北村タカトシ(旧ブログ)

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きょうから地区大会

2008年08月29日 | 第34代長崎ブロック会長の日々
平成26年に行われる国体長崎県大会の総会に参加

シャンシャンだったんですが、締めにがんばらんば体操なるものが披露される
脱力系な歌に県内各地の踊りなどを混在させたもので面白かった
動画をアップしようと試みたのですが失敗したみたいです

そのまま役員会へ
「おとなの背中」事業以来ですから、顔をあわせるのも1ヶ月ぶりの会議
夏休み?が抜けきっていないような
頑張りましょう



懇親会は友人が念願のオープンを迎えた「ココペリ」へ
内装も拘ったセンスの良い店内
全体的にメキシカン系?でしょうか
パリパリのタコスやダッジオーブンででてくる鉄なべゴハンなど美味しいですよ
昼からランチ、夕方はカフェ、夜はダイニングと頑張ってますんでどうぞ皆様ご贔屓に

場所は銅座、レンガパークの斜め前です

cafe Dining KoKopelli 
TEL 095-823-0500 長崎市銅座町8-29 (中華街付近) 地図

さて今日から地区大会、ただいま鳥栖駅です
豪華な講師陣のセミナーやフォーラムも楽しみですが、なんてったって式典ですよ
皆さん八代でお会いしましょう

業務連絡

早朝出発だったせいか携帯を忘れてしまいました
日曜夜まで連絡が難しいと思います(- -;)

佐賀県庁視察

2008年08月28日 | 第34代長崎ブロック会長の日々

県庁移転懇談会で佐賀県庁を視察

一言で言えばとても好感が持てる建物

鹿児島県庁の後だからかもしれないが、豪華すぎず貧相すぎず良いバランス
古い建物の部分も使えるところは残した新旧融合の建物

クラシカルで素敵な来賓室にて古川知事に歓迎を受ける
もと長崎県庁マンなだけに参加者と話も弾んでいました

一番の特色は危機管理センターを恒常的なマスコミ対応型にしたということ
そして緊急時以外も記者会見等で頻繁に使用しているところだと思う

緊急時に使ったことも無い機器に触るというリスクを鑑み、常に機材に触れる環境でいる、というところは素晴らしい危機管理だと思う

また正庁があるのが特色だと言う

これも古い部分を残しているところだが、知事が政治家としての居ずまいをただす場所、と話されたのが印象的だった

また各執務室の入り口には長崎と鹿児島には無かった顔写真入の机表
だからどうした、と言ってしまえばそれまでだが、顔の見える県政、という姿勢が感じ取れる


屋上の展望室もすばらしい眺め
佐賀ってほんとうに平べったいんですね

質疑では業者委託や有料広告等について質問を


今度の会議は9月1日

今日までに鹿児島、佐賀県庁のレポートを提出しなければならない
キビシーなあ

といいながら今日は午後から国体長崎県大会の準備委員会の総会→そのままブロック役員会です

リミットはあと数時間(- -;)

一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ

2008年08月27日 | 本や音楽、講演などなど



北方領土の移動のお供

福田康夫氏と衛藤征士郎氏との対談本

領土問題や国連の常任理事国入りについて
政治家としてのありよう等が記されている、対談本なのでとっつきやすく読みやすい
ただ、タイトルにあるような内容の重厚さは無いと思う

発刊は2005年、聞き手は相当小泉首相嫌い?で官房長官であった福田氏に再三問いかけるが(わざとらしさも感じるが)福田氏が小泉氏の政策を否定するくだりは一箇所も無い

そつがない、といばそれまでだが、立派な姿勢だと思う
また衛藤氏の政治理念はとても素晴らしい、と思いました

聞き手によるあとがきはなにやら達観しすぎていて毒が無い
対談本って聞き手に左右されるんだなあ、と改めて思った一冊

北方領土訪問雑記(長文注意)

2008年08月26日 | 第34代長崎ブロック会長の日々
21日 出航、国後島へ

根室港を出向
四島に帰るロシア人達も同乗している
日本で勉強などをしている専門職の人々とか

船内で注意事項などのミーティング
若い順?から安全委員なるものに選任され、避難路などの説明を受ける
安全に対する認識はかなりイージーな感じ

部屋はかなりの狭さ、二段ベッドで寝ることに
身動きが取れないサイズのベッドは高卒で上京し働いたときのタコ部屋のベッドより狭い

船齢28年、古いつくりの船らしく、内部は迷路のよう、数年後に退役、新造船が後を引き継ぐらしい

出航して2時間、私の携帯は圏外になったがドコモの最新型は通話が出来る、しかし国際電話扱い
船内では免税ビールで150円
四島は国内のはずですが・・・

最初の食事はスープ付きシーフードカレー
食堂も狭く、62名が2回に分けて呼び出される

数時間で国後島沖に到着
ロシアの船が近づいてきて入域手続きを済ませる
役人は半分女性だった

根室から同乗していたロシア人が国後島に帰るらしく、
たくさんのお土産や電化製品とともにお別れ
船から見たところだが結構な規模の集落が見て取れる
「ムネオハウス」があるそうで、地熱発電所も設置されているらしい
上陸してみたかったな

