とてもかわいくニャーニャー鳴いている子猫
今回は休養中でしたが書いてみました。でも此処までで書きためて暫く本当にお休みをします。今回は文が殆んどですので。よかったら付き合ってやって下さいね。間に動画は入りません。最後に溝口健二監督のお勧め名作映画がありますので。よろしくね。。。。。
明日に架ける橋【訳詞付】- Simon & Garfunkel
人は、特に女性の男性の服の好みには閉口する。何故なら、ヨウジヤマモト ・ファッションを着て居るとなんか気取って居て嫌だと言い。バッチ・デニムシャツとロックのミュージシャンのTシャツ。そしてブルークン・デニムのジーパンを履くと。変な格好だと言い。最近暑いのでアメカジのアメリカ空軍のシャツを上着にして中にブルースマンのプリントシャツとスラックスで居たら。今の格好が一番カッコイイと言うのです。なんだろ。様するに若い格好がいいと言って居るのだ???。お袋もそうだった。私に服を買って来てくれるのはイイが、要するに女性が男に求める格好なのだ。私は確かに歳にしたら若作りをして居る、此間だ買った秋口に着る薄手のデザインコートはヨウジ・ヤマモト のものだ。しかも若者向け用に発売されたものですよ。しかしそれが気に入ったし、カッコイイしね。着て見てもエレガントで大人っぽいんですよ。大体の女性が服を恋人やら子供に選ぶ時は大抵が如何にも子供っぽい服を選ぶ。物凄く語弊がある言い方なので反論もあるかと思うがあえて言わせて貰います。何故。イイ年をした。私から見たら30歳から40歳にもなる女性が、ジャニーズにハマって見て居るのでしょうか?。要するにあえて言わせて貰うなら女性の幼児化ですよね。ある女性がこう言った。「男は若ければ若いほどイイ。」前に亀梨くんの代表作「妖怪人間ベムTVシリーズ」を見せたら髪が長いので歳取って見えると言うので。「手紙」と言う最近のシリアスなドラマを見せたら。「こっちの方がいい。髪短くて若く見えるわ!!」と言うのだ。私は此方の方が見て居て歳を取って居ると思うのだが????。私が40歳近くなった頃。母が私に服を買って来てくれるのだが、殆んどがデパートの店員によって選ばされたものだった。そしてどれもが20代30代が着る様な服でその上華やかな色使いだった。私は40歳ぐらいの頃に母に言った。「もう家にお金入れないで自分の身の周りのものを買うよ。いいでしょう?」しかし母は黙って居た。この話は何遍も言うが私が20歳頃にトレンチ・コートが欲しくなり。新宿の小田急デパートのダーバンの売り場で買おうとした時だ。店員と私が選んで居るのに母が怒り出した。「何が!!トレンチコートだ!!そんなものはお前は着なくていいんだ!!」そしてコートを買ってデパートの中で歩いて居て大喧嘩になった。「店員に言い様に、騙されてそんなものを買って着るのか!!」
私は怒って言った。「何時もお袋が買ってくる服はガキ向けなんだよ!!」「俺だってちゃんとした格好がしたいんだよ!!」そしてデパートの5階の外が見える喫茶店に入って言った。「下見て見なよ。皆んな、何着て居る?」それでも母は言いたそうだった。「お前はお父さんの会社に居るんだから・・・・・」私は一言言った。「いい加減にしてくれ!。大人の男の格好をさせてくれよ!!」そして話は今です。私を昔から見て居てくれて居るヘルパーさんが居る。歳は40歳ぐらいだ。その人が他のヘルパーさんが「最近になったらkiyasumeさんはお洒落をし出してカッコイイ服着出した」と言ったら。「あら、あの人は昔からお洒落だったわよ」と言ってくれた様だ。男でもそう言う輩が居る。女の子なら若ければ若いほどイイと言うのだ。