ケバル川のほとり日本でも

在日4Kの気ままなブログ。

名古屋人を実感した日

2024-07-02 23:48:00 | 日記

今日は名古屋人を実感した出来事がありました。(笑)

 

 

仕事が終わって現場から帰る時、何気なく後ろ右タイヤを見ると、五穴のナットの内、ナットが二つ無いのに気が付いた。💦

 

 

なぜか、ナットの頭が折れてしまった? と思い込んでしまったが、実はナットが緩んで取れていただけだった。

 

 

長年車にも大型トラックにも乗ってきて、他の人がタイヤが外れてしまった話は聞いたことはあったが、自分はこれまでナット一つ外れた事はなかったので、全く過信していた…。

 

 

折れたもんだと思ったので、その場でスペアと交換する事も思い付かず、なんとか近くのタイヤ屋店へ行って修理する事しか思い付かず、低速で向かった。

 

 

お店の人が一目見て、「ナットが外れていますね。いつ頃タイヤを交換しましたか? 高速を良く使いますか?」と聞かれた。

 

 

「現場が高速道路からの進入なので、毎日通勤で高速を使います」と答えると、店員さんは、「私もスポーツカーでサーキットを走りますけど、何周か走ってボルトを締めると、その都度緩んだりしてますよ。高速走行はボルトの部分もかなり熱くなるんですよ」と。

 

 

私は、「熱膨張の繰り返しで緩んでくるんですね。ボルトの部分も『ちんちこちん』になるんですね」と。「鳥取県の人に『ちんちこちん』と言ってしまった、と思い、伝わったかな?」 と思ったが、話の流れだけで伝わったようだった。

 

 

今の時代、いろんな媒体、マスメディアを通して、多くは共通語が当たり前になっているので、昔のような名古屋弁はほとんど聞かなくなったように思う。そして私も大方は共通語で話していると思っていた。

 

 

しかし、今日の会話のなかでの「ちんちこちん」は、私も名古屋人なんだなあと、つくづく実感する出来事だった。

 

 

先日、戸田恵子さんのブログを読んでいて(なぜかクリスチャンの方以外のブログは戸田恵子さんだけは読みたくなる)、女優の山田昌さんの訃報を知り、名古屋弁について考えていただけに、余計に私も名古屋人だと改めて実感する出来事でした。

 

 

ちなみに、お湯や、お風呂のお湯などが熱い時は、「あっちんちん」と言ったりもします。もっと熱いと「ちんちこちん」かな。他にえんびつなどが、するどく尖っているときは「とっきんとっきん」と言ったりしますね。

 

 

それでも最近の若い人達は言わないのかな?😅

 

 

昨日はとっても名古屋人であることを認識した一日でした。車はナット二つを取り付けてもらい、何事もなくて良かったです。高速道路でタイヤが外れたら、片側一車線交互通行の所もあったので、ゾッとしました。

 

 

これからはナットの緩みも頭の片隅に入れておこうと思います。🚙💨

 

 

 

写真は今日の大山の下りパーキングです。🏔

下の写真は、明後日は三年目に行う溶接の実技評価試験に備えて、三年ぶりに鋼管の溶接をさせてもらいました。久しぶりの溶接が気温の高い日で、熱中症になりかけましたが、その後はエアコンの部屋で休ませてもらいました。現場でもいろんな事に気を使ってもらえて感謝しております。👷‍♂🫡

 

 

 


キセキレイの雛が巣立っていきました🐤

2024-07-02 17:54:39 | 日記

今朝クレーンに乗る前の出来事。最近大雨が続いていたので雛の様子が気になって覗いたら、四羽が巣から一斉に飛び立って行きました。

 

多分、外敵かと思って飛び出してしまったのでしょう。まだもう少し巣にいたかったのかもしれないのに悪いことをしてしまいました…。

 

 

