前回も書いたが、先代旧事本紀の国造本紀の系図は、記紀などの他の資料で確認できるものが多い。
今回はかなり長くなるが、関東の国造に関する情報を、まとめてみる事にする。
先ず、先代旧事本紀の国造本紀の中で、関東の国造がどのように書かれているか、系統ごとに整理してみよう。
无邪志 武蔵 成務 出雲臣の祖の二井之宇迦諸忍之神狭命の十世孫の兄多毛比命を国造に定めた
胸刺 武蔵 岐閉国造の祖の兄多毛比命の子の伊狭知直を国造に定めた
菊麻 上総 成務 无邪志国造の祖の兄多毛比命の子の大鹿国直を国造に定めた
相武 相模 成務 武刺国造の祖の伊勢都彦命の三世孫の弟武彦命を国造に定めた
上海上 上総 成務 天穂日命の八世孫の忍立化多比命を国造に定めた
下海上 下総 応神 上海上国造の祖の孫の久都伎直を国造に定めた
阿波 安房 成務 天穂日命の八世孫の弥都侶岐命の孫の大伴直大瀧を国造に定めた
伊甚 上総 成務 安房国造の祖の伊許保止命の孫の伊己侶止直を国造に定めた
新治 常陸 成務 美都呂岐命の子の比奈羅布命を国造に定めた
高 常陸 成務 弥都侶岐命の孫の弥佐比命を国造に定めた
茨城 常陸 応神 天津彦根命の孫の筑紫刀祢を国造に定めた
師長 相模 成務 茨城国造の祖の建許呂命の子の意富鷲意弥命を国造に定めた
須恵 上総 成務 茨城国造の祖の建許侶命の子の大布日意弥命を国造に定めた
馬来田 上総 成務 茨城国造の祖の建許侶命の子の深河意弥命を国造に定めた
道口岐閉 常陸 応神 建許侶命の子の宇佐比刀祢を国造に定めた
筑波 常陸 成務 忍凝見命の孫の阿閉色命を国造に定めた
上毛野 上野 崇神天皇の皇子の豊城入彦命の孫の彦狭嶋命は、東の十二国を平らげ国造に封ぜられた
下毛野 下野 仁徳 毛野国を分けて上毛野・下毛野とし、豊城命の四世孫の奈良別を国造に定めた
那須 下野 景行 建沼河命の孫の大臣命を国造に定めた
久自 常陸 成務 物部連の祖の伊香色雄命の三世孫の船瀬足尼を国造に定めた
武社 上総 成務 和邇臣の祖の彦意祁都命の孫の彦忍人命を国造に定めた
印波 下総 応神 神八井耳命の八世孫の伊都許利命を国造に定めた
仲 常陸 成務 伊予国造と同祖の建借馬命を国造に定めた(伊余国造は印幡国造と同祖とある)
知々夫 武蔵 崇神 八意思金命の十世孫の知々夫命を国造に定め、大神をお祀りした
関東以外でも、兄多毛比の子孫は「波伯(伯耆)・大嶋」で国造になっている。
同様に、建許呂自身が「石城」で、建許呂の子孫が「道奥菊多・石背・周防」で、国造になっている。
次に、記紀や風土記に、関東の国造について、どのような情報があるのかみてみよう。
古事記で、関東の国造について書かれているのは、次の10カ国である。(上毛野君のように国造という言葉が無いものも含む)
天穂日の子孫 无邪志・上菟上(上海上)・下菟上(下海上)・伊自牟(伊甚)
天津彦根の子孫 馬来田・道尻岐閇(道口岐閉)
神八井耳の子孫 常道仲(仲)
天押帯日子の子孫 牟邪(武社)
豊城入彦の子孫 上毛野・下毛野
日本書紀には、全30巻の他に、現在では失われた系図1巻があったとされる。そのためか、古事記に比べ子孫の記載が少ない。
日本書紀で確認できるのは、上毛野・下毛野ぐらいである。
常陸国風土記には、次の5カ国について、国造の由来が書かれている。
新治 崇神天皇の時、東夷の荒賊を討つため、新治国造の祖の比奈良珠命を遣わした。
筑波 筑波の県は古くは紀の国といった。崇神天皇の時、采女臣の友属の筑箪(つくは)命を紀の国造として派遣した。
筑箪命は「自分の名を国につけて、後代に伝へたい」といって、国名を筑波と改めた。
茨城 茨城国造初祖の多祁許呂命は、神功皇后朝に応神天皇誕生の時まで仕えた。
多祁許呂命には8人の子がいた。中男の筑波使主は、茨城郡湯坐連等の初祖である。
那賀(仲) 崇神天皇の時、東垂の荒賊を平らげようと、建借間命を遣わした。これは那賀国造の初祖である。
多珂(高) 成務天皇の時、建御狭日命を多珂国造に任じた。・・・建御狭日命は出雲臣と同属である。
この内の、新治・茨城・仲・高の4カ国は、漢字表記などの違いはあるが、国造本紀の内容と合致する。