弟が生きて居た頃、50歳になろうとして居た私に嫁と一緒になって。若い子を見つけて早く結婚しろと言った事があった。「若ければ若いほどいい」と言うのだ。私は「障害持ちの50代の男がどうやって20代の子と結婚出来るんだ。馬鹿も休み休み言え!!俺をヒモにするきか!!」と怒って怒鳴った事がある。ある女の子が言って居た。「16歳と言えば一番若くて油が乗り切った男盛りよねぇ」16歳はまだ子供だろう!?(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾何故なら「肌がつるんとして可愛くて・・・・」と言うのだ。まあ、私はジャニーズは知って居るのは元SMAPだけだ。嵐もその他の子たちも皆、誰も知らないから名前を言われても顔と一致しない。こう書くと常々私が言って来た事と相反するでは無いかと言われそうですね。しかしそれには及ばない。私はあくまで1970年代をノスタルジックに追いかけてモードやらトラッドの服装をして居るのだから。何も20代の若者になりたくて、格好が羨ましくてして居るのではありません。私が知って居る女性はGACKT君が好きだ。私は彼女に原田芳雄の若い頃の写真やらブルースを歌って居るCDを聞かせたが、一言。。。「だってこの人は男の人に好かれる人でしょ」私はGACKT君も充分に男だと思うが、、大体が女性は異性の女性化をまたは男装の麗人を好む傾向があると思います。「ベルサイユのばら」だとか。最近までホストだったローランド君の人気とかね。長髪と言うものは昔は男の特権だったんですよね。まあ、大体が長髪にすると確かに女性受けはイイとは思う。
男だけじゃなく女性も童顔男子が好きな人多くない?」
「女性だって若いジャニーズの男の子が好きな人だって沢山居る」男性だけではなく女性も童顔の男性を好んで居ると言う声もあがって居る。
また、日本人は幼いものを愛でたくなる性格をして居るのか、「ペットで言えば子犬子猫の方が人気だし、日本だと小さければ小さいほど価値が上がる」と幼さがステータスになると言う人も居る。結論は出ないが、考察すると意外な理由が見つかりそうだ。
いったい女性は、何歳くらいから年下の男性に魅力に気づき始めるのでしょうか。ちょっと調べて見ました
年下男性の魅力ってどんなときに感じるのでしょうか。年下好きを公言する女子たちがその魅力について語って居た。
(1)変な期待をしないから、がっかりしない
「年上の男性なら、なんで映画の予約出来てないの?ってイライラしちゃうことがあったけど、年下ならなんだか許せる」(29歳・会社員)
「デートに連れて行かれたお店が微妙でも、まだ慣れてないのね、と大人の対応が出来る。逆に年上だとムカつくかも」(31歳・IT関連)
「年下なら、デートでしくじっても、まぁしょうがないってなるし、ちょっと嬉しい事をしてくれたら好感度が爆上がりする」(25歳・会社員)
「そもそもあまり期待してないので、幻滅する事がない」(30歳・公務員)
男性からしたら、ちょっとがっかりする内容かも知れませんが、そもそも過度な期待をして居無いので、がっかりする心配もなし。映画館にデートへ行く事が決まって居るのに、チケットを予約して居無い…。金曜の夜に有名店へ行こうって前々から約束して居たのに、お店の予約を忘れて居る…。
年上の男性ならイラッとして仕舞う事でも、年下男性なら「まぁ、デート経験もそんなにないかも知れないし、しょうがないか」と納得出来る見たいです。
(2)自分も若返るような気持ちになる
「若者言葉や流行を教えて貰うと自分まで若くなっている気持ちになる」(26歳・アパレル)