スムーズに手続きも終り色丹島へ向かう

揺れてるな、と感じるが船員曰く「今日は沼みたいなもの」だとのこと
夕暮れ時に色丹島に到着、湾内はベタ凪で助かった

到着後程なく船内で夕食、揚げ物定食だった
それから同室メンバーで根室市長の差し入れを頂きながら、地域色華やかな話題の酒宴
途中から富山県は黒部市長が参加される
黒部市は根室市と姉妹都市で返還運動も盛んな土地だとの事
なんでも四島の強制退去時の引揚者が多数流入し、今では二世三世がいる、という事でした

明日は4時起床で色丹島に上陸だ
活字の力もかりながら眠ることにする



22日 色丹島に上陸

とにかく経験したこと無い自然の美しさ
ノルウェーのフィヨルドを想像して欲しい
そこらじゅうでナルニア国のロケが出来る、といった感じです

しかし岸が近づくにつれ、かなりの数の沈潜が目に付く
上陸前は分からなかったが魚の姿はない
ロシアの衛生観念は低いようで、なんでも垂れ流しな印象を受ける

そして岸壁の水産工場の見学、秋刀魚の冷凍工場、ヨーロッパに輸出しているという
日本で水揚げというと、漁船から巨大な網で掬い上げる光景が目に浮かぶが、こちらは大きなパイプで吸い上げて加工工場に直送する
せり市などが無いからだろうか、魚は痛みそうだが合理的だ

団員の職業に「会社役員」との表記がある方が数名

話してみれば歴代ブロック会長や直前会長、歴代理事長も
長崎県民会議の話、事務局移転うんぬんの話をしましたが、絶対に受けるな、というアドバイス
実質世論が先細りする中で、特定の団体事務局を持つことは、全県的な運動になりにくい
県庁の広報室等が持つなら話は別、なんてお話を頂きました

文化会館にて受け入れのセレモニー

入り口に民族衣装を着た女性からパンと塩でもてなされる、ロシアの伝統的な礼節だという
お互いのプレゼント交換、村長の挨拶で地震被害の際に受けた日本の人道支援に感謝を意を
現在はロシアの開発計画が進んでいるらしく、2、3年たつとこの土地も美しくなる、という
話の通り港には大きな沈潜があったし、舗装道路は皆無、廃墟、廃車がそこかしこに放置されていた

日本の人道支援は学校や、発電所、診療所等々
順次見学する、そして最近ロシアの手で建設された学校も見学
立派でなんとなくかわいさを感じるつくりだった
背景もあいまってアルプスの少女ハイジの世界だ

学校で簡単なロシア語講座
ロシアでは「赤=美しい」という認識なんだとか
なるほどねえ

それから対話集会

聞けば突然の設定だとか(本来は明後日オフィシャルな集会があるらしい)
なんでも率直な話をということだったので、数名の団員が教育方法や、地元の給料、不登校の問題と一般的な話題など

無難な話題で温和な交流ムードでしたが、私は

「2006年の日本漁船拿捕と射殺をどう考えているか」

と聞いてみました
空気が冷たくなったのは気のせいか

村長がそれには私が答えなければ行けない、と回答を

「国籍に関わらず死は悲劇、それも家族を養うために漁をしていた方が命を落とされる、ということは本当に悲しいことだ

射撃した彼は与えられた権限で任務を遂行したと考えている、しかし船のゆれ等、不可抗力の部分があったと思う

そしてその軍人はそれを苦に悩み、軍籍を自ら除した
私たちもとても心を痛めています」

私は

「自ら除隊した話は初耳だった、この事件で、同じように悲しみ、悩みを共有できるロシアの皆さんに感謝したい」

と答えた

その後、私以外の団員同士が少々紛糾、
言葉の使い方一つだったが見苦しい一幕だった
ロシアの人々にはどう写ったのだろう


領土返還運動を推進する団体が行う交流は、楽しく仲良くなればよい、というものでは無いと思う
ましてや物見遊山だけなら止めたほうが良い


楽しみも喜びも問題も悲しみも共有する

そして問題が解決は出来なくとも、両国の問題に目を背けない

そんな姿勢を持ち続けることが真の交流になるのではないか、と思うしだい


それから昼食を取り、道なき道を数時間、日本人墓地に線香をたむけ、教会に訪れる
軍用車が朽ち果てているその眼下の入り江にはロシアの警備隊が駐留していた
途中教会にもお邪魔する

