息子はいつも熱と闘っていた

2019年02月15日 | 日記
おとといのブログで、息子に私の溶連菌が遷ったのでは?と書いたが、確かに体調がイマイチだが昨日は無事にテストもバイトもして来て安心した。

大人のくせに、私はなんでこんなにも溶連菌にかかりやすいのだろう。

息子が何かで見たそうだが、大人の5%が溶連菌を持っていて、免疫が弱ると発症するのだとか。

えー…

だってこれから私はどんどんババアになっていくのだよ。
免疫力が強くなっていくとは思えないよ。

度々こんなツラい症状を発症するなんて嫌だよ。

姑の介護をしていくってのに寝込んでいられないよ。


それにしても赤ちゃんの頃からしょっちゅう熱を出していた息子が、なぜか溶連菌にはかかったことがない。

そんな話をしたら、

「かかっていたと思うよ」

と、息子。

「え?言われたことは無いよ」

と言うと、

「検査してた?」

と言われ、息子の小さい頃からのことを振り返ってみた。

・・・

あ。

当時、息子に熱が出ると、私は一番近い小児科病院に連れて行っていた。

その病院は古くから在る病院で、70代ぐらいの(良く言えば)超ベテラン女性医師がしていた。

髪を明るく染め、化粧バッチリで洋服は派手めなちょっと個性的なお婆ちゃん医者。

話し方が感じ悪いと言う人もいて、賛否両論だったが、そこそこ流行っていた。

それに息子にいつも優しくしてくれたし、私は嫌ではなかった。

しかし考えてみれば設備は整っていなく、毎度高熱が出ても血液検査をするわけでもないし、喉の検査をするでもなかった。

聴診器をあて、ペンライトみたいな物で喉を見て、「咽頭炎だね」だった。

そんな繰り返しが多く、しょっちゅう通院していた。

息子が言うとおり、もしかしたらあの頃たびたび溶連菌になっていたのかもしれない。

それでも毎回ガッツリ抗生剤は出た。

小さい頃とにかく抗生剤漬けになったが、それも本当は良くないと思う。

まあ、明らかに重い症状の時はもっと大きい病院に連れて行ったが。


中学に入り、息子の様子に異変が出た。

たびたび過呼吸になって倒れたり、熱が数分間の中でも36℃から38℃に上がり下がりするようになったり、常に胸が苦しくなったり頭がフラフラしたり…

そんな症状をいつものお婆ちゃん医者にはわかるはずもなく、あっちこっちの病院に行って診てもらったが「バスケ部活動での過労」のひとこと。

そんなんじゃ腑に落ちないと思って総合病院に行って検査をして、やっと「起立性調節障害」という診断がついた。

確かに発症の原因は、バスケ部での「シゴキ」だった。


「大丈夫。これはいつか治る病気だからね」

と力強く、そして優しく励ましてくれた30代ぐらいの男性医師の言葉。

私も息子も涙が出そうなほどありがたかった。

それから6年間、体調の不安定さと付き合いながら毎日薬を飲んできた。

大学に入っても最初の頃は飲んでいたが、

「あれ?もしかしたら俺、治ったかもしれない」

と言って、今は完全に飲んでいない。



それにしてもお婆ちゃん医師は元気かな。

町医者として、まだ頑張って欲しいな。

あ、でもそこに通院する人は、軽い風邪専門病院だと思って行ってください。












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