「若い人と触れ合って居るだけで、見た目もなんだか若くなった気が…する」(29歳・フリーランス)
「彼氏が若いと、自分も若く居られる錯覚になります」(30歳・専門職)
相手の年が若いと、自分も同じ年齢のような錯覚になりますよね。若い子の流行りや、話題に触れるとちょっと若返った気分になるのは分かる気がします。
しかしこれは錯覚なのですよね。若者と話して居ると錯覚を起こして自分も若く思えて来る事がありますが。ただ若い人の話が自分が知らない事だったりして。また、今時の流行りとかトレンドとかの話で、一見自分が若返った風な感覚を起こすのです。要するに擬似錯覚なんですよ。私はよく若いと言われます。そして時には酷い時など20代の若者に間違わられた事もあります。扇風機を購入した時です。「若いもんはすぐ保証書無くすけど。ちゃんと持ってろよ!!」と30代の男から言われました。此間はベネッセの宅配の50歳の親父から、「あんた。まだ若いけど好きで音楽やってるのそれとも違うの何なの?」と言われました。私は冷静に「ミュージシャンですよ」と言いました。何故こう言った事を言うのかは分かりますよ。私の髪が長いからです。私は40代の頃の様に髪をまた伸ばしてパーマを掛けて居るだけですが。それがどうにも許せないのですよね。「格好付けやがってよ!!。」と言う事でしょう。だからもう私は自分の実年齢を言う事にしました。会う人事に言います「私は62歳だから、、」すると皆「嘘でしょ。40代かと思って居た!!。」と言う人やら「いや俺は50代だと思って居たけどそうだったの?」と色々です。此間ヨウジヤマモト のドキュメンタリーを見て居たら。訪問看護師が。「kiyasumeさんの最終目標、彼なの?。もしかして?」と言うので「そうだよ。あと10年生きられたら彼見たくなりたいね」と言った。私は昔は老け顔だったんですよ。中学の時に不良に話されて嫌々ながら話をして居たら。そいつの仲間がやって来て「すみません。こいつ何かやったんでしょうか?」と聞いてくるので『あっ〜??」となって居たら。その不良が「こいつは此の間。俺のビートルズのメンバーの写真を買ってくれたダチこうだ!!」と言ったら「なんだ。俺はまた大学生に脅されて居るのかと思ったぜ....。」と言う。弟の嫁さんに弟が私の若い頃の写真を見せたら「えっ” この人誰。親戚の人?」。ヘルパーのおばさんが言いました。「あんたの10年後はどんな格好して居るのかねぇ」私は言いましたよ「あまり変わらないはずですよ」
日本における男女の社会地位差異はいつに遡れるのだろうか 、その長い歴史を此処で考えて見ようと思います。奈良・平安時代には、女性の家族内の地位は男性より高かった。当時の日本社会は母系制社会であるため、子供の養育といい、結婚といい、女性は大きな発言権を持って居た。 若い女性が結婚を決める時にも、自分の意思だけではなく、母親の了承も得ざるを得ないが、その一方父親はその決定権を持つ事すらなかったようだ。その上、結婚した後、男性の方が女性の家に通う事になったので、家庭の中心にあるのは女性と言う事が明らかだ。おまけに、女性は家の名目と財産の全てを受け継ぐ権利があったらしい。 面白い事に、古代の家庭観念は至って薄らいだものと考えられるのだろう。男性は同時に複数の女性と結婚する事が出来るが、昼間に女性も男性もそれぞれの家で農業やその他の仕事をして居たため、一つ屋根の下に暮らせるのが夜僅かな数時間だけだった。その生活の独立性と当時の農業社会を基にして、女性の家庭内の地位は決して夫より劣らなかった。 さらに、古代において巫女は神の声を聞く事が出来ると思われて居たため、女性の宗教的な地位も随分高かったらしい。