古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

長崎の歴史~正月編~11

2013-01-07 12:45:21 | 長崎の歴史
補足1

~吉雄耕牛~3


寛政2年(1790)樟脳の輸出に関わる誤訳事件に連座し、

蘭語通詞目付の役職を召し上げられ、

5年間の蟄居処分を申し渡されたが、

復帰後は同8年(1796)蛮学指南役を命じられた。

寛政12年(1800)に平戸町の自邸で病没。

享年77。法名は閑田耕牛。

訳書には『和蘭(紅毛)流膏薬方』、

『正骨要訣』、『布斂吉黴瘡篇』、『因液発備』

(耕牛の口述を没後に刊行。

のちに江馬蘭斎が『五液診方』として別に訳出)など。

通訳・医術の分野でともに優れた耕牛であった。

子供で永久が医術を、

通詞は権之助(六二郎)がそれぞれ受け継いだ。

権之助の門人に高野長英らがいる。


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