それでも、飛び立った瞬間は飛び方もおぼつかなく四羽とも近くを飛んでいたけれど、直ぐ上手く飛べるようになり、それぞれ何処かへ飛んで行きました。キセキレイの幼鳥のお腹は、あまり黄色くない感じでした。

 

 

残念ながら巣には孵化しなかった卵が一個だけ残っていました。

雛が孵ってから僅か二週間ばかりで、幼鳥になって飛ぶことが出来るんですね。飛ぶことが巣立ちを早めてしまったかもしれないですが、この生命力や親鳥達のお世話の仕方なんか(殻の卵や糞を処理したり、小さい餌から大きい餌へと変わっていったり)には、間近で見てきて大変関心しました。😮

 

 

どうか、この大山の麓の大自然のなか、たくましく育ち生き抜いて、また次の命へと継いでいってほしいと願いました。🙏✨🌟

 

 

 

 

 

 


ベタ踏み坂と水木しげる記念館から学んだこと

2024-06-22 19:14:08 | 日記

今日は、午後から下のチラシの写真にある「ベタ踏み坂(江島大橋)」に行ってみました。ダイハツタントのCMで利用された橋だそうです。

まず午前中は、今年の4月にリニューアルしていた「水木しげる記念館」に行き、水木しげるさんの生い立ちから戦争体験、そして幅員してから漫画家への道のり、そしてお亡くなりになられるまでの歩みを学ぶことが出来ました。

ねずみ男と砂かけババアとのツーショット写真も。誠に恥ずかしい限りですが、こんな時、いい年こいてもワクワクします……。

そして、毎朝私の仕事の安全の為にも祈ってくださっておられるご夫妻に近況のポストカードを。ポストカードの絵柄は妖怪道五十三次の日本橋でした。クリスチャンのご夫妻に妖怪道とは⁉ とも思いましたが、そんなに深く疑問視はされない! と信じて💦

鬼太郎カット、少し考えてみました。

近くの生コン屋さんまで!

そして午後からベタ踏み坂へ。中国地方も梅雨入りしたようですね。午後から雨も降ってきたのと、やはりスマホと、陸地からは思うような写真は撮れないようですね、けれど行って来れただけでも良かったです。

ベタ踏み坂は、現場に配達に来られる燃料屋さんに、1ヶ月ほど前から話を聞き、ようやく来れたので、車での走行はジエットコースターがまず高い所へ登って行く時のように、少しワクワクしました。🎢

 

鳥取県側から島根県側への下りでは勾配がきついので、ブレーキを踏みながら下りないと、直ぐに制限速度は軽くオーバーしてしまいます。

 

反対側、島根県側の橋のたもとには、江島大橋に関する説明看板があり、PCラーメン構造についての説明もあったので、PCラーメン構造がどんなものか、ようやく大まかには理解出来ました。また近くのファミマにも、江島大橋のチラシもあったので、ちょっとしたお勉強も出来ました。

PCラーメン構造の橋では日本一の長さのようですね。

最後に、そういえば水木しげるさんは、戦地で片腕を失った後、パプアニューギニアの現地の人と会う事を禁止されながらも何度も訪れ、そこの人々を「土と暮らす立派な人々」との意味合いで「土人」と呼んでいたそうです。

 

終戦後に国に帰るときも、土人の方々に残るよう言われ、本気で残る事も考えたそうですが、軍隊の方に相談すると、「そんな事を考えるのは何十万もいる軍人の中で、おまえ一人だけだ」のような事を言われ、とりあえず国に帰ることにしたそうです。

 

現地の親友には、「また七年後に来る」と伝えたそうですが、その約束が成し遂げられたのは二十年以上後になったそうです。

 

もう一つ、現地の人たちは、水木しげるさんのことをなぜだか「パウロ」と呼んでいたようです。

 

聖書とは全く関係ないかもしれないですが、水木しげるさんの現地の人達との、出会いと交流と別れから以下の御言葉を思い出しました。

 

明日は週の初めの日曜日、明日に備えて早く休もうと思います。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※‭

