考えるのが好きだった

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読み取りが先か背景知識が先か

2010年09月10日 | 教育
 読解の授業の際、特に低学年の場合、レッスン毎にさまざまな題材が扱われる。その際、英文を読む前に、内容に関連した話や資料を使って説明をする。ふつーは、そうするようだ。「ようだ」と書いたのは、私はほとんどそういうことをしないできた。たまーに、資料を示すこともあるが、滅多にない。
 これから読む文章をより良く理解させるには、背景知識であれ内容に関する事であれ、「既知の情報」があればあるほど、理解は容易だろう。より良く納得できるだろう。しかも、事前情報が母語であれば、わかりにくいはずがない。しかし、私は、どーしても、事前情報を与えた上で文章を読ませることに抵抗がある。ちょっとした説明なら、教科書のレッスンの最初のページに少し書いてある。それで、良いじゃないか、とついつい思ってしまっている。極めて不親切である。(昔から。)読解の問題集でも、たとえば、Lesson1以外に、「タイタニック号の遭難」などのタイトルが付いているものがある。キライである。読む前に何の話か、わかってしまうではないか。内容を幾ばくかでも事前に掌握して読み取るのは読解ではないという思いがある。

 たぶん、私は「知らないことを知る」のが勉強だと思っているのだ。他人から与えられた事前の知識に照応させて確認することを勉強の目的だと思ってないのだと思う。(読解の際、自分が持っている情報と照応させて読むのは当然の行為ではあるが。)今どきの生徒の感覚を想像するに、「既知の確認」を勉強だと思っている節がある。だから、「ふむふむ、よくわかる」「わかりやすくて良かった」という反応になる。「なんだか、よくわからないからもっとしっかり読もう、考えよう」というある意味での「新規情報の収集」を嫌う。「わかりやすい」とは、「すぐに既知になる」ことだと思う。勉強をすれば得られる知識、情報が増えるに決まっているが、私は、「得た知識」--どう表現して良いのかわからないのだが、「完了形の知識」という感じだろうか、こうした完了形の知識そのものを増やすことが勉強の目的と言うより、「今まさに得ようとする知識」--「--ing形の知識」の方が、重要でないかと思っているのだろう。
 生徒の読み方を見ると、下手くそだなと思う。(だから、学んでいるわけだが。)特に、自分の知らない固有名詞などが出てくると、「自分は知らないだけで、そーゆーものがあるんだ、そういう人がいるんだ」とは読み取らず、「わからない、さっぱりわからない」と思う。文章を読んで、「どうやらこの文章は、ある動物についての説明だな」というように、「読み進めて理解する」と言うことが苦手である。

 よくわからないが、私が今問題にしているのは、「ある土地を旅行するのに、案内人なしで土地を散策するのと、良い案内人を得て散策するのとでどちらが良いか」ということだろう。
 それで、私は、案内人がいなかったらどこにも行けない状態は困ると思っている。どこにいくにしても、良い案内人がいる方が楽しいに決まっている。良い案内人を得ることが、ある意味、旅行の秘訣かも知れない。しかし、案内人というのは、その土地固有のものである。新しい土地に行けば、その土地に詳しい新しい案内人が必要になる。
 ここで更に考えるべきことが出てくる。
 上手な案内人をその度毎に見つけ、土地を散策することを続けていくと、自分自身も、新規の土地における良い案内人になれる、という考え方と、案内人にばかり頼っていると、自分で散策できない旅行者になるという2つの可能性である。
 私の考えを言うと、後者である。今の生徒たちの様子を見ると、「親切この上ない案内人」に勉強の指南を受けてきたせいで、自分では勉強ができない子供になっているように思われるからである。「今理解すべきその事項」を理解するのに最も相応しいのは、「懇切丁寧に教えてくれる先生」だろうが、しまいに1人で散策できない子供になっているのが現状のような気がする。

 というわけで、母語による関連知識は、与えるなら、英語による学習「後」に与えようと思う。怒るだろうなぁ。「はじめに教えてくれれば、もっと英語がわかりやすかったのに。」とか。試験もできないだろうなぁ。
 
