北村タカトシ(旧ブログ)

ホームページおよびブログは http://takatosi.net へ移行しました。

研究計画書

2014年08月25日 | 原稿等
1.本研究科を志望する理由(1,000字程度)

私が経済経営政策専攻・経営学修士コースを志望する理由として、二つの目的があります。
一つは体系だった経営学を学び、自身の経営する事業に反映させ、事業の継続および発展をもって地域経済の活性化と雇用の維持を図る事。もう一つは政治活動や政策の質をより高め、公共経営の担い手である議員活動に反映させる為です。私は高校卒業と同時に社会人となり、20年ほどが経ちました。介護事業を立ち上げ18年、医療事業を立ち上げて2年、実務面ではある程度の経験を積めたと自負しております。また(公社)大村青年会議所に入会し、昨年の卒業を迎えるまで17年、地域貢献活動として青少年育成事業や夏祭りの運営などに携わりました。青年会議所の活動には自己啓発の一環としてリーダーシップ育成事業や異業種経営者との交流、経営の勉強会などを行うのですが、単年度制という組織の性格もあり、専門的、体系的な学びを得るまでに至りませんでした。青年会議所を卒業してからは、独学を重ねておりますが、学びの深さに限界を感じています。経営者としての責務や社会的責任を鑑みればまだまだ学びが足りないと考えています。
そして、青年会議所時代に私が心血を注いだ運動としてマニフェスト運動があります。この運動の目的は「有権者の政治リテラシーの向上」を第一義とし、選挙の際には候補者による公開討論会を開催し、マニフェストを中心とした政策論争をもって有権者の判断材料を提供する、選挙の開催されない時期でもマニフェストの検証を行う、といった運動が中心です。各地でこの運動を展開しながら、政治の一端に接するたびに「私ならば」といった思いが芽生え、政治の志を立てるに至りました。現在では市議会議員として活動して3年、その活動から体得したことは「地方自治は経営である」という事です。経営は「ヒト・モノ・カネの動かし方による利益の追求」と考えますが、地方自治は公益の追及を目指す経営といっても良いでしょう。昨今では公共経営という言葉も使われるようになりました。しかし何を持って公益とするのか、何が公共に資するのかといった難しい問題があり、企業経営には無い難しさがあるのも実感しています。
「このまちに生まれてよかった、このまちに住んで良かった」と思えるようなまちづくり、次世代に誇りをもって託せるまちづくりを実践する為には、政治家としてもまだまだ学びや経験が不足していますが、事業経営に携わってきた実務経験を公共経営に活かすことはできる筈です。本研究科において経済経営政策を専門的・体系的に学ぶことにより、経営者としての能力を向上させ、事業の発展を目指し、現在の議員活動や将来市長として主体的に携わりたいと考えている公共経営の為の学びを得たいと考え本専攻科を志望するに至りました。

2.研究計画の概要又は関心領域の概要(1,000字程度)

私の関心領域は人的資源管理と組織行動学です。「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり」これは「風林火山」で知られる武田信玄公が残した甲陽軍艦の中にある勝利の礎とされている御歌です。
私は小規模ながら事業を経営しており、人事で悩みを抱えていたところある経営書の中でこの御歌に出会いました。少ないとはいえ社内からリーダーとなる人材をどのような基準で選抜するべきなのか。いかに組織の陣容を固めるべきか。暗中模索していたところこの歌がストン胸に落ち、改造人事を断行した思い出があります。この歌は経営の真髄を表しているのではないかと考えており、端的に言えば
「企業は人なり」という言葉に集約されるのではないでしょうか。経営資源は「ヒト・モノ・カネ」と言われますが、中でも「ヒト」という資源管理の難しさはいまだに手に余る思いです。本科において人的資源管理において採用や配属、人材開発や報奨制度等を深く学び、研究し、事業経営に活かしたいと考えています。
また、組織行動学についても大きな関心を持っています。組織を構成するスタッフのモチベーションを向上させ、維持することは企業の継続と発展には欠かせない要素だと考えています。「人はパンのみにて生きるにあらず」と言いますが「パン」が無ければ生活できないのもまた真実です。社会人の多くは企業という組織に属し労働することによって生活の糧を得ます。所謂会社勤めのサラリーマンが組織の多数派を占めますが、その組織群は己の生活の為に働くという大前提があり、求められる以上の成果を出そうとしない、指示される以上の労働をしようとしないという傾向が見て取れます。これは合理的な行動とも言えるのですが、企業としての成長や持続性、労働者自身の成長、企業が社会にもたらす価値の向上にもつながりにくいと考えています。原因は企業や経営者、労働者に様々なものがあると考えられますが、概ね経営者と労働者の意思の疎通や、両社が適当と考える報酬制度、共有できる目標の設定等にあるのではないかと推測します。両者の齟齬を解決し、労働者の意欲向上や自己実現を通して、企業の持続と発展および社会的責任を果たす為にどのような組織を作り上げるべきなのか?どうすれば組織は強くなるのか?という事を学びたいと考えています。これまでの実務経験では私自身の皮膚感覚で事業経営を行ってきた感は否めません。それは私の限界が企業の限界にも当てはまるのではないかと危惧するところです。この学びを得ることによって企業の行動様式や社風を確立させたいと考えています。どうか学びの機会をお与え頂きますよう心よりお願い申し上げます。

