丹波かたくり・達身寺・コスモス

◆◆最新情報をお届けします◆◆ ------ by清住村おこし&達身寺観光グループ

達身寺 とは(寺知識)

2014-08-03 00:00:00 | 達身寺

---独断と偏見の編集:酒友 ---正式は達身寺HPをご覧下さい。

■寺名:十九山 達身寺(ジュウクサン タッシンジ) ---Wikipedia
宗派:(中世は真言宗と推測) 曹洞宗(1712年 円通寺)
渡辺住職は、寺伝に記された内容の信憑性は評価出来ないとも指摘している。
宝物殿には平安時代前期~鎌倉時代の仏像が多数納められており、「丹波の正倉院」の
別名をもつ。

■丹波仏師 ---Wikipedia
達身寺は工房であったのではないか、そこには丹波仏師がいて造仏していたのではないか
という説もある。
丹波仏師がいたことを認めれば、未完成の仏像が多い、同名の仏像が多いなどの謎が
解ける。また、東大寺の古文書の中に「丹波講師快慶」と記されており、彼は
「私は丹波仏師である。もしくは丹波の地とつながりの深い仏師である。」と言っている。

■国重要文化財(12躯)(旧国宝)---明治44年4月17日 木造阿弥陀如来坐像他 4件12躯
(「戦前国宝が、戦後は重要文化財に格下げされた」と誤って理解されることが多い)
 1.木造阿弥陀如来坐像(寄木造) 2294mm
 2.木造十一面観音菩薩坐像(寄木造) 1563mm
 3.木造薬師如来坐像(寄木造) 1450mm
 --- 4.~12.木造仏像(一括指定)9躯
 4.木造薬師如来坐像(一木彫) 1692mm
 5.木造阿弥陀如来坐像(寄木造) 1189mm
 6.木造聖観音菩薩立像(一木彫) 1726mm
 7.木造吉祥天立像(一木彫) 1674mm
 8.木造十一面観音菩薩立像(一木彫) 1737mm
 9.木造十一面観音菩薩立像(一木彫) 1744mm
10.木造十一面観音菩薩立像(一木彫) 2085mm
11.木造地蔵菩薩坐像(寄木造) 1375mm
12.木造兜跋(トバツ)毘沙門天立像(一木彫) 1580mm

       1~ 6 
       7~12
この仏像は平安時代初期より鎌倉時代初期に作られたもの。*1
阿弥陀如来坐像には「建久二年」の造仏を記した胎内銘があり、
薬師如来坐像には「建久三年」の造仏を伝える胎内銘がある。
十一面観音菩薩坐像を加えた三躰は、鎌倉彫刻の特徴をきわめてよく伝えており、
この寄木造りの三躰は尊顔がふっくらとして、衣文が流れるように美しく、
全体に均整のとれた姿形は快慶の遺作という観がある。*2

■兵庫県指定文化財(34躯)---昭和50年3月18日 木造仏類 34躯
 1.如来形立像(木造彩色) 1126mm
 2.同 上(木造) 1427mm
 3.同 上(木造) 993mm
 4.十一面観音菩薩立像(木造) 895mm
 5.同 上(木造彩色) 1035mm
 6.菩薩形立像(木造彩色) 1705mm
 7.同 上(木造彩色) 985mm
 8.同 上(木造彩色) 880mm
 9.同 上(木造彩色) 980mm
10.同 上(木造漆箔) 1552mm
11.同 上(木造) 1646mm
12.同 上(木造) 590mm ---(坐像)
13.兜跋(トバツ)毘沙門天立像(木造彩色) 1259mm
14.同 上(木造彩色) 1546mm
15.同 上(木造彩色) 1190mm
16.同 上(木造彩色) 1247mm
17.同 上(木造彩色) 989mm
18.兜跋昆沙門天立像(木造彩色) 1071mm
19.同 上(木造彩色) 1181mm
20.同 上(木造彩色) 1198mm
21.同 上(木造) 953mm
22.同 上(木造彩色) 1261mm
23.同 上(木造彩色) 1046mm
24.同 上(木造彩色) 901mm
25.同 上(木造彩色) 1802mm
26.同 上(木造彩色) 1834mm
27.尼藍婆(ニランバ)坐像(木造彩色) 376mm
28.毘藍婆(ビランバ)坐像(木造彩色) 365mm
29.天王形立像(木造彩色) 1613mm
30.同 上(木造彩色) 1090mm
31.同 上(木造彩色) 1139mm
32.同 上(木造彩色) 965mm
33.忿怒形(フンヌケイ)立像(木造彩色) 913mm
34.同 上(木造彩色) 1108mm

------顔写真予定------

このうち木造漆箔の菩薩形(10号)は簡略な寄木像であるが、他はすべて一木造りで、
製作年代は藤原時代11,12世紀のものが大多数で、
わずかながら10世紀にさかのぼる作品もあると思われる。*1