墓地はもう一箇所あり、また山道を1時間弱
また線香をたむけた後はそのそばの美しい海岸を散策した

本当に美しい土地だ


港に戻って交流会
ロシアのダンスや歌、日本側は阿波踊りを披露、私も一緒に踊って楽しい交流でした

船に戻って同室の団員で交流会
快適とはいいがたい環境だが、就学旅行みたいで楽しいし話は尽きない

今夜は択捉島に航行しながら眠る
途中難所もあるとのことで揺れが心配だ




23日 択捉島上陸

択捉島の港は拡張工事がされているらしく岸壁にそのまま着岸するか、はしけ船を使うかで揉めていたようで少々遅れる
結局はしけ船を使うことになった

岬の先端に砲台みたいなものが見える

かなりの大きさの水産工場、ギドロストロイ社が併設された大きな港だった
この港には2006年に拿捕され射殺された漁師が乗っていた漁船があるという

何度も上陸しているらしく、手続きはスムーズ
かなり大きなトラックをバスに改造した車両で移動
助手席に乗ることになった

まずは地区幹部への表敬

四島のトップに出迎えを頂く
日本が行った地震震災時の人道支援、領土問題も認識されており、ジョークも入るスマートな挨拶だった
今後はロシアのクリル地区開発計画で2,3年で見違えるようになるだろう、とここでも
ますます返還が遠のくな、と思ったのは私だけではなかったようです
ここでも両国の民芸品のプレゼント交換

それから残された日本家屋を見学

元郵便局、水産事務所が残っているという
郵便局は屋根が無くボロボロだった

2年前に上陸した団員の話によると「前回は保全すると言っていたのに取り壊している」と憤慨していた
古い建物なので自然に壊れたのでは?と思っていたが、2年前の写真にはそのまま使えそうな色鮮やかな建物が写っていた
水産事務所は手を加えられていないようだ

時間が無くなり、郷土資料館は足早に見学をすませ日本人墓地へ

ロシア人には環境に対する配慮はないようで、墓地にもそこらじゅうにゴミが散乱
あちこちに廃車や廃屋がそのまま放置されている
この墓地はロシア人も埋葬されており急斜面に墓が点在していた

こちらは土葬とのことで、盛られたばかりの土がなまなましかった
そしてロシア人には墓場を綺麗にするという習慣は無いらしい
日本人の名が彫られた墓石が割れたり倒れたりしていた

それから指臼山と言われる展望ポイントへ

かなりの距離をバスでかっ飛ばす
この島にも舗装路は皆無
四駆と大型トラックが手付かずの原野を切り開いた未舗装路を疾走するさまは、さながら映画のようだった
展望ポイントに到着、原野、大平原、湖、人間の手の入らない自然は本当に美しい

そのまま地熱発電を行っている噴気孔へ
私が地主で資金力があれば大観光地に仕立て上げたいところだ
大きな鉄タンクを利用した完全かけ流し天然温泉が

うずうずしてしょうがありませんでしたがここで裸族は長崎の恥かと思い自重いたしました

それから別ルートで街へ戻る
途中高台で車を止めてくれた
その景色の美しさははもう筆舌尽くしがたし、ドラゴンが飛んできそうな世界でした

町へ戻ってホームビジット

私が訪問したのは36歳の若い夫婦宅
ご主人はモスクワから、奥様はこの島で生まれ育ったという
そして日本にも三回訪れたことがあり、素晴らしい国だと言う話を

家の外見にはこだわらないようだが、内部は新型の豪華な電化製品がズラリ、サムソン強し
オートバイが趣味とのことで、スクータータイプだが4台も所有
犬が二匹で見事な家庭菜園が、私も自分のオートバイと犬の写真を見せる
なんでも最近1匹なくなったようで私も同じだったことを伝えると連帯感が生まれたような

本当に心より歓待されと感じることができた楽しいひと時だった
ここでは領土問題の話は出来なかったが通訳が巡回してきたときだった
この島からはビザが降りないので直接日本にいけないのが不便だとこぼしていた

心がとても温かくなったが、下世話な私は日本からかなりの費用が出ているのでは、と勘ぐる
領土問題がある両国間で、これだけのもてなしはしないだろうと思ったからだ

事務局に確認するも、交通関係のチャーター代、レストラン等を利用した食事代以外は出していない、ということだった
ロシア当局が補助しているのかは知る由もないが、ボランティアだと思いますとのこと

後日金額を確かめたが、ロシア側に支払う金額はコミコミ100万円強だとのこと
4日間の食事や交通の手配を全て任せて団員一人当たり2万円以下となる
物価は離島ということもあってか日本とあまり変わらない
500ミリの缶ビールが55ルーブル=275円で必要経費にも足らないだろう

ロシア人のホスピタリティを感じてほしい、と色丹島で聞いたのは真実だと確信する

人道支援への感謝、今後の交流への期待、などもあるのだろうが、少なくとも私にはビジネスライクな印象は受けなかった
通訳の方の話だったが、ロシア人はお客が大好き、もてなす料理が足りなくなることほど失礼になる文化という
そして途中で何度も乾杯をするのも特色のひとつ