また、下に示す「筑箪ー忍凝見ー建許呂」という系図も伝わっており、これが正しければ、筑波も、国造本紀と矛盾しない。
このような古い文献だけでなく、現代に伝わる系図からも、国造本紀の内容を確かめる事が出来る。
武蔵国の一宮だった氷川神社には、現在三つの社家がある。下の系図はその内の1つの西角井家に伝わるものである。
(途中で娘婿が跡を継いだり、養子を取ったりしており、天穂日から男系で現在まで続いている訳ではない。)
「埼玉叢書(第3巻)」という本の中で、明治初期までの西角井家の詳しい系図を見る事ができる。
天穂日 ー 天夷鳥 ーーー 伊佐我(出雲国造等祖)
l
lー 出雲建子 ー 神狭 ー 身狭耳 ー 五十根彦 ー 天速古 ー 天日古曽乃已呂 →→
(伊勢都彦)
→→ 忍兄多毛比 ー 若伊志治 ーーー 兄多毛比(成務朝に无邪志国造・氷川の神の祭主)
l
lー 乙多毛比(別名:弟多気彦・成務朝に相武国造)
この系図では、无邪志国造と相武国造が同祖とする国造本紀の記述を確認する事ができる。
ただし、「二井之宇迦諸忍之神狭命の十世孫の兄多毛比命」「伊勢都彦命の三世孫の弟武彦命」という世代数とは、ズレがある。
また、注書きに、「出雲建子の別名は伊勢都彦で、始め伊勢国の度会にいたが神武天皇の時に東国へ来た」と書かれている。
他にも、関東国造に関する系図は、いろいろな所に伝わっているようだが、系図の専門家でなければ調べ上げる事はできない。
そこで、1つ1つの生の系図ではなく、複数の系図をまとめて出来たものを紹介する事にする。
系図の収集・編纂の分野では、江戸末期から明治時代の鈴木眞年氏の功績が大きいようである。
鈴木眞年氏の著書としては、「諸系譜」「百家系図稿」が代表的なようだが、どちらも非常に古くて簡単には見られない。
そこで、ここでは「古代氏族系譜集成」(宝賀寿男)という本を利用する事にする。
この本では、「諸系譜」「百家系図稿」やその他の系図を、さらにまとめて1つにしたものを載せている。
以下に示す3つの系図は、「古代氏族系譜集成」記載の系図から、国造に関係する部分を抜き出したものである。
また、名前が似ていてややこしいが、「古代豪族系図集覧」(近藤敏喬 )という本もある。
「古代氏族系譜集成」等から、系図の重要な部分を集めたものであり、こちらの方が入手しやすいかも知れない。
下の1つ目の系図は、「古代豪族系図集覧」でも、建御狭日の子以外は見る事ができる。
また、3つ目の系図も「筑箪ー忍凝見ー建許呂」までは、「古代豪族系図集覧」に書かれている。
先ずは、「関東の天穂日の子孫の系図」を紹介しよう。
この系図では、国造本紀に書かれた、関東の10カ国全てが確認できる。また、国造本紀にはない、千葉国造の名前も見られる。
天穂日 ー 天夷鳥 ーーー 伊佐我(出雲国造家の本流)
l
lー 出雲建子 ー 神狭 ー 身狭耳 ー 五十根彦 ー 美都呂岐 →→
→→ ーーーー 比古曽乃凝 ーーー 建御狭日(高国造) ーーー 兄狭日直(多珂国造)
l lー 伊已侶止直(伊甚国造)
l lー 大滝直(安房国造)
l
lーー 忍立化多比 ーーー 兄多毛比(武蔵国造) ーーー 荒田比乃宿禰(武刺国造) →→(武蔵国造本流)
l l lー 大鹿国直(菊麻国造)
l l lー 穴倭古直(大島国造)
l l lー 大八木直(伯岐国造)
l l
l lー 忍立毛比(上海上国造)ー 五十狭茅宿禰 ーーー 長止古直(上海上国造)
l l lー 久都伎直(下海上国造)
l l lー 武多乃直(千葉国造)
l lー 弟武彦(相武国造)
l
lーー 比奈良珠(新治国造)
この系図は、複数の系図を、何段階かの作業を経て、1つにまとめたものである。
「古代氏族系譜集成」の注釈にもあるが、元となった系図ごとに、部分的な違いがある。
その中でも特に重要なのが、国造本紀にも名前が登場する「美都呂岐」までの部分である。
上の系図では、美都呂岐は出雲建子の子孫となっているが、美都呂岐が出雲の本流の子とされている系図もある。
それが、次に示す、「出雲国造家の本流の系図」である。美都呂岐の名が、出雲振根や飯入根と近い所にある。
(瓱という字は、瓦へんに長)
