此間は調子が良かったのに。また調子が悪いです、、もう、どう仕様も無いですよ。薬のせいですからね。主治医は薬の量を減らしてはくれないしね。私はもう一生、調子が悪い為に、どう仕様も無い状態で生涯を送るのでしょうね。毎日眠くて仕方が無くて、段々、身の回りの事も構わなくなって来ました。もう此処9日間ぐらいも風呂にも入れて居ませんでした。体がいい加減に臭いので、外にも行けません。そして、口の付随運動が出て来て仕舞いました。(口がへの字に勝手に曲がり、ゆだれが出て来る)だから何時もテッシュで口を抑えて居ます。生きた屍ですよ、こんなになったら。この間、私の状態が余りにも酷いので訪問看護師が主治医に電話を入れて相談しようと思って居るのに。主治医は電話を取っても忙しいと言って。何遍電話を掛けても相手にされなかったそうです。あの主治医はねぇ!!まあねぇ、、仕方が無いのでしょうね、、私はもう諦めて居ますから。*・゜゚・*:.。..。.:*・'(〜〜;)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
処で人に付いてですけど、私は抗精神薬を飲んで居る為に、目の縁が痺れて居て、紫色になって居るのですが。それを見てニヤニヤ笑われる事があります。酷い奴になると側に来て「あんた精神病でしょ?」と面と向かって。私に言って来る奴まで居ます。何にも医学の知識も無いくせに、人を蔑む事だけには長けて居る輩です。眼の縁が紫色なのは抗精神薬を飲んでいるせいなのに、「精神病だから頭おかしいからそうなんだろ?」と思って居るのですよね。それとか、昔実家のある街の隣町だった笹塚に行って、伊勢丹ストアーの中に丁度ラオックスがあったのですが、そこに8センチの踵があるブーツを履いて行ったら、私より10センチ近く背が低かった男から、「あんたそのブーツ脱いだら私と同じくらいだろ!!」と面と向かって言われた事がありました。私は相手の顔をまじまじ見て来る、このバカな親父を。どう仕様も無い大バカ野郎だな!!と思って見て居ましたが。彼らは私をバカにして居るつもりで如何に自分がバカに見えるのかが解っては居ません。普通、相手に言いますか????此間、また「あいつ何故、髪長いんだ!!女じゃ無いのか?(笑)」と言われたので「あんた喧嘩売ってるのか!?」と言ったら「何だ、俺は50歳だぞ!!」と言うので「俺は63だ、バカヤロー!!」言ったら、「何だ若造りしやがって・・・」と居なくなったバカも居ました。まあねぇ、、50歳ぐらいの親父が一番始末に追えない。競馬、競輪、パチンコ、そして野球しか興味が無い馬鹿野郎だ。あと学が無いおばさん達。人を見てどうのこうの言う前に、自分らの頭の程度でも考えて少しは勉強しなと言いたいですよ。私はバカは嫌いです。無知ほど恐ろしいものは無いですから。
1970年代に高校の頃バイトで。要約購入したモジュラー・ステレオ。当時3万8千円したものです。これの外部入力端子に当時持って居たモノラル・ラジカセを繋げてカセットテープを聴いて居ました。モノラルでしたけどね。繋げて居たラジカセです此のラジカセは可也使いました。ライブなどもこれで録音して居ました。しかし、1980年代になるとワングレード上のコンポーネント・ステレオが欲しくなりました。
1980年代の末になって此のケンウッドのコンポーネント・ステレオを購入しました。プリメイン・アンプにダブル・カセットプレイヤー。CDプレイヤー。そしてイコライザーとレコードプレイヤーで、ドルビーサラウンドだったので。リア・スピーカーを付けて29型のブラウン管テレビに繋いで居ました。そしてビデオデッキをテレビに繋げて再生し、その音をコンポーネント・ステレオから聴いて居ました。ドルビー・プロロジック・サラウンドでした。
その後、このコンポが壊れた為に1990年代にケンウッドのマイクロ・コンポを購入しました。これはCDとMD、カセットテープが聴けました。此の当時はレコードは聴きませんでした。これでジャズのCD、ソニー・ステット。チャールズ・マクファーソン。などをよく聴いて居ました。あとは、マカロニ・ウエスタンのサントラ盤のCDとロックのCD、ブルースハープのCDなどをよく聴きました。しかし1997年頃に聴きすぎたのか壊れて仕舞いました。
