王子のきつね on Line

ΛΛ
( ^^ ) < 探したい項目は「カテゴリ」でさがしてね。☆彡
≡V≡

「浜崎あゆみ」のカテゴリをつくりました。

2005年05月21日 17時44分30秒 | Weblog
いまさらですが、「浜崎あゆみ」のカテゴリをつくりました。

あゆタソに関するネタは、プロモーション・ビデオを含め、そっちに移動しました。

ただ、アルバムにかんする評価だけは「音楽」のカテゴリに残しました。

ファンになったかどうかは、なんとも言えないのですが…。

M(Video)

2005年05月16日 23時01分29秒 | 浜崎あゆみ
#19"M"(2000/12/13)のプロモーション・ビデオ。


教会で祈る"あゆ"
このころのショートに萌えw


"あゆ"マリアの出現


教会の外で歌う"あゆ"
ちなみに、右隣のロンゲの人は"よっちゃん"w


 浜崎あゆみは、#12"kanariya"(1999/12/08)と#13"Fly high"(2000/02/09)以降、自らのプロモーション・ビデオの制作に積極的に意見を入れるようになります。
 マリア伝説をもとにつくった詞と、あゆタソがはじめてつくった曲による"M"。途中で、カンコン鳴る鐘に感動しちゃったよ(オイラは鐘の音に弱い。"POWDER SNOW"でも鐘の音のほうに感動してしまった)。

あゆタソのトロさの原因についてw

2005年05月16日 22時43分41秒 | 浜崎あゆみ
今日、この本を少し読んだ。

アン・ワイザー・コーネル・著
『やさしいフォーカシング~自分でできるこころの処方』
(大澤美枝子、日笠摩子・訳、諸富祥彦・解説、星雲社、1999年)


 まえにこんなこと書いちゃったけれど、どうも、そう簡単ではないようだ。

 諸富祥彦・著『トランスパーソナル心理学入門』(講談社現代新書、1999年)には、
 重要なのは、私の内側の一部=“それ”が、ハッキリした“悲しさ”というより、言葉やイメージになる以前の“あいまいな何か”として立ち現れる、ということです。

と書いてあったが、『やさしいフォーカシング』では、“あいまいな何か”を“フェルトセンス(felt-sense)”と呼んでいた。やっぱり、言葉やイメージになる以前の“あいまいな何か”であって、あゆタソのようにしゃべったりはしないようだ。_| ̄|○

 ただ、フォーカシングが発見されるきっかけとなったユージン・ジェンドリン(シカゴ大学教授)の研究でひじょうに気になることがあった。彼は、心理療法が成功する場合と失敗する場合のちがいを調査するため、共同研究をおこなった。そのことが『やさしいフォーカシング』に書いてあった(13-14ページ)。
 彼らが発見したのは、こういうことだったのです。治療が成功したクライエントは、面接のどこかで、話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始めます。そのテープを聴けば、何がこんなふうに言っているのが聞き取れるでしょう。「うーん、どう言ったらいいんでしょう。ちょうど、ここのところにあるんだけど。それは……あのー……それは……怒りっていうのとはちょっと違うし……うーん。」あるいは、クライエントは、しばしば、その感じをからだで感じるとも言います。例えば、「それは胸のここのところにあるんです」とか、「胃のあたりが、こう、何か変な感じがするんです」というような発言です。
 つまり、成功したセラピーのクライエントたちは、面接の過程で直接からだで感じている、漠然とした、言葉では表現しにくい身体的な気づきがあったのです。それとは逆に、セラピーがうまくいかなかったクライエントたちは、面接の間ずっと言いよどむことなくすらすらと話しています。(後略)

 つまり、成功した心理療法ではクライエントが“フェルトセンス(felt-sense)”を感じていたということなのだ。
 そこで、気になったのが、あの人のトロさである。何しろ、そのトロさと「あゆねぇ」でバカじゃないかといわれたくらいである。といっても、当時のビデオなんてあるわけもないので、こいつでチェックした。

浜崎あゆみ"HAMASAKI AYUMI"


 この最初のところに、浜崎とavexの松浦専務はじめ浜崎担当の連中によるプロモーション・ビデオの解説があるんだが、トロい! トロすぎるぜ! この人、考えながら、しゃべるのね。ただ、外見からじゃ、やっぱりわかんないよ。