しかし、社会的地位について、女性はやはり男性に敵わなかった。大臣や朝廷の役職を務めて居たのは全て男性だったし、社会的地位も父親から 息子へと受け継がる形になった様だ。これにより、古代から女性の社会進出は男性より少なかったのだろう。続く鎌倉時代から室町時代までの女性は、依然と宗教的に神に近い神格を持って居ると思われて居たが、武士と言う戦闘集団の成立により、女性が男性の家に入ると言う結婚形式が成立した。従って、家を守り、領地を管理し、使用人をまとめる事などは妻の役割 となった。要するに、男性ではなく女性の方が結婚相手の家に入る事で、家庭内における女性の力が弱まった。けれどそれと同時に、女性の社会進出が増えたらしい。この時期には武士の鎌倉幕府でも、朝廷の貴族の間でも、女性が政治の実権を握る姿が見られる様になった。加えて、商売での女性の役割も重要だったらしい。例としては、中国から輸入した蚕を育て、絹糸をとり、絹織物を作り、そして街の市場へ持って行き、売って儲ける事は、女性だけの仕事であり、また権利でもあった。社会の中で活躍する女性の姿は、いろんな絵などにも描き残されて居るようだ。男に対しても女に対しても、この時期はまさしく古代から現代への架け橋だった。その後訪れたのは、「男尊女卑の風が強い」と言われる江戸時代だった。江戸と言えば、「吉原|遊女」、「三下り半」、「女性が虐げられて居る」などの印象が強い。大河ドラマによく出る「三下り半」という 3 行半に書く離縁状、女性はそのたった一枚の紙切れで簡単に離縁されると言う 。おまけに、この「三下り半」は離婚届けであって女性への 再婚許可でもあった。「貞女二夫に見えず」という貞操観念が強まった江戸時代には、夫から差し出した「三下り半」がないと女性は自らの意志に関わらず、離婚を申し出る事すら出来なかった。極端な場合は、戦争未亡人が再婚する事も出来ず、子供を抱えて辛抱すると言う話もあった。以上の家制度から見ると、女性が与えられた選択肢は極めて 限られていた上に、家庭内の地位も低かったらしい。
また、「ウーマンリブ」と言う運動もあった。1960年代後半から1970年代にかけて、主として欧米や日本などの先進国において起こった女性解放運動である。要するに女性は男の おもちゃでも、飯炊き女でも無い。一人の人間だ。と主張した。覚えて居る方も多いかとも思う。
今はどうだ。確かに女性の進出は目まぐるしく。哲学者でも女性の事についてジェンダーですね。考えて居る哲学者のスラヴォイ・ジジャクと言う人が居ます。彼は、ハイテガーやら彼の愛人でも 、 有名なハンナ・アーレントやら。ジャック・ラカンと共に偉大な哲学者です。以下は、彼女が日本について語って居るインタビューです。
――あなたは日本に行った事がありますね.日本のテクノロジカルな文化について何か意見をお持ちですか?
スラヴォイ・ジジェク(以下SZ)――最初に言っておきますが,わたしは日本について自分自身の積極的な意見を持っているわけではありません.全ての西欧知識人と同じように,わたしには神話としての参照系(the myths of reference)しかない.まず古くて右翼的なイメージ,死に立ち向かうサムライのコード,絶対的で倫理的な日本のイメージがあります.また,すでにエイゼンシュテイン以来のものである左翼的なイメージもある.つまりは記号論的な日本,空虚な記号,西欧の現前の形而上学の不在といったものです.これも前者におとらず空想的な日本です.エイゼンシュテインが彼の「アトラクションのモンタージュ」のために日本のイデオグラムを使っていることをわれわれは知っています.
