北村タカトシ(旧ブログ)

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入院、手術、退院まで。

2012年08月20日 | 骨髄移植レポート
入院前日。

いろいろと行事ごとは入っていたが、疲労につながらない事だけにする。

私の骨髄を受ける患者さんの命がけの前処置は最終段階だろう。
ここでCKを上げる、なんてことはことはできない。

なので、ちょっと仕事して早く休む・・・

はずだったが、入院用に大人買いした漫画に読みはまってしまう。
結局16巻を読破してしまった。トホホ。



おもしろいっすよ「岳」
山の素晴らしさと怖ろしさが良く描かれています。
退院したらどの山に登ろうか。

入院初日。

仕事の段取りをチョコチョコやってたら病院到着が遅くなった。

入院の準備は自分でやった、と言いたいところだが、全面的に妻にやり直してもらう。
仕事をしようと書類やPCを持ち込んだが、どうだろうか。

到着して通された部屋は特別室。

トイレや風呂付きの結構余裕のある個室。

当然差額のベッド代が発生するはず。骨髄バンクが出すのかと思っていたら、患者さん持ちになる、とのこと。

大部屋でも良かったが、今更なので甘えることにした。
入院の諸費用にと5000円を頂いたがこれまでと同じく寄付。

まずは病衣に着替えてバイタル、採血、レントゲン等。
すぐにお昼になった。



これは・・・痩せるかも(笑)

午後から転倒防止のビデオを見せられる。ここまで丁寧にしなくても・・・って感じ。
それから再度のバイタルチェック。

手術のあとはT字帯なるものが必要だという。
いわゆるフンドシだ。T君は自前だったのだろうか・・・

オムツも頂いた。全身麻酔ならでは、ですね。
そして夕食、なんですが病院食ですからねえ。

妻に名物を買って来て貰った。やっぱマジうまい。
チョーおすすめ。近くに来たら必ず食べたいっすよ。

病院名はナイショです。
名物が気になる人はリアルで聞いてね。


明日の流れの説明を受ける。

早朝6時、最後の水分補給。
術衣に着替え集中治療室へ。手術は9時から。
全身麻酔で意識は無い。
術後は麻酔の経過などを観察し、15時頃ICUから病室へ戻れる。
内蔵が麻酔から目覚めた合図のオナラがでれば粥の夕食。
痛み止めは点滴で。痛みを感じたら教えてくださいとの事。
翌日から普通食に戻るそうだ。

