考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

平和な日々はいつまでか

2006年04月20日 | 教育
 平和である。

 「教室から戻ってくるときの顔が去年より穏やかですよ。」と言われた。そりゃ、そうだ。ストレスがない。

 無遅刻無欠席。朝は、所定の時間より早く始めることができる。
 つまんない授業も一生懸命に聞いてくれる。予習をしているせいで、それなりに興味深くなるようだ。授業なんて、そんなものだよな。課題意識は、先生に言われて持つものじゃない、対象そのものから自分で抱くものさ。

 授業で、私得意?の「らりるれろ」の発音練習をさせたら、おもしろがって大きな声でやる。
 辞書を引かせると、一生懸命に調べてメモをする。(予習の段階でそこまでやってくるべきだとは言わない。)「何をして良いのかわからない人いませんか」と聞いても誰も手を挙げない。(昔はよく手が上がった。)ホントにわかってるのかなとちょっと心配な気もするが、まあ、わかっているのだろう。この頃の辞書は、二色刷だったりしてわかりやすいものが多い。
 電子辞書を使う子に、別の生徒が「紙の辞書の方がわかりやすいよ」なんて、言ってくれてる。凄く時間がかかるとも言ってたが、まあ、そんなものだ。「覚えるのだって時間がかかるからね」と言っておいた。変な顔をしていたが、でも、たぶん、引きながら綴り字を記憶することに繋がるんじゃないかなと思う。電子辞書ではこういうわけにいかない。
 授業が終わると、「先生、次のここは予習をやってくるんですか」と数名聞きにくる。(聞くまでもないだろうとは言わない。)
 学級日誌には、「予習の大切さがわかった」と何人も書く。(書くだけではダメだぞとは言わない。)

 教科書をやりながらも、中学の復習宿題や小テストもしているから、それなりに頑張ろうとも思えるようだ。動詞の活用や月、曜日、数字を書かせる程度だから、やればすぐできる。ヘッドスタートである。

 スカートが若干短くなってきた。明らかに短い生徒に「バカな上級生の真似するな」と冷たく言い放ったら、次の時には直っていた。
 「ボタンがはずれているよ」と言うと、「あ、しまった、いけない、いけない。」という顔で直す。

 いつまで続くのかな?とみんなで言っている。まだ、2週間だものね。これで部活が始まると。。。。
 なぜ、だんだん悪くなるのだろう、とは・・・・やはり言いたくなる。(理由はわかっているけれど。)

 授業をしていて、我ながら、なんて古くさい方法なんだろうと思うけれど、わからないことを自分で調べて、わかりやすいように後のことまでを自分で考えてメモをする。それで、授業に臨む。座学に関することは、世の中、これで大抵大丈夫じゃないかと思う。何でもかんでも、先生が教えてくれることを望むな。