此れが壊れたので、、次はDENONのCD/MD/カセットのオールイン・ワン・マイクロ・コンポを購入して外部入力端子に1万円のフォノ・イコライザー内蔵のレコードプレイヤーを繋げて。今度は仕舞い込んで居たレコードも、引っ張り出して来て聴いて居ました。音は結構。バス・ブースト機能があったので重低音が小さいながらも出て居まして。音に不満は無かったです。此れは20年位前に3万8千円位して居ました。ああ丁度、今。Amazonで中古で9千円ぐらいで売って居ますよ。しかし、私が今から13年ほど前におかしくなった時にどうやら自分で壊したみたいです。今売って居たら中古でも買いですよ。今はもうこう言ったものは売って居ないので。。CDだけではなく。外部入力端子にレコードプレイヤー繋げれば聴けるし。MDもカセットテープも聴けますからねぇ・・・・・・。
そして今のステレオです。。。CDレシーバーがアンプ代わりで、それにカセットデッキとレコードプレイヤーを繋げて聴いて居ます。外部入力端子が一つしかない為に、セレクターでカセットデッキとレコードプレイヤーを繋げて聴いて居ます。しかし最近CD部分が壊れて仕舞った見たいです。私はオーレックスの重低音が出るCDラジカセを所有して居るのでそれとか。カセットデッキにダビング用にCDプレイヤーが搭載されて居るので、CDプレイヤー単体でも使えるので。それで何とかCD再生に困ると言う事は無いですね。それに最近はスマホのストリーミングがラジカセ (BoomBox)で聴けるのでいいですね。ラジカセのスピーカーは18センチあるので昔の大型ラジカセは結構作りが良くて性能が良くて重低音が出るのですよね。ですが、ビンテージ・ラジカセの大型のものは、カセット部分とBluetooth部分が壊れて仕舞い、使えなくなって仕舞ったので、新しいラジカセを購入しました。今は、此の記事の文章書きながら、そのラジカセからラジオを聴いて居ます。
kiyasumeの今日の夕食です......。
けんじ
2019-04-08 の掲載文を少し手直しして再録です。ルパン三世の歴史も解りますよ。。。
何時も、このBlogではゆきかずの事は書いて居るが、同じバカ兄弟のけんじに付いては余り書いては居ないので、この際書いて置こうと思う。けんじと車に乗って検問に引っかかった時だ。けんじは視力は0,3しかないのにメガネを掛けずに運転して居る。検問で免許証を見せろと言われてバレて警官にもの凄い勢いで怒られて居た。警官から「眼鏡が無いんだったら、隣の人に運転して貰いなさい」と言われて「あの〜。この人は免許持って居ないから、、」「じゃあ、会社から誰かに来て貰いなさい」「荷物を早く下ろさないといけないので・・・。」そう言ったら警官は呆れて居たが切符を切られて居た。そんな話はまあどうでもいいが、けんじは野球バカなので、物事が解らない。「あのさ、最近、出て来た、漫画映画の人居るじゃない?」「漫画映画の人?、ああ、アニメね・・・監督?」「ほら、紅の豚とか魔女の宅急便とか書いてる人?」「描いてる人でしょう?だから監督でしょ」「あの宮崎やすしって急に出て来たじゃない?」「宮崎やすし?はやおでしょ?」「宮崎やすしだろ💢」「違うでしょ?しゅんとも読むけど・・・・。」「あの監督の名は宮崎駿と言うんですよ」「え〜〜ああ書いて、はやおって読むの!?」「知らなかったのですか?」「知らなかった。いきなり出て来たでしょ」
「いいえ、あの宮崎さんは高畑さん演出で作画を担当した東映動画の「太陽の王子・ホルスの大冒険」が確かデビュー作だから1968年頃ですよ、頭角を現したのは。」ちなみにこの作品はアイヌの伝承をモチーフにした深沢一夫の戯曲(人形劇)『チキサニの太陽』を基とし、舞台を「さむい北国のとおいむかし」として製作された。制作トップに立った高畑勲にとっては初めての監督作品です。興行的な成功には縁遠かったとは言え、高畑が中編・長編アニメに進出する足がかりとなった。宮崎駿が本格的に制作に携わった初めてのアニメ作品である。「1970年代初頭に「ルパン三世」を高畑と宮崎コンビでヒットさせたでしょう?脚本が若松孝二と組んでいたガイラだとか。。。」そしてけんじに話して聞かせた「まあ詳しく説明すると藤岡より「初の大人向けのアニメを作ろう」と言われた大隅は意気投合し、「中学生以下の視聴層は全くターゲットにして居なかった」と語って居た。原作のアダルトな雰囲気が強く出た作風に、当初子供向けのアニメ化に難色を示して居た原作者モンキー・パンチにも、パイロットフィルムを見た後に「ぜひやってくれ」と言わしめたんです。
大隅は絵が描けないため、作画監督として芝山努の元同僚、大塚康生が抜擢された。当時、東映動画に所属していた大塚は、東映を退社して東京ムービーの下請けをやっていたAプロダクションに移籍した。そして、大隅・大塚両者の話し合いでテレビ用のルパン三世や峰不二子の人物造形が決まった。
