今回のカルバヨグでの生活も今日が最終日。
明日の早朝から、レイテ島北西部のビリヤバという町を訪ねます。
大戦当時、最大の激戦地だったレイテ島では、10万人以上の日本兵が死にました。米軍やゲリラなどに追われ山中を彷徨した日本兵たちが最後に集結しようとしたのが、ビリヤバの東にあるカンギポット山(現地名ブガブガ山)でした。リモン峠からこのブガブガ山にかけて3万人以上の日本兵が死んだと言われています。戦死というよりは、飢餓地獄に陥って凄惨な最後を迎えた兵士たちがほとんどだったようです。
(私がこだわり続けている京都の陸軍第16師団も、レイテとサマールで壊滅しました。この2つの島に派遣された16師団の1万9千人の兵士のうち生還者はわずか580名といいます。)
ソルソゴンの村でその話をしていると、なんと親しくしているオポックの奥さんのテスさんがこのビリヤバの出身だというのです。今も彼女の両親や親戚たちが暮らしているそうです。
昨秋から何度もビリヤバに行こうとしたのですが、いつも急用ができたりして行けませんでした。今回、やっと時間がとれました。明日から、レイ、オポックと3人でビリヤバの町にでかけ、地域のお年寄りから戦争当時の話を聞いた後、ブカブカ山にも登ってくるつもりです。
また、ビリヤバの少し北の町、サン・イシドロには、今も引き潮時には、海に沈んだ日本の艦船のマストが見えるそうですので、そこにも足を延ばす予定です。
ビリヤバで2泊、タクロバンで1泊した後、そのまま6日にマニラを経由して日本に帰ります。
タクロバンで泊まるのは、やはりあのホテルアレハンドロ。2005年12月26日の「チョイさんのサマール便り」(http://kyoto-samar.hp.infoseek.co.jp/newpage162.htm
でも報告した「戦地のピアニスト」のホテルです。オーナーのアレックスさんとの再会が楽しみです。
私が平成10年から昨年8月までに7回巡拝しました
泉師団遺族会は45年から今年まで60数回延べ2,0000人が巡拝しています。昭和50年代には第1師団 第16師団
の遺族会と協力して現地ガイド、お世話になる方々を
日本に招待しました。カンギポット近くのシラドで
戦死した父を想い、散華された部隊将兵の慰霊に尽くして活動しています。