「ザ フストレーチュゥ(出会いに!)」
「ザ ミール!(平和に!)」
「ザ ドゥルーシブゥ!(友情に!)」

色々な掛け声とスピーチが繰り返される
ロシア人のホスピタリティに乾杯だ

それから商店街(といっても小さな商店がまばらに数箇所あるのみ)で買い物をし、有萌という海岸へ

マスの遡上を生まれて初めて目た、川じゅうがマスで埋め尽くされていた
幸運この上ない

それから港へ

途中助手席の腕の太いロシア人運転手が無言でペットボトルのコーラを差し出してくれた
栓が開いていて飲みかけの室温のコーラ

「スパシーバ、オーチン、フクースナ」(ありがとう・おいしい)

どうやら通じているような笑顔だった

拿捕された日本の漁船が数隻陸揚げされた港から船に戻る
一昨年に船員が射殺された漁船は民間に売り払われ、この港に停泊しているという

夕食時に島民関係者の少々話し込む
現在のやり方では返還はかなり難しいだろうと一致

団員には多種多様な面子が揃っている

教師から官僚、公務員から政治家、ビジネスマン
教育論から領土問題まで酒とともに話が弾み揺れる船の夜は更けていく
日本の教育は結構明るいと思います

明日も択捉島に再上陸、各地見学の後はフォーマルな対話集会



24日 択捉島に再上陸

ギドロストロイ社という水産工場がこの島の産業(唯一か?)
その厚生施設だろうか体育館に到着、かなりの機器がそろったフィットネスルームと屋内のテニスコートが
今日は日本側が仕切って行う交流イベント

四島は火山島でもあり地震・津波が脅威
と言う事で和歌山県民会議が持参した地震津波災害時の心構えビデオの上映(ロシア語の字幕つき)
それから子どもたちとゲーム、楽しい時間だった

交流会の後は昼食、蕎麦の実がライスの代わりのワンプレート
四島のポピュラーな料理だそうですが、今回ばかりは結構きつかった

それから建設中の空港へ移動、3年後には運用開始とか
とにかく開発が進んでいる
2千メートル級の滑走路だとか

それからオーヨ湾の展望台へ
朽ち果てた戦車の砲身は海を向いていた
湾内に侵入してくる敵に向かい銃撃するためのトーチカ跡はゴミ箱になっていた

そして水産工場に向かう
アルメニア人の職員で作り上げたというエントランスの庭園は見事なものだった
しかし庭に隣接した工場の裏の法面はありえない角度
一部崩れていたし、大きな地震が来れば大変だろうなと思う

工場の屋根には「クリル諸島はロシアのもの」と言う挑発的なスローガンがデカデカと掲げられている
内部見学を追えし、会議室で対話集会へ

席は限りがあったが、最後に若手代表だということでテーブルに着座を促される
ロシア側の面子は地区議員、工場社員、校長先生等々

対話集会の内容は、震災やエコロジーなどの無難な?話題から始まった

領土問題に関係の無い話なので割愛するが、一つだけ

ソ連時代は勉強したいと思えば誰でも大学に入れた、今は厳しい競争があり、お金が必要になったという

誰かが
「ソ連時代は金には困らなかったが物がなかった
ペレストロイカの後は物はあるが金に困るようになった」
と言っていた

とんでもない格差も出現したという

港湾には工場の社長のものだという大型の真っ白いクルーザーが停泊していた
その白さには異質さを感じたし、魚をさばく職員の顔の生気の無さが対照的だった


さて、私はここでも同じ質問を

「2006年の日本漁船拿捕と射殺をどう考えているか、個人的な考えを聞かせて欲しい」

個人的なという言葉を入れたのは、用意された答えは聞きたくなかったからだ

しかし前回の交流会と同じ団員から横槍が入って気分が悪い
何をそんなに恐れているのだろうか

帰ってきた答えは用意された答えに、彼なり配慮を加えたものだったように思う

「ロシアの領土内で起こったことで、密猟者を取り締まるのは軍人の責務であるから仕方の無いことだ
私も遺体の引き取り現場には立ち会ったが、両国の人間はみな無言であった、色々な思いがあるのだと思う」

と言う内容だった

私は謝罪を求めているのではない
謝罪を求めるのは国の仕事だ

私たちは一市民である
両国の市民が喜びも悲しみも共有することこそ、平和的な問題解決に繋がると思っている

答えてくれた彼の個人的な思いを聴けなかったのは残念であったし、その後の司会者の対応も後味の悪いものだった


返還を目的とした運動を続けるなら、変わるべきは我々なのかもしれない


最後に最年少の団員が「若い世代は領土問題をどう思っているのか」と質問した

工場の社員が「私の子どもは日本人と結婚しハーフが生まれた、こんなことが続けば問題はなくなると思う」と答えた

質問と答えがズレてはいるが、暖かな雰囲気で対話集会は幕を閉じた


その後は水産工場を見学する
またあの団員が事務局に声を荒げている
もういい加減にしてほしい

それから夕食交流会

日本側の余興も披露され大いに盛り上がる(少々計画性が必要だとは思う)