パイロット・フィルムでのルパンの声は、1969製作の劇場用シネマ・スコープサイズ版を野沢那智が(何と1969年に劇場用アニメとして企画が立てられて居たのだ)、1971頃製作のテレビ用スタンダードサイズ版を広川太一郎が演じて居たが、野沢・広川ともにスケジュールの都合上出演が難しく、新たにテレビ用の声優を選ぶ事に成った。演出の大隅が色々な芝居の舞台を見て回った結果、山田康夫が選ばれた。大隅のイメージするルパンは、「しらけ世代の人物」で、祖父の多くの財宝を受け継ぎ、大邸宅に住み、物や金でアクセクせず、倦怠(アンニュイ)をまぎわらす時たまに泥棒をし、場合によっては敵対する相手を手にかける事にも躊躇しない、と言う設定だった。飄々として居ながら時にニヒルで、どこか暗さのある舞台上の山田は、まさに大隅のイメージするルパン像にぴったりだったのです。
ルパン三世。パイロット・フイルム
パイロット・フィルム製作から2年たち、ようやく大阪の読売テレビからTVアニメ化することが決定される。
この様な試行を経て大人向けに製作され、そして新聞広告などにも大人向けとして広告された。それまでにないアニメとしてスタートしたが、視聴率は厳しいものとなる。当時、アニメは作れば、たいていの場合はある程度の視聴率が取れると考えられて居た時代(例えば、同じ東京ムービーの作品の巨人の星などは20%を超えて居た)だったが、初回6%、その後も3%などといった桁違いに低い視聴率を取り、即打ち切りも仕方ない状況だった(同局の歴代ワースト記録で、2019現在でも破られて居ない)。一つの原因としては、大人向けと広告したのが、1970年代の家庭での倫理観にそぐわず、意識的に子供に見せまいとした親側の圧力などが考えられて居た。初回から峰不二子の衣装作画やルパンとのからみ、退廃的な世界観は現代の視点でも扇情的なものであったが、作品の内容そのものはそこまでアダルトではなかったのですがね。
【公式】ルパン三世 1st series 第1話「ルパンは燃えているか…?!」”LUPIN THE 3RD" PART1 EP01(1971)
第3話の視聴率が出ると、よみうりテレビサイドやスポンサーは、東京ムービー社長藤岡と大隅を大阪に急遽呼び「この低視聴率はどう言う事だ」「子供に人気が無い」と問いただした。大隅は「大人向けのアニメを作ったまで」と率直に答えたが、対照的に藤岡は「今後は子供向けに改善して立て直す」と約束したのだった。
その帰りに藤岡が大隅に「今後、子供向けの内容でやってくれないか?」と依頼したが、大隅は「じゃあ子供向けにやって、人気が出る確証はあるんですか?」と反論し「それでは自分は降ろさせてもらう」と番組降板を切り出した。この日を境に、大隅はスタジオに全く入って無い為、引継ぎなどは全くされなかった。
大隅は「誰もこのあと引き継ぐ奴なんて居ないだろう」と考えて居た。以降の話も見ず、十数年以上ルパンについての取材も断り続けたのです。
岐路に立たされた大塚は、東映で一緒に子供向けアニメを作っていた高畑勲と宮崎駿(当時東京ムービーの専属下請け会社であったAプロダクション(現シンエイ動画に在籍して居た)2人に演出を依頼した。
両名は以後。原作の影響の強いハード・タッチの作風を中盤以降、徐々に低年齢層向けに軌道修正して行く。しかし、大隅降板時点で、すでにほとんど完成していたフィルムや、それ以前に発注済だった脚本・絵コンテ・作画もあったため、どこまでが大隅演出でどこからがAプロダクション演出かは、厳密には区別出来ない。高畑・宮崎両名で出来うる限りコンテや脚本を見直したりしたが、時間的に変更が不可能だった話もあった為でもあった(一応、演出クレジットは1-6、9、12話が大隅正秋名義となって居る)。4-8、12話は高畑・宮崎コンビによる部分直しやコミカルな演出で、一般的にはAプロ演出と思われて居る7話の後半は大隅の指示を受けた出崎統によるもの、6話と9話は基本的には大隅演出の侭と言う事である。ストーリー的には、犯罪者を主人公とする事を嫌う高畑にはどうしても6話と9話は大きく変える事は出来なかったと本人が回想して居る。完全にAプロダクション演出になったのは、宮崎によるキャラクターの性格変更が行われた13話以降であるが、絵は大隅演出時代のものと思しきものも流用されて居るそうだ。