 ぜんぜん、関係ないけど、最初の写真は"evolution"(2001/01/31)のプロモーション・ビデオのあゆタソ。このショートがめちゃカワイイことに気づいてしまった。どっかのファン・サイトのBBSでどの髪型がイイってカキコがあったけど、"evolution"のショートが(゜∀゜)イイ!っていう声多いのね。同感でつ。w

SURREAL(Video)

2005年05月15日 23時38分52秒 | 浜崎あゆみ
#17"SURREAL"(2000/09/27)のプロモーション・ビデオ。

目ざめたとき、"あゆ"は海辺に立つ。


岩石の大地を越えて…


ジャングルに迷い込む。


そこで待っていたのは"豹あゆ"。


夢から目ざめるが…


そこはまた海辺。


 浜崎あゆみは、#12"kanariya"(1999/12/08)と#13"Fly high"(2000/02/09)以降、自らのプロモーション・ビデオの制作に積極的に意見を入れるようになります。
 この世界には、何の「目的」もなければ、「終わり」もない、いっさいはただ永遠に意味もなくぐるぐる回り続けている。まさに、ニーチェの「永劫回帰」の世界。怖い夢は見ますか?との問に、浜崎は「もう毎日見る。それはもう参るくらい」(『浜崎共和国』[『Free & Easy』5月号別冊、2002年5月24日])とのこと。
 「いくらどうでもいいなんて言ったって/道につまづけば両手ついてる守ってる/そんなモノだから」は、スルドイ指摘。「どうでもいい」なんて言う香具師にかぎって、「自己愛」強い"甘えんぼ"。そんなモノだから。w

vogue, Far away, SEASONS(Video)

2005年05月15日 23時20分47秒 | 浜崎あゆみ
#14"vogue"(2000/04/26) #15"Far away"(2000/05/17) #16"SEASONS"(2000/06/07)のプロモーション・ビデオ。

"vogue"

砂漠(?)の鉄条網に囲まれたところで…


子供たちが見つけたのは…


スケッチブック(?)の中で歌う"あゆ"。

"Far away"

魚のはいった水槽を持って歌う"あゆ"に…


よそよそしい態度の子供たち。そして…


走り去っていく子供たち。"あゆ"は捨てられる

"SEASONS"

生まれかわった喪服姿の"あゆ"は…


悲しげな顔で…


子供たちの捨てたスケッチブックを拾い…


遺影のように持ってたたずむ。


 浜崎あゆみは、#12"kanariya"(1999/12/08)と#13"Fly high"(2000/02/09)以降、自らのプロモーション・ビデオの制作に積極的に意見を入れるようになります。
 "vogue" "Far away" "SEASONS"、いわゆる「絶望三部作」のプロモーション・ビデオ。この三部作は下図のような「構造」でできている。"vogue"では、「君を咲き誇ろう/美しく花開いた/その後はただ静かに/散って行くから...」(散った花は捨てられる)と歌う"あゆ"が、子供たちに見つけられる。"Far away"では、「新しく 私らしく あなたらしく 生まれ変わる...」と歌う"あゆ"が、子供たちに捨てられる。"SEASONS"では、生まれかわった"あゆ"が、「幾度巡り巡りゆく/限りある季節(とき)の中に/僕らは今生きていて/そして何を見つけるだろう」と歌う(この部分の歌はカットされている!)。

「オフコースを手がけた」って書かれるのはメイワク!かな?w

2005年05月13日 21時26分36秒 | 音楽
浜崎あゆみネタを探してぐぐってたら、こんな記事を見つけてしまった。

「エイベックス松浦新体制とヨーダの逆襲」

 今回、浜崎は関係なくて、驚いたのはこれ。
会長の新田和長は、オフコースやチューリップを手がけた音楽プロデューサーだ。

どういうつもりで書いたのか知らないが、チューリップはともかく、オフコースを手がけたってことは、興行的に失敗したって書いてあるのと同じじゃん。この記事を書いた人、わかってるのか?
 おっと、こんなこと書いて誤解されちゃイヤだから書くけど、オイラはオフコースのファンです。今でも。w
 あと、たしか、オフコースを手がけたのは、The Rigannies でいっしょだった武藤敏史さんのほうではないかと思われるんだが…。まあ、同じ東芝EMIだからね。w

 チューリップといえば、TBSの「月曜組曲」で知ったんだけど、「心の旅」を誰が歌うかで、財津和夫さんに「お前が歌うと売れないかもしれないから、姫野に歌ってもらう」って言ったのは、この人なのかな?