地区長らに見送られながら、最後の上陸は終わった

船内では最後の夜ということで同室のメンバーで放談極まる
本当に楽しい夜だった

今日は国後島へ航行しながら眠る

25日 北方領土から長崎へ

国後島沖で最後の出域手続き
ハードな船旅も今日が最後かと思えば名残惜しい

船内で解団式が行われた

特異な体験を共にしたもの同士、名残惜しさで和やかなものになる・・・はずだったが、ある発言で後味の悪いものになった

彼なりに思いがあるのだろうが、あまりにも自分の面子にこだわり過ぎているのではないか
楽しい旅にもケチがついたような

無事に根室港に上陸
レンタカーを釧路まで飛ばす

途中の景色は北海道ならでは
広大は平原、果てしない直線道路、湿原の曲がりくねった川、エゾシカにも出会う
今度はバイクで走ってみたいものだ

釧路から羽田までは偶然通訳の方と臨席になった
101回目の訪問になるそうだが、今回のような後味の悪いケースは珍しいと言う
領土問題に集中して率直に話し合えることも多かったので残念がられていた
羽田から長崎へ乗り換えで無事にたどり着く


1日で北方領土から長崎まで移動できるインフラがある豊かな本土


北方領土は厳しい自然もあいまって、豊かな土地だとは感じれない
四島からの引揚者、二世三世を含めた調査によると、四島に移住したい、というのは少数派になっているそうだ
失礼な話だが、20年後には元島民の皆さんは鬼籍に入られていることだと思う
そうなると「生まれ故郷を取り戻したい」という返還世論は先細る

これから根室でも長崎でも下火になっている返還世論を支えるものは何か

水産資源や地下資源といった「国益」を訴える政治家だろうか
国益、という言葉を使えば偏狭なナショナリズムが連想される
確かにこの国全体が戦争に酔った時代があったのだ


そして竹島や尖閣諸島の話になると軽々しい発言も耳にすることがある


私は、日本人にはしなやかなナショナリズムが必要なのだと思う
それを担う世代を育てていかなければならないことだけは確信した


フォーマルな報告書は後日練り上げます


とにかく揺れる船には閉口したが、同室メンバーとは素晴らしい時間が共有できたし、唯一無二の体験ばかりの素晴らしい旅でした

色々とお世話を頂いた事務局の皆さんに感謝


やみくもに撮った四島スナップは コチラ

事前研修と世論調査

2008年08月20日 | 第34代長崎ブロック会長の日々

8:30に集合し、北方四島交流センター「ニ・ホ・ロ」
素晴らしい建物だった、かなりお金掛かってます


今日はまる1日研修会
この事業は16年目となり8,000人が参加しているとのこと

結団式の後は、四島の歴史をビデオ等で学ぶ

それから元ロシア大使からの講和

・歴史的経緯から当時のソ連の行為がいかに卑怯千万かとうとうと語られる
・外交交渉というのは適切な時期がある
・現在は悪い時期、現政権はプーチンの傀儡であり解決への進歩は難しいだろう
・四島にはこれから5年間、ロシアから開発の投資がなされる、占拠をより強いものにするためだろう
・経済発展を続けるロシアに技術面等でパートナーとなり、態度の軟化を待つのが良い
・今はとにかく粘り強くビザ無し交流を続けるしかないだろう

元島民の講和

・小学校4年まで択捉に在住
・戦争が終わったはずなのにソ連が侵略してきた、商店などが略奪され、強制労働に連行された
・程なくソ連が入植、私たちは捕虜となった、日露の子どもたちがケンカしていても問題なかったが反抗した大人たちはシベリアなどに送られた
・銃声は聞こえなかったが、日本人の忍耐によるものだと思う
・ソ連はレンガ造りの火葬場の釜を取り壊し、そのレンガでパン焼き釜を作った、それで焼いたパンを食べるしかなかったが、両親を焼いた火葬場だったので憎かった
・一つだけ嬉しいことがあった、ソ連と捕虜の私たちで電灯を建てた、明かりがついたときは本当に嬉しく、電灯の下で遊んだことを覚えている
・突然カラフトに移される、着のみ着のまま故郷を離れた、劣悪な環境の収容所だった
・栄養失調でお年寄りや子どもが死んでいった
・日本に戻れることになったが、赤ちゃんが直前に亡くなった、亡骸は乗船できないので生きているかのごとくあやすふりをして乗船し、日本に戻った
・平成2年、43年ぶりに故郷の地を踏むことが出来た
・お墓参りをしようとしたが、全てが取り壊されていた、打ち捨ててあった墓石を集めてお参りした
・本当に悲しい思い出ばかりだったが、昔と同じ手付かずの自然が心を慰めてくれたように思う
・交流でロシア島民にその思いを話すことがあり、涙を流して謝罪してくれた、日本の領土だと認識しているロシア島民は増えているようだ