天穂日 ー 天夷鳥 ーーー 伊佐我 ー 都我利 ー 櫛瓱前 ー 櫛月 ー 櫛瓱鳥海 ー 櫛田 →→
l
lー 出雲建子
→→ 知理 ー 世毛呂須 ーーー 阿多 ーーー 出雲振根
l lー 飯入根 →→(出雲国造家の本流)
l lー 甘美乾飯根 ー 野見宿禰(土師氏・菅原氏等祖)
l
lー 美都呂岐 ーーー 比古曽乃凝
lー 忍立化多比
lー 比奈良珠
最後は、「天津彦根の子孫の系図」である。
この系図の注書きには、「建許呂が、日本武尊が東夷を征する時に随従した」とある。
天津彦根 ー 天御影 ー 意富伊我都 ーーー 彦伊賀都 ー 天夷沙比止 ー 川枯彦 →→
lー 阿多根(山背国造祖)
lー 彦己曽根(凡河内国造等祖)
→→ 坂戸毘古 ーーー 国忍冨 ーーー 大加賀美 ーーー 鳥鳴海 ー 八倉田 →→(近江の三上氏の本流)
l l l
l l lー 速都鳥(穴門国造)
l lー 水穂真若
l l
l lー 筑箪 ー 忍凝見 ーーー 建許呂 ーーー 意冨鷲意弥(師長国造)
l l l lー 大布日意弥(須恵国造)
l lー 加志岐弥 l lー 深川意弥(馬久田国造)
l l lー 建弥依米(石背国造)
l l lー 筑波使主(茨城国造)
l l lー 屋主刀祢(菊多国造)
l l lー 宇佐比刀祢(道口岐閉国造)
l l lー 加米乃意美(周防国造)
l l
l lー 阿閉色(筑波国造)
l
lー 建勝日 ー 意美津奴彦(甲斐国造)
今回はかなり長くなるが、関東の国造に関する情報を、まとめてみる事にする。
先ず、先代旧事本紀の国造本紀の中で、関東の国造がどのように書かれているか、系統ごとに整理してみよう。
无邪志 武蔵 成務 出雲臣の祖の二井之宇迦諸忍之神狭命の十世孫の兄多毛比命を国造に定めた
胸刺 武蔵 岐閉国造の祖の兄多毛比命の子の伊狭知直を国造に定めた
菊麻 上総 成務 无邪志国造の祖の兄多毛比命の子の大鹿国直を国造に定めた
相武 相模 成務 武刺国造の祖の伊勢都彦命の三世孫の弟武彦命を国造に定めた
上海上 上総 成務 天穂日命の八世孫の忍立化多比命を国造に定めた
下海上 下総 応神 上海上国造の祖の孫の久都伎直を国造に定めた
阿波 安房 成務 天穂日命の八世孫の弥都侶岐命の孫の大伴直大瀧を国造に定めた
伊甚 上総 成務 安房国造の祖の伊許保止命の孫の伊己侶止直を国造に定めた
新治 常陸 成務 美都呂岐命の子の比奈羅布命を国造に定めた
高 常陸 成務 弥都侶岐命の孫の弥佐比命を国造に定めた
茨城 常陸 応神 天津彦根命の孫の筑紫刀祢を国造に定めた
師長 相模 成務 茨城国造の祖の建許呂命の子の意富鷲意弥命を国造に定めた
須恵 上総 成務 茨城国造の祖の建許侶命の子の大布日意弥命を国造に定めた
馬来田 上総 成務 茨城国造の祖の建許侶命の子の深河意弥命を国造に定めた
道口岐閉 常陸 応神 建許侶命の子の宇佐比刀祢を国造に定めた
筑波 常陸 成務 忍凝見命の孫の阿閉色命を国造に定めた
上毛野 上野 崇神天皇の皇子の豊城入彦命の孫の彦狭嶋命は、東の十二国を平らげ国造に封ぜられた
下毛野 下野 仁徳 毛野国を分けて上毛野・下毛野とし、豊城命の四世孫の奈良別を国造に定めた
那須 下野 景行 建沼河命の孫の大臣命を国造に定めた
久自 常陸 成務 物部連の祖の伊香色雄命の三世孫の船瀬足尼を国造に定めた
武社 上総 成務 和邇臣の祖の彦意祁都命の孫の彦忍人命を国造に定めた
印波 下総 応神 神八井耳命の八世孫の伊都許利命を国造に定めた
仲 常陸 成務 伊予国造と同祖の建借馬命を国造に定めた(伊余国造は印幡国造と同祖とある)
知々夫 武蔵 崇神 八意思金命の十世孫の知々夫命を国造に定め、大神をお祀りした
関東以外でも、兄多毛比の子孫は「波伯(伯耆)・大嶋」で国造になっている。
同様に、建許呂自身が「石城」で、建許呂の子孫が「道奥菊多・石背・周防」で、国造になっている。
次に、記紀や風土記に、関東の国造について、どのような情報があるのかみてみよう。
古事記で、関東の国造について書かれているのは、次の10カ国である。(上毛野君のように国造という言葉が無いものも含む)