(お、1時間で書けた。たまには記録しておこう。)
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4 コメント

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自らの恥を晒してみる (わたやん)
2010-09-25 08:56:54
関係ありそうな話かな,ということで…。高校生の頃,私は英語が得意だと思ってました。学校の試験や模試の成績はそれなりにいい結果でしたし。しかし,何かのきっかけで「俺って英語読めないじゃん」と気がついてしまいました。だったらどうしてそれまで好成績をとれていたかというと,高校で受ける試験の英文なんてほとんどがもともと意味がわかってる内容の文章ばかりだったからです。だから英語で拾い読みして「ああ,この話だな」と分かってしまえば後は英語を読まなくても大意がわかってしまうので,長文問題だったら十分に点が取れたのです。
それまでの自分の英語の点数と,英語の能力のギャップに気がついたとき,少なからずショックを受けました。今になって生徒時代の英語の勉強法について後悔をしています(当たり前のことですが,仕事で読むのは「知らない内容」ばかりですから)。そういう残念な思いをする人が,できるだけ少なくなればいいな,と思って筆をとった次第です。
未知への探求 (ほり(管理人))
2010-09-25 15:34:40
わたやんさん、コメントをありがとうございます。

実際に、そのように感じられた方がおられたとは。。。
でも、すごいなぁ。ちゃんと読まなくても内容がわかったなんて、何でもよく知っていたんですね。これはこれで凄いですよ。

私の場合は、論理的な流れを追うことで、推測して読んでました。(笑)というわけで、英語はよくわかってなくって、(何と言っても、単語力がない。)でも、論理に追う読み方だけは比較的得意だったみたいで、なんとかなった口です。

勉強というのは、何の教科でも、知らないことを知ることだと思うので、知っていることの確認のような勉強は、やるなら、自分でやれ、というところです。(というわけで、小テストを授業でするのもキライです。)
学校のテストは授業中に先生が意味を読んだテキストだし (わたやん)
2010-09-25 23:18:50
もちろん全部の内容をもともと知ってるわけではなく,文も一通り読みますし,理屈で推測もしました(単語力がないので意味がわからない単語を等式に代入するみたいなことをしたり)。でも,なんというか,ずっと前に原作の小説を読んだことがある映画を見てるみたいに,おおまかな筋は想像の範囲内なので(それに「こういうところにでてくる文章」は「こういう流れ」というパターンもあるし)後はそれぞれのエピソードを拾って「あの」ゴールに行けばいい,みたいな手抜きができたという感じです。ほりさんのいう「論理に追う」で筋が読めるんだったら能力と言っていいんだろうけど,たまたま知ってる(あるいは想像のつく)話だからわかったというのならそれは能力でも何でもないやんか,みたいな。

上記した手が使えなくてゴールが見えないテキストにあたったときはかなり苦労して,だけどだんだん全貌が見えてきたら気持ちいいし,最後までわけわかんなかったらもやもやする(今にして思うとけっこうあった!),というのを味わいました。そういえば,その「もやもや」には勉強してる実感がありましたね。わからないことをわかるという変化を求めてるから。
似てる~ (ほり(管理人))
2010-09-26 01:09:13
わたやんさん、コメントをありがとうございます。

生徒に、等式に代入する読み方や推測で読める能力があったら、ほんと、良いです。
わたやんさんの「手抜き」の読み方は、高等ですよぉ。まあ、英語の文章の場合、パターンが決まっているからわかっていればわかりやすい。(笑)
書き方が悪かったかも知れないけれど、私の「論」というのも、接続詞などをつないで読む方法です。具体例が出てきたら、すっ飛ばすとか。内容がわかる文章も、わからない文章も、私は同じ読み方です。

>そういえば,その「もやもや」には勉強してる実感がありましたね。わからないことをわかるという変化を求めてるから。

わからないまま、わかろうとしてました。私は、この段階では、アタマの中だけの世界です。文章読解もパズルの組み立てみたいでした。

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