「日本のあしたのつくりかた・人口減少時代の自治体経営」について

2014年07月03日 | 原稿等
日本創成会議の人口減少問題検討分科会(座長=増田寛也元総務相)が、2040年時点の全国の市区町村別人口を独自に推計したリストの発表は全国に大きな驚きをもたらした。このリストでは10年から40年までの間に若年女性が大幅に減少する896自治体を「消滅可能性都市」と位置付け、このうち40年時点で人口が1万人を切る523自治体は「消滅可能性が高い」とされている。消滅可能性都市とは子どもを産む人の大多数を占める「20〜39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減る自治体をさしている。長崎県内の消滅可能性都市として挙げられるのは21市町の内、島原市(57.9)諫早市(50.2)平戸市(70.9)松浦市(59.7)対馬市(75.2)壱岐市(61.5)五島市(75.9)西海市(65.6)雲仙市(58.0)南島原市(63.0)東彼杵町(69.6)小値賀町(75.6)新上五島町(80.4)の13市町がリストアップされた。※()内は減少率。中でも東彼杵町、小値賀町、新上五島町は人口が1万人を切ると推計される消滅可能性が高い都市に含まれ、新上五島町においては人口減少率ワースト30位とされた。
誰しも故郷が衰退していくのは悲しいものである。生まれ育ったまちが消えてなくなるなど想像もしたくない。私は大村市議会の視察にて「破綻した自治体」としてその名が全国に知れ渡った北海道夕張市を訪れたことがある。夕張のまちを歩き朽ち果てた家屋がつらなる地域を目の当たりにした「夕張メロン」「夕張映画祭」という観光向けの華やかなキャッチフレーズとは似ても似つかない現実がそこにあった。その視察では北海道内の数か所を訪れたのだが、廃校になることを告げる垂れ幕が架かっている学校を何度も見かけた。人気のない校舎や街並みを見るたびに私は言いようのない喪失感に囚われた。そしてこれが自分の生まれ育った町だったらと考えるとそら恐ろしくなったのである。夕張の市議会議員や職員に話を伺う機会もあり、その経緯や「飛ばし」の手法を聞くにつれ、失礼ながら議会や行政もグルになってデフォルトに突き進んだとしか考えられなかった。そこには「最後には国が何とかしてくれるだろう」という甘えの体質が見え隠れする。そのような夕張市も御多分に洩れず消滅可能性が高い自治体リストに含まれている。目下財政再建団体となって国の管理下で再生に取り組んでいるが、その道は困難であることは想像に易い。私は故郷を愛する者の一人としてこの不名誉なリストから長崎の名を外したい。困難な目標かもしれないが、同じ思いを共有できる県民は少なくないのではないだろうか。
「消滅リストからの脱却」この目標を成し遂げる為にはどうすれば良いのだろうか。このリストには「人口移動が収束しない場合において」との前提が置かれているのを忘れてはならない。このリストを覆すためには現状の人口移動を収束させる。更には「人口の流入」を実現させなければならないのだ。これは人口流出に悩む長崎県が抱える命題であり、その解決に向かって様々な取り組みがなされているのは周知の通りである。自治体間競争の時代と言われて久しく「競争力=域外の住民に住んでみたいと思わせる地域の魅力」を磨きあげようとしている自治体は少なくないが、成果を上げているとは言い難いのではないだろうか。
その様な中、本書は様々な示唆を与えてくれる一冊である。著者は大庫直樹氏、マッキンゼーに入社後様々な金融機関の経営改革に携わり、大阪府・市の特別参与、金融庁参与を務める「大阪維新」を掲げた橋下徹市長のブレーンの一人だ。大阪都構想を訴える橋下改革が失速した感があるのは否めない。しかし本書には括目すべき点が多いと考える。特に本邦初の試みと胸を張る自治体の経営支援「カネの最適化」を通じて行財政改革を論じているところに注目したい。
本書では先ず“超”長期予算のシミュレーションに取り組むべきだと訴える。長期予算の見通しなどはどこの自治体も既にやっているところだが、その前提が右肩上がりのものが多い。いわゆる見通しが甘いのではないかと指摘する。中でも公債費については、昨今上昇に転じた金利トレンドを考慮すると健全のように見えるシミュレーションもかなり微妙な状況になると指摘し、財務マネジメントの重要性を強調する。更に深刻なのは施設やインフラ等の老朽化問題が追い打ちをかける。人口減少社会の到来とともに施設インフラの整理縮小廃止が必要なのは分かっているが「おらがまちの公民館」を廃止するとなると反対運動が巻き起こるのは世の常ではないだろうか。まさに総論賛成各論反対という状況の中で、限られた資源をどこに投入するべきかという取捨選択を決するのは政治の仕事であるに違いない。その過程で二重行政を廃し、行政サービスの民間移譲を進め、自治体の再編・統合を進めるべきと主張する。もはや一般論と言っても差し支えないと考えるが、それが遅遅として進まないのは郷土愛によるものなのか住民エゴによるものなのか、はたまた政治の機能不全なのかは判断できない。ただ現実に目を背けてばかりではいられないのも事実だ。心の底では皆共通の認識として抱いているのだろう。その厳しい現実を直視する為には「希望」が必要なのではないだろうか。その希望=自治体経営改革の為の処方箋として著者が考えるものについていくつか挙げてみたい。