使徒の働き 20:7-38 JCB‬

[7] 日曜日になって、私たちは聖餐式(パンと杯によりキリストの体と血の祝福にあずかる、キリスト教の礼典の一つ)のために集まり、パウロが説教しました。翌日には出発することになっていましたが、話は夜中まで続きました。 [8] 会場の三階の部屋には、たくさんのランプが、あかあかとともされていました。 [9] ところが、話がえんえんと続くので、窓ぎわに腰かけていたユテコという青年がぐっすり眠り込み、三階からまっさかさまに落ちてしまいました。人々が抱き起こした時は、もう死んでいました。 [10-12] パウロは下に降りて来て、彼を抱きかかえ、「心配するな。大丈夫だ」と言いました。すると驚いたことに、そのことばどおり、青年は生き返ったのです。人々の喜びはたいへんなものでした。一同はもう一度三階に上がり、聖餐式をしました。パウロはそのあとも長い時間説教し、夜明けごろ、ようやく出発しました。 [13] パウロは陸路でアソスに向かうつもりだったので、私たちは船で先に出発しました。 [14] そしてアソスで落ち合い、いっしょに船でミテレネまで行き、 [15] 翌日にはキヨスの沖を過ぎ、次の日サモスに寄港しました。その翌日にはミレトに着きました。  [16] パウロは、できれば五旬節の祭りまでにはエルサレムへ行こうと先を急いでいたので、エペソには立ち寄らないつもりでした。 [17] それで、ミレトに上陸すると、さっそくエペソ教会の長老たちに、船まで会いに来るようにとことづけました。 [18] 集まった長老たちに、パウロは語りました。「私が小アジヤに足を踏み入れて以来、どんなふうに生きてきたかは、よくご存じですね。 [19] 私は謙遜の限りを尽くし、涙を流しながら、神のために働いてきました。ユダヤ人には命をつけねらわれ、危険な目に会ったのも、一度や二度ではありません。 [20] それでも、ためらわず真理を語りました。個人的にばかりでなく、堂々と多くの人々の前でも。 [21] また、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、罪から離れ、主イエス・キリストを信じて神に立ち返るように勧めました。 [22] 今、聖霊が、どうにも逆らえない強い力で、私をエルサレムへ行かせるのです。そこで何が待ち受けているか見当もつきません。 [23] ただわかっているのは、行く先々の町で投獄と苦難が待っていると、聖霊が告げてくださったことだけです。 [24] しかし、主イエスがしなさいと言われた務めをやり遂げるためなら、こんな取るに足らぬ命でも、喜んで投げ出す覚悟はできています。その務めとは、神の恵みの福音を伝えることです。 [25] 皆さん。これまで何回か、あなたがたのところを訪問し、神の国のことを教えた私ですが、もう二度とお目にかかることもないでしょう。 [26] ですから、今ここで、はっきり宣言します。あなたがたがどんなさばきを受けることになろうと、私の責任ではありません。 [27] 私は、神のご計画全体を何もかも話しておいたからです。 [28] 注意しなさい。あなたがたは、神の羊たち〔神がキリストのいのちと引き替えに買い取った教会〕を養い育てる立場にあるのです。このことをしっかり肝に銘じておきなさい。いいですか、聖霊があなたがたに、監督者としての責任をお与えになったのです。 [29] 私が去ったあと、狂暴な狼のような偽教師たちが忍び込み、群れを荒らし回るでしょう。 [30] それだけではありません。あなたがたの中からも、弟子を自分の側に引き込みたいばかりに真理を曲げる者が出るでしょう。 [31] だから、よく見張っていなさい。私といっしょに過ごした三年間を忘れてはいけません。昼も夜も目を離さず、あなたがたのために流してきた私の涙を思い出してください。 [32] 私は今、あなたがたを、神とそのすばらしいみことばとにゆだねます。このみことばが、あなたがたの信仰を強くし、神のためにきよい者とされた人々が相続する恵みの財産を、あなたがたにも与えるのです。 [33] 私はお金やぜいたくな衣服をほしいと思ったことなど、ただの一度もありません。 [34] この両手が、どれだけ私自身の生活や、いっしょにいた人たちの必要のために働いてきたかは、よくご存じでしょう。 [35] また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは、『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエスのことばが、いつも頭にあったからです。」 [36] 語り終えると、パウロはひざまずき、エペソの長老たちのために祈りました。 [37] 人々は別れを惜しんで、一人一人パウロを抱きしめ、おいおい声をあげて泣きました。 [38] もう二度と会えないだろうと言ったパウロのことばに、胸も張り裂ける思いだったのです。それから一同は、パウロを船まで見送りました。