択捉で生活していた時の写真を見せてもらった
昭和初期の日本のどこにでもある、ありふれた風景だった
大自然の中で遊んだ思い出なども話される
侵略され故郷を追われた心中は察するにあまりある


やはり戦争は悲劇だ


その他にも官僚筋等から


・交渉に行くのではなく、交流にいくということ
・返還が実現したとしても、ロシア島民を追い出す、ということは考えにくく、混住することになるだろう、その際に島民が反対しないようにするための環境整備の為の事業
・とはいえ領土問題の話も率直にしてOK、ただしあくまで感情的にならないように
・ロシア人はしたたか、転んだ自分に手を差し伸べられても両手をださないと手を取らないといわれるぐらい、領土に関しても「それは東京とモスクワ(首相同士)の問題だ」とあしらわれる
・ビザ無し交流は係争中である、という証になる
・不法占拠なのでロシアの公権力、所管に服さない
・ビジネスの話を持ちかけれられても、領土問題が先、という対応で
・四島の人口は1万5千程度、交流も「またか」という雰囲気
・ホームビジットではウォッカの乾杯が連発される、急性アルコール中毒になった学生もいた、飲みすぎ注意

などなど

医師からの注意事項や交流についてのミーティング、簡単なロシア語講座を受け、納沙布岬へ




四島は本当に目の鼻の先
周辺海域は水産資源の宝庫、ロシア人もすぐそばまで来て操業するという
ふてぶてしい事にたまに上陸してくることもあるとか
ロシアは日本人を拿捕して撃ち殺すってのに

研修会でお隣は佐賀県の中学教諭
日教組から領土問題まで色々とお話させていただき興味深かった


明日はその四島へ船で向かう
初日は国後島に向かうが、上陸はできないとのこと
入域手続きだけを行い、翌朝の色丹島まで船旅です

小さな船らしく、結構ゆれるそう
私の船室は12人部屋(代議士はシングルルームでございます)
どうやら絨毯の上で寝ることになりそうです(- -;)


さて、忘れちゃいけない世論調査、街の人々に聞いてみました

突撃インタビュー「北方領土って実際どーすか?」

・スーパーのレジのおねーさん
たまに集会をやってるみたいですねー
でも若い人には全然浸透してないみたい
根室に来たんだからエスカロップ食べてくださいね

・根室名物エスカロップを食した喫茶店のおばさん
たまに右翼が来てワーワー言ってますね
行政もやってるみたいですけどそんな意識のある市民は一部
もう60年もたってるし返還は無理だとおもいます

・ビジネスホテルのフロントのおばさん
ロシアが手放すはずが無い、漁民は金づるなんだから(日本の漁師はかなりの額の権利金を払っているそうだ)
二島だけでも返してもらっとけばよかったのにもう無理だろうね
頑張ってる人もいるみたいだけどねー


・回転寿司のレジのおばさん
親が水晶島からの引き上げだったんですけど、もう亡くなりました
二島返還の話が出たときは少し期待したけど、もう無理でしょうね・・・


・コンビニのレジのおにーさん
高校のとき習ったことは覚えてますね、でもサラッと流した感じでした
行政とか政治家はやってるみたいですけどね
自分らの意識には無いですね



・・・と、かなり一般的だと思われる根室市民の生の声でした
ちなみにエスカロップはトルコライスの親戚かと思いました


この街に入ってから、返還要求の看板は良く見た

でも、たぶん冷めてんだろうな、と予想した通りの回答だった

公的、政治的なもの以外、返還メッセージを発しているものが目に入らなかったからだ

まあ63年もやっている返還運動が実らないのだから、自然なことかもしれない
市民の温度は長崎とあまり変わらないレベルなのではないでしょうか


これが民意との乖離なんだろうけど、根室に落ちる返還予算ちゅーのもあるんでしょうし、色々考えちゃいますね


明日は出航したら2時間後には圏外(11時ぐらい)になるそうです
25日までよほどの緊急でなければ連絡は取れなくなりますのであしからず


あ、長くてスイマセン
根室の夜は長いのです・・・

根室到着

2008年08月19日 | 第34代長崎ブロック会長の日々

長崎、羽田、中標津と空路を乗り継ぎ、バスで90分、根室に到着
JRは終点なんですね

人口は3万人、年々減少傾向にあるようで、町並みも寂しさを感じます
本土最東端の納沙布岬がある町です

移動中の眺めは、広大な牧場、原生林、沼、海、とにかく自然が豊富
なんと市内にヒグマも出るとか

道は直線ですが緩やかに波打ってます
数台のバイクとすれ違いました、たぶんツーリングだろうな
この景色の中を走れるとは羨ましい限り

市街地を散歩してみましたが、どの家にも風除室みたいなものが
雪と寒さの対策でしょうか

そしてこの街にもイオンと空き店舗が・・・


街中にはウミネコの鳴き声が響き渡っています
明日まで根室で研修です

明日から北方領土

2008年08月18日 | 第34代長崎ブロック会長の日々

視察に行ってきます

沢山資料が送られてきたので読み込んでいる最中ですが、どうやら交流を重きにおいた内容のようです
対話集会なども開催されるということですが、感情的な発言や行動は控えてください、なんて表記も

