きときと日記

「きときと」とは富山の方言で「ぴちぴち(新鮮な)」という意味。きときとな日々の記録を更新中。

103歳になってわかったこと

2015-10-04 | 


今日は曇り空であまり気温が上がりませんでした。一日、のんびり過ごしました。図書館で借りて、篠田桃紅の「103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」を読みました。あちこちで紹介されていて、気になったので、予約して借りました。新書サイズの本です。大正2年生まれの美術家の作者は、今も第一線で製作しているそうです。生涯、一人身で家庭を持たず、どこの美術家団体にも所属しなかったという、自由な女性です。

短い話がたくさん並んで、読みやすい本です。ふんふんと読み進みました。一般的に良しとされていること、常識だと思われていることを、そんなことないと思う、と淡々と話す内容が、好きでした。

たとえば、漢字の「人」という字は二本の線が支え合って成り立っているというけれど、古来の甲骨文字では、「人」という字は一人で立っている形を表している。古来の「人」の方が本来の人の姿だと思う。最期まで、一人で立っている人でありたいと願う、という話は、くすっと笑えました。

また、規則正しい毎日がいい、とされているが、なにをもって「正しい」というのか。規則正しい生活が性に合う人もいるだろうし、計画を立てないとならない事情も、ときにはあるだろう。しかし、あんまりがんじがらめになると、何かを見過ごしたり、見失っても、そのことに気がつかない、という話も、なるほどと思いました。

さらに、雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいい。無駄にこそ、次のなにかが兆している。無駄はとても大事だ。無駄遣いをしてしまった、というときは、後悔しないようにしている、という話は、うんうんとうなづきながら読みました。

「その人が幸福と思えば幸福ですが、つまらない退屈な人生と思えば退屈です。長く生きてきて、いろいろな人に出会い、いろんな人の人生を見たり聞いたりしてきたけれど、どういう人の人生がいちばん幸福だったのか、いくら考えてもわかりません。自分の心が決める以外に、方法はありません。この程度で私はちょうどいいと自分の心が思えることが一番いいと思います。」そんな作者の言葉を胸に、私も淡々と?生きていきたいなあと思いました。

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