そして例外としてベルトルト・ブレヒトがいます.彼は日本の犠牲や権威といった要素を取り上げて,それを左翼的なコンテクストの中に入れています.ここ西欧ではブレヒトはファナティックな東洋の精神性を紹介した者とみなされました.ただし今ではズーアカンプ社から彼の『イエスマン』や『教育断片』の詳細な校訂版が出ています.そのおかげで,西欧の批評家たちが日本にまだ残っている帝国主義的で犠牲的な献身を尊ぶ精神的要素だと思っていた一切は,実はブレヒトによって編集されたものであることがわかりました.批評家たちが日本人と思っていたものはブレヒトだったのです。
さらに資本主義的な日本,これは全く別の段階に属します.ここには何かをどこかから取ってきて,しかもそれをよりよく発展させる「オリジナルなき日本」という神話があります.かつての金持ちのためのフィリップス,貧乏人のためのソニーといった具合にね.もちろん20年を経てこの関係は逆転しました.こうして今,コジェーヴ的な日本があります.コジェーヴにとって,最初に歴史の終わりはロシアとアメリカのことであり,フランス革命の具現化のことでした.しかし彼は何かが抜けていることに気づいたのです.彼は日本という,ちょっとした余剰のなかに答えを見いだしました.もしもアメリカでのように,何もかもが予定どおりに運んでしまえば,そこでは自分を殺すしかない.でもスノビズム,つまり洗練された仕方でお茶を飲むといったことのなかに,人間が生きることがまだ意味を持っていることが見つかったのです
けれどもまた別の日本,精神分析的な日本もあげることができる.多元文化主義的なアプローチが採られるときにはいつでも,その基準はたいていは日本であり,特にそのノーと言う,「否認(Verneinung)」の仕方に向けられます.日本には30通りものノーの言い方がある.奥さんにある言い方でノーと言い,別の言い方で子供にもノーと言うことができます.ただ一つの否定というものはない.
ラカン派の小さな冊子に『日本的なもの(La chose Japonaise)』というのがあります.日本人は他の国の言語を借用しながら,さまざまなあいまいさ=両義性を洗練させています.ラカンは日本人には無意識がないと言わなかったでしょうか? 西欧においては日本はこのあいまいな(両義的な)他者なのです.それは魅了すると同時に拒絶する.日本におけるこの心理学的なクリシェ(紋切型)を忘れないようにしましょう.つまり日本人が笑っているとき,それが心からなのか,われわれをあざ笑っているのかはわからない,これが浸透しがたい「他者」という日本についての見方です.
このあいまいな礼儀正しさ,これによって,一体,日本人は何を望んでいるのでしょうか?
こう言うとき,ヨーロッパ人は,アメリカ人がユダヤ人を見るときの「代理」として日本人を見ているのです.「日本政府は2,3の巨大企業の策謀でもって,ことを進めている」と.例えばこのような一切の憂鬱と空想がのっかったパレットが,われわれにとっての日本なのです.でも驚いたことに,一方では完全に西欧的と思われる著者,たとえばジェルジ・ルカーチのような人が日本では広く読まれています.
そして,われわれ西欧のリベラル民主主義の堕落したやり口を批判する連中から愛されている日本をあげることができる.彼らはある種の権威でかためられた伝統的な構造を温存しつつ,資本主義のダイナミズムをひとまとめにできるモデルを探している.ここでもやり方は二重になっている.この空想が面白いのは,連中がいつもあいまい(両義的)だということです.だからそれはすぐに否定形にだってなる.つまり日本人は実際には一つの巨大な陰謀と権威を保ったままで,資本主義のゲームに参加しようとしている,と.あるいは逆に積極的な言い方をするなら,ここには道徳的な価値と共存する資本主義がある,と言えるわけです.
日本のレストランや地下鉄の駅で気分がいいのは英語が使われていないからです.この点で日本人が自己卑下したり,嫌悪したり満足したりすることはない.日本のレストランや駅で英語を使わずにその利用の仕方を見つけるのは,それを使う外国人にまかされている.たとえば,わたしはあの自動販売機をいじるのがめちゃくちゃ好きですよ. スティーヴン・キングの小説をもとにした映画『シャイニング』を見たことがありますか? そこには最悪のアメリカがある.3人の人間,一つの家族が大きなホテルにいるが,そのスペースは彼らにはあまりに狭すぎて,彼らは殺し合いを始めてしまう.日本ではたとえとても混み合っていて身体的には窮屈にされても,それほどプレッシャーは感じない.これは他人に対して知らないふりをしている技術があるからですね.ニューヨークの地下鉄だったら,その半分の混みぐあいでも他者の絶対的な近接という恐ろしい体験をすることになるでしょう.