本でも読もうかと持ってきた書類に目を通したら、締め切りが迫っているものがあった。
ベッドで書類作成に精を出す。
妻まで動員、なんとか間に合いそうだ。



看護師さんの出入りや確認が結構多い。
飲食は24時まで、内容に特に制限はない。
風呂に入ってサッパリ。

局所麻酔の経験はあるのだが、全身麻酔は始めてなのでちょっとビビってます。

書類を仕上げて、久しぶりにテレビを見ながら就寝。ロッキー3をやっていた。
病院独特の電子音が子守唄。


入院二日目、手術日。


6時に起こされる。
栄養補給水なるものを二本飲まされる。薄いポカリに塩をいれたような味。これ以降は飲み物禁止。

それから採血。

看護師になぜ骨髄バンクに登録したのか聞かれる。
青年会議所の運動の一貫である事を伝えた。
その看護師は10年以上血液内科をやっているという。

「適合は奇跡に近い。私たちにとってドナーは神様みたいな存在、全力でサポートします」

血液難病患者の苦しむ姿を見ての事だろう。

ドナーは命綱なんだなあ、と改めて。

「盲腸よりも簡単な手術だから心配しないで」とも。

シャワーを浴びて指輪を外す。
なかなか外れなかった。

手術衣に着替える。



袖のない浴衣みたいな感じ。
肩がホックで止めてある。腰はゴムのマジックベルト。

何度もバイタルチェックをして、8時55分、歩いてオペ室へ。
ベッドに寝かされ点滴で麻酔、その後は意識が無くなり、目が覚めると終わっているとのこと。


妻とコーディネーターに見送られ手術室へ。
始めて見る医療器具が所狭しと並びモノモノしい雰囲気。

あれよあれよという間に点滴を入れられ酸素マスク。数分後、眠りにおちた。

目が覚めると別の部屋だった。四時間ぐらいだったろうか。手術中の記憶は無し。
人工呼吸器はすでに外されていた。

尿道バルーンを抜く時は気持ち悪い感触。
その後の数回(3回ぐらい)のオシッコは違和感有り。

痛み止めの点滴をつながれたまま病室に戻される。
反応熱というのだそうで微熱が続き、汗をかいた。氷枕をあてがわれる。

夕食からお粥を食べれるのだが、オナラが確認できていなかったし空腹でも無かったのでキャンセル。

そのまま眠り続ける。その間にもバイタルチェックが数回、術部の確認があった。
微熱が続き、汗だくになった。



入院3日目、手術翌日

オナラもでたので、朝食から普通食を頂く。
痛み止めの点滴は昼で終わり。これ以後、痛みが続くようであれば飲み薬で対応するそうだ。

私は普段から全く薬を飲まない為、薬が良く効く体質。
点滴やめたらようやくアタマがスッキリしてきた。

頂いていた電話やメールの対応を済ませる。
腰に鈍い痛みがあるが、我慢できないほどでは無い。

腰をかばう為どうしてもゆっくりとした動作になるが、普通に歩ける。
主治医からは「できるだけ動いた方が良い」と言われたので院内を散歩。

読みかけのものとずいぶん前に買った小説をもってきていた。

どちらも大外れ。これまで読んだ本の中でも1、2を争うつまらない本だった。
仕事も持ってきていたが、今日ぐらいはお休み、ということでしかたなく読みふける。

テレビをつけるとロッキー5だった。
連日のロッキーシリーズ放映だったのだろうか。


入院4日目、退院日。



翌朝もスッキリ目が覚めた。
腰に違和感は残るが普通に歩けるし、痛みも和らいだ。
傷口の経過も良好。付け替えはリアル家庭の医学で済むのでありがたい。
シャワーだけならOK。湯船は1週間後から、という事だった。

といっても1週間は安静にするようにと釘を刺される。
長時間の着座などは厳しいかも。
2週間後の健康診断の日程などの調整をしてめでたく退院。

私の骨髄液は無事に旅立ったそうだ。

退院直後から既に公務が入っていた。
近しい方々よりお気使いを頂きながらの公務でした。
ありがとうございました。


手術を終えて。


提供して良かったか?と聞かれれば「良かった!素晴らしい体験だよ!医学万歳!」と答える。

健康で生きてるだけで人助け・・・素晴らしいとしか言いようが無い!


人に薦められるか?と聞かれれば「薦めます」とも答える。

リスクはゼロではないが交通事故に遭うより相当低い。

年間1200件を超える症例が毎年ある手術でもある。
(血縁間移植を含めればさらに多くなる)
移植の手術は骨折と同じ。

ようは”全身麻酔のリスク”をどう考えるか、ということなのだ。

それに人の命を救うチャンスを潰してしまう事の方が私にとっては苦痛だし、最後に決めるのは本人。

ただ「死んでも文句言いません」的な書類にサインにすることになります。

それだけは忘れないように。


痛かったりキツさはどうなのよ?と聞かれれば「1日だけ我慢」と答える。

手術は寝ている間に終わる。その手術が終わった直後からの麻酔と反応熱はキツい部類に入るだろう。
ただ1日だけなら我慢できない事は無いと思うし、その後の腰の痛みもそうでもない。
(とはいえ1週間安静が必要だが)

ただ、やたら採血が多い。注射嫌いの方には克服のチャンスかも(笑)