■丹波市指定文化財(33躯)破片(134片)---昭和63年11月25日 木彫仏像及木彫仏断片167点

「木彫仏像類及び木彫仏断片」に関して(大手前大学史学研究所)H23---抜粋
▼『氷上郡の文化財』(1989年)は、「連身寺収蔵庫には県指定文化財の木彫仏像21体が
あり、この外に33体の木彫仏がある。
この33体の仏像のほとんどは破損・風化が甚だしく、その種類名称の識別も困難である。
さらに134点に及ぶ大小の仏像断片がある」と記している。ただし解説は簡明なもので、
「167点」の内訳についての記載はなく、他の文献にも見当たらない。
▼このような事情から、「木彫仏像類及び木彫仏断片 167点」に該当するものがどれか、
現場では判断が難しくなっている(市指定物件についての表示はなされていない)。

▼丹波市指定文化財と思われる一部
聖観音立像 634mm
地蔵菩薩立像 783mm
如来形坐像 462mm
天部形立像 679mm
地蔵菩薩立像 939mm
天部形立像 1089mm
菩薩形立像 1044mm
男神坐像 452mm
菩薩形立像 1032mm
僧形立像 1002mm
菩薩形立像 989mm
僧形坐像 1015mm
菩薩形立像 1027mm

------顔写真予定------

*1「氷上町の文化財」氷上町 (昭和60.7)
文化財課 - 丹波市ホームページ
https://www.city.tamba.hyogo.jp/soshiki/bunka/
達身寺の仏像
http://www.geocities.jp/gusyokai/tatsusinji-butsuzou.html

■郷土史家船越氏の説、丹波仏師
ところで達身寺には、
日本の他の古寺院に絶対追随をゆるさない五つの優れた特徴をみることができる。
第一は、七十九躰以上という多くの木彫仏の保有数は、わが国でその類をみない。
第二は、兜跋昆沙門天像が十六躰あり、これも一か寺でみるとわが国では出色の保有数
である。
第三は、古代末期から鎌倉期にいたる約四百年間の遺作木彫仏が、それぞれ各時代の
特徴を残して保存されており、これもまたわが国でその例をみることができない。
第四は、この木彫仏のうち、国指定の重要文化財十二躰、兵庫県指定の重要文化財三十四
躰を数え、一か寺における文化財の保有数は、木彫仏に限ってみると達身寺が最も多い。
第五は、 仏像の種類の多さとその形象の多様さにおいても、達身寺の仏像群は
きわだった存在といえよう。

五つのすぐれた特徴から結論的にいうならば、達身寺として成立する以前の草創期の
形態は、木彫の造仏にたずさわっていた仏師たちの結縁していた工房であった。
大胆な定義づけだが、---
事実、仏師丹波講師教禅--丹波仏師頼厳--大仏師丹波講師快慶--丹波法眼湛慶という
ふうに、永承元年(1046)から建保七年(1219)の間、「丹波』の国名をその名に冠した
仏師たちの活躍を史料が伝えている 。

*2「丹波 達身寺―木彫仏像の原郷」船越 昌(著) (昭和59.12)
(各仏像の解説あり)

■郷土史家船越氏の説と古文書---達身寺HP
達身寺に言い伝えられている事実とは少し違うのではないか、大寺院で山岳仏教の教権を
張ったと言うよりは、お堂を多く持った工房であったのではないか、そこに丹波仏師が
いて造仏していたのではないか、と言うのが郷土史家船越氏の説である。
 達身寺では、丹波仏師がいたことを認めれば昔からの疑問はいくつか理解できる
(未完成の仏像、本尊仏が多い、同名の仏像が多い等)。
奈良の東大寺の古文書の中に丹波講師快慶と記されており「私は丹波仏師である。
もしくは丹波の地とつながりの深い仏師である。」と言っているのである。とすれば、
鎌倉時代の有名な仏師快慶は、達身寺から出た仏師もしくは、達身寺とつながりの深い
仏師であると言える。ところが、残念なことに達身寺には古文書が何も残ってない為、
はっきりしたことは解らない。
だが、鎌倉初期から平安弘仁期(平安前期810~824年)の古い仏像が沢山おられると言う
ことだけは、はっきりとした事実である。---約1200年前

■おっさんの記録箱---古寺巡礼記の紹介

達身寺 残りしほとけ 不思議かな
毘沙に薬師に 何も語らず

達身堂(たるみどう) 丹波の仏師 工房に
仏の道を 導く快慶

風吹きて 節分草に 導かれ
丹波の里の 達身の佛

【380】達身寺 兵庫丹波 - おっさんの記録箱
http://blog.goo.ne.jp/dangonotare/e/de1f47748e07e56d629378a45dd4d1fb 