わたしが東京で出席したフーコーについての会議で面白かったのは,日本人が,自分たちをどうとらえるかという問題にフーコーを応用することを求められていた点です.けれども,日本側の積極的な発言はほとんどフローベールに関わるものでした.彼らは 日本人に仕掛けられた,このからかい半分の人類学的ゲームを受け容れなかった.しかし,彼らはわれわれ自身のゲームでわれわれを打ち負かそうとしたのです.われわれの方がずっとフローベールについて知っているというのにね.
さてヨーロッパにおけるネーションはどれもこうしたファナティズム(自分たちが一番フローベールのことを知っていると思い込むような),つまり自分だけを真の,根源的な民族(ネーション)とみなす考えを持っています.たとえば,セルビア人の神話は彼らが世界で最初の民族であるというものです.クロアチア人は自らを原アーリア人種と考えています.スロヴェニア人は実際にはスラヴ系ではなく,エトルリア系の起源を持つと称しています.それとは逆に,自らを一次的なものではなく,二次的なものであるという事実を認めるようなネーションを見出すのはよいことです.日本人がよそから言語を借りてきたやり方を見てみれば,こうした態度自体が日本人のアイデンティティの一部をなしていると言えるでしょう.
最近わたしは黒澤明について書かれた本を読みました.そこでは『羅生門』は50年代の初めには東洋的なスピリットの偉大な発見として観られたのだと言われています.しかし,日本ではそれはあまりに西欧的なものとして受け取られています.わたしが一番好きな日本映画は溝口健二の『山椒太夫』です.それはこの映画が失われた母の問題,息子に到達する母の声の問題についての,よくできたラカン的読解を提示しているからです.アメリカではヒッチコックの『サイコ』のように狂気が現われる同じ場面で,日本では普通の家族が出てくる. いまやバルカンは,日本がさまざまな空想の投影場所であるように,西欧が自分自身の空想を投影する場所になっています.繰り返しますが,これは大変に矛盾したことでもある.『ライジング・サン』という映画もこの種の両義性をかかえている.つまり,日本にはハリウッドを取り込み,買収しようとする計画があるというのですからね.その見方はこういうものでしょう,日本人はわれわれのファクトリーも土地も欲しがってはいない,彼らはわれわれの夢を望んでいる,と.この裏には,メディアや制度を握ることで思考をコントロールできるという考え方があります.それはハードウェアから映画館まで,チェーン全体を買い占めるといった古びたマルキスト風の考え方です.日本が興味深いのは,何らかの進化論的な段階を経なくてはならないといった,俗流でニセのマルクス主義の進歩主義的観念に対抗できる論理がある点です.というのは,(文脈に関係なく複数の段階に属するものをぶつける)直接的なショートサーキットを作ることができることを日本は証明しているからです.古いヒエラルキーにもとづく上部構造の要素を持ったままで,それを思うままに資本主義の最も効率的な形にとてもうまく結びつけている.これは人間中心主義でないという意味ではよい経験です.よき資本主義のためにはプロテスタントの倫理が必要だという西欧の社会主義者たちにとって,これは一つのミステリーです.
わたしが日本に見るもの,それは多分わたし自身の神話なのでしょうが,あらゆるものの裏にある,礼儀やスノビズムなどに関するこういった観念なのです.日本人は表層的かつ必然的でないように見える何かが,もっと深層では構造的な機能を持っていることを自覚している.西欧流のアプローチだとこうなるはずです,「誰がそれを必要としているか?」と.しかし全く馬鹿気たことでも,より深いレヴェルではわれわれが自覚していない安定化の機能をはたしている.誰もがイギリスの君主制を笑うけれど,外から見ている人間にはこれからもそれがどんなものか本当にはわからない.