先ずは自治体にとっての成長戦略として「企業を県外に送り出せ」とする。企業誘致という耳慣れた言葉からは意外に感じるが、その実は地元企業の広域化支援である。大阪府内の事業所数は約21万社、そのうち大阪府外に工場や営業所などを持つ企業は1.4万社しかない。ところが、その全体のわずか7%を占める企業群で、大阪府内で発生する企業所得の65%を生み出し、法人事業税の67%を納めている。大阪という国内2番目の大都市でも、地元だけに拠点を構える企業の貢献度は意外なほど低いとするデータを提示し地元企業の広域化、すなわち県外進出は空洞化につながるのではなく、むしろ納税に貢献し、雇用を生み出すことにつながるという。これは地元企業のオーナーが持つ地元への愛着=成長しても本社移転はしない、という情実を前提にしているものでもあるが一定の説得力が感じられる。中堅・中小企業がすぐに東京を目指しても、人材やネットワークを直ぐに確保できる訳ではない。少数派である東京本社の大企業を誘致するのではなく、国内事業所数90%以上を占める中間層の企業群を成長させていくという視点の転換には得心させられた。その支援内容については金融支援からの転換が必要とも指摘する。自治体の起業支援は基本的には融資の為の信用保証制度や固定資産減税、インフラ設備資金支援などが中心であるが、地元企業の広域化において不足しているのは人材や情報、取引先といったソフト分野での支援であるという。団塊の世代の大量退職時代を迎えているが、経験豊富な人材が数多くその能力を持て余しているのではないだろうか。加えて金融支援にも民間活力を取り入れるべきと説く。その手法として、いわゆる投資市場からの資金調達を目指して東証一部・二部以外の新興市場への上場化を支援してはどうかと提案している。具体的な支援の手法が明記されていないのは残念であるが、新たな可能性を試す、視野を広げるという意味では検討に値するのではないだろうか。人口減少社会の到来により経済規模が小さくなる中で、他県企業による雇用や救済を求めるだけではなく、自県企業による成長を促すという経済政策への転換をという主張からは自主自立の精神が感じられる。
著者は大阪府特別参与として行財政改革に携わる中で、行政に財務という発想がなかった事を一番の驚きとしている「財政あって財務無し」というところだろうか。ここでいう「財政」とは予算編成の事とし、歳入と歳出をどうバランスさせていくかという作業になるが、公会計では借金も歳入としてとらえるのでかなり荒っぽくなっていると指摘する。翻って民間でいう「財務」とはカネの効率的な管理の事だとする。カネにも返済期間や金利のタイプ・水準の違いがあり、きめ細かく管理していくことで資金調達のコスト削減を図り変動金利を安定化することができるという「カネに色はない」という言葉があるが、財務の世界では色を付ける。特に自治体のバランスシートは独特で資産として計上されている物の中には換金性の無いものも少なくなく、それを前提に資産側を管理し、負債側の借入金の組み合わせをする事が重要だと指摘する。現在では「自治体の資金調達金利は民間よりも低い」という神話は崩れ去っており、自治体にも金融リスクがあるとする。民間の資金調達は返済期間が1日というものもあり長くても10年。しかし自治体は10年を3回借りて返済するというのが基本で公を営企業に至っては一括30年というケースが少なくない。しかも現在の低金利を反映していないものが多く、水道事業に至っては料金の約15%が利払いにあてられるという事態が生じているとする。これはカネに色がないと思い込み、組み合わせを考えず資金調達手段(ポートフォリオ)を構築し続けた結果だと断じる。ただし全国の自治体全てが「財務無し」という訳ではないようだ。特に京都市、福岡市の平均調達金利は低く、短期と超長期の債権をうまく活用した結果、優秀なポートフォリオを実現しているという。なぜそれが実現できたのだろうか?必要なのは債権市場の金融リスクに精通した人材の配置だが、京都市や福岡市については担当者の苦心が実った幸運な形だ。そこで著者は日本の自治体に最高財務責任者(CFO)がいないことを問題視する。自治体のCFO配置は海外では一般的で、英国などは財務報告書の署名は首長ではなくCFOが行う。ただ単に資金調達を効率的に行うだけでなく、予算編成にも絡みCFOが首を縦に振らない事業は推進できない仕組みになっているとのことである。日本には東京都という例外を除けば、地方債担当者は首長と離れたポジションにあり直接モノ申すことができない。その結果どうしても予算は膨張しがちになり、将来を顧みない計画であっても抑制されにくいという。ここで頭に浮かぶのは本年4月に実施された兵庫県西宮市長選挙の結果だ。現職が新人に敗れた選挙となった訳だが、最大の争点として大型公共投資の是非が上がっていた。西宮市民はその公共投資を「ノー」とした訳である。このような市民による選択の機会は首長選挙であれば4年に一度しか回ってこない。また選挙であるから、どうしても候補者の知名度や経験、求心力に左右されがちである。まちの将来の姿は選挙によって選択の機会があるとも言えるが、その経営資源であるカネの管理手法まで選択しているとは言い難いのではないだろうか。将来の長きにわたる市民の負担設計を時々の政治家に委ねすぎることは、恣意的な予算編成を抑制できないことにもつながりかねない。恒常的に冷静な判断の元、ポートフォリオを構築するしくみが無いのは住民にとっても不幸であるといえる。なので自治体に財務マネジメントに精通したCFOを設置する事が求められるが、何も新たなポジションを追加せよと言っているのではない。大阪府の例をとれば、地方債を担当する部署は総務部の中にあり、よろず対応のごちゃまぜ組織になっていたという。これを東京都の例に習って組織変更し、財政部を設ければおのずと財務に特化した組織が生まれる。加えて担当者に公会計士の登用ができればベストだが、有資格者の不足や人件費等の制約もありスムーズに登用が進むとは考えにくい。そこで企業経営者や銀行幹部のOBといった実務経験を持つ人材を嘱託として登用するのが有効ではないだろうか。公務員畑一筋では得ることができない見識や価値観と実務経験を退職後に持て余すのは勿体ない限りだ。故郷に恩返ししたいという方も少なからずいると考えられる。自治体の経営を成功させるにはCFOを政治任用するのでなく「公募」することが首長の恣意性からも距離を置けるという点で有効だとする著者の主張に異論はない。ただし首長の権限は絶大だ。しっかりとCFOが首長にモノ申せる環境整備も必要だと考える。首長と相対する機関は議決権を持つ議会である。議員も選挙によって選出されるので、財務に関する能力の高さが当選に直接結びつくものではない。なので当選後の議員に対する財務状況の説明を定期的に行うなどして、CFOをどちらかと言えば議会よりのポジションに据えることが肝要なのではないだろうか。議会の主たる権能として予算のチェックがあるので、議会からは歓迎されるだろうし、CFOも自己の存在意義を見出す事につながるのではないだろうか。また、任期は複数年とし就任については議会承認が必要なことは勿論の事、選出時期を首長選挙と最も離れた時期に行うことも必要だろう。いわばその独立性をいかに担保するかが健全な財務運営を確立する重要な要素となると考える。
