北村タカトシ(旧ブログ)

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供託完了

2010年08月20日 | DAYS

中小企業家同友会の家族例会で司会を勤めさせて頂く。
「静かなタッキー」が私より受けていたような。
子供たちの歓声が賑やかでした。

さて昨日、大村市長選挙立候補者説明会に出席してきました。
私の後ろには第4の候補が。
報道では検討中、と出ていましたがどうなんでしょうね。

その説明会を受け早速供託金100万円を納めてきました。
私についても出るの、出ないの、と色々噂話が飛び交っているみたいですね。

さてこの供託金、冷やかし立候補防止という事なんですが、一定の得票ラインをこえると返還されます。
説明会では5000票ぐらいということでした。
大村市の有権者が約71,000人、投票率は70%として有効投票数の1/10以上ですね。

これを下回ると100万円どころか、ポスター・街宣車・選挙ビラ・選挙ハガキ、といった選挙費用は全て自己負担に。

ともかく供託して更に気が引き締まりました。
やったるでえ~。

終戦の日

2010年08月16日 | 政治や思想
今日は朝から毎年恒例の町内合同の精霊舟づくり。
私の地域では毎年おもやい舟でお送りします。

その移動中、ラジオから「今日は終戦記念日、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏しました・・」と流れてきた。

「ポツダム宣言を受諾する有条件降伏なんですけど~!」と一人で突っ込む。
(それについては様々な見解があるので「無条件降伏論争」を検索してみてね)

気になったのはたどたどしいDJが「・・・とマスコミが発表しています」と続けたことだ。
ラジオもマスメディアなのだから他メディアの受売りをそのまんま流すまえに色々と論調があることを知って発言して欲しい。
先日のNHKが放送した日韓関係についてもそうなのだが、近現代史関係を取り扱うのは慎重さが必要だ。


とにかく歴史は勝者によって描かれる。
色々と論じても敗戦国という事実を受け入れるしかない。
歴史に「たられば」はあり得ないのだ。

この季節は様々観点での報道やドラマが流される。
必ずあるのは青年たちの特攻作戦を題材としたもの。

特攻は外道である。
絶対に肯定してはならない。

しかしそこに散華した日本人に美しさを感じる者も少なからずいる。
異質な戦時下、洗脳されていたとしてもだ。
そんな気質が不幸の連鎖を生んだとも言えるだろう。

無条件降伏論争の間に垣間見えるのは、少しでも日本にとって有利なものにしようとした先人たちの軌跡。
そんな先人たちの犠牲による日本の現代は誇れるものであろうか。


今日は終戦の日


線香の煙とともに「どうかやすらかに」と祈るのみ。

祈りの芯を忘れないように

2010年08月09日 | 政治や思想
このような立場に立たせて頂いてるので、様々な方々から政治論を拝聴することが多い。
中でも多いのは「政治は清濁併せ持つ」という話。

特に異論は無い。
政治も人間のやることだ。白黒灰色、色んな濁り方があるんだろう。
ただ私は、自分の為に政治をやらない、と決めているだけだ。
そして、それを他に押し付ける気もない。

誰しもが望む「平和」を維持する為にも様々な考えがある。

武器を捨て丸腰になれと言う者も居るし、更なる抑止の為に核装備をせよという者も居る。どちらも平和の為、戦争を起こさない為だ。違いが大きすぎる事だってあるのかもしれないが小異を捨てて大同に集えばよい。

私は自主防衛論者であるが、核装備はすべきでないと思っている。
核兵器のコストパフォーマンスは悪魔的な魅力だが、国際的非難、圧力といった代償を引き換えにすべきものでもあるまい。安定と平和は経済活動に直結する。

専守防衛を基調とした装備は見直す必要があると思うが安全保障の外部委託を止めれば経済的に厳しいかな、と思ったりもする。

戦争は外交の最終手段であり、政治そのものだ。近年進んでいる核軍縮への取組みも軍事コストを圧縮したい国々の思惑が一致した、という見解もある。それはそれで構わない。

菅首相は式典の中で政治を志すきっかけの一つとして、アインシュタイン博士や湯川博士が参加したパグウォッシュ会議を上げた。

私も同様に仲間達とはじめた長崎ピースラリーが政治を志すきっかけの一つでもあった。
長きに渡りピースラリーに寄せてくれた全国のバイカーの善意には今でも感謝の念を抱いている。
しかしラリーは長崎原爆というテーマに区切りをつけ、骨髄バンクドナー登録の推進へと変化した。そこにも政治があったからだ。

そして私はJCで学びを得ながら、郵政民営化や自衛隊の海外派遣といった社会をドラスティックに変える力を持つ政治というものに無関心で居られなくなった。
ただ選ぶ側に居るのではなく、選択肢を作る側、社会を変革する仕事をしたいと思った。


65年目の長崎原爆の日、今日は祈りの日だ。

核兵器の惨禍が繰り返されることがありませんように。
世界から戦争がなくなりますように。


平和への祈りの芯は純なもの。回りに様々な色が折り重なる。
政治への志も純なもの。そこに清濁が流れ込む。

それはそれで良いのだと思う。
しかし純なところは無くしたくない、流されたくないものだ。


まあ選挙は相変わらず草の根なんですけどね。
さあ今日も頑張りましょう。