最初の二日間は、事前研修やなにやらで根室泊
その後四島へは船で出発
四島は国内であるという主張をしていますのでビザ無し交流となります

国後、色丹、択捉と上陸しながら交流事業や対話集会、日本人墓地を訪れます
歯舞諸島は小さい島々なので眺めるだけ


渡航中の4日間は船中泊

実は船に泊まるのは初めてなんすよ
酔わんだろか・・・(- -;)


渡航団は総勢64名

元島民の方はもちろん、市長や校長、地方議員、神職の方などバラエティ豊か

パソコンも持っていくつもりですが、更新できるか微妙なところ
長崎には25日夜に戻ります

26日は県庁移転懇談会で佐賀県庁視察です

今日は向こう1週分の仕事の段取りや弊社の夏祭りの準備やら
夜は理事会なんで準備は夜中だな、こりゃ(- -;)

おもやい船

2008年08月16日 | DAYS

年に一度のヘブンライブもどうにかこなせました

まいもどって今年も町内のおもやい船を曳く

秋はすぐそこです

植替え

2008年08月13日 | DAYS

福江JC公式訪問の際に頂いた玉之浦椿を弊社の敷地に植え替えました
根付いてくれるだろうか心配
形付けに巻いてある針金取りには苦労しました
でも盆栽ってこんな面白さがあるんだろうな


山○副会長、井○委員長が大村JC事務局に来訪頂きブロック事業についての打ち合わせ
ハードルは低くはありませんが頑張りましょう


長崎新聞に懇話会視察の記事が
記事の書き方に色々と考えさせられます


今年も阿蘇バイクヘブンのステージに立つことになりました
14日、アスペクタでお会いしましょう
天気が心配だなあ

パラダイス鎖国

2008年08月11日 | 本や音楽、講演などなど

地区協議会では
・大会の補正予算などが審議可決
・09年の地区大会主管がF岡JCに

協議を重ねてきた議案が取り下げになっていたりして厳しいもの
リーダーズサミットの協議では少々言い過ぎたかな

その後は地区大会前夜祭に
対戦抽選のアトラクションではなんとかブロ長の面目を保てたか
結果は惜しくも決勝で敗れたとか
長崎JC野球部の皆さんお疲れ様でした


さて「パラダイス鎖国」

日本は市場がそこそこ大きく、安全でクリーンで住みやすい=「パラダイス」が長く続いたために海外へ憧れとハングリー精神が忘れ去られ、引きこもり=「鎖国」状態が続いていると警鐘を鳴らしている

それも母性愛にあふれた警鐘だ

著者 は早くからシリコンバレーに移住した子育てママ

シリコンバレーの独特の文化や流儀を踏まえ、日本を「緩やかな開国」に繋げていければよいと発している


この本は誰に向かって書かれているのかというところに得心しきり
おススメです


日曜は朝から廃品回収、精霊船作り、会議、ソフト練習と盛りだくさんな一日でした

8月9日

2008年08月09日 | 政治や思想

例会お疲れ様でした
オブザーバーの出席、理事長予定者の発表、K井先輩の講演など充実した例会だった
特に退路を断ったK君の勇気に心からエールを贈りたい


さて、今日は8月9日
いわずと知れた長崎に原爆が投下された日です

登校日が変えられたり、日本とアメリカと戦争をしていたことすら知らない世代もいるとのこと
自国の近代史ぐらいはしっかり勉強しておきたいもの


昨年は上海で今日を迎えました
今は地区協議会で行橋に来ています


私たちは2000年からピースラリーを始めました
全国のバイカーに呼びかけ、千羽鶴を集め、ヒバクシャを招聘し講演活動と寄付を行ってきた

しかし祈るだけでは平和はやってこないことが分かりました
(あえて無駄とはいいませんが)
平和という言葉を濫用して自国の主権も放棄しかねないような主張をするおとぎ話の国からやってきたような方々には辟易しています


昨年クローズしたピースラリーは今年から再オープンし、内容を変えます
身近な人々の命を救えるチャンスを作り出せるようなものにしたいと思います

外務省に届かないところで声をあげ、新聞記事になるぐらいでは平和に資するとは思えない

いままでやってきたことが無駄だとは思わない
私自身もより深く考えるようになった
平和とは戦争の無い状態であり、それを左右するのは外交であり政治なのだ

ピースラリーに政治は持ち込まない
だからリアリティを求めていきたいと思います


こはれたビルデングの地下室の夜であつた。
原子爆彈の負傷者達は暗いローソク一本ない地下室を埋めていつぱいだつた。
生ぐさい血の匂ひ、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて來た。
「赤ん坊が生れる」と云ふのだ。
この地獄の底のやうな地下室で、今、若い女が産氣づいてゐるのだ。
マッチ一本ない暗がりの中でどうしたらいゝのだらう。
人々は自分の痛みを忘れて氣づかつた。
と「私が産婆です。私が生ませませう」と言つたのは、さつきまでうめいてゐた重傷者だ。
かくて暗がりの地獄の底で新しい生命は生れた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまゝ死んだ。
生ましめんかな 生ましめんかな。
己が命捨つとも。