近年自治体の政策を論じる上で「アセットマネジメント」という言葉をよく耳にする。これは高度経済成長時代に整備された様々な施設やインフラが老朽化し更新時期を迎えている中で、緊急性や必要性、市民のニーズといった様々な観点から優先順位を決定し再整備を進める順序を指したものと理解して良いだろう。著者はその「アセット=自治体の資産」の中に公営企業が含まれるとし、そのマネジメントおよびリ・デザインの必要性を説いている。公営企業とは自治体自らが直営で事業収入を伴う事業、上下水道や公共交通、公設病院、市場等の事業体を言う。著者が訴えるマネジメントとは公営企業の資金調達に関するところである。公営企業の多くは前述したとおり長期の固定金利が設定されている場合が多い。金利は平時においては長期になるほど高金利になり、低利な短期の資金調達が主流となった現在のトレンドを活かしきれていないことが課題としている。公営企業の多大な利払い費用は主として利用料金に跳ね返る。料金の10%を超えるような水準が一般化しており、住民負担は少なくないとする。加えて「母屋でお粥、離れですき焼き」という発言で知られる塩爺こと塩川正十郎が指摘したように特別会計、公営企業会計の大きさを問題視している。公営企業の一つ一つが巨大であり基礎自治体(最小の行政区画)の普通会計と公営企業会計の資産比率は平均1.4倍としている。私の在住する大村市の平成26年度当初予算では普通(一般)会計375億、公営企業会計692億とキャッシュフローをみても1.8倍となっている(残念ながら同市の予算説明書にはアセットマネジメントという視点は取り入れられておらず、会計毎の資産比率は記載されていない)バブル崩壊以降、1990年代に民間企業が積極的な財務リストラに取り組んだ結果、公営企業と民間企業の間には資金調達コストにおいて1%以上の差がついている。仮に民間並みの金利に落とすことができれば日本全体の公営企業で年間7000億円の超える支払利息を削減することができると試算している。もっともこういった借り換えには繰り上げ返済が前提となるが、融資契約の多くが繰り上げ返済についてペナルティーを課しているので経済的なメリットがない。繰り上げ償還が許されるケースもあるが限定されているのが現状である。ただ、公営企業の資金調達の多くは政府によるものであって、自治体の財務基盤の強化が重要となっている昨今、そのようなペナルティーを見直すのも政治の仕事ではないだろうか。それが実現すれば、政府としては減収になるかもしれないが、利用料金の引き下げや、一般会計からの繰り入れを減らすことができるかもしれない。そうなれば国庫からの交付金も減じる事ができるだろう。何より資金がだぶついているとされる民間金融市場に自治体が直営する巨大会社=顧客がほぼ固定されており信用度が高い会社が参入すれば、格好の投資対象となり、ひいては経済の活性化につながり、雇用の拡充、繰り上げ償還による国債のデフォルトリスク低減が図られるのではないだろうかとしている。著者はこれらを公営企業債改革によるマネジメントと位置付け、自立可能な公営企業にも言及、水道事業の大半は自立可能な状態であるとしている。そこで思い出されるのが近年話題となった四国松山市の水道事業である。フランス・ヴェオリア・ウォーター社が受託したように、民間委託は全国で進んでいる。国外の企業が参入するという珍しい事例だが、企業にとっては多くの固定客を持つ水道事業の魅力が大きい事を示す事例ではないだろうか。また先日も関空・伊丹空港の事業運営権の売却(コンセッション)が発表され総額2.2兆円の規模になるという。この入札には外国企業をはじめ国内外の投資ファンドも興味を示しているとのことで、コンセッションは空港分野を皮切りに益々進むだろう。仙台空港は2016年3月から民間運営となり、愛知県では有料道路の実施に意欲を示している。
ただし、自立できる公営企業ばかりではない、という指摘もなされている。特にバス事業、病院事業については自立困難とし、全国を見渡せば水道事業も含めて「まだら模様」であるのは否めない、資金調達においては一律の仕組みはベストとは言えず、多様性を認めていくことが必要と説いている。財務的に苦しいのは人口減少に悩む地方都市であるし、その人口規模も様々。全国一律ではない資金調達のルールをどのような基準で設けるのかは出口のない議論になりかねない。公営企業債改革の恩恵の多くは地方都市が受ける事になると思うが、まだら模様の都市ごとに差がついてくるのは否めないし、丸ごと救うとなればモラルハザードともなりかねない。夕張市の姿を思い浮かべるのは私だけだろうか。
著者は自治体や公営企業の多様な資金調達の手法を論じる中で、レベニュー債化の為のダブル・フェイス債というアイディアを提案している。レベニュー債とは米国の公的団体が発行する地方債である。返済はその事業の収益で行われる。債権発行について議会承認などを必要としない代わりに、国や自治体による債務保証が無い。そのシンプルさからか米国の地方債の過半はレベニュー債だとのこと。債務不履行のリスクを伴うため金利は高めになるという。日本でも公営企業が自立して資金調達を行っていくとすると、米国のレベニュー債が参考になるはずだが、日本での導入事例は見られない。導入が進まない最大の理由は、高い金利を支払ってまで発行したくないというのが実情だという。しかし著者はレベニュー債化を進めておかないと国債のデフォルトリスクに対応できない、と警鐘を鳴らす。そして、レベニュー債の金利の高さはダブル・フェイス債を開発することによって解決できるのではないか、とする。ダブル・フェイス債とは時と場合によって二つの顔を使い分ける債権だという。なんだか胡散臭い話になってきたが、その内容は興味深い。レベニュー債をダブル・フェイス化する為に、債権発行について議会承認を課すところがキモである。そうすることによって「暗黙の政府保証」が付加されるとする。夕張市は実質公債費率か25%を超え破たんした自治体といわれるが、その実は国の管理下おかれて再建を強いられる=自治権が抑制される自治体になった訳で自治体そのものが解散したりはしない。