今回、私は寝てただけだ。

なので体重も減って無かった(涙)
コーディネーターやドクター、ナースの言うがままに動いただけだ。

こんな命のリレーを司るコーディネーターの仕事って素晴らしい仕事だなあと思いました。

今回の募集は7月末で締め切られていますが、たまに募集も出ているようです。
コチラの7ページ(PDF)をご覧ください。


今回の手術や検査で拘束されたのは全8日。

この手術を受けるにあたり、近しい方々より

「適合した事はある、でも仕事の事を考えると踏み切れなかった」

という声を聞いた。それも複数名。


私が6月議会で提案したドナー支援制度がそれを解決できるとは思いません。
しかし背中を押す一助にはなるはず。

先進地に習って九州発の制定に向け、力を注ぎたいと思いました。


このレポートはこれで終わりじゃありません。

また数回更新する事ができる・・・ように祈ります。

まつり雑感

2012年08月10日 | 所属団体・地域活動など
33年目の夏越まつりが終わりました。今年も皆さんに感謝。

色々と雑感を書きとめておこうと思います。
異論反論あるでしょうが独り言ですのでスルーしてくださいな。


・人事

私が夏越まつりの担当室長を引き受けたのは明確な目的があったし、それが条件だった。

それは実行委員長職を青年会議所理事長に戻す、という事。


やってみなきゃ分からない事がある。

2007年、歴代の理事長が務めてきた実行委員長職(勿論私も務めた)を外部団体の長に振り向けた。

その事務を執ったのは当年のまつり担当理事であるこの私。
先輩方から異論が噴出した人事だったが、当時の理事長と共にやり抜いた。

それから数年。

その変革が目指していたものは達成されなかった(他団体との連携やまつり母体の移管)
それどころかまつりへの熱を徐々に失わせる状況となった。

もっとも人事だけやって、後の改革を続けなかった、という見方もできる。


誤解を恐れずに言えば、青年会議所がメインでやってるまつりです。夏越まつりは。

その青年会議所が「まつりの核」となる覚悟を持ってないと他を巻き込む事なんてできない。

夏越は大村の文化だ。100年続くまつりにしよう。といい出したのは私です。
その為にはまつりバカが100人必要ってことに改めて気付かされました。


実行委員長職はタイミングの良さも手伝って目論みどおり理事長が就任。
会長職もドタバタしたが、とりあえず棚上げ。

兎に角、最大の目的は達成された。本年のまつりに悔いなしです。


後進の皆さんへ。

大変な事も、辛い事もあるだろう。
だけどまつりを愛して欲しい。
まつりはまちづくり、人づくりそのものだ。

まつりに携わっている事を奢るのではなく、静かな誇りとしてください。


・打ち上げ

十数年続いた3日深夜の打ち上げを4日へ延期。
これには結構悩んだ。

昨年設営部会を担当した事が発端。

3日にある程度の撤収、1時頃までゴミ拾いをやる。
それが終わって飲む酒は、まつりの高揚感も手伝って素晴らしく旨い。
感きわまってスピーチする担当者の涙、涙で飲む酒は最高。
そんな宴も毎年だいたい3時ごろに終わります。

そして4時間後、7時から撤収作業が始まるのです。


大変な準備、3日間のまつり、解放の酒、睡眠不足、酷暑の作業。


そして飲酒運転や事故のリスク。


おまけに自衛隊、行政職員、ボランティアといった外部にお手伝いを頂くにも関わらず、実行委員会のメンバーが集合時間に集まらない。

設営部会だった去年は4時間後の事を考えると楽しさも半分。


なので撤去を終えて、全員がゆっくり飲める4日の夜、としました。

まつりの美酒は1日置いたぐらいでは味は落ちない。
それどころかゆっくりじっくり担当者の話が聞けて、ますます酒が旨かった。

異論もあるでしょうが、打ち上げは4日の夜にやってよかった、と思います。


今年は昨年の3倍以上のメンバーが朝から撤収に来てくれました。
私がこれまで携わった中では史上最速の撤収作業でしたよ。


・コストカッター

赤字決算を受け、予算全体の見直し、コストカットを断行。

昨年の担当者に赤字決算をしっかり出せ、といったのは私。
(費用の年度配分をいじるか貯金に手を付ければ目立たないようには出来る)

