ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

読書日記 12/30-31 角田光代『くまちゃん』、中島たい子『ぐるぐる七福神』

2011年12月31日 20時25分07秒 | 日記
中島たい子の『ぐるぐる七福神』は、時宜にかなう、と
思って読みはじめた。
都内の、七福神めぐりに物語を添えて紹介している。
いや、七福神めぐりにかこつけて
物語を描いている、というのか。

最近、朱印帳にご朱印をもらう楽しみを知った。
人は、なぜ、朱印をもらうのだろう。
祈りをかなえるため、願いをかなえるため、
なのだろうか。

成就はもしかして二の次ではないか、
祈ることそのもの、願うことそのもの、その行為そのものに
心を傾ける時間を得ることが、朱印をもらう目的の根本にあるのではないか。

そう思っていたら、そういう小説だった。
安心して読めるとともに、
数日前に読んだ、辻村深月のエッセイの中にあった、
「朱印帳を持たない」ように気をつけている、
持ってしまうと、集めることに執着してしまうから、
と書かれていたことを思い出す。


あぁ、まわりたい。谷中七福神、日本橋七福神、港七福神、亀戸七福神、浅草名所七
福神、武蔵野七福神…。
あぁ、いけない、メモをとってはいけない。

そして、もう一冊、角田光代の『くまちゃん』を読む。
失恋短編連作集。
角田光代の得意な連作オムニバス。
しかも、失恋集で、かつ憧れとほんまものの恋とは何か。
あとがきを読むと、そこにプラス仕事と恋とは何か、
を、加えてあるという。

なんだか、中島たい子の小説がまざってしまったり、
ちょっと前に読んだ様々な恋愛小説たちの登場人物の、
異なる側面を照らしだしているようで、
読みながらごちゃごちゃになる。
ごちゃごちゃになりながら、ごちゃごちゃも、ま、いいか、
と思いながら、読み続ける。

読み終えて、ため息をつく。
恋は一途にはしてはいけない。
恋は多くは思いこみだったりして、
多くは意思の力だったりして、
自らを自ら方向付けしてコントロールしながら、する行為なのではないか。
ナチュラルな行為ではないのではないか、きっとそうだ!
と、思う。

恋に身を投じよう、という私と、
そこに冷めておこう、という私と、
両者をひとりのうちに住まわせておくことで、バランスがとれるようになる。
ということを、教えてくれる。
いや、角田光代、おとなになったなぁ、と、
年上の角田光代さんに対して感心する。

たぶん、今年読み納めの一冊。

必ず、ひとはおとなになっていく。
おとなになるとは、気づけること、気づいていることを認められること、
さらに欲を言えば、気づいていることを認め
それ相応の行動に抑制しながら結び付けていけること。

さ、来年はもう間もなく。
そんなおとなになれるか、来年は?

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