宮崎は後年、大隅時代からAプロ時代のルパン像の変化を、“富裕の倦怠を紛らわす為に泥棒をする退廃したフランス貴族の末裔から、常にスカンピンで何かオモシロイ事は無いかと目をギョロつかせて居るイタリア系の貧乏人への変化”と称して居る。高畑・宮崎コンビ演出のルパンは、視聴率は9%程度と序盤よりは安定して行ったものの、約半年後の全23話で放送が打ち切りとなって仕舞ったのです。
しかし、数年後の各局での再放送で、夕方の放送枠にも関わらず、局によっては20%台という異例の高い視聴率を叩き出し評価が高まり、その質が改めて評価される事となった。大隅は後年、再放送の人気が高まった理由を当時のテレビ局で聞かれた際、「余計な説明をして居ない、新しさが未だにある。」など、視聴率が低かった理由と全く同じだったと語っており、視聴者からの再評価は、宮崎・高畑両名の参加による路線変更部分だけではなかった。そして本放送終了から約5年後、再放送時の人気を背景として新作アニメ(『TV第2シリーズ』)が製作される事になった。それ以来ルパン三世は長寿アニメとなって行ったんですよ。」と言ったら、けんじは黙って居る。そして私が「ルパン三世は1972年から1973年まで放映した第1クール。すなわち一番最初のものが一番面白い。僕はよく見て居る」と言うと「何で!!どうやって1970年代のものを今見られるんだよ!!嘘も休み休み付け!!大嘘つきやがって!!」と言うのです。けんじは私の説明を聴いて居て苛立って居た。そりゃそうだ、何にも知らなかったのだから。私は「今はビデオがあるし、ルパン三世は再放送をよくしてますよ」と言ったら「ビ、ビデオ???」と言って黙って居た。当時のビデオ・デッキを知らなかったのだ。こんなバカは見た事が無かった。
その後、私が、仕事をして居たら、けんじがやって来て。「3倍モードは1倍モードに比べて3倍録画出来るのでしょう?」と言う。だから「1倍モード???標準モードでしょ。そうですよ?」と言ったらまた言う「だから、3倍モードは1倍モードに比べたら3倍録画出来るんだよね」だから「そうですよ???」と言ったら、また「だから!!3倍モードは1倍モードに・・・・・・」だから言いました。「もしかしてビデオデッキ購入したの?」そう言うと「うん!買った〜〜!!」と言うのですよね。子供か????
「LUPIN THE ⅢRD 次元大介の墓標」Blu-ray&DVD 11月28日(金)発売
処でルパン三世は現在はTVアニメは6シリーズまであり。毎年の様に特別編のルパンの新作がテレビで放映され。スピン・オフの作品「峰不二子と言う女」やら「次元大助の墓標。」「鬼刀、石川五右衛門」と言う作品もある。そして、ルパン三世のCG映像されたものや、吉川晃司が主演のルパンを演じた実写映画「ルパン三世」もあるのです。
ある日、けんじに「狼・男たちの挽歌・最終章」の吹き替え版のビデオ・テープを貸したのだが、返って来ない・・・返してくれと云ったら黙って居る。けんじは何故か、洋画は吹き替え版しか見ない、字幕版は見ないのだ。けんじはよく言う。「最近のビデオ屋には吹き替え版が沢山あるんだよ〜!え〜〜〇〇ちゃん。!!。」不思議だ・・・。何故に洋画は吹き替え版でしか見ないのだ。それは字幕だと字を追えないのだ。要するに字が読めないから、漢字が解らなくて、字幕が嫌なのだ。小学生か・・・・・。
Lupin the Third : The Woman Called Fujiko Mine Opening
そして、私がS-VHSテープを録画用に使って居た時、「狼・男たちの挽歌・最終章」のビデオ・テープをネコババして、まあ、悪いとの意識は少しはあったか、「〇〇ちゃん、ちょっと・・』と云って、4本で800円の激安のビデオ・テープを寄越して、「ビデオ・テープなんて、こんな物で良いんだ!!」と言った。私はこんなテープは使わないので、親父にくれてやった。「狼・男たちの挽歌・最終章」のビデオテープは貴重なものだったのだ。人のものを盗んで置いて、こんなもので誤魔化そうとする。ぶち殺してやろうかと思った。ぶち殺すけんじ!!。。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
The Killer (1989) ORIGINAL TRAILER [HD 1080p]
また、けんじは「フン、ケ!バカヤロ〜〜!!」と云うのが口癖で、、、
親父が会社にいた頃、親父は専務だったが。けんじがある話で、間違った事を云って居るので。けんちゃん、それは違うだろう.....こう云う事だろうと云ったら.....。