https://bible.com/bible/83/act.20.7-38.JCB

どこのキリストにある教会へ行っても、そこにおられる主にある兄弟姉妹と、主イエス・キリストにある恵みを分かち合えることは大きな喜びで

す。

 

 

 

 

 

 

 

 


キセキレイの卵が再び孵化しました

2024-06-18 18:40:53 | 日記

最近、再びクレーンフレームの隙間に巣構えした卵が、今日孵化していました。

 

今朝、親鳥が餌を咥えて近づいて来るようになったので、確認したら孵化していました。

 

感心するのは、生まれたばかりの雛に合わせ、小さい餌を咥えて来るんですね。

雛も生まれたばかりなのに、とっても大きな口を開けて。

 

しっかり育って巣立ってくださいね。🐣🐥🐤

 

最後は、昨日の夕方、皆生温泉裏の海岸線、赤く染まった美保湾がとても美しかったので載せておきます。なかなかの美しさだったと思います。

このランニングコースでのマジックアワーは、日々違った絶景を楽しませてくれます。🏃

 

ここまでの話と脈絡はないですが、きょう日中に思い巡らし感動した御言葉。私はいつでも無頓着ですが、この大自然と生き物が満ち溢れる世界をお造りになられた創造主なる神様が、私にも向けてくださっている恵みと真実なる御言葉に包まれる思いがしましたので、こちらも載せておきます🥹

 

しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(コリント人への手紙第二 12章 9節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

いつでも、私にとって好ましくない、と思える出来事の中でこそ、この方の最善の導きと御心があるのですね。

 

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙 8章 28節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 


父の日商戦に踊らされたとしても

2024-06-16 19:00:39 | 日記

今日は父の日。母の日は、「母が生きているうちに感謝を表すべきだ!」との思いから始まったとのことで、父の日も、そのように父に対しても何らかの思いを持った人から始まって広がったのだと思います。

 

日本ではクリスマスにしても、イースターにしても母の日や父の日にしても、本来の趣旨はあまり気に留めず、こと商売の世界では、この機会を逃さぬよう躍起になっているかと思います。

 

しかし、どんな理由からであれ、そのように覚えて貰える日があることは嬉しいものですね

 

今日は、午後から遠方の出張先に乗り込むのに、いささか憂鬱になっておりました(時々そんなことがあります)。

 

妻は、「まだサザエさんの始まる時間より早いのにねー」みたいなことを言っていました。

 

そんな時だからこそ、たとえ商戦の呼び掛けに踊らされていたとしても、家族でちょっとした外食をする時間が持てるだけでも、「頑張ろう」という気持ちになります。

単純かもしれないですが、家族とのこんな時間が持てることも、働く一つの動機になります。

前を走っていた名古屋ナンバーのバスが、数字も758でした。

 

家族の一人は関東で学生生活を頑張っており、更に上を目指したいとも言っております。

それを応援して支えることも、また働くことの大きな動機になります。

 

そんなこんなで、今日も髭男を聴きながら特急やくもに乗って米子に向かっております。

新しい一週間も造り主なる神様を覚えて歩みたいと願います。

★"働く者は労苦して何の益を得るだろうか。
私は、神が人の子らに従事するようにと与えられた仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。
また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。"
伝道者の書 3章 9〜13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会