北村タカトシ(旧ブログ)

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今年を振り返って

2012年12月31日 | 大村市議会議員の日々
今年もあと数時間です。

年越しは毎年恒例、富松神社の氏子青年会活動。
今年もソバ係りです。ご参拝をお待ちしてます。

どんな年だったかを総括しないと前には進めない、ということでジャンル別に。


・議会活動

議会に送って頂いて4月で1年。

議員経験が1年ごときじゃまだまだヒヨッコ、と言われそうですが、初心者マーク的な言い訳も通用しないかと。

今年も全ての議会に一般質問に立たせて頂きました。
毎回それなりに準備をするのですが、ムラあったのは確か。
もっと綿密に練り上げなければいけない、と反省すべき事もありました。

「できていない事」をしっかりと見つめ、それを解消するために学習をしなければなりません。

ただ、本当に良い経験をさせていただいたのは9月議会。

修正動議を連名で提出、質疑にて答弁させて頂いた事は本当に勉強になった。

詳細はコチラ


初の修正動議、質疑(一部)、討論.wmv



民主主義は多数決。

その現実を突きつけられた議会でもありました。


常任委員会は建設環境委員会。

まったくの門外漢で、聞く事見る事初めての事ばかり。
いまさら聞けない的な質問が多かったと思いますが、丁寧に応対頂いた職員の皆さんに感謝。

本町アパートの議案については、ヒートアップしてしまう事が多かった。
そんな反省も踏まえつつ、今後の議会活動に活かしていきたいと思います。

議会運営委員会では議会運営のイロハが更に勉強になりましたし、地場産業調査特別委員会では副委員長職を仰せつかりました。
中小企業振興基本条例制定に向けてもうひと押しやらなければいけない事がありそうです。

委員会の所属期間は二年ですので来年4月で改編となります。
次の所属が何処になるかはまだ分かりませんが、新しい分野の勉強もさせて頂きたいと思っています。

そうそう初めての活動報告書を作成しました。
今のころペーパーだけしか配布してません。

もらってないよ~って方はお気軽にご連絡くださいね。


・JC

主なトピックは夏越まつり担当と九州地区協議会出向。

夏越まつりについては「まだやってんの」と良く言われます(笑)
現役生活は後1年。来年は最後のまつりを楽しませて頂こうと思います。

自分がやってきた事にケリを付ける事ができました。

詳細はコチラ

夏越まつりに係わって頂いた全ての皆さんに感謝


九州地区協議会への顧問出向。
公務で失礼が多かったのが反省です。

やっぱりJCは最前線にいないと説得力がでませんね。
それでも良い経験させて頂きました。

詳細はコチラ


・バイク

ピースラリーは何とか今年も開催する事が出来ました。
参加してくれたバイカーの皆さん、ありがとう。
来年も同じ場所で同じ時期に開催したいと思います。

自分のバイクは全く乗れず、とうとう車検を切らしてしまいました。
車検付きのバイクに乗り始めて初めての事です。

うーむこれではいかん、と思いつつ、また乗り換えの虫が。
どなたかショベリジチョッパーお探しの方いませんか?


・骨髄バンク

自分がドナーになるなんて思ってもみませんでした。

その体験記はコチラ


本当にすばらしい体験だった。

移植推進の関連法案も国会で議決されました。
微力ながら私も推進運動に携わって行きたいと思います。


・妻の開業

2年ほど前から進めてきた妻の開業が実現しました。
本当に多くの皆さまに支えられてのスタートです。心から感謝しております。

まだまだヨチヨチ歩きの当院ですが、スタッフともども力を合わせて地域医療に貢献させて頂きたいと思います。

どうぞ今後とも宜しくお願いいたします。


・総括

町内会や氏青や龍踊りや同友会や自転車や山登りやジョギングや・・・書き出すとキリがないのでこの辺で。


昨年のブログを見てみると「戦略とは捨てる事」と書いていた。

私は何を捨てたのだろうか。


相変わらず捨てきれてない、というのが率直なところ。

抱え込みすぎているのは間違いない。

しかしそんな性分なのかもしれないと思いました。

そう考えれば、もう目の前の事を必死にやるしかありません。


来年は40になります。

とにかく何事にも全力で臨む。

これに尽きるし、それは毎年変わりませんね。


平成25年もどうぞ宜しくお願いします!