それから、「フフ、フン、ケ、バカヤロ〜〜!。」「フフ、フン、ケ、バカヤロ〜〜!。」「フフ、フン、ケ、バカヤロ〜〜!。」と云うので親父が「何だ!」と怒ったら、「フン、ケ〜〜〜!!」と叫んで居なくなった。。。皆、唖然とした....。
それから、こう言う事も言って居た。彼が皆んなと食事をして居た時だ。突然立ち上がりこんな事を言い始めた「ねぇ〜皆んな、ヤマダ電機駅が出来たんだよぉ〜!!ええ〜皆んな知らないのかい!!。」うちにアルバイトで来て居た役者の卵が「何言ってるんですか?けんじさん。駅が出来るのには。どれだけの行政の関与があると思って居るのですか?ましてや、ヤマダ電機駅なんて駅ができる訳はないでしょ!?」そう言われても「いや見たんだもの?ヤマダ電気駅と書いてあったんだもの!!」と一歩も譲らない。社員たちは呆れて話を躱して他の話をし出すと。じぃ〜〜と見て居る。イイですか、この話しはけんじの作り話なのですよね。自分は皆んなと話して居て、何時も話題に付いて行けない馴染めないから、こう言う、デタラメな作り話をするのですよ。何の話にも着いて来れない。何も知らないから。そして何時も、皆んなから呆れられて疎まれて仕舞う。まあ自業自得なのですよね。そして次の日になって、余りにも皆んなから無視をされたので。「昨日はすみませんでした。ヤマダ電機駅は僕の見間違えでした、、」と言うのですよ。周りは皆、「ケッ!!」と言ったきり相手にもしなかった。飛んだ大バカ野郎です。あれで本当に明大を出て居るのか???確かに勝手は山一證券には入社して居たが。。。
会社で、荷物を車に積んでいる時に、「〇〇ちゃん、俺は草野球の名監督なんだよ♪」と言うので「何故?」と行ったら、「俺にしか出来ないんだ!!」と言う。なので「それじゃ、滑り込みってどうやるの?」と云ったら、すぐに滑り込みの真似をして、「〇〇ちゃん!良く見な!!ええ〜この角度、この90度の角度が肝心なんだぞ!よく覚えておきなさい!!」と云う。周りの従業員が呆れて、「ほらほら、オッチャン、腰やるよ〜〜(笑)」と云って居た。
しかし、けんじは痴呆の気があるのだと思う。何故なら、昔はこんなバカでは無かったからだ。大学は一応、明治大学に行った、そう言えば前に「明大の和泉校舎の中に入って行っても何も言われないのは、俺が優等生の卒業生だからだ!!」と妙な理屈を捏ねて居たが・・・・私が「明大の和泉校舎なんて誰でも入れるでしょ」と言うと怒りまくって「じゃあ、〇〇ちゃんも入れるのか!!」と言う。だから言ってやった。「校舎には誰だって入れるでしょ」すると「俺は優等生だから入れたんだ!!」と言い張る。こんなバカは見た事がなかった。けんじは一応会社も山一證券に入社した。しかし、そこまでは良かったが、ある日ゴルフを上司として居て、なんと上司が打ったゴルフボールが頭に直撃して仕舞った。それから痴呆の症状が出る様になって行ったらしい。酷い直撃だったらしい。入院もした程だった。そして山一證券を退社してうちの会社に入って来た。その後、山一證券は不正が発覚して会社は倒産して仕舞った。。。
けんじは俗に言う戦隊モノが好きだった。「〇〇ちゃん最近の特撮は凄いんだぞ。青レンジャー、緑レンジャー、黄レンジャー、赤レンジャー!!ヘンシーンってカッコイイだろう!ゴレンジャーだ〜〜〜!!。」(>_<)
まあ、ねぇ〜〜人の事は余り言えないが、当時、けんじはすでに60歳を廻って居た。そうそう、こう言う事も言って居た。「昨日、ロボコップを見たんだ、ロボコップが空を飛ぶんだぞ!!」けんじの髪の毛は殆どがずるっぱげだった......。こんな幼稚な事しか言えないのですよ。情けない終わって居る。。。
しかし私は、ゆきかず程、けんじの事は恨んで居ない。何故なら。けんじは「〇〇ちゃん、会社は兄貴と俺。そして〇〇ちゃんの3人体制で行くのだからね。」と言ったからだ。しかし、ゆきかずは私を強引に排除した。何しろ、お袋と弟の二人で親父の退職金が出ないので文句を言いに言ったら。「なろう、なろう、と思って要約社長に成りました。」と言ったぐらいだ。だから弁護士を差し向けて、退職金を月払いにさせて払わせたが、その金も途中から送って来なくなった。計理士に電話を掛けさせて来て、月45万を32万にしろと言って来た。しかし此方もお袋の痴呆の事やらで忙しく、初めは突っぱねたが、最終的にその条件でいいと言って仕舞った。相手の思う壺だ。しかしまあ、良い。ゆきかずも、もう70歳を越える。カラオケで社員とマイクを奪い合い。下手な歌をバーのホステスから「枯れた声でカッコイイわぁ〜〜」と言われて素直に喜べる人生は幸せだろうに、何年持つかは知らないが.......。