このことから自治体に対して暗黙の政府保証があるといえるので、レベニュー債の信用度が高まると主張する。加えて、国債のデフォルトが現実化し、国が信用を失ったとしても返済原資は一義的には事業収益にあることになる。このため国債金利とは距離を置くことになるので、国の信用力頼みである従来型の公営企業債に比べて債券価格が安定するという。そして国の信用が揺らいだ後になっては暗黙の政府保証が無意味になるので単純なレベニュー債化することになる。ダブル・フェイス債はレベニュー債への橋渡し的な金融商品になる、と定義づけている。しかしそのような二面性のあるような金融商品が市場で受け入れられるのだろうか?という疑問がわいてくる。著者はリーマン・ショックを忘れたわけではあるまい。投資対象となる金融商品であるから100%安全である必要もないだろうが、ある程度の安全性を確認することは投資家を呼び寄せる上で必要だろう。このことについて著者はそれぞれの公営企業の財務的な状況を開示し、不正なく売買できる取引市場をつくる必要があるとする。米国にならって自主規制機関(MSRB)を設置し、債権を発行する自治体や公営企業などの財務情報を収集し無償で開示するしくみを確立する。同時にウェブサイトで公開するという取り組みが必要だとする。さらにその役割を担う団体として地方公共団体金融機構の名を上げる。同団体は公営企業への貸し付けを行っている団体だが、現在貸し付けの為に審査業務を行っているので、レベニュー債、ダブル・フェイス債を普及させる為の自主規制機関としては最も距離が近く、それが公営企業の信金調達をめぐる社会システムのリ・デザインの一環となるとしている。この提案が現実すれば、野心的な投資家ばかりではなく、個人投資家の呼び水にもなるのではないだろうか。ここで注目したいのは広島県と広島市が新しい広島市民球場建設の為に一般会計債として募集した地方債である。国債並みの低金利にも関わらず、募集金額20億円に対して、三倍の60億円を集めている。広島の野球ファン、というか広島市民の郷土愛が表れている事例なのは言うまでもない。市民に愛されている身近な郷土の公営企業、例えば市民ホールや歴史美術館等がその再整備等の為に債権を発行できるようになれば、寄付する事まではできないが、預金として眠らせておくよりはまちづくりに活用したい、という市民感情が湧くのではないだろうか。債権者となればその公営企業の動向が自然と気にかかるはずだ。公益を創出する公営企業への関心は債権者による監視ではなく、市民による協働へと変化する可能性を秘めている。地域のまちづくりに寄与する公営企業の運営にささやかなれど係わっているのだという意識が促されるので、配当を最大化せよという債権者が中心になるとは考えにくい。どのような事業展開が公益の最大化につながるのか?企業がどう行動すればまちの為になるのか?その為に自分ができることはなんなのか?というような、自分の利益だけを主眼に置かない利他の心や郷土愛の醸成に繋がるのではないだろうか。レベニュー債、ダブル・フェイス債の活用が個人投資家の利殖目的だけではない投資行動を生み出し、郷土愛醸成に繋がっていくことを期待したい。
著者は自身の経験から行財政改革を「カネの最適化」という視点で論じており、実効性に現実味が感じられる提案が多い。自治体をスリム化し民間力を十分に活用すべし、という主張が各章を通して一貫して論じられている。人はパンのみにて生きるにあらずだが、パンがなくては生活できない。日々の生活や自己実現の為の糧を得ることができる「仕事」が必要なのだ。自治体や公営企業の債権を開放して個人資産の流動性を刺激し、経済の活性化によっておこる雇用の確保が重要課題である。本書では様々なメリットが論じられたが、その成果が雇用の拡充につながったかどうか、という検証も必要になるだろう。
同時に長崎に住み続けたい、という地域の魅力を磨くことも重要になる。フットワークの軽い人々の存在も無視できない。幸いなことにインターネットの普及により、表層上の情報格差は狭まったと言っていいだろう。加えて交通インフラの充実と低廉化も進んでいる。長崎から東京大阪日帰りというビジネスマンも珍しくなくなった。都市部ならではの仕事をこなし、イベントやショッピング等を楽しむが、住んでいるのは故郷長崎という層は増加するだろうと考えられる。ここで注目したいのは長野県佐久市の事例だ。佐久市は素晴らしい自然環境に恵まれたまちである。しかしこの地域もご多分にもれず少子高齢化と人口減少に悩まされていた。変化が起きたのは長野新幹線佐久平駅の開業である。1997年の開業当初は1日の乗降客数が1500人だったがじわりじわりと数を伸ばし2012年現在で2700人にまで達した。東京都心まで70分という立地を生かし佐久平からの通勤、通学も珍しくなくなっているという。平成25年度からは長野県・佐久市・JR東日本の三者が協働する移住促進事業が開始され、高い評価を得ているという。健康長寿のまちづくり(ピンコロ運動)も手伝って都心からの移住者もいるというのだ。市民の声を実際に聴いたが新幹線が開通して町に活気が出てきたのは間違いないという。新幹線開通というとネガティブな情報が取りざたされがちだが、レアケースであるにせよ新幹線を活かしたまちづくりに成功している地域がある。諦めや批判ばかりではなく、新しい資源をどう活かすかを真剣に考え、協働することがまちの未来を明るくするという証左が佐久市にはある。ストロー効果を論じる前に都心部と同じ土俵で競争できる力が既に無いことを自覚すべきだ。都市と地方はそれぞれの持ち味を活かし補完しあう関係になることが望ましい。
「消滅リストからの脱却」には現在の人口移動を収束させ、人口流入を実現しなければならない。最も重要なことは「まちづくりの未来」を諦めない事ではないだろうか。今ある資源を最大限効率化し、新しい資源をどう活かすか議論し、夢を語り、希望をもって多くの市民が協働すれば、おのずと未来は開けてくると私は信じて疑わない。著者の様々な新しい提案や大阪府特別参与として実現してきた行財政改革は「不名誉なリストからの脱却」を実現する為の一助になると確信しているし、今後の著者の活躍に期待するところである。私も地方自治に携わる者の一人として本書で学んだ事を今後の活動に活かしていきたいと考えている。
文責 北村貴寿