アメリカの社会学者のあいだで一般的なものに,「罪の文化」対「恥の文化」という別の考え方があります.ユダヤ人と彼らの内的な罪と,ギリシア人と彼らの恥の文化というのもそうです.そして今日ありがちなクリシェは,日本は究極の「恥の文化」であるというものです.アメリカでわたしの嫌いなものにアクターズ・スタジオの論理があります。.それによれば,自己表現にはあたかも何かよいことがあるかのように言われている.たとえ他人を怒鳴ったりけちらしたりしても,自分自身を表現し解放するためには全てを抑圧せず,解放しなさいというわけです.これは仮面の裏側に何か真実があるとする馬鹿気た考えです.日本では,たとえ何かがうわべだけのことであっても礼儀は単に偽りでない,このことがただの神話でないことをわたしは望みます.「こんにちは,ごきげんいかがですか?」と言うことと,ニューヨークのタクシー運転手の罵りの間には違いがあります.表層=うわべこそが大事なのです.もしこの表層をぐらつかせれば,ひとは自分が思う以上に多くを失うことになるでしょう.儀礼的なもので遊ぶべきではない.仮面は決して単純に仮面にすぎないのではない.おそらく,こういうわけでブレヒトは日本に接近するようになった.仮面を剥いで本当の顔を示すという西欧の典型的な身振りのなかに本当に解放的なものは何もない,とするこの考え方を彼も好んだのです.ひとが発見するものは,自己が絶対的に嫌っている何かなのだ.この見かけを保持しよう,これがわたし自身の日本に対する空想なのです.
如何だったでしょうか?ちなみに此処で出て来た。エイゼンシュタインとはロシアの監督さんの事です。彼が撮ったモンタージ論の映画である「戦艦ポチョムキン」は有名ですよね。
モンタージュという映像文法の基礎を確立させ、映像表現を飛躍的に向上させる事になったセルゲイ・エイゼンシュタイン監督の映画史上に残るサイレント映画の大傑作です。1905年の夏、黒海沖の巡洋艦ポチョムキン号で、ウジの沸いたスープに怒った水兵たちが反乱を起こし、オデッサの港へ寄港するが、やがて軍隊が押し寄せてきて大虐殺が繰り広げられていく。乳母車が階段を転げ落ちていく、いわゆる「オデッサの大虐殺」とも称されるシーンをはじめとして、現在も多くの映画人に影響を与えており、『アンタッチャブル』のように見事なオマージュを捧げた作品もある。なお、1925年製作作品にもかかわらず、その反体制的内容故か日本での公開は遅れに遅れ、ようやく日の目をみて初公開されたのは1967年であった。
まあ、話がだいぶズレて来ましたが、、要するに中島らもが言う処の「フーテンには何もないがヒッピーには思想があった」と言う事でしょうか。平たく言うと。フーテンは1967年ごろから1972年ごろまで存在して居て長髪にジーパンスタイルで”あんぱん”を吸って居た単なるイカれた連中でした。("あんぱん"とは,。シンナーをビニール袋に入れて吸う事)。。。。。
ヒッピーとは、1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、既成社会の伝統、制度など、それ以前の保守的な男性優位の価値観を否定するカウンターカルチャー の一翼を担った人々、およびそのムーブメント。ヒッピーは1950年代のビートニクスの思想を継承した。またサマー・オブ・ラブ、ベトナム反戦運動や、公民権運動、カウンター・カルチャーとしてのロック、野外フェス、性解放、フリーセックス、大麻等のドラッグ解禁、男女平等、各種差別の廃止、のちのヴィーガニズムへとつながる有機野菜の促進などを主張し、主流とは異なったオルタナティブな社会の実現を目指した。