〜〜懐かし映画劇場〜〜
「ねじ式」
売れない漫画家の幻想的な放浪生活ととりとめもない妄想をシュールなタッチで描いたドラマ。監督は「無頼平野」の石井輝男。つげ義春の同名短編漫画を、石井監督自らが脚色。撮影を「汝殺すなかれ」の角井孝男が担当している。主演は「ラブ&ポップ」の浅野忠信。スーパー16ミリからのブローアップ
ーストーリー
売れない貸本漫画家のツベは、どん底生活の果てに遂に内縁の妻の国子と離れて暮らす事になる。国子は世田谷にある会社の寮の賄婦として住み込みで働く様になり、ツベは知り合いの木本のアパートに転がり込む。ところが、ツベは国子が浮気をして居るのではないかと心配でならない。そんなある日、彼は国子が別の男の子供を孕んど居る事を聞かされ、ショックで自殺を図るのだった。木本のお陰で一命を取りとめたツベは、その後、放浪の生活と妄想に浸る日々を送る様になる。一銭五厘で買われて来たと言う山里の寂れた居酒屋の娘・チヨジとの出会い、ヌード小屋通い、ふしだらな一夜を共にした女が営む、海辺にある大衆食堂へ、そして海に入ったツベはメメクラゲに左腕を噛まれてしまう。パックリと開いた傷口を押さえ、医者を探すツベ。しかし、探し歩けど見つかるのは眼医者ばかり。やがて、彼は金太郎飴を売る母親らしき老婆との出会いを経て、漸くひとりの女医を見つけ手術をして貰う。だが、外科が専門外の彼女はツベの傷口にねじを取り付けてしまうのだった。以来、左腕のねじを締めるとツベの腕は痺れる様になる。
『つげ義春』
第03夜「紅い花」つげ義春
ゲンセンカン主人(つげ義春) 冒頭 石井輝男
つげ義春の「ねじ式」と言う漫画は。私はつげさんの作品の中では「赤い花」に次いで好きな作品です。この映画は客観性がある表現だから読者と距離感があるし、ものすごくロジカルに作られて居るので、そこに没入感はありません。でも、漫画はテキストがあるから目に焼きつけられる。絵があって言葉があるって、表現として最強だと思う。中でもつげさんの画力は本当に凄い。様々なペンタッチを重ねて描く絵には、すごく迫力がある。印刷された絵とは比べ物にならないからぜひ原画を見て貰いたいです。雑誌の紙では“線が持っている力”が半分も表現出来ない。
しかしそこは石井輝男。手堅く映画に纏め上げて居る。つげ義春の漫画。別離→もっきり屋の少女→やなぎ屋主人→ねじ式 とオムニバス形式で映画化した作品。原作の雰囲気から細かい背景まで、ひじょうに再現度が高いです。アングラものが好きな方にはオススメ。冒頭と最後の舞踏シーンは、舞踏グループのアスベスト館のもの。暗黒舞踏の創始者である土方巽氏の直系グループで、監督との親交も深いそう。、妖しく不気味、1度見たら忘れらない名シーンです。。
支離滅裂だけれど、その裏にロジックや深い意味がありそう…と言う、“解釈の余地”があるのも、皆がそそられる理由。
「共振界だより」vol.6 ゲスト・ 高野慎三:つげ義春を愛して愛して半世紀超え。「ねじ式」の「メメクラゲ」を産み出した張本人から聞く、とても貴重でとてもとても興味深いお話の数々。
リアリズムと無我 ~~つげ義春インタビューを巡る雑感〜〜。♪( ´▽`)
<つげ義春>と言えば、もはや生ける伝説と化した孤高の漫画家である。若い人は知らないかも知れないが、60年代に「ガロ」に発表した「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」などの“芸術的”漫画が当時の全共闘世代に熱狂的に受け入れられたので、名前くらいは聞いた事があるかも知れない。
彼は1970年代にも「ヨシボーの犯罪」や「外のふくらみ」などの、一種のシュールな悪夢を思わせる独特な作品を発表し、80年代にも、厭世的世界観を背景にした『無能の人』(後に竹中直人によって映画化された)などの佳作を発表したが、1987年に発表した作品『別離』を最後に、一切漫画作品を発表しなくなった。彼がその後どこで何をしているのか、再び活動する事はあるのか、長らく謎に包まれて居た。
そんな<つげ義春>が、2014年の『芸術新潮』1月号の「つげ義春特集号」で、実に久しぶりの、しかもかなり長文のインタビューに応じて居るのを、彼の作品をよく知る読者の誰もが驚いて読んだ。