第98号議案(中小企業振興基本条例)についての賛成討論

2013年12月19日 | 原稿等


私が中小企業振興基本条例に出会ったのは市議会に送っていただく1年前でした。
議員として初の一般質問からも継続的に取り組んでいるテーマでありますので、足かけ3年10か月、今議会で制定が実現することについては本当に嬉しく思いますし、大村市の中小企業振興において新たなスタートが切れると意を強くするところであります。

この条例との出会いは条例制定と地方自治をテーマにした京都大学教授の講義でした。
講義後に中小企業者の皆さんと条例や中小企業のあり方について、一経営者として議論したことを今でも覚えています。

それは「この条例は運動なのだ」という事です。

経済活動が活発に行われることにより、雇用が生まれ、様々な技術や製品・サービスにイノベーションが継続的に起こり、文化の醸成が伴った明るい豊かな社会。誰もが望むであろうまちの姿です。

そのまちづくりを実現するためにはこの条例が意味する「運動」すなわち大村市全体での「経済活性化運動」が必要なのです。

この条例は理念条例であり、行政が地域経済の活性化に、中小企業者と共に真剣に取り組んでいくという姿勢を表すもの。言い換えれば「地域の企業と共に歩む」という行政の覚悟を明文化した条例であります。

これまでの中小企業支援・経済活性化の為の施策といえば、補助金助成金公共事業が連想されます。それらの手法が果たしてきた役割を否定するものではありませんし、今後も一定の割合でその効果はもたらされるでしょう。

しかしこれまで通りの手法だけで、これからの社会に対応できる筈もありません。
ご承知の通り、インターネットの普及により地域や国家間の「経済の垣根」は限りなく低くなりました。ヒト・モノ・カネの流動性がますます高まったグローバル社会が既に到来しています。また我が国は超高齢化社会に突入しました。働き手が減る社会の中で、硬直化した財政構造の上にのしかかる社会保障費の増大は避けられない。その様な社会に対峙し、経済を活性化させ税収を確保するためには「経済活性化運動」が必要なのです。

その運動とは何か?