フォーカシングとハコミセラピーの本~帯が浜崎してるw~

2005年05月13日 20時33分01秒 | 浜崎あゆみ
浜崎あゆみと、フォーカシング、ハコミセラピーについて書いたけど、いまいちよくわからんところがあったので、とうとう買ってしまいました。

アン・ワイザー・コーネル・著
『やさしいフォーカシング~自分でできるこころの処方』
(大澤美枝子、日笠摩子・訳、諸富祥彦・解説、星雲社、1999年)


ロン・クルツ・著
『ハコミを学ぶ~科学・魂の成長・サイコセラピー』
(手塚郁恵・編訳、春秋社、2005年)


『やさしいフォーカシング』は諸富が解説書いてたのか。

過去は過去に返そう。
未来は未来に返そう。
私は〈今〉を生きている―。

『ハコミを学ぶ』の帯がすでに浜崎してるのがヤバイかも

実存主義主義的なayu解釈

2005年05月12日 21時58分46秒 | 浜崎あゆみ
 浜崎の歌は実存主義みたいなので、読んじゃいました。ハイデガー『存在と時間』。
っていうのはウソで、「困ったときの竹田頼み」で、竹田青嗣・著『現代思想の冒険』(毎日新聞社、1987年)を読みますた。

 実存主義って、要するに、死んだら終わりって考え方ね。人間の「絶望」の根源には死があって、けっきょくどんなすばらしい生き方したって最後は死んでパアになるってことなんですよ。世の中を良くしようって改革や革命を叫んでも、それは自分の「絶望」を自覚しないで、ただ「救済」を信じているにすぎないってわけ。
ねえ ほんとは 永遠なんてないこと
私はいつから 気付いていたんだろう
"LOVE~Destiny~"

 で、このけっして抗いえないこと(=死)を受け容れ「絶望」するのがニヒリズムなわけです。でも、ハイデガーはそうじゃダメだというのね。死をも「自由」として選びとれるような生き方(=死への先駆)のなかにだけ、人間が自分の存在の全体性を生きる可能性がある、というんです。この可能性が、人間の心を魅了するものへ向かう欲望(バタイユの「エロス」みたいなもの)になるというわけです。
真実と現実の全てから目を反らさずに
生きて行く証にすればいい
"LOVE~Destiny~"


 オイラねえ、ある時期まで、自分の「絶望」を自覚しないで、ただ「救済」を信じていたわけですよ。で、そのあとは、ある意味、「絶望」していた(ポストモダニズムの相対主義に浸かっていた)のかなって、思うようになりました。(涙)

 まあ、これはオイラの勝手な解釈なわけで、信じて人から笑われても責任はとれません。あくまでも自己責任で。

シッポの話2~いろんな動物と合体してます~

2005年05月12日 20時47分59秒 | 浜崎あゆみ
「フォーカシングすると、シッポが生える話」を書いたけど、けっきょくこういうシッポが生えたわけ("evolution"のPV)。

これ流行ったんだってね。このPVの浜崎、めちゃカワイイです(この画像はシッポのためなんで、いまいち)。ショートのほうが似合うと思ってます。で、ほかに…



"SURREAL"のPV


にゃんこ

"ayu-mi-x III"


ちょうちょ

"ayu-mi-x III"


など、いろいろの動物と合体してます。「デビルマン」みたい。w
 ホントは昆虫はニガテでカブトムシも触れんと、DVD"HAMASAKI AYUMI"に入っていたPVの解説で本人が言ってました。"VERY BEST OF 及川奈央"みたいです、と分かる人しかわからん解説。w ミリオンてやっぱavexのマネしてたんだ! ね、幕内専務。(爆)

あと、"Dearest"(2001)のPVで気がついたんだけど、



ここavexのPVでよくつかうところなんだけど、ELT(Every Little Thing)のデビューシングル"Feel My Heart"(1996)のPVも同じところで撮影したんだよね。5年間でプロペラ増えすぎ。w