鹿児島県庁

2008年08月07日 | 第34代長崎ブロック会長の日々

視察に行ってきました

県庁移転懇話会の視察ですが日帰りはさすがに疲れます

以下備忘録として

1、県庁舎

バブル末期の設計らしく吹き抜けの超豪華設計、しめて650億円なりー
維持費も年間5億円、鹿児島県の財政はさぞや健全・・・な訳は無い

財政再建の為に給与カット、節電の為に照明は半分電球が抜いてある
メインエントランスのエスカレーターも止められておりもの悲しい
素晴らしい展望の展望室のカーペットはボロボロで、破れたソファもそのまま
駐車場は屋上が緑化されており、キャパも相当なもの
しかし手入れがなされておらず草ぼうぼう

何処も自治体は大変です

コストを度外視すれば素晴らしい建物
特に県政情報開示室は整然としており、情報を入手しやすそうで気に入った

しかし長崎県庁もそうだったが、本棚が乱雑だったり、整理整頓がイマイチ、機能的に作られているハコモノだけに惜しい

やはり中身の意識改革もセットで必要なんでしょう



2、県議会棟


県議会は県民の意思を代表するものです

そりゃあ権威も必要なんでしょう

フォーマルなセレモニーには適度な上質さもいるんでしょう


だからといって、鹿児島県議会は



やりすぎです

敷き詰められたフカフカのカーペットには染み一つ無く、郷土民芸を取り入れたゴージャスなインテリアも抜かりなし

委員会室も数多く、全員協議会室なんてのが別室である(議場でやれば十分でしょーが)
広大なスペースの自○党議員控え室に、超ゴージャスな議長室

赤じゅうたんの広い階段は国会とみまごうばかり
県庁舎とはえらい違いです


県の財政が苦しく、爪に火を灯している県庁舎の現実を知らないはずは無いと思うのですが・・・


県民の代表ならば率先して議会改革を行うべきと思う
権威じゃなくて権益だろ、これは


それとも執行部の狡猾な戦略だろうか?



3、県警棟

こちらも県庁舎と同じく質素な作りで、電球が抜いてあるためか全体的に暗いイメージ

色々と守秘があるためか、社会化見学コースをあっさりとこなした感じ
乱雑な印象は受けなかった、これも長崎県と同じですね


4、質疑応答

・竣工時に公金の不適切使用問題が出たそうで批判もあったとか

・旧庁舎は街中にあり、3,000人の職員が郊外へ移転することで周辺商圏へのダメージが懸念されたが、目だった影響は無かった
現在の跡地に県民交流センターを設置し、賑わいは増したよう

・費用対効果は明確なデータが無い、しかし体感として県庁に訪れたり利用する県民の数は増えているし、業務効率も上がったように思う

・竣工時は最先端技術のインテリジェントビルを標榜していたが、現代の技術革新に遅れを取っている感がある、互換性・拡張性は大切である

・スモーキングエリアに苦慮している(竣工当時は現代のような風潮は無かった)

・OA熱に配慮が必要

・シラス台地の埋め立て地に立っており、液状化現象が懸念されるため地盤改良を行った

・県庁舎を建て替えるなどそうあることではない、100年200年の建築物になる、ということを考え抜くべき


私も

・銀行や売店の家賃収入などはどうなっているか、競争性を持たせているか
・議会のコスト削減はどうなっているか

などと質問したかったのですが時間切れ



懇話会のメンバー数名と移動中にお話をすることが出来た

特に移動中、隣席になった移転反対派のM田先輩(長○JCのPPでいらっしゃいます)の見識をお伺いすることができたのが収穫だった


疲れましたがナカナカに充実した視察でございました

夢をかなえるゾウ

2008年08月06日 | 本や音楽、講演などなど


宮崎ブロックS水会長のおススメ

世界中の成功法則?がお笑調でまとめられている
目新しさはないものの面白いし、サラッと読める良書
しかし一箇所だけ利口臭いと感じるくだりが

とにかく楽しく読めて気づきを与えてくれる本、おススメです


数週間前のこと、駅まで歩いていった

駅裏のトンネルに誰かが穴の開いたバケツを置いていた
そこにゴミが入っていた


数日たったらゴミは増えていた


そして夏越の後、ゴミはもっと増えて散乱してた


誰かが掃除するだろうと思っていたが、何時になるか分からないな、と思い直し自分で掃除した


トンネルが綺麗になって気持ちよくなった

誰かがやってくれることはあるかも知れないが、それは何時になるか分からない

変化を求めるなら自らがその変化となれ


自分でやるしかないんだゾウ…