それは「危機感を共通し、共にどんな社会を目指すのか議論し、ビジョンを共有し、共に行動を起こす事」にほかなりません。

その運動を推進するエンジンとなるのが第11条に規定される「中小企業振興会議」です。

「人と人とは支えあうもの」というのが普遍の原理であるように経済活動も同様です。中小企業事業者は小規模な企業です。零細企業と言ってもよいでしょう。一企業だけ、一人だけでできることにはどうしても限界がある。流れの早い、厳しい時代です。いくら頑張っても結果が出ない。そんな時には心折れそうになる時もあるでしょう。
そんな時に、共に理解しあえる事業者がいる、議論しあえる市民がいる。行動を共にする行政がある。そんな交わりの場である「振興会議」が個々人の経済活動を大村市全体への経済活性化運動へと昇華させることができる。新しいアイディアや新しい挑戦が生じ、明るい豊かな社会づくりが具現化する。これこそが、この条例制定が意味するところだと考えております。

担当部局の皆さんには幾度となく勉強会に参加をされました。それが職責とはいえ、この条例への理解をじっくり深めてこられたところに敬意を表する次第であります。また、制定協議会を立ち上げ、熱心に議論をし、条例案を作成された市民の皆さんには心より感謝を申し上げる。政治や行政のお仕着せではない、中小企業者の皆さんが興した制定運動が実った本当に理想的な形の条例制定でありますし、県内で初制定となったことも花をそえる事になるのではないでしょうか。

言及の多い産業支援センターの設置やその形態については、会議の課題の一つとして議論を深めていただき、市民や中小企業者の皆さんと共にする運動の拠点として設置を進めていただきたいと強く要望し、賛成討論とします。

顧問報告

2013年12月09日 | 原稿等
顧問報告
平成八年、二十三歳の私が卒業の年に顧問報告をすることになろうとは夢にも思いませんでした。十七年間の在籍から得た経験やJC魂を後進に伝えきれたのかと問われれば、正直自信がありません。ブロック会長職を終えたあたりからでしょうか、生来の傍若無人さに磨きがかかり、上から目線な言動が数多くあったかと思います。「JCは縦社会」が私の持論でもあります。その理不尽さが修練よ、とどうかお許しを願いたい所です。昨年末、指方理事長より顧問職を頂いた時は「最後の年に理事会に出席できる」と正直嬉しく思いました。また議決権なし、担当なしと両肩に両翼。グローバルリーダー育成塾の塾生として学ぶことを最優先にしておりましたので、全国各地に羽ばたかせて頂きました。私事ですが議員という公職を頂いていることもあり、会議などを失礼する事も多かった。最後の年に例会欠席、ブロック大会欠席も痛恨事です。そんな中での理事会でしたが、理事の皆さんと議論をするのは本当に楽しかった「理事を鍛えるのが私の置き土産」と勝手に思い込み、難くせこじ付け無理難題を吹っかけることもあったかと思います。中には新人とは思えない程の答弁を返してくる委員長もあり、怯む場面もありました。同時に将来が楽しみだなあ、なんて思ったりしたものです。大所高所から理事の姿勢や事業目的を論じ、細部は皆さんにお任せというスタイルで臨んだつもりですが、その評価は皆さんにお任せしたいと思います。全国大会卒業式では何故か京都からのスタート。鹿と戯れ寺巡り。東山魁夷に癒され、奈良の大仏様に引導を渡され、見事に成仏させていただきました。また、グローバルリーダー育成塾卒塾式では「九州です!」「ラストイヤーです!」とのアピールが功を奏したか?なんと最優秀塾生賞を賜りました。これも私を自由に羽ばたかせてくれた皆さんのお蔭です。高い志を抱いた塾生達とともに質の高い学びを得たこの経験を、世の為人の為に活かさなければならない。そんな不退転の決意をした奈良薬師寺でありました。私にとってのJCは学び舎であり、青春そのものでした。若い私は愚かでした。自分勝手な人間でした。人の気持ちを汲み取れるような人間ではありませんでした。ずいぶん衝突しましたし、喧嘩もしました。しかし様々な職責を頂き、担いを与えられ、事業を遂行し、皆と汗をかきながら展開した運動や活動、JCのご縁は私を大きく成長させてくれました。今の私があるのはJCのお蔭と臆面なく語ることができます。後輩の諸君、JCを人生に活かすも殺すもすべて自分次第です。JCを続けるには大変なことが多かろうと思います。加えて腹の立つこと悲しいこと、会社の理解が得ずらい事や、家族と自腹にはさびしい思いばかりさせるかもしれない。私も一度は退会届をしたためた事もありました。しかしそんな時にこそ、じっくり考えてほしい。易きことに何の価値があるだろうかと。人は鍛えられなければ強くなりません。困難に立ち向かわずして強靭な精神は培われないのです。そして共に汗をかき、共に笑い、時に涙した信じあえる仲間達こそ人生最高の財産となります。やせ我慢はJCの美学。ぐっと堪えて顔を上げよう。そうすれば暗いトンネルにも必ず出口が見えてきます。そして、どうかこれだけは忘れないでほしい。私の最後の願いは後輩諸君が全員卒業することです。JCよ本当に、本当にありがとう。生涯一Jaycee宣言!

