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国立文楽劇場4月公演(第1部)

2013年04月16日 09時44分47秒 | 歌舞伎・文楽


金曜は文楽劇場へ。
「竹本義太夫300回忌」と銘打たれた4月公演。
11時からの第1部を見た。
目当ては久し振りの住大夫。

二等席はほぼ満員の入り。
平日ということもあり、一等席は半分程度の入りか。
前の方はそれでもけっこう埋まっていた。


「伽羅先代萩」

「竹の間の段」
悪人方の八汐と善人方の政岡・沖の井との絡み。
若君鶴喜代の政岡に対する信頼がよく出ているところ。
悪人方が様々な罠を仕掛けて政岡を若君から引き離そうとする
比較的派手な場面で楽しめた。

人形はあまり印象に残っていない。
床では政岡の松香大夫、八汐の津國大夫が良かった。


「御殿の段」
「飯炊き」など、
鶴喜代君や千松が空腹であり、
鳥や犬に掛けて食べられることを羨ましがるのに対して
政岡が「大名が鳥獣を羨ましがっている」と嘆く、といった場面。
ここはドラマもあまりなく、ちとしんどい。

津駒大夫と寛治で、
やはり寛治が素晴らしい。
いつもより上手(床に近い)側にいたためでもあるが、
三味線の揺り返す、トロッとしたとも感じられる響きが良かった。

「政岡忠義の段」
栄御前という悪の親玉が
「鶴喜代君へ」と毒菓子を持ってやってくる。
それを横から千松が横取りして毒で苦しむところ、
口封じのために八汐が刺し殺してしまう。
我が子を殺されながら顔色を変えない政岡を見て、
栄御前が「子どもを取り替えている、自分たちの仲間だ」と勘違いして
計画を打ち明ける。
その後一人になった政岡が千松を抱いて掻きくどくのが見もの。

床はまあまあ、かなあ。

政岡が「よく死んでくれた」と言いつつ、自分の子どもが死んだ悲しみ、
或いは結局殺すような指示をしてしまった自分を嘆く、というあたりで、
この悲しみが少し不足しているように感じた。
最初から子どもが死んだ悲しみはベースにあり、
「よく死んでくれた」と言っている、という印象が個人的にはあったのだが、
最初は鶴喜代を乳母として必死に守ろうとしている立場から
本当に「悪人の正体を暴くことに役立ってくれた」と喜んでいるが、
その後死んだのが自分の実子であることを思い出して悲嘆にくれる、
と構成されているように感じたが、
そこで思い出しての悲しみが不足している印象。
抑え付けて「よく死んでくれた」と言っている、という方が、
後でバネが効いて悲嘆が大きくなるのでは、と思うのだが。

最後八汐が入ってきたところを仇を討つのだが、
ここはなくても良い、或いは後でも良いのでは、とも感じた。

「床下の段」
前段での「縁の下に何かいる」という話から道具がセリ上がって床下を見せる。
ネズミは歌舞伎同様、人が中に入った着ぐるみなのだが、
やはり文楽だったらこれも人形でやるものでは?と思った。

煙が上がって仁木弾正。
「雲の上を歩くように」という口伝通り実際に歩いて見せ、
最後はせりあがって幕。

まあ、別にどうってことはない段。


「新版歌祭文・野崎村の段」

久松と一緒になれる、と喜ぶおみつ。
そこに久松が帰されてくるが、主家の娘で恋仲のお染も付いてきた。
久作の咎めに対して
口では「諦めます」「おみつと一緒になります」と言いつつ、
実際には心中の覚悟を決めるお染と久松。
それに気付かない久作と、気付いてしまった以上身を引く決意をして
尼になったおみつ。
最後はお染と久松はおみつに義理を立てて
一緒にではなく、駕籠と舟で別れて川を下っていくのだが、
その際の節が(恐らく、義太夫の全ての節の中で最も)有名な節。

「余所事」のお夏清十郎の話がポイントになってくるんだな。
これが主家の娘と奉公人の心中話であり、
床本売りが語っているのが
久松を待っているおみつにとって不安を掻き立てるものであり、
この買った床本を見ながらお夏清十郎にかけて久作が
主家の娘であるお染と、その奉公人で自分の義理の息子である久松を
咎める、という道具立てになる。

「野崎」という土地は、
大阪から三里(これが灸の三里と繋がる?)の距離で1日で往復できる田舎、
駕籠と舟が並行して走れる、という意味で使われていた。
また、お染は野崎観音のお詣りを口実に野崎村にやってきており、
それを口実と気付いたお染の母もやって来れる距離感。

全体には、勘十郎のおみつが素晴らしかった。
最初の「これから一緒になれる」と喜ぶ田舎の娘、
やってきたお染と悋気からの絡み合い。
それに比べると少し薄いが、
尼になる感情やその後のお染久松との話も良い。
蓑助のお染は流石綺麗だが、それ程良いとは思えず。

ただこれは主遣いよりも、左や足遣いのレベルの問題なのかも知れない。
以前に比べて人形にアラを感じてしまうことが多いのだが、
それは主遣いだけの問題ではなく、
顔の全く出ない左遣い、足遣いのレベルが低下している方が
重大な問題なのではないだろうか。

床は文字久大夫と清志郎、
源大夫の代演である英大夫と藤蔵、
切が住大夫と錦糸、後で寛太郎のツレ三味線。
文字久大夫は昔テレビで住大夫に叱られていた印象が強いのだが、
うーん、まだ不足感が強いなあ。
英大夫は行儀良く。
藤蔵はいつもに比べると声が少なく、まあ、マシだった。

で、住大夫。
やや呂律が廻らないところがあるが、特に気になる程ではなく。
節と登場人物の台詞がはっきり区別される大夫が多いのだが、
同じような声音で表現されている。
しかも特に久作は台詞すら節であるかのような、
義太夫の登場人物の話し方はかくあるべし、と感じる融通無碍さが
新鮮で良かった。
人形も義太夫に乗って芝居をしており、調和しているように感じた。
ただ駕籠と舟で下っていく場面の名調子は声も出なくなっており、
ここは聞いていて少し辛かった。

テキストとしては、おみつに済まない、と言いつつ、
久作にしてもお染・久松にしてもそこまで悪いと思っていないのでは?
と感じてしまった。
救いがない印象。


最後景事の「釣女」が付くのだが、
「野崎」で満足、感慨深くなったので見ずに帰った。


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