次の人の為に

2012年12月30日 | 大村市議会議員の日々
バリアフリー研修会に参加してきました。

講演と調査報告の二部構成、学びの多い素晴らしい研修会でした。


一部の講師は 竹中春美 先生

みんなにやさしいトイレ会議、実行委員長
FM長崎番組審議委員長などを務めていらっしゃいます。

長崎ウーマンズウォークラリー実行委員長、が有名かもしれませんね。

演題は「みんなにやさしいトイレの話」

人間は食べたら出すもの。誰でも必ずトイレに行きます。
しかし観光都市である長崎、その街の公衆トイレが余りにもひどい(失礼)

「おもてなしの心」を共有しているはずの街のトイレが不潔で使いたくても使えない。

そんな現状を変えよう、としてまちづくり活動を続けられています。

講演は公衆トイレを実際に女性の目線で調査した報告になっています。

公衆トイレの衛生的な問題。
多目的トイレの危険性。
トイレをどのように整備すべきか。
どこのトイレが素晴らしいか。
市民のマナーをどうやって向上させるか。

トイレは完全プライベートな行為、なかなか話題にしにくいもの。
しかし赤裸々に語られるその話はとても楽しく、そして考えさせられます。

特におもしろかったのが、トイレ川柳

「汚すな」的な上から目線の貼り紙よりも、思わずニヤリとさせられる。
そんな楽しいトイレだったら綺麗に使おう、という心が芽生えるのではないか、という話には思わず納得です。

作品は コチラ をどうぞ


第二部の調査報告は大村公園のトイレ調査。
私も12月議会、一般質問で取り上げさせて頂いた内容です。

質問の動画(上から4番目、開始12分ぐらいからです)

精緻な調査がなされていますし、提言とも言えます。
これを活かさない手はありません。今後も継続的に訴えていきたいと思います。


閉会後の懇親会にもお声掛け頂きました。
講演後だけにトイレの話題多数で大爆笑、赤裸々すぎてここでは書けませぬ(笑)


議会や関係部局にもご案内をさせて頂きました。
年末のお忙しい中にもかかわらずご出席頂いた皆様、ありがとうございました。


ハードやオペレーションも大切、それで解決できる所も多い。
しかしそれ以上に考えなければいけないものは市民のマナーアップ


「次の人の為に」


みんながそんな心を持っている事に気づいてもらう。
実践してもらう為にはどうすれば良いのか。

難しいテーマですが、しっかり座ってきばって考えなければなりません(^O^)

政権交代で変わるもの。

2012年12月17日 | 大村市議会議員の日々
ある救済政策が今般の政権交代によって廃止されるかどうかの相談がありました。

そんな事は無いと思いますが・・・と答えつつ確認しますね、と一時保留し関係各所に問い合わせる。
「おそらく当分は維持、ただし財源が伴う事なので未来永劫、という訳にはいかないと思う」との事。

その制度の発端は自公政権時代に議論が始まり、民主党政権時に成立、という経過。
とある方がその制度成立の象徴のようにシンデレラ扱いされていたのでそんな心配をされたのかもしれませんね・・・という事でした。

政策には財源や制度設計についての議論の積み重ねがあります。
政権が変わったからといって急激に変えることは容易ではない、という事です。

それは皮肉にも「実現できなかったマニフェスト」が証明しているのかもしれません。


今回の政権交代についても同じ事が言えるでしょう。
明日からバラ色、という特段の変化は起こらないでしょうし、政治の機能は「利益の分配」から「痛みの分かちあいと成長戦略」にシフトしている(というか、するべき)。


今回の選挙、郵政選挙や先の政権交代のように熱狂は無かった。各地で戦後最低を更新する投票率がそれを表しています。

予想はしていたにせよ、JC運動を通して公開討論会やeみらせん、投票率の向上運動に力を注いできた身としてはもうガックリです。
何をやっても無駄なのか。こんな思いをもう何度味わったことか。
「世の中がもっと悪くならないと投票率は上がらない」という報道関係者の言葉を思い出します。


地滑り的な大勝を収めた自民党。

最低な投票率の裏を返せば、政治参画意識のある方による投票や運動の結果、ともとれます。誤解を恐れずに言えば純度が高い民意といえるのかも。

一度民主にやらせてみたがダメだった。
第三極はくっついたり離れたりでよく分からない。
自民党なら経験もあるし民主よりはたぶんマシだろう。

そんな声が聞こえてきます。いわゆる消極的選択。

結果、振り子の幅は大きく触れました。
また反対側に大きく振れるのでしょうか。

それは今後の政権運営がどう報道されるかにもよるのでしょう。


「投票いってもなんも変わらんし、良くならん」

そんな言葉を今日も聞きました。
良くならない、というのは経済的に見れば当っているかもしれません。
我が国は高齢化と人口減少、財政の悪化により経済力を減退させています。
これを取り戻すのは容易ではない。