つげの暗い作風や、ネガティブで世捨て人的な世界観からして、寡黙で、行間を必死に読み取ることを強いるインタビューかと思いきや、実に饒舌にいろんな事を語って居るのにまた驚いた。相変わらず厭世的ではあるが、淡々、飄々として居て、いい意味で仙人のような印象を受けた。
しかもその内容が、意外な事に、<無我表現>と言う観点からも、なかなか興味深いものだったので、少し紹介して見たい。
(以下、「つげ義春インタビュー 芸術新潮2014年1月号」より引用)
「マンガは芸術じゃないと僕は思ってますが、まあそれはいいとして、どんな芸術でも、最終的に意味を排除するのが目標だと思って居るんですよ。なので意味のない夢を下敷きにした一連の夢ものを描いたり夢日記をつけたりして居たんです。」
「夢は誰もが経験するように強烈なリアル感、リアリティがありますから、長年こだわって居た、リアリティを追求すると言う事で夢に関心を持ち、そこから自然にシュルレアリスム風の『ねじ式』が生まれたんです。」
『ねじ式』を初めとする、ストーリーを無視し、「意味」を排除したような作品は、まさに夢の世界だと言えるが、つげはそこに「強烈なリアル感」を感じ、意味を排除するのが芸術の目標であると言う、考えのもとにリアリティを追求して居たのだと言う。
興味深い発言だ。自分が漠然とつげの作品に感じていた印象を、作者自身が明快に解説してくれた事は、なかなか感動的でさえあった。つげはさらに持論を展開していく。
「自分の創作の基調はリアリズムだと思って居るのですが、リアリズムは現実の事実に理想や幻想や主観などを加えず<あるがまま>に直視する事で、そこに何か意味を求めるものではないです。あるがままとは解釈や意味づけをしない状態の事ですから、すべてはただ、そのままに現前して居るだけで無意味と言えますね。」
「意味がないと物事は連関性が失われ、すべては脈絡がなくなり断片化し、時間も消え、それがまさに夢の世界であり、現実の無意味さを追求するシュール画が夢の様になるのは必然なのでしょう。現実も夢も無意味と言う点で一致するのでシュルレアリスムもリアリズムも目指して居る方向は同じではないかと思えるのです。」
つげの口から、「あるがまま」というキーワードが飛び出した。つげの考える「リアリズム」とは、「解釈や意味づけをしない」、「其の儘に現前して居るだけ」の世界を直視する事であると言う。そこに、「理想や幻想や主観」の入る余地はない。
『ねじ式』が「幻想や主観」を排した「其の儘に現前して居るだけ」の世界の描写であるとはとても思えないのだが、つげにとって、「意味を剥ぎ取られた世界」の無意味性を表現するのに、物事の連関性が失われ、すべては脈絡がなくなり断片化し、時間も消えた、夢の世界のような描写は必然であったのだろう。
さらに、「リアリズム」についての興味深い考察が続く。
「ともかくリアリズムが好きですね。自分の主観による意味づけを排して、あるがままの現実に即して描くのが…。
でもあるがままに認識するのは不可能である事を西洋哲学は主張してますね。どのようにしても主観が入る訳ですから。けれども自分が無我になり主観が消えると、あるがままに認識できるんじゃないかと思えるんです。仏教の考えがそうでしょう。 禅の道元は修行をするのは「自己」を忘れ無我になるためだと言って居ます。無我になって主観が消えると、世界はあるがままに現成すると。 だけど修行するヒマなどない普通の凡人でも夢の中では無我を経験出来ますね。」
遂に「無我」と言うキーワードが登場した。「無我になって主観が消えると、世界はあるがままに現成する」と言う道元の思想がつげの創作のバックボーンになって居たなどと言う事を初めて知った事は一種の衝撃であった。
自分がつげ義春の作品を読んで感じるのは、どんなに精緻を極めた作画や、悲しく暗いストーリーでも、「余計な力がまったく入って居ない」と言う事だった。
たとえば、僕の好きな作品に『海辺の叙景』と言うのがある。訳ありそうな男と女が、海辺で静かに語り合い、女が雨の海を男が泳ぐ姿を眺めると言うだけの、表面上はなんと言う事もない話なのだが、そこに流れるそこはかとない緊張感、哀しみ、抒情、優しさと言った、人間感情のさまざまな要素が、目に見えない静けさと激しさを同時に含みながら伝わってくる佳作である。
あるいはつげの抒情性を最も端的に示す『紅い花』という短編。旅情をかきたてる『ほんやら洞のべんさん』。殊更にドラマを提示する事もなく、作品を鑑賞する上で邪魔になる作者の自我がまったく感じられないから、読後に深い余韻を残す。
