思いました。
「アメリカの分裂」というのは、ずいぶん前から指摘されている。そこで「団結」を主張する。

この埃を存分にかぶったような言葉が、どこまで実効力を持つのかどうかわかりませんが、少なくとも、これを主張することはいまのアメリカにとって有効であると見なしているのでしょう。
逆に、そのくらい「分裂」というのはどうしようもないところまで行ってしまったのかも。

何か、もう少し具体的なところを知りたくなってきますね。

なかなかおもしろいものを読ませていただきました。また機会があれば、翻訳、よろしくお願いします。
どうもありがとうございました。