旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

ハ行転呼と唇音退化

2017年12月14日 20時44分33秒 | エッセイ
ハ行転呼と唇音退化

 婆々はババ。上古よりババさまの呼び名は変わらない。じゃあお母さんは? ハハはパパだった。えっ!じゃあパパ、もとい父は? 父はtiti(ティティ)で祖父(ジジ)はdidi(ディディ)だった。そして祖母(ババ)は不動のババ。
 奈良・平安の世の日本語は発音が今より多く、母音もアイウエオの他に少なくとも、ゑ(ヱ,we)/ゐ(ヰ,wi)/を(ヲ,wo)があった。ゐゑ が、いえ に合流するのは鎌倉時代、を は江戸初期まで使われていた。辺境の地に古代の発音が方言として残っていることは多い。南西諸島の一つでは、火をピーと言う。
 上古、ハヒフヘホはパピプペポと発音されていた。ピノモト一の武芸者、ピヨ子にピカリ(光)、パナ(花)にカピ(貝)。これポント。これが奈良・平安になるとファフィフフェフォになる。ファファ上(うへ)、フェイケ物語、フィカル源氏。これがハ行転呼だ。語頭以外(語中および語尾)のハ行音がワ行に変化する現象をいう。
 当初、ハ行の子音は破裂音の【p】パ行、後に摩擦音の【Φ】ファフィフフェフォ、そして現在の【w】ワ行になる。唇をしだいに使わなくなるので、唇音退化と言う。昔のナゾナゾにこんなのがある。母には二度会うが、父には一度も会わないものは何?答えは唇。仮名遣いにもその痕跡は残っている。かは(川)こひorこゐ(恋)うへ(上)かほ(顔)。
 いい加減な事云うなよ。証拠でもあるんか。録音テープ出してもらおうかい。

 9世紀にひらがな、カタカナが作られる以前は、漢字を発音記号として大和言葉に当て嵌めていた。日本に文字が無かったからね。五十音(もっと多かった)に対応する漢字は一つではないが、決まりがあって無差別には使われない(上代特殊仮名遣い)。なので大和言葉に対応する漢字を見ると、上代の発音が類推できるのだ。
 ハ行の万葉仮名には、「香・海」(h音系の頭子音をもつ中国漢字音、香港・上海ですな)ではなく、「波・比・布・辺」などの字(p音系の頭子音)が使われている。日本で「香・海」がk音で表示されているのは、上代の日本語にh音が存在しなかったからだ。中国語のh音を音響的に近いk音として聞いたらしい。へー、昔々の日本語、h音が無かったの。まるでEspañol(スペイン語)だね。
 スペイン語ではhは発音しない。hは無いも同じだ。Hotel(オテル)、本田も恩田もオンダ、現代(Hyundai)はユンダイ。スペイン、中南米のホテルでは気を付けなさい。シャワーの蛇口から熱湯が出るか、冷水が出るかは分からない。蛇口のHはHotではなく、CはCoolだとは限らない。CはCaliente(熱い)だと職人が思えば、適当に取り付ける。やけどしないようにね。
 中世、室町・戦国時代になると、ポルトガルの宣教師(イエズス会)がやって来る。戦国の世で最盛期の日本のカトリック信者(切支丹)は40万人(日本の総人口1,200~1,500万人)に達した。イエズス会の坊主は熱心に日本語を学び、『日葡辞書』(日本・ポルトガル辞典)、『落葉集』(漢字辞典)、『日本語文典』(文法書)を作成した。信者向けには、イソップ物語の翻訳、エソポのハブラス(天草版伊曾保物語)、本国では『平家物語』の翻訳・出版を行った。これはいいね。当時の日本語の発音が分かるね。
 カッパ頭の坊主共、大したもんだ。彼らの本国への報告書によって、信長の生き生きとした人物像が浮かび上がる。やっぱり女にもてることを放棄したら、勉強がはかどるんかな。ポルトガル/スペインはしだいに海洋国家としての活力を失い、代わりにイギリス/オランダが台頭してくる。鎖国をしていた江戸時代を通して、幕府はキリスト教抜きでオランダと細々と交易を続けるのはご存知の通り。

 言葉って変わってゆくんだね。南米の話でこんなのがあった。アマゾンの滅びゆくインディオの種族の最後の男二人が月夜の晩、小屋の中で盛んに会話をしている。その言葉は、周辺の他部族のインディオには全く理解できない。二人の内、どちらか一人が死んだら、民族として滅びる前に、彼らの言葉は永遠に失われる。子をなして継承する可能性はゼロではないが、考えにくい。

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