天穂日の子孫 无邪志・上菟上(上海上)・下菟上(下海上)・伊自牟(伊甚)
天津彦根の子孫 馬来田・道尻岐閇(道口岐閉)
神八井耳の子孫 常道仲(仲)
天押帯日子の子孫 牟邪(武社)
豊城入彦の子孫 上毛野・下毛野
日本書紀には、全30巻の他に、現在では失われた系図1巻があったとされる。そのためか、古事記に比べ子孫の記載が少ない。
日本書紀で確認できるのは、上毛野・下毛野ぐらいである。
常陸国風土記には、次の5カ国について、国造の由来が書かれている。
新治 崇神天皇の時、東夷の荒賊を討つため、新治国造の祖の比奈良珠命を遣わした。
筑波 筑波の県は古くは紀の国といった。崇神天皇の時、采女臣の友属の筑箪(つくは)命を紀の国造として派遣した。
筑箪命は「自分の名を国につけて、後代に伝へたい」といって、国名を筑波と改めた。
茨城 茨城国造初祖の多祁許呂命は、神功皇后朝に応神天皇誕生の時まで仕えた。
多祁許呂命には8人の子がいた。中男の筑波使主は、茨城郡湯坐連等の初祖である。
那賀(仲) 崇神天皇の時、東垂の荒賊を平らげようと、建借間命を遣わした。これは那賀国造の初祖である。
多珂(高) 成務天皇の時、建御狭日命を多珂国造に任じた。・・・建御狭日命は出雲臣と同属である。
この内の、新治・茨城・仲・高の4カ国は、漢字表記などの違いはあるが、国造本紀の内容と合致する。
また、下に示す「筑箪ー忍凝見ー建許呂」という系図も伝わっており、これが正しければ、筑波も、国造本紀と矛盾しない。
このような古い文献だけでなく、現代に伝わる系図からも、国造本紀の内容を確かめる事が出来る。
武蔵国の一宮だった氷川神社には、現在三つの社家がある。下の系図はその内の1つの西角井家に伝わるものである。
(途中で娘婿が跡を継いだり、養子を取ったりしており、天穂日から男系で現在まで続いている訳ではない。)
「埼玉叢書(第3巻)」という本の中で、明治初期までの西角井家の詳しい系図を見る事ができる。
天穂日 ー 天夷鳥 ーーー 伊佐我(出雲国造等祖)
l
lー 出雲建子 ー 神狭 ー 身狭耳 ー 五十根彦 ー 天速古 ー 天日古曽乃已呂 →→
(伊勢都彦)
→→ 忍兄多毛比 ー 若伊志治 ーーー 兄多毛比(成務朝に无邪志国造・氷川の神の祭主)
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lー 乙多毛比(別名:弟多気彦・成務朝に相武国造)
この系図では、无邪志国造と相武国造が同祖とする国造本紀の記述を確認する事ができる。
ただし、「二井之宇迦諸忍之神狭命の十世孫の兄多毛比命」「伊勢都彦命の三世孫の弟武彦命」という世代数とは、ズレがある。
また、注書きに、「出雲建子の別名は伊勢都彦で、始め伊勢国の度会にいたが神武天皇の時に東国へ来た」と書かれている。
他にも、関東国造に関する系図は、いろいろな所に伝わっているようだが、系図の専門家でなければ調べ上げる事はできない。
そこで、1つ1つの生の系図ではなく、複数の系図をまとめて出来たものを紹介する事にする。
系図の収集・編纂の分野では、江戸末期から明治時代の鈴木眞年氏の功績が大きいようである。
鈴木眞年氏の著書としては、「諸系譜」「百家系図稿」が代表的なようだが、どちらも非常に古くて簡単には見られない。
そこで、ここでは「古代氏族系譜集成」(宝賀寿男)という本を利用する事にする。
この本では、「諸系譜」「百家系図稿」やその他の系図を、さらにまとめて1つにしたものを載せている。
以下に示す3つの系図は、「古代氏族系譜集成」記載の系図から、国造に関係する部分を抜き出したものである。
また、名前が似ていてややこしいが、「古代豪族系図集覧」(近藤敏喬 )という本もある。
「古代氏族系譜集成」等から、系図の重要な部分を集めたものであり、こちらの方が入手しやすいかも知れない。
下の1つ目の系図は、「古代豪族系図集覧」でも、建御狭日の子以外は見る事ができる。
また、3つ目の系図も「筑箪ー忍凝見ー建許呂」までは、「古代豪族系図集覧」に書かれている。
先ずは、「関東の天穂日の子孫の系図」を紹介しよう。
