しゃかしゃか母、旅に出ました第二弾!

旅行に出掛けた記録(ほぼ韓国)です
2015年~駐名古屋大韓民国総領事館SNSサポーターズ1期メンバーとして活動中!

【馬町から七条河原町バス停まで歩く】娘3号と2人京都旅⑧2021/11/15

2021年12月31日 | 2021/11娘3号と京都1泊
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今年中にこの京都旅行記を終わらせようと思っていましたが、
どうやら年をまたぎそうです 
長々と申し訳ないですが、最後まで書き上げたいと思っています 

… … … … …

『市川屋珈琲』 で、美味しいフルーツサンドとコーヒーを

堪能した後、先ほどのバス停に戻りバスに乗車するか、

違う方向に歩くかで、しばし悩みました。



が、京都の路地を見ていたら歩きたくなり

そこに人が暮らしているであろう生活感がたっぷり漂う

路地を歩き始めました。



私が生まれ育った町にもこんな感じの路地が

多くありました。 

ここは 「大黒町通」 だと思われます。

かくれんぼをしたり、地面にチョークで絵を描いたり…



少し開けた場所に出ると、そこにこんもりとした

一見、古墳かと思われる塚があり、



その前にこんな立て看板がありました。

「この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに
大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻した
いわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592~1598年)に
かかる遺跡である。
秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級の代わりに、
朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。
それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、
供養の儀がもたれたという。
これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりである。
「耳塚(鼻塚)」は、史跡「御土居」などとともに
京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、
塚の上に立つ五輪の石塔は、その形状がすでに
寛永2年(1643)の古絵図にみとめられ、
塚の築成から程ないころの創建と思われる。
秀吉が引き起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の
根強い抵抗によって敗退に終わったが、
戦役が遺したこの「耳塚(鼻塚)」は、
戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として、今に伝えている。」



「正面橋」 で 「鴨川」 を渡って



この辺りの街路樹もきれいに紅葉していましたよ。



遠くに 「七条大橋」 が見えています。



橋を渡りきった先の路地に 「眼科・外科医療器具歴史博物館」 を

見つけました。

帰宅後調べてみたら、予約しておけば内部を見学できるようです。



先をどんどん進んで、情緒のある 「高瀬川」 を渡り、



「紺屋町」 辺りの路地を歩き、



「七条河原町」 のバス停前まで出てきました。

このバス停の後ろの趣のある建物は 『カイカドウ カフェ』

入ってみたかったものの、お腹に余裕がなく諦めました。



次回、京都にお邪魔したときには絶対チャレンジしたいです。

【カイカドウ カフェ(Kaikado Cafe)】
京都府京都市下京区河原町通七条上ル住吉町352
営業時間 : 11:00~18:30(L.O.18:00)
定休日 : 木曜日・第1水曜日、不定休 ※公式サイトに営業日カレンダーあり
ホームページ → こちら


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