考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

ドブネズミルック

2011年10月10日 | 教育
 ↑、というファッションがあった。批判の的になっていたが、今の、女子学生や新入社員の格好を見ると、女子も「ドブネズミ」である。そろいもそろって、チャコールグレーである。
 今の若い子の服は、リクルートスーツと喪服以外は、もう、今度は、すべてが全くのカジュアルな服装である。中途半端なフォーマル感のある服なんて、何も持ってないのが普通である。
 「だって、必要ないもの。」

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ドブネズミルック(笑) (J)
2011-10-14 01:05:21
初めて聞きましたよ!(笑)

街を歩いていて若者の恰好が似たり寄ったりになっていると感じます。個性個性と言いながら均一的になっているのは気のせいでしょうか?

理由はいくつかあるのでしょうけど、1つは「マーケティング」の発展があると思います。これはファッション業界だけの話ではないと思います。企業が消費者の嗜好をリサーチして「当てに」いけば自然に似たり寄ったりになりますよね(企業にも色んな事情があるんだろうけど、、、)

以前はそれぞれの企業のセンスで消費者を引っ張っていたんですけど。


話は変わりますが、近々養老先生の講演を聞きに行くことになりました!
初めて生の養老先生を見ます。
楽しみ♪
返信する
時代 (ほり(管理人))
2011-10-15 00:36:50
Jさん、コメントをありがとうございます。

1960年代は、女性はこぞって、「ミニスカート」全盛でした。当時の日本女性の体型に似合っていると思えなくても、猫も杓子も、見事流行にのっていました。(で、たぶん、80年代頃まで、たぶん、10代の子が着る服はなかったです。「子供服」の次は、もう、完全に、大人の服。当時の中高生は、私服に困りました。制服世代は、「人間扱い」されてなかったのだろうねぇ。)

ここ数年は、ホント、fast fashionというのですか、「使い捨て」的な勢いですね。去年の服を着ている人って、あまり見かけない気がします。
中年おばさんで、スカートをはいている人、少ない。スカート、売ってない。。。
(関係ないなぁ。。)
みっともない部位が隠せる「チュニック」が受け入れられて、みんなパンツになりました。
と、Jさんには、全く興味のない話題ですね。

養老先生の講演、私も1回だけ聞いたことがあります。本の内容です。本を出しまくっていた頃だから、「本のちょっとだけ先取り」の内容でした。面白かったです。
ところで養老先生は、たばこを飲みに外に出てくるから、サインをもらうのならそこがねらい目です。(成功者談)
返信する
チュニック!? (J)
2011-10-15 02:20:58
またまた初耳です(笑)
女性のファッションにも色々と変遷があるんですね。。

やっぱり経済的に見れば「使い捨て」の方が良いですよね。
何だか無機質な感じもしますが。

今度の養老先生の講演はテーマが動物なんですけど、場所が獣医学部の教室なんですよね。
私が行ったら浮くんじゃないかと少し心配です。
私もたばこを飲むんですり寄って行ってもらっちゃおう(笑)




返信する
使い捨て衣料品の意味 (ほり(管理人))
2011-10-16 01:45:20
Jさん、コメントをありがとうございます。

ファッションが「使い捨て」になったのは、衣類が持つ「機能」と「象徴」の観点で、象徴としての記号的な側面が強くなったからではないかと思っています。それだけ人間は、動物的でなくなり、どんどん「人間化」しているのだと思っています。

養老先生は内田先生と違って、徹底的に理科的なものの見方をする方だと思います。
それを面白いと見るかどうかと、階層的な思考法を取るかどうかが、ファンとファンでないかの違いでしょう。

サインをもらうなら、本だけでなく、サインペンなど、の書く道具のご準備もお忘れなく。筆ペン(ぺんてるかな?本物の筆っぽいのが良いです。)など、良いかもしれません。達筆です。(なんと「ボールペン」でサインしてもらったファン談)
返信する

コメントを投稿