そして、それを理由にさせて頂いた事は心苦しく思っています。


年々予算規模は縮小(現在一般会計1500万、最盛期の半分です)何かを削らなければならない。

ただそんな中でも「今年のカラー」を出す為には幾らかは仕方ないか、と思っていた。
昔の話だが、私も光るラインアートを導入させて貰ったり、良い思い出があった。

今年のまつり担当者は初の理事職。
彼が考える「今年のまつり」を実現させてあげたかった。

彼が考えてきたのは神事関係の大型構造物。

結構かかるかな・・・と思っていたのだが、安全性を鑑みて断念。費用計上も見送り。

しかし、これで吹っ切れた。

外部や内部問わず予算要求にはNO連発。
お断りした発注先にも心苦しい説明を。

そんな中、実費のみで設営物のリニューアルをしてもらったり、ラジオで取り上げて頂いたり。

心から感謝しています。ありがとうございます。



赤字を取り戻す!と大見えきった寄付金850万の予算立て。
資金部会の皆さんにはご苦労をかけました。

まつりをやるには金がいる。なので6月例会からスタートだとハッパをかける。
準備室のアピールにもこだわった。

部会の目標額は800万。

当日御礼の芳名チラシを出す、ということで締め切りを早めに設定。
ちょっと心配だったが見事に達成してくれた。

当日芳名チラシを出せた事は、私の携わった中でも記憶にない。
資金部会をはじめ、仕事の合間を縫って市内を駆け回ってくれた皆に感謝です。


ただ(震災の起こった昨年は別にして)例年850万の寄付収入を見込んで立てていた予算は見直しを迫られる。

これからも厳しい運営が続くのは変わりないだろう。


・まるなげ

組織の見直しで広報部会を必殺丸投げ。M曰く「無理すぎ」

I君すまん!反省してます・・・

子ども提灯は市街地の再開発を理由に子ども絵馬へ変更。
これで子ども達の絵を踏みつけてゴミに出す撤収作業が無くなったので嬉しいです。

ポスター、ロゴマークコンテスト等を目論んだが失敗。
こいつも丸投げしすぎで手が回らなかった。やはり早めの取り組みが必要だ。

ウチワは新進気鋭の書道家に協力を頂き好評だった。センスは価格が問題。ロットが低いとどうしても単価が上がるんだよね・・・


・先輩

お手伝い、ご芳志、ありがとうございました。
私の現役中にまつりはあと1回。

先輩方のようなお手伝いができると良いなと思いました。

・涙


はじめてあんな涙を見た。
でも次の日には毎年見る涙に変わっていたのでホッとした。

ただ考えなければならない事がある。

彼を自己嫌悪に陥れるような組織になっていないだろうか。

彼に謝罪させたのは私達のせいではなかったか。

私も含めて。


まつりは一人でやるものではない。

彼に謝罪させるような空気が流れる組織で、その後を繋ぎたくなるだろうか。
彼が届かない所が沢山ある。それをチームでカバーする。そんな組織でなければならない。

おまえは33人のうちの一人だ。自信をもて。


写真は鹿島おどりのウチワ。

毎年鹿島JCからも夏越総踊りに参加してくれます。
今年は担当なので久しぶりに行って踊ってきました。

夏越総踊りのモチーフとなったまつりです。
水害被災者の鎮魂を目的に鹿島JCが始め、来年は50周年だとか。

外部団体との運営分担がうまく機能しており、当日は鹿島JCメンバーも踊っている。
数年前までは、夏越まつりもJC踊り連があり、卒業生中心に踊っていました。飛び入りなんかもそこで受けてたっけな。


今日の例会後はJC内部の反省会。しっかり議論して欲しいと思います。

34年目のまつりに向けて。