なぜフーテンとヒッピーの事を言ったのかと言うと。女性はきちんと理解して居無いからです。私は勉強も出来ないし知識も余り無い。だから大きな事は言いたくはないが。最近の女性たちは危機感が無い。今日もテレビを見て居たら。ストーカー男に何遍も来られて、警察に保護を頼んで5回も警察署に行ったのだそうだが。警察は保護をせずストーカーに殺されたと言って居た。今の人はアメリカが黒人差別をして居た1960年代を知らないでしょう?公民権運動「キング牧師」と言う人が黒人と白人の和解を唱えて差別はやめてくれと訴えて居た時期があったのですよ。昔は黒人は学校も食堂も、そしてバスすら。カラーと呼ばれる黒人専用のバスにしか乗れませんでした。黒人たちが自由を勝ち取ったのはつい最近の事なんですよ。知って居ましたか?アメリカは暗殺の歴史の国です。リンカーンもケネディーも殺されました。そしてこのキング牧師も殺されたのです。最近、解った事はあの天才的なロックギタリスト。ジミ・ヘンドリックスもヘロイン中毒で死んだのではなくて。黒人の指導者になり得るとの事で暗殺されたらしいですね。私は今日来た看護師に食べ物屋やら公衆便所。デパートなどのトイレは盗撮用のカメラが仕掛けられて居る可能性が凄く高いし、スカートを履いたら十分に気を付けろと言いましたよ。彼女らは、いや一般の女性たちは、今、時代の変革の中でどう言う位置に自分らが居るのかが解って居ません、一様は、何気なく暮らせて居ますよ。でもこの間の東京医大の医学部の入試でどうでしたか?職場の残業を男の社員から押し付けられてどうですか?「ら」抜き言葉は定着して仕舞いました。「食べれる食べれる」とみんな言って居ます。私が好きな哲学者に言語哲学者の丸山圭三郎と言う人が居ます。私は一時期ソシュールに興味があって。彼が翻訳したソシュールの講義ノートを所有して居ます。確かソシュールの弟子(学生)が本としてまとめたものの翻訳本ですが。購入して持って居ます。丸山圭三郎は好きな哲学者です。彼は言葉の変遷変容は理解して居たし。1980年代「寒い夏」という言葉が出て来て。喜んで居た事がありました。でもね、、最近の「超カワイイ!!超カッコイイ!!」は如何なものかと思いますよ。そしてジャニーズ観て。「ちょ〜〜かっこいい」でしょうか?言葉は特に流行り言葉は仕方がありませんね。それは分かります。今は育児も旦那と交代ですよね。勝手こんな事を言って居た女性が居ました。「出産の時こそ旦那を恨んだことはないわよ!!」「・・・・・・」
私は男だから女性は好きですし。可愛いとも思います、どんな歳の方でも。可愛いと言うのは見目形ではありません。女性は儚く。そして強い様で居て脆く。男性が守ってやらないといけない存在なんだと思って居ますよ。しかし、最近は・・・・・。言葉を失う事が多いですね。是からは知識を身につけて居ないとやって行け無い時代が来ます。私なんかパソコンを操るのにヒーヒー言って居ますよ。機械音痴なものでして、、頑張りましょうよ。皆んなして。
ジジャクが好きだと言った、溝口健二監督の名作「山椒大夫」です。最後にご覧ください。。。。
まさに名作です。ノーカットです、画質は悪いですが、、、、
映画「山椒大夫」(安寿と厨子王)昭和29年1954年作品 全編
今回も此処までです。今回は続けて更新しましたが。それは私が言いたい事があったからです。また、暫くは更新が出来ません。此処のところ更新したblog記事を読んでいただきたく思って降ります。幼稚な拙い文で、ご迷惑とは思いますが.......。そしてコメントをなんでもいいので書いて下さいね。これで暫く本当に更新は控えようと思います、此処まで読んでくれてありがとう。。。。