☆ いんくる~しぶ・は~つ ☆ 

  Inclusive・Hearts いま、ここから。

「スペアー」

2006-11-08 09:26:37 | なんとなく私
ほんとにわからなくて、わからなくて困った。

観終えた後、こころがざわざわして、
もう二度とフラパンの劇は観たくないと思った。

舞台芸術や音楽、一人一人の演技はとても素敵で
とても味があるのに、
このわからなさと不快感はなんだと思った。

その不快は、ゆがみとひずみからくるもの。
ストーリーの展開はほとんどない。
そこにあるのは乾いた空間と、無機質な光景。
ほとんど感情をあらわさない変な男。

役者さんたちが大汗を書きながら
力の限りの演技をしている。
大きな声。
大きな動作。
一生懸命見る私は疲れてくる。
静かに語ってくれよ~と思う。

真正面、一番前。(いつも、そう)
舞台との距離ゼロセンチ。
足が砂の上だったから、
マイナス10センチだったかもしれない。

なのにこころと感性は、75分間フリーズしたまま。
いわゆる情念の入り込む隙間がない。
観終わって、なんにもわからない。

わからないから、
脚本家のブログ劇団のこの劇のブログ、他の人の劇評(あれやこれや)
他の人のコメント、何でも読んだ。


そして今、わかってきたことがある。


ひとつには「スペアー」の意味するところ。
ひとつには「わからなさと向き合うこと」
ひとつには「その世界」

ただ、「その世界」自体が理解できないから、
共感もできなかったし、その意味がわからなかった。
そしてとても嫌だった。
でも、これほどわからない体験は久々で、新鮮だった。

そして、もうひとつには、
「この作品は、きっとこれだけ向き合うことを要求する力のある作品だろう。」ということ。

そしてあともう一つ。
「やっぱり次回の公演も観にいくだろう」ということ。
やっぱり、次の公演でも、
一番前の真ん中の席に、私はいると思う。


11月13日まで公演してる。
詳しくは、
フランスパンHPに。


まだ思いが残るのでつけたし。(11/10)

あともうひとつ。
勝手な解釈をつけさせてもらうなら、
あの空間そのものが、客席も含めて、彼のこころの中。
乾いた砂。
かつてちょっとだけ楽しんだ公園のブランコ。
かつてちょっとだけ愛した亀。

覚めた目で見つめる他人。
勝手な想像をする無責任な人。
あんたのことわからないよと、理解しようとしない人。
わかってないのに、わかったように取り繕う人。
とっても近くにいるのに、こころの距離は遠い。

だから、無感情なふりを装う。
無感情なふりを装うから、無理がくる。
無理がくるから、指、とれちゃった。
無理してると、どっかが壊れる。

どの人もこの人も
自分のこころの(人生の)足りない部分を補ってはくれない。
そう、スペアーになることはない。

「ストライクの対極はガーターではなく、
スペアーだ」という劇評を読んで、とっても納得した。

だから、いてもいなくてもどっちでもいいような、
辻原とはるこが、彼には必要だった。

そんなちぐはぐなぎこちなさが
猟奇な振る舞いへと彼を誘う。
あえて「彼を追い込む」とは書きたくない。

いつまでたってもスペアーにはならない。

お金はたくさんあるのにね。広い部屋に住んでるのにね。
人の心が、そこになかった。

勝手な解釈、おわり。