城郭探訪

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高島市「大溝の水辺景観」国の重要文化的景観に選定

2014年11月28日 | 探訪「近江水の宝」

=中近世の城下町と巧みな水利用=                                  

 乙女池(左)周辺地域と琵琶湖

◇高島
 中・近世に遡る大溝城及びその城下町のたたずまいを残す「大溝の水辺景観」(高島市)が、国の重要文化的景観に選定された。今回の選定により県内の重要文化的景観は六件となる。
 大溝は琵琶湖北西岸にある集落で、集落南部には湖岸砂州によって琵琶湖と隔てられる内湖・乙女が池が広がる。景観を構成する主な要素は、(1)城の内堀や水とともに暮らす生活習慣を今も伝える乙女が池と打下(うちおろし)集落(2)織田信長の甥・信澄によって築かれ、その後廃城となった大溝城跡(3)旧城下地区の道路中央を流れる「町割り水路」(4)大溝藩主・分部氏の陣屋の総門―の四点。

 

陣屋があった大溝城跡

 大溝城は天正六年(一五七八)の築城。天守は早い段階で移築され、現在は天守台の石垣のみ残る。安土城や長浜城と同様、内湖を堀として利用し、現在でも水堀の景観を残しているのは、大溝城跡のみである。さらに信澄は城下町を建設するほか、乙女が池東側の砂州上に立地する打下地区に水軍を配置した。
 徳川時代の元和五年(一六一九)、大溝藩主として入った分部氏は、陣屋を城跡に置くとともに、かつての城下町に武家地と町人地を整備し、境界に総門を設けた。町人地の通り中央には、町割り水路が設けられ、かつては洗い場など生活用水として利用された。
 また、城下町では古式上水道が今も利用され、乙女が池と琵琶湖に挟まれた砂州上にある打下地区では、高波・浸水防止のため築かれた石垣が独自の景観を形成し、水とともに暮らす生活を今に伝える。

 町割り水路が残る城下町

滋賀報知新聞

 



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