現在美術日記@関西

アートシーンは東京だけじゃない

MORI YU GALLERY KYOTO:黒田アキ個展「Rolling」

2010年07月15日 03時16分05秒 | 美術
最近読んだビックイシューに、
常に会社で自分が必要であるとアピールし続けて、
しがみついていかなければならないことはただひたすらにキツい
という事が書いてあって、
まさに今自分が派遣されているところの事をズバリ言い当てているなあと
すんなり納得してしまったわけなんですが、

またそういう所には、その場所に見合った処世術にえらく長けている方々が大勢いたりして、
その人々も結婚記念日だから早く帰らないとまずいと言ってそそくさと帰るようなマイホームパパだったり、
女子社員の髪型が変わったなどと細やかな気を利かしているアピールしてみたり、
iphoneの予約に早朝から並んでみたりして、
それぞれの生活の断片が見え隠れしたりしているなかで
職場での歪んだ正義感がアイデンティティとして成り代わっている現象が、
その日常にすんなり同化していることを本当はどう思っているんだろうと聞いてみたら、
つまらない答えしか返ってこなさそうな気もします。

MORI YU GALLERY KYOTO
黒田アキ個展「Rolling」
2010年4月28日[水]~6月5日[土]



そんなことよりも、大事なことは異物に触れた時、
どのようなフィードバックを自分に促すかということなんです。

一見ビジネス書の自己啓発本に書いてありそうですが、
ビジネス書には不意に美術作品と出会った時の対処法なんてないはず。
なにより日本のビジネスマンの95%は美術に興味がありませんから。



興味が持てない理由は簡単です。
美術はストーリー立ててわかりやすく伝えるなんてこれっぽっちも考えてないからです。
もし理解できたような気がしたら、それは罠です。
その罠にひっかかるようにコンセプトが仕組まれています。
そしてひっかかった自分がすでに美術の中に取り込まれています。
だからそうなったら、そんな自分を笑ってあげることが正しい姿勢です。



作品には制作された時の物理的距離があります。
人間が持てる筆や刷毛の大きさには限界があるというようなことです。
それを考え方の基準にすることは割合効果的です。



でも本当に大事なことに共通のガイドはありません。
だから自分自身の生活に照らし合わせてみる以外に方法はないと思っています。
そこで罠にかかった自分を俯瞰で見つけられたら、その作品は美しく写る気がします。

余談ですが、今の職場では『思っています』と発言してはいけないんだそうです。
思わず言ってしまった場合、必ず『もとい、考えます』と言い直します。
そのコンセプトの無ささ加減が、逆説的に現代美術と言えなくもないと考えます。


MORI YU GALLERY KYOTO
〒606-8357
京都府京都市左京区聖護院蓮華蔵町4-19
http://www.moriyu-gallery.com/v3/index.php

※ご紹介した作品画像は、当ブログに掲載すべく撮影させていただきました。
個人管理のブログにも関わらず、
快諾していただいた各ギャラリー様のご厚意に、心より感謝致します。

小山登美夫ギャラリー京都:染谷悠子 展

2010年07月13日 00時00分00秒 | 美術
デジタルとアナログの作品の作り方の違いは
スケールの捉え方の違いと同じだと思います。

小山登美夫ギャラリー京都
染谷悠子 展
2010年5月8日[土]~6月19日[土]




画像を加工したり、PC上でコラージュしたり
ペンタブで描いているとそれがどの位の大きさのも物なのかという事が
わかりません。
というより、解像度のようなデータでしか表示されません。

A3だろうがB0だろうが扱いは同じだからでしょう。



手で描いているなら、その腕の長さに影響されます。
そして、片手で持てる筆のサイズには限界があります。

右利きには描きやすい方向と線があって、
そんな不自由を引き受けて絵は描かれます。



だから、作品には作者がその位置で見たであろう距離が必ずあります。



その位置で見ずして、観賞したとは言えませんし、
そこで見る事で作者の感覚や行為や、あざとさまで見えたり見えなかったりします。



でもそれと美術の評価は関係なかったりするんでしょうね、知りませんけど。
赤瀬川源平さんの本を読むと、その辺の事にたくさん触れられます。


小山登美夫ギャラリー京都
〒600-8325
京都府京都市下京区西側町483番地(西洞院通六条下ル)2F
http://www.tomiokoyamagallery.com/

※ご紹介した作品画像は、当ブログに掲載すべく撮影させていただきました。
個人管理のブログにも関わらず、
快諾していただいた各ギャラリー様のご厚意に、心より感謝致します。

タカ・イシイギャラリー京都:Akihisa Hirata X SHIMURABROS.

2010年07月12日 04時13分36秒 | 美術
毎日に予定を立てて、週末の予定を立てる。
来月にすべき予定があって、目的がある。

でも時間が過ぎれば、できていなくともその予定は終わってしまう。
でも、それまでに体感した出来事にはどう折り合いをつければいいのだろうか。

タカ・イシイギャラリー京都
Akihisa Hirata X SHIMURABROS.
2010年5月8日[土]~6月19日[土]




ねじれたスクリーンの中に映像がうつされています。
作家は建築家と映像作家による共同制作だそうです。



どことなく作品に真面目な雰囲気を感じます。
質感は柔らかく綺麗に沿っているけれども、
その分余計に強調されているように思いました。

新しい職場に来た初日のように全てに距離感を図っているような。
でもおそらくそのことは作品の制作意図には関係ないんだろうなと思います。




スクリーンの中にはレントゲンのように輪切りにされた
人のような生き物のような映像が淡々と流れています。

極力無機質にしたい気持ちが伝わってくるような映像装置でした。

作品はしゃべりすぎると非常につまらないものになります。
また破錠のない作品も面白くなりにくい気がします。

でもどこにそれを感じるか重んじるかは結局人が、
自分が判断していたりして、
やっぱり適当なんだと思います。



気分が高揚する時もどうにもしんどいことに流されている時もあって、
一ヶ月肉体労働と一ヶ月エクセルファイル作成のどっちが辛いんだか楽しいんだか、
私は「PC作業が好き」とか「体を動かすことに喜びを感じる」とか
そんな簡略化された部分の内訳に含まれている生活の個々の機微に沁みるところがあったならば
それで完結しているんだと思います。


今更ですが、
この作品とこの文章には関係がありません。


タカ・イシイギャラリー京都
〒600-8325
京都府京都市下京区西側町483番地(西洞院通六条下ル)
http://www.takaishiigallery.com/

※ご紹介した作品画像は、当ブログに掲載すべく撮影させていただきました。
個人管理のブログにも関わらず、
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