しかし振り子のような民意を嘆くのは易し。
政治を諦めた者を諦めるのも易し。

かつてない難局は、かつてない発展の基礎となる。

易きに流されてはならない。
現実を直視し、道を拓くのが政治家としての仕事だと信じています。


今回の政権交代で変わるもの。それはそう多くないのかもしれません。
しかし現状を変えたい、という国民のほのかな期待もあるのではないでしょうか。


私もまだまだ勉強中の新人ですが、負託と信頼を賜った政治家の一人。

有権者の声一つ一つを己の信条に照らし合わせ、仕事に向き合いたいと思います。

「ついていきたい」と思われるリーダーになる51の考え方

2012年12月13日 | 本や音楽、講演などなど

久しぶりに自己啓発系の本。

そっち系ばかり読んでいた時期があって、内容はだいたい同じってことは分かってますが、それでも発見がありますね。

著者はいわゆる叩き上げ。
THE BODY SHOP、スターバックスの日本法人の社長です。

「肩の力を抜きながらやろう」というメッセージはリーダー初心者に良いかもです。
でも実際は苛烈なビジネスの現場があるんじゃないかな、とも思いますが。

軽く読めてオススメ。スタッフにも読ませようと思います。

出向者報告

2012年12月06日 | 原稿等
本年、有り難くも九州地区協議会顧問という担いを賜りました。橋本会長を初めとする地区役員、スタッフの皆さんに1年間お付き合いを頂き本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。また出向のお許しを頂いた芦塚理事長、たまに運転手なってくれた非公式セクレタリーに改めて御礼申し上げます。

この話を頂いた時は驚きました。JCのキャリアは2008年長崎ブロック協議会会長職がピークだと思っておりましたし、私事ですが今は市議としての公職に就いておりますので公務最優先。どうしても諸会議に失礼する事が多くなります。本会の運動にもブランクがありますし、相応の経験者は九州一円に他にも数名おりました。
JCの返事は「イエスorはい」声がかかるだけ有り難く思え、成長のチャンスだと思えと教えられてまいりましたが、今回ばかりは迷惑をかけるかもしれない。大村JCの看板に傷がつくかもしれない。なにも私でなくとも・・・と迷いが生じたのも事実です。
しかし「地区に昨年の恩返しをしなければいけない」という時直前会長の重いお言葉。ご承知のとおり、2011年は大村JC初の地区会長を輩出した誉れの年でありました。それは同時に大村JCの一会員が九州地区協議会を始め九州4千名のメンバーにお支えを頂いたと言う事でもあります。その恩返しをという言葉には抗えるはずもありません(涙)
「公務で失礼をするかもしれないが、私なりに」と考え直し出向する旨のお返事をいたしました。

出向は大村JCの看板を背負うもの。会頭といえども理事長の承認印が必要です。まつり担当という担いも既に決まっていた事もあり、芦塚理事長予定者に相談しなくては、と電話したところ「隣で聞いてましたよ。いってらっしゃい♪」と有り難くも快諾頂いた時はアタマがクラクラいたしました。

顧問の役割といえば何といっても会議冒頭の挨拶が最高の修練です。開会前、金光運営専務が議長委員長に飛ばす激、厳粛なセレモニー後の故事を引用される橋本会長のご挨拶、時局を捉えた自由自在の時直前会長のご挨拶、スタッフを包み込むような温かい中島顧問のご挨拶(顧問は二人)を経ての4人目の挨拶はなかなかのプレッシャーです。含蓄のある色々な話をされるなかで、毎回何を話そうか、被らないようにしなければ、どんなメッセージを伝えようかと頭を悩ましながらの挨拶でした。
また、議長委員長を罵倒もとい叱咤激励するのも顧問の役割でもあります。根が優しく温和な性格の私には高いハードルでしたが、この担いが全うできたのかどうかの評価は皆様にお任せしたいと思います。

本年の出向でも新たな出会いや学びがありました。また、JCから軸足を移しつつあった自分を発見し反省した年でもあります。私はJCで学び育てられました。JCなくして今の私はありません。現役生活は残りの1年。これまで学んできた全てを後進に伝えなければならない、それこそが恩返し、恩送りとなる。そんな自覚と覚悟を新たにした出向でありました。

「JCの協力とは、登録と動員である」そう仰ったのは中村大介歴代地区会長であります。私は「JAYCEEの成功とは卒業である。JCの美学とはやせ我慢である」いう言葉で締めくくり本年の出向者報告といたします。ありがとうございました。感謝。