フォーカシングすると、シッポが生える話。w

2005年05月11日 20時04分05秒 | 浜崎あゆみ
フォーカシングと浜崎あゆみのことを調べていたら、こんなページを見つけてしまった。

「宇宙卵とフォーカシング」

 「ホントにこんなことってあるのかな」と思いつつ、食器を洗うんで、あゆタソのMD("LOVEppears"の曲を発表順に並び替えたもの)を聴きながらしようとしたら、「ちがう」って言われた気がした。
 「えっ」と思っていたら、「つぎの…」って言われた気がした。
 つぎのMDっていうと、「"Duty"の曲を発表順に並べたものだよなぁ」と思いつつ、聴いてみた。そしたら、「浜崎あゆみ"Duty"~『永遠』は未来にはない~新版」で書いた"vogue"の解釈がまちがっていたことに気づいたので、さっそく書き直しましたよ。

 こういう体験て初めてじゃないけど、言葉に近いのは初めてだな。着物を引っ張られたり、体を触れたりはあったけど…。

 ぜんぜん関係ないようで、関係ある話だけど、一本歯の高下駄乗るようになったら、妹は、発声の位置が簡単に見つかるようになった。しかし、同時に、何者かに、触られたり、引っ張られるようになったそうだ。
 トラパ的には同じ現象なんだけど、オイラも、どっかの誰かさんみたいに、ホントにシッポが生えてくるかもしれない。まあ、きつねだから、別にいいんだけどね。w

ayuの自己探求・自己成長の三つの段階~「お腹減った~」の人とは思えません~

2005年05月08日 01時04分10秒 | 浜崎あゆみ
もともと、反・浜崎、反・トラパだったオイラが、この2か月で、親・浜崎、容トラパに大きく変容しました(そういいつつ、「Ayuready?」と「スーパーテレビ」はしっかり見ていたなw)。やっぱり、養老孟司せんせは正しかったのですね。くわしくは、『バカの壁』(新潮新書、2003年)を読んでね。ここでは、トラパ(トランスパーソナル心理学)の「自己探求・自己成長の三つの段階」に勝手に浜崎あゆみをあてはめて説明しちゃおうと思います(スゲエ無謀)。

 諸富祥彦・著『トランスパーソナル心理学入門』(講談社現代新書、1999年)によると、自己探求・自己成長の三つの段階は下図のとおりです。


前掲書、119ページ


 もうすこしくわしい説明は、下表のとおりです。



個としての“自分”を確立する
 周囲との人間関係のしがらみを断ち切る。他者の期待に応え、喜ばせる“偽の自分”を演じるのをやめる。
 うちなる心の傷へのとらわれや執着から解放されて、個としての“自分”を確立していく。
 “自分が生きている”と実感できる自分、自己決定・自己決断できる自分の確立。“自分の人生の主人公”になる。
 “プレパーソナルからパーソナルヘ”の段階。



自分を越えた“いのちの働き”に目覚める
 個を確立し、自分の人生の主人公になった人が、しかし、つながりから切り離された個であるがゆえに襲ってくる実存的不安に駆られ、ただひたすら真理を、人間として“ほんとうの生き方”をどこまでも問い求めていく。
 この問いの極限において、もはやいかんともし難い限界に直面し、その問いそのものが破れる時、人は究極の真理(=この世界の一切は空である)に目覚める。
 “パーソナルからトランスパーソナルヘ”の段階。



日常の中で、自分を越えた“向こうからの呼び声”を聴く
 いったん究極の真理を体験した人は、この世界の万物、この人生の一切の出来事が、そのままの姿で真理の完全な現れであることを知っている。したがって、この世界、この自分のあるがままの姿を、そのままで肯定し、受け入れ、悦ぶことができる。毎日の何気ない出来事の一つ一つ、ものごとの一つ一つに魂を砕き、心を込めながら生きることができる。地に足のついた、ごく普通の日常生活をしっかりと送りながら、まさにそのただ中に自分を越えた向こうからの“呼び声”を聴きつつ生きていく。
 外的な現実よりも内的な体験にリアリティを感じる。間の取れた姿勢で、遊び心を楽しみ、濃密な時間を享受する中で、魂が豊かに育っていく。
 “トランスパーソナルからパーソナルヘ”の段階。