この系図では、国造本紀に書かれた、関東の10カ国全てが確認できる。また、国造本紀にはない、千葉国造の名前も見られる。
天穂日 ー 天夷鳥 ーーー 伊佐我(出雲国造家の本流)
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lー 出雲建子 ー 神狭 ー 身狭耳 ー 五十根彦 ー 美都呂岐 →→
→→ ーーーー 比古曽乃凝 ーーー 建御狭日(高国造) ーーー 兄狭日直(多珂国造)
l lー 伊已侶止直(伊甚国造)
l lー 大滝直(安房国造)
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lーー 忍立化多比 ーーー 兄多毛比(武蔵国造) ーーー 荒田比乃宿禰(武刺国造) →→(武蔵国造本流)
l l lー 大鹿国直(菊麻国造)
l l lー 穴倭古直(大島国造)
l l lー 大八木直(伯岐国造)
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l lー 忍立毛比(上海上国造)ー 五十狭茅宿禰 ーーー 長止古直(上海上国造)
l l lー 久都伎直(下海上国造)
l l lー 武多乃直(千葉国造)
l lー 弟武彦(相武国造)
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lーー 比奈良珠(新治国造)
この系図は、複数の系図を、何段階かの作業を経て、1つにまとめたものである。
「古代氏族系譜集成」の注釈にもあるが、元となった系図ごとに、部分的な違いがある。
その中でも特に重要なのが、国造本紀にも名前が登場する「美都呂岐」までの部分である。
上の系図では、美都呂岐は出雲建子の子孫となっているが、美都呂岐が出雲の本流の子とされている系図もある。
それが、次に示す、「出雲国造家の本流の系図」である。美都呂岐の名が、出雲振根や飯入根と近い所にある。
(瓱という字は、瓦へんに長)
天穂日 ー 天夷鳥 ーーー 伊佐我 ー 都我利 ー 櫛瓱前 ー 櫛月 ー 櫛瓱鳥海 ー 櫛田 →→
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lー 出雲建子
→→ 知理 ー 世毛呂須 ーーー 阿多 ーーー 出雲振根
l lー 飯入根 →→(出雲国造家の本流)
l lー 甘美乾飯根 ー 野見宿禰(土師氏・菅原氏等祖)
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lー 美都呂岐 ーーー 比古曽乃凝
lー 忍立化多比
lー 比奈良珠
最後は、「天津彦根の子孫の系図」である。
この系図の注書きには、「建許呂が、日本武尊が東夷を征する時に随従した」とある。
天津彦根 ー 天御影 ー 意富伊我都 ーーー 彦伊賀都 ー 天夷沙比止 ー 川枯彦 →→
lー 阿多根(山背国造祖)
lー 彦己曽根(凡河内国造等祖)
→→ 坂戸毘古 ーーー 国忍冨 ーーー 大加賀美 ーーー 鳥鳴海 ー 八倉田 →→(近江の三上氏の本流)
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l l lー 速都鳥(穴門国造)
l lー 水穂真若
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l lー 筑箪 ー 忍凝見 ーーー 建許呂 ーーー 意冨鷲意弥(師長国造)
l l l lー 大布日意弥(須恵国造)
l lー 加志岐弥 l lー 深川意弥(馬久田国造)
l l lー 建弥依米(石背国造)
l l lー 筑波使主(茨城国造)
l l lー 屋主刀祢(菊多国造)
l l lー 宇佐比刀祢(道口岐閉国造)
l l lー 加米乃意美(周防国造)
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l lー 阿閉色(筑波国造)
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lー 建勝日 ー 意美津奴彦(甲斐国造)