「無我になって主観が消えると、世界はあるがままに現成する」、そのあるがままの世界を描く事がリアリズムだと言うつげ義春の漫画は、実は「無我表現」であったのかも知れない。
さらに、つげの「リアリズム論」はどんどん掘り下げられていく。
「夢は眠る事によって目覚めて居る時の自己が消えて無我の状態ですね。すると文字通りの「無我夢中」になり、夢の中での状況を対象化したり意味づけや解釈をする余裕がなくなる。その為すべてをモロに真に受けてしまい強烈なリアル感を覚えるのでしょう。対象化出来ないとすべては意味もなく現前して居るだけになり、その無意味性に直面し感応する事によってリアリティが感得されるのではないかと思えるのです。」
「この現実世界は本来あるがままで意味はないのに、そこを主観でもってさまざまに解釈し、意味づけをしてひとつの世界像を「創作」した訳でしょう。別の解釈をすればまた別の世界になる。と言う事は虚構の世界に過ぎない。しかし虚構では何の根拠もなく不安ですから「創世記神話」まで創作し、もっともらしくして居るのではないですか。歎異抄も含めて浄土教の説いて居る「浄土」とは、虚構に惑わされず事実を直視した世界の事でしょう。仏教の原点はリアリズムで釈迦は凄いリアリストだと思えますね。でも自分はキリストも好きなんです。」
「後のキリスト教団は嫌なんですけど、イエスの言葉は深いなあと思って。一例を挙げると、「貧しい人は幸いである、神の国はあなたがたのものだからである」と言う言葉に出会ったとき、直感ですぐ理解出来たのですが、後年の研究では貧しい人とは「乞食」の事だったのですね。乞食は社会の仕組みからはずれ、関係としての自己から解放されて居ます。自己意識も消えて、生も死も意識される事がなくなり、生きて居る事の不安も消える、その状態こそ神の国、天国ではないですかね。」
つげ義春の作品から、「仏教的無常観」を感じる事はあっても、超越的な神を求める信仰性を感じる事などついぞなかったのだが、キリスト教への造詣も深いとは知らなかった。あるいは作品を描かなくなってから此方の方面への関心が深まったのだろうか。
そして、「夢とリアリティ」を追求して居た、つげの創作の秘密が明かされる。
「自分で一番よく出来たと思って居るのは「夢の散歩」と言う作品なんだけど、注目する人が殆ど居ませんね。「夢の散歩」は偶然出会った男女が泥のぬかるみの中でいきなり性交をする話ですが、そうなるまでの二人の関係や必然的な理由などはぶいて、ただ唐突な場面を即物的に描写しただけなので意味がないんです。そうすると意味を排除したシュルレアリスムの様に夢の世界に似た印象になりますね。現実もあるがままに直視すると無意味になりますが、夢はさらに無意味を実感させてくれるので、リアリティとは無意味によって齎されるのではないかと考えて居るのです。この作品のタイトルは「夢の」として居ますけれど、こんな夢を見た訳ではなく、リアリズムから発展してこんな風に…。でも駄目ですね、説明をするのが難しくて。」
「その後カフカを読むようになったら、やはり出来事の描写だけで意味がなく、同じ方法でやって居たんですね。でも、自分はカフカ流の漫画では食っていく事が出来ないので、結局この虚構世界を超える意味でのリアリティから後退していきましたけれど … 」
80年代に発表した(彼の最後の作品群となった)『無能の人』や『海へ』、『別離』といった、私小説的、自伝的な作品は、つげ義春にとっては「リアリズム」からの後退を意味したのだった。これらの作品はそれはそれで味わいのあるもので、特に『無能の人』シリーズは個人的に好きな作品である。
インタビューでは、奥さんを癌で亡くした後、ノイローゼになって5年くらい精神科に通って居た事、長引いたのは薬のせいで、通院をやめて薬を飲まなくなったら治った事、現在は息子がひきこもりで、その世話と家事に追われて居る事など、プライベートに関する事情も明らかにされて居る。
漫画の新作はたぶん期待出来ないと思うが、つげ義春の語る「リアリズム論」は、今後も何かの機会にさらに突っ込んだ形で公表される事を望んで居ます。
JULIA DREAM
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今回は此処までです、、どうでしたでしょうか?ルパン三世の歴史とつげ義春さんのインタビューは参考になられたかと思います。それでは、また更新出来たらお逢いしましょう。。。。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