前掲書、123ページ


 これを勝手に浜崎あゆみにあてはめると、生まれて、父親が失踪し、幼児・少女時代を経て、avexの松浦専務に出会い、祖母の死を乗り越えて、デビューし、"A Song for XX"を出すまでが、第1段階で、現在は第2段階にあるわけです。
 第2段階も、"LOVEppears"で人間・濱崎歩と歌手・浜崎あゆみのギャップに苦しみ、"Duty"(絶望三部作)で自らの過去を見つめ、ついには「自らの葬儀」という通過儀礼(イニシエーション)で、新しい浜崎あゆみに生まれかわるのが、1つ目のらせんです。
 このあと、Crea名で曲をつくるようになります。ベストアルバム"A Best"をめぐって自らがavexという組織の一部であることを思い知らされ、突発性難聴によって左耳の聴力をほぼ失い、さらには2ちゃんねら~の根拠なき誹謗中傷にさらされるわけです(なんでこんなに苦しまなきゃならないのか?)。しかし、長瀬君との恋愛などよいこともあり、"I am..."と"RAINBOW"を発表し、音楽性が大きく変化します。そして、"Memorial address"で2つ目のらせんが終了します。
 現在は、3つ目のらせんにいるんでしょうか? まだ、"MY STORY"も"Step you"も買ってないんでね。w

 「始まりがあるものには、終わりがあると思っている。思っているけど、永遠がどこかにないのかなって求めている自分もいる」浜崎さまのお言葉です。「お腹減った~」とか、「メ~ル来たよ」とか言ってる人と同一人物とはとても思えません。

2人のあゆをめぐる「脱同一化」の問題~なんと学会で発表されていた~

2005年05月07日 22時38分16秒 | 浜崎あゆみ
さて、本日はコレを買ってしまいました。

浜崎あゆみ"HAMASAKI AYUMI"


 内容は、ビデオ・クリップとCM。そして、ビデオ・クリップについて語るあゆとスタッフのビデオが最初についてます。"For My Dear..."のプロモーション・ビデオにあゆの友だちが出ています。"YOU"で有名なNatsukiさんは、おたふく風邪で片方の頬が腫れていたので、「そっちから撮らないで」と言ったそうです。Natsukiさんの画像もありますが、一般人なんで掲載は控えさせていただきます。w そして、"Depend on you"は極寒の鬼押出(おにおしだし)で撮影して、スタッフが凍死しそうになったそうです。Every Little Thing の"For the moment"は、灼熱のオーストラリアの砂漠(気温55℃)で撮られたのです。おそるべしavex!

 さて、またまた問題発生です。こんどの問題は「脱同一化(disidentification)」。

 ヒントは、マキシ・シングル"Fly high"(2000/02/09)のプロモーション・ビデオにある


ステージで歌う浜崎あゆみ



それを見つめるayu


 このネタを「浜崎あゆみとスピリチュアリティ」というテーマで日本人間性心理学会第23回大会で発表した人までいる。おそるべし、浜崎あゆみ。

ayuの代わりに細木とはトホホだよ。(涙)

2005年05月06日 23時25分45秒 | Weblog
「ミュージックステーション」に浜崎あゆみが出てたんだ! ちくしょう、細木数子の番組見ちゃったよ。_| ̄|○

 さらにその内容がムカツクものだった。セクハラが起こるのは、男女平等というマチガイを犯しているからだとか、ゲストの赤井英和への信じられない暴言など、ホントに呆れたぜ。
 とくに、赤井への暴言は、コイツの本性を明らかにするものだった。赤井英和には、子どもが3人いるが、その下に双子がいた。ところが、2人とも生まれてすぐに死んでしまった。それを赤井に「子どもが死んだのは、赤井には因縁があって、それを断ち切るために子どもが犠牲になった」なんて言ったんだ。ふつう言うか、そんなこと。子どもが死んだのはオマエのせいだ!と言っているようなものだ。ただでさえ、子どもの死で、心に傷を負っているのに、その傷に塩を塗るようなことだ。赤井の顔は見てられなかったぞ!



細木氏ね!



(`Д´#



 え~と今夜は、このあと、「えぐら開運堂」で江原啓之を見て、「怒りオヤジ」で奈央姫を見て、そのあと「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」で浜崎を見るぞ!