祝祭への呼びかけ
私、および私の知る人、知らない人を含めた多くの人たちは、このようにあなたに呼びかける。
われわれが結束すれば、人類一人残らずに、生きる喜びを味わうのに必要な食料、衣料、雨露をしのぐ場を提供できる力をもつことを祝おう。
人類のもつ力を使って、われわれ一人一人の人間性、尊厳、喜びを生み出すために、何をなすべきかを、われわれとともに見つけよう。
真の感情を表現するあなた個人の能力を、責任をもって自覚し、そうした感情の表現を通じでわれわれの結集をはかろう。
われわれにできることは、これらの変化を実際に生きることである。われわれは人間性に到達する道を頭で考え出すことなど、できはしない。われわれの一人一人が、またわれわれがともに生き、働いているグループのすべてが、われわれとして作り出したいと願う新しい時代のモデルとならなければならない。そして、生まれてくるであろう多くのモデルは、われわれの一人一人に、その中でならわれわれが自分の潜在的にもつ力を祝うことができるような―またもっと人間的な世界へ至る道を発見できるような―環境を提供するものでなければならない。
われわれは、この世界を過度に恵まれたものと恵まれないものとに分割している、時代遅れの社会的、経済的システムを打破するよう挑戦を受けている。われわれのすべてが、政治指導者であるか抗議活動家であるかを問わず、実業家であるか労働者であるかを問わず、また教授であるか学生であるかを問わず、共通の罪悪を分かち持っている。われわれは、どうすればわれわれの理想、われわれの社会構造に、必要な変化を起こしうるかを見出すことに失敗した。したがって、われわれの一人一人が、自らの非効率性と責任ある自覚の欠如を通して、全世界にわたる苦しみを引き起こす原因となっている。
われわれのすべてが、あるものは肉体的に、あるものは精神的に、またあるものは情緒的に欠陥をもっている。したがってわれわれは、協調して新しい世界を作るよう努めねばならない。破壊、憎悪、怒りのために残された時間などない。われわれは希望と喜びと祝祭の気持をもって建設に当たらねばならない。新しい豊富の時代を、自ら選んだワークと、自らの心の鼓動に従う自由とをもって迎えようではないか。いったん衣食住の必要が満たされた場合、自己完成を求め、あるいは詩や演劇に没入することも、人間にとって基本的なことであり、われわれは、われわれ自身の形成に貢献すると同時に、社会にとっても意味のあるいろいろな活動分野を選べるのだということを認めようではないか。
しかしわれわれはまた、われわれの自己完成へのはずみが、古めかしい、産業化時代の構造によってひどく妨げられていることをも認めざるを得ない。現在のわれわれは、人間のもつ力の絶えざる増大のインパクトによって束縛され、駆りたてられている。現在の諸システムは、われわれが技術的に可能などんな兵器体系をも発展させ、受け入れるよう強制する。また生産を増大し、コストを引き下げるような機械、施設、資材、供給面でのどのような改良をも発展させ、受け入れるよう強制する。さらには広告や消費者誘惑術を発展させ、受け入れるよう強制する。
市民は自分の運命を自分で管理しているのだとか、いろいろな決定を形成する基盤は道義性であるとか、テクノロジーは人を駆りたてる力ではなく、人の召使いであるとかいったことを市民に納得させるには、いまや情報を歪めることが必要である。大衆に充分な情報を与えるという理想は、強制された行動こそ、現実には望ましい行動なのだと大衆を説得する努力に席を譲った。
これらのますます複雑化する理由づけに際しての誤算や、それに伴うスキャンダルの結果、民間、公職を問わず政策決定者の誠実さに対する不安がますます増大しつつある。したがって、国家指導者、行政官、経営者、会社役員、労組幹部、教授、学生、両親といった役割を果たす人たちへの攻撃は、いかにも魅惑的に思える。しかしこうした個人に対する攻撃は、しばしばわれわれの直面する危機の真の性質をぼかしがちだ。それは何かといえば、人間が自分自身の破壊を激化させることに同意するよう強制する現在の諸システムの悪魔的性質である。
われわれはこれらの間化するシステムから逃れることができる。前進への道筋を見出すのは、一見したところあらゆる決定権を握っているかに見えるこの産業化時代の力や構造に反発し、その強制を受け入れようとしない人たちであろう。われわれの自由と力は、われわれが未来への責任を引き受ける意志があるかどうかによって決まってくる。
事実、未来はすでに現在のなかにふみこんできている。われわれはすべて、いろいろな時制の中に生きている。ある人の現在は、別の人の過去であり、もう一人の人の未来である。われわれは、未来が存在すること、そしてわれわれの一人一人が、もしその意志さえあれば、未来を呼びこんで過去のバランスを立て直すことができるのだということを知り、かつそのことを外部にも示しつつ生きるよう要請されているのである。
将来われわれは強制力や権威―階層序列的位置の基盤に立って、行動を要求できる力―の使用に終止符を打たなければなるまい。もしこの新しい時代の性質を一句で要約するとすれば、それは特権と専横の終焉ということになるだろう。
われわれは、われわれの抱える問題をパワー・バランスの移動によって、あるいはもっと効率的な官僚主義的機関を創設する努力によって、解決しようとするような企ては捨てねばならない。
われわれはあなたに、人間の成熟をめざすレースに参加するよう、未来を作り出すためにわれわれとともに働くよう呼びかける。われわれは、人間の冒険はまさに始まりつつあるところだと信じている。人類はこれまで、労苦に忙殺されていたため、自らの持つ革新的、創造的な力の形成を阻害されていたのだ、と。いまやわれわれは、望むだけ人間的になる自由をもつ。
他の人たちとの関係の心なごませる表現において、また自分自身の性質や必要をもっとしっかり認める面において、みんなが力を合わせてゆくことを通してのわれわれの人間性の視察は、明らかに現存するさまざまな価値、システムとの大がかりな対決を引き起こすことになろう。人それぞれの、また人と人との関係それぞれの尊厳性の増大は、当然現存する諸システムへの挑戦とならざるを得ない。
この呼びかけは、未来を生きようという呼びかけである。心楽しく力を合わせつつ、今日のわれわれの生活を、明日の未来の原型になしうる力があるのだという自覚を、ともに祝おうではないか。
イバン・イリイチ著『オルターナティブズ~制度改革の提唱』
(尾崎浩・訳、新評論、1985年)より