くまくまDays~アデレードな日常~

新しい環境の中で感じたことをつれづれに書きつづります。

いろいろな価値観

2011-05-15 22:35:26 | 考えたこと
当然のことながら、ここオーストラリアでは日本人はマイノリティーであり、日本にいるときよりもはるかに多くの国籍の方に出会うことができます。アメリカ、イギリスなどのメジャーな欧米諸国だけではなく、アジア、アフリカも含めて世界各地から様々なバックグラウンドを持った方がおり、その方の話を聞くだけで、世界旅行をしている気分になれるというのは非常にお得ですよね。

これらの方々とお話をしたり、食事などをするとわかることですが、広い意味で言えば文化、狭義では宗教に対する考え方、食事マナー、言葉遣い、自分の意見の表現方法など、細かいことをあげればきりがないくらい「違い」を感じさせられます。

オーストラリアに来たばかりの頃は、そんな「違い」にちょっとイライラしたり、「それは許せない・・」など相手を否定するところから入っていた自分がいました。日本人として生きてきた自分にとって、自分の価値観は1年程度の海外生活では変わるはずもなく、いや、むしろ変わるべきではなく、その事実をネガティブに捉える必要はないと思うし、その基本的考え方はいまでも変わっていません。

ただ、最近思うのですが、例えば、自分の価値観に照らして「ありえない」と思うことであっても、それを「クレイジー」と切り捨てることは簡単だけど、否定や反対するだけでは何も生まれないということ。一歩冷静になって考えて、「そういう考えも出来るけど、個人的には納得できない。」と捉えられるようになってきたと思います。海外生活で得られた一つの価値観ってやつですかね。

一方で、悲しい現実もあります。卑近な例でいえば、アデレードでも人気があるお寿司の某チェーンが、「扱っている日本産食材は、全て震災前に輸入されたもので、放射性物質の心配はありません。ただ、お客様の100%の安心のために、(寿司ネタなどの)原料調達先を日本以外の国に切り替えています。」と自身のHPで告知をしていたこと。

科学的な観点から考えれば、この某社の行動はある種「過剰」であり、個人として多少なりとも憤りを感じざるを得ませんよね。どんな食品も100%安全!ということはないですし。

ただ、「○○社けしからん!!」みたいに燃え上がり、不買運動とかにつなげる動き(実際はそんなことは起きていませんが。)があれば、それはちょっと違うと思うんです。

考え方の違いは、考え方の違いとして受け止めること。自分と考えが違うからといって気にいらないとそれを排除し、力ずくでねじ伏せるような世界に未来はないと思うんですよね。

信条と行動は別物。テロリズムの背景などについて考える際にはこれが重要な要素を占めるのですが、このことについては、また詳しく記述します。今学期の論文でもこのことを取り上げるつもりです。

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