■考古学者・森浩一氏の説、考察「快慶もきっと当地から旅立った仏師にちがいない」
考古学者・森浩一氏は兜跋毘沙門天像につき、「出雲から霊的なパワーによって帝都を
守る」帝都防衛説を唱えられた。
出雲に強制移住させられた蝦夷の反乱(弘仁5(814)年)を意識されての説であろう。---
東寺は国家鎮護の寺。達身寺のある氷上町清住は中世の葛野荘(かどのそう)内。
葛野牧が拡張され荘園化したものとみられるが、平安末期の領家は皇室で
元徳2(1330)年、後醍醐天皇は葛野荘の執務職を東寺に寄進している。
このころから葛野荘は東寺のものとなった。しかし寺が所蔵する諸仏は平安前期から
鎌倉期に作られたとみられタイムラグがあり、これらの仏像が東寺の差配によって
彫られたものかどうか、なはだわかりにくい。
兜跋毘沙門天をこれほど多く所蔵し、かつ平安前期に遡るとみられる薬師如来坐像の
存在などを考えると、やはり東寺が古い時代から当地へ何らかの影響力を持ち、北からの
脅威に対処していたのではないだろうか。
薬師如来坐像などにみる貞観仏のノミ跡に、放浪する仏師集団の影が見え隠れする。---
東寺に領地を寄進しその安堵と北からの脅威に対処するため、如来や天部の諸像を
いわば丹波造仏処で造像し、氏寺に安置しひたすら祈祷にすがったのではないだろうか。
領主を東寺とすると造仏処で造られる仏像は東寺縁の天部の兜跋毘沙門天だったと
考えられる。氏寺に兜跋毘沙門天を安置した祈祷処と考えれば、
森氏が主張される造仏による帝都防衛説がすんなりと受け入れやすい。
官の護国寺であった東寺の性格から推しても、森氏の仮説は的を得ているように思う。
それにしても宝物殿で安置された薬師如来の姿形を見ていると貞観仏を髣髴とさせる
ものがある。重厚な面相とでっぷりとした体躯は、先年の優美平明な天平仏の概念を
打ち破っている。造仏の新時代に花開いた丹波仏師がここに住まいしていたのだ。
快慶もきっと当地から旅立った仏師にちがいない。-平成26年4月- 

近畿風雲抄 達身寺の諸仏-兵庫県丹波市氷上町清住
http://www.h4.dion.ne.jp/~toso504/koto/hyougo/k_tassinji.html 

■歴史(常照寺と下村から達身寺の独立)*2
達身寺の所在する葛野谷の北山麓には、西から三方・中・下の三集落が東へと連なって
いたが、元来、三つのこの集落は、一村であった。『葛野村誌』にもそのように述べられ
ており、名称は三方村であったという説もあり、中世紀まではその三集落がひとつの
共同体として惣村経営がおこなわれていた。---
天正15年(1587年)太閣検地では、その三集落は一村として把握されていた。
文禄 4年(1595年)太閣検地は、村分けがおこなわれ、三方村・下村の二か村が成立
正保元年(1644年)江戸幕府が全国的検地。奥村ともいっていた三方村がさらに村分け、
中村が成立し、下村を加えて三か村となる。
寛永17年(1640年)幕府は、各寺院に宗門人別帳の記載を義務づけて、檀那寺と檀徒という
制度が確定した。三方村・中村・下村の三か村は、三方村つまり奥村の西山麓にある
大光山常照寺の檀徒であった。
宝暦 9年(1759年)仏像の修復および庫裸の新築工事が完成。
檀那寺であった三方村の常照寺を離脱し、新しく達身寺の檀家組織をつくった。
達身寺は村高三百六十一石八斗、民家七十一戸の下村を檀家として独立。
 清住は昭和30年(1995年)の町村合併での名称、以前は下村。廃藩置県(明治4年(1871年))
までは、丹波国氷上郡葛野庄下村(タンバノクニ ヒカミノゴオリ カドノショウ シモムラ)

■歴史まとめ*2
戦国時代(1467~1590年) 達身寺は、僧兵を抱える大寺院ではなく、
お堂を多く持った工房であったのではないか。
寛永17年(1640年)檀那寺と檀徒という制度が確定。常照寺の檀徒であった。
元禄 8年(1695年)に放置された仏像を集め、破損していた達身堂を、現在の地に移し
修繕を行った後、仏像を安置し奉った。
正徳 2年(1712年)に竹雲堤山和尚の発願により、曹洞宗として火を灯した。
宝暦 9年(1759年)檀那寺であった常照寺を離脱し、達身寺の檀家組織をつくった。
(---2015年から258年前)


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コスモス とは(花知識) | トップ | 寺の雑学 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
達身寺拝観 (北井邦寿)
2020-03-24 10:09:28
2020.2.29 達身寺拝観。私は趣味で仏像拝観を行い、各地を巡っています。仏像に心がきわまった場合、寺院の歴史、仏像の歴史を調べ、文章にします。現在74歳なので、このようなすばらしいブログをなかなか作成できません。なんとか作成し、各地の仏像を表現してみたいです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。