今日、この本を少し読んだ。
アン・ワイザー・コーネル・著
『やさしいフォーカシング~自分でできるこころの処方』
(大澤美枝子、日笠摩子・訳、諸富祥彦・解説、星雲社、1999年)
まえに
こんなこと書いちゃったけれど、どうも、そう簡単ではないようだ。
諸富祥彦・著『トランスパーソナル心理学入門』(講談社現代新書、1999年)には、
重要なのは、私の内側の一部=“それ”が、ハッキリした“悲しさ”というより、言葉やイメージになる以前の“あいまいな何か”として立ち現れる、ということです。
と書いてあったが、『やさしいフォーカシング』では、“あいまいな何か”を“フェルトセンス(felt-sense)”と呼んでいた。やっぱり、言葉やイメージになる以前の“あいまいな何か”であって、あゆタソのようにしゃべったりはしないようだ。_| ̄|○
ただ、フォーカシングが発見されるきっかけとなったユージン・ジェンドリン(シカゴ大学教授)の研究でひじょうに気になることがあった。彼は、心理療法が成功する場合と失敗する場合のちがいを調査するため、共同研究をおこなった。そのことが『やさしいフォーカシング』に書いてあった(13-14ページ)。
彼らが発見したのは、こういうことだったのです。治療が成功したクライエントは、面接のどこかで、話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始めます。そのテープを聴けば、何がこんなふうに言っているのが聞き取れるでしょう。「うーん、どう言ったらいいんでしょう。ちょうど、ここのところにあるんだけど。それは……あのー……それは……怒りっていうのとはちょっと違うし……うーん。」あるいは、クライエントは、しばしば、その感じをからだで感じるとも言います。例えば、「それは胸のここのところにあるんです」とか、「胃のあたりが、こう、何か変な感じがするんです」というような発言です。
つまり、成功したセラピーのクライエントたちは、面接の過程で直接からだで感じている、漠然とした、言葉では表現しにくい身体的な気づきがあったのです。それとは逆に、セラピーがうまくいかなかったクライエントたちは、面接の間ずっと言いよどむことなくすらすらと話しています。(後略)
つまり、成功した心理療法ではクライエントが“フェルトセンス(felt-sense)”を感じていたということなのだ。
そこで、気になったのが、
あの人のトロさである。何しろ、そのトロさと「あゆねぇ」でバカじゃないかといわれたくらいである。といっても、当時のビデオなんてあるわけもないので、こいつでチェックした。
浜崎あゆみ"HAMASAKI AYUMI"
この最初のところに、浜崎とavexの松浦専務はじめ浜崎担当の連中によるプロモーション・ビデオの解説があるんだが、トロい! トロすぎるぜ! この人、考えながら、しゃべるのね。ただ、外見からじゃ、やっぱりわかんないよ。
ぜんぜん、関係ないけど、最初の写真は"evolution"(2001/01/31)のプロモーション・ビデオのあゆタソ。このショートがめちゃカワイイことに気づいてしまった。どっかのファン・サイトのBBSでどの髪型がイイってカキコがあったけど、"evolution"のショートが(゜∀゜)イイ!っていう声多いのね。同感でつ。w