(公社)日本青年会議所 九州地区協議会 顧問 北村貴寿

特別室長報告

2012年12月04日 | 原稿等
「100年続くまつりにしよう」

私がそう言いだしたのは2004年、理事長職を拝命する前年の夏越まつりの打ち上げの時でした。
その後も表になり裏になりこのまつりに携わらせて頂きました。市民の皆様は勿論ですが、何よりも共に汗し、時に涙した仲間たちに心から感謝しております。
「100年のまつり」というスローガンはその後もたびたび顔を出し、本年その名を冠した担当職を仰せつかったのも縁(えにし)を感じずにいられません。なにより私に青年会議所運動の扉を開いてくれたのはこのまつりなのですから。

まつりに携わらせて頂く中で、一つだけ思い残す事がありました。それは実行委員長職を理事長から他団体に移管する、という大改革を鶴田歴代理事長と共にやり抜いた事に端を発します。それは「JCのまつりから市民のまつりへ」というこれまで何年も唱え続けてられきた目的の為の改革でした。歴代理事長が毎年務めてきたこの役職を移管するにあたって議論は紛糾。諸先輩方からも様々なご意見を頂きました。当時は調整に腐心、東奔西走した大変な一年だったことを思い出します。
しかし、この改革が意図した目的は遂行できなかったと言えます。回を重ねるごとにまつりへの熱が冷め始めるような面が見受けられ、会員からは「まつりをやらされている」という言葉まで出るような状態。改革の手を緩めることが無ければ当時の目的は遂行できたのかもしれませんが、いつしかその目的は「JCがまつりから手を引く」というものにすり替わっていたようです。
JCは社会変革運動団体であるという側面があります。新しく始めたものを他の誰かに引き渡し、更に新しい運動を起こすという論理には適っていたのかもしれません。しかし、地域のまちづくりを担う責任世代であり、大村の夏の文化の担い手として、まつりの提唱団体としての責任と覚悟という側面から考えれば「まつりを投げ出す」という極めて無責任な行動であるともとる事ができます。これも実際にやってみなければ分からない事でした。

卒業という文字がちらつきはじめた頃「やらされ感」があるまつりを後進に担わせることは心残りでありました。しかしそれもこのまつりの歴史なのかもしれない、と思っていた矢先にまつりの担当をというお話を頂きました。これも縁かもしれません「実行委員長職をJCに戻す」という事を条件にこの担いを引き受けさせて頂きました。こりゃまた調整が大変だなあ・・・と思っていた矢先に地区出向の話が出たり、総会を年二回開催したのはまさしく想定外でしたが。
担当理事は坂野君。一時は「理事長への登竜門」とも言われたこの役職。彼は経験が少ないながらもこの大役を持ち前の誠実さで全うしてくれました。
委員会を担当する上で、JCの組織退化も懸念の一つでありました。理事会の委員会化、副理事長が委員会に出席しメンバー化、という私が先輩方から学んできたJCの流儀には退行としか考えられない状態が端々に見てとれます。委員会には顔を出さない。委員長を易きに流させない。そんな事を念頭に置きながらの一年でした。メンバーからは不評もかいましたが、まさしく意図する通りとなったのかもしれません。彼にとっては初の理事、分からない事だらけで色々とミスも有ったと自省しているようです。しかし、それこそが成長の糧となり、立派なJAYCEEとして成長してくれたと思っています。33年目のまつり男としてその経験を今後のJC活動・運動に活かして頂きたい。協賛会会則変更にまで手を付けたのはまつり始まって以来の事なのですから。

「奢るな、誇れ」

ここ数回のまつりで皆さんにお伝えしている言葉です。
誤解を恐れずに言えば、このまつりはJCが始めたまつりでJCがやっているまつりでJCしかできないまつりです。しかしそれを鼻に掛け、奢り高ぶった瞬間に私達はその輝きを失うでしょう。
まつりに浄財を喜捨頂く皆様に、道路を封鎖しご迷惑をお掛けする住民の皆様に、まつり場に足を運んでくれる市民の皆様に感謝する心を持ち続けながら、まつりに携わり深夜に道路のゴミを拾いを続けることが私達の輝きの源泉となり誇りとなるのです。

JCの美学はやせ我慢です。商売にならない、目立たない、お叱りに頭を下げてばかりかもしれません。しかしそれに堪えることこそが私達を鍛え、強くします。
その成果は必ず私達に還ってきます。今は分からないのかもしれない。でも後から分かる、そんな事も沢山あるじゃないですか。四の五の言わずにまつりをやり続けなさい。それがJCそのものなのだから。

33年目となるまつりを滞りなく終える事ができた事に心から感謝して、本年の活動報告といたします。ありがとうございました。

特別室長 北村貴寿