出向者報告
本年(公社)日本JC長崎ブロック協議会に顧問として出向させていただきました。お声を掛けていただいた岩下会長に感謝申し上げますとともに、出向をお許しいただいた指方理事長に改めて御礼申し上げます。「今の貴様は何点だ?」という殺し文句とともに議長委員長予定者のプレゼンテーションをぶった切り、背中に汗をかかせたのも束の間。グローバルリーダー育成塾に入塾が決まったとたんに顧問職を島原JC林田君に丸投げ。私のブロック会長時代、ブロック大会実行委員長を務めてくれた彼に甘えっぱなしの一年でありました。歴代会長でありながら、ブロック大会を欠席することは本当に心苦しい思いでした。六月議会会期中でもあり、グローバルリーダー育成塾の講義も重なり、せめて数時間だけでも顔出しをと画策したのですが、やはり出席が叶いませんでした。福江JC土岐理事長をはじめとするブロック役員の皆様には本当に申し訳なく思っております。七年後の福江大会には必ず出席することをここにお誓い申し上げます。役員であるにもかかわらず、本会の事業ばかりに参加していたので顧問としての職責は果たせなかったように反省しております。ただ出席している時には厳しめのコメントばかり申し上げました。この理不尽もJCへの愛と思ってお許しいただきたく思います。後輩諸君、出向は良いものです。JAYCEE十訓に「生活圏に止まることなく広く雄飛しろ異文化が発想の転換を可能にする」との一文があります。日本全国津々浦々、所変われば品変わる。狭いようで広い世の中。考え方も風土も多様であり、様々な価値観があるものです。己の器を広げたいのであれば、迷わず出向をお勧めします。

最後になりますが、本年、島原JCの本多弘和君を失ったことは痛恨の極みでした。彼とは2004年、私がブロック委員長を拝命した頃からのご縁でした。お互い出向畑だったせいかよく顔を合わせましたし、私の卒業の年にお互いブロック役員として出向することになりJCのご縁を感じたものです。春に病魔に襲われ、秋に電話で話したのが最後でした。暖かで柔らかな性格がにじみ出る彼にもう会えることができないのは筆舌に尽くしがたい悲しみです。もう一度会いたかった。会いに行けばよかった。悔やんでも悔やみきれません。ヒーロー君、本当にお疲れ様でした。どうか安らかにお眠りください。合掌。


後進の諸君へ。

高い志を持ってほしい。
事業とは何か。地域とは何か。国家とは何か。JCとは何か。
私たちは何を成すべきか。
妥協を排した議論をしてほしい。行動してほしい。
高い志と大きな夢を語ってほしい。

失敗を恐れないでほしい。
逃げたらゼロ。失敗しても課題が生まれる。
命まで取られることはそうそう無い。
明るく笑顔で元気よく。
大胆な挑戦をしてほしい。

学ぶことを諦めないでほしい。
千里の道も一歩から。
それぞれの歩幅でいい。少しづつでもいい。
大きな夢に向かって学びを続けてほしい。

仲間を大切にしてほしい。
「人の人たるは人と人との繋がりにあり」
会社の仲間や趣味の仲間。
家族を大切にしてほしい。

最後に。

必ず卒業してほしい。
これだけは石にかじりついても成し遂げるべし。

ありがとう、JC。

全国中小企業問題研究会・参加報告

2013年03月09日 | 原稿等
「じい、一緒に逃げよう」

「じいも逃げたい。でも逃げられない。じいには守らなければいけないものがここにたくさんあるからね」

私はそう言って孫を抱き締めました。

私の守るべきもの、それは家族、社員、社員の家族、会社、そしてふるさとそのものです。

その言葉が報告者から発せられた時、会場にいた全員が胸を熱くしました。そんな報告がなされた、第三分科会「福島のその後、私たちは負けないⅡ」に参加してきました。

報告者は全員が被災者であり、彼の地に留まり会社と地域の再生に汗を流す会員達です。大震災発生から二年が経過し、一部では復興需要景気の様相も見せていますが、極端な雇用難、人口の減少、そして勤労意欲の低下など、新しい課題が次々と生まれています。
そして原発事故の恐ろしさをまざまざと感じる報告でした。

グループディスカッションでは様々な議論が報告されました。資源のない日本で電力をどう確保するか、といったエネルギー問題に対しての見解。大規模な非常事態が発生した際の会社や経営の危機管理。普段の小さなリスクに対しても心構えが十分できているだろうか・・・議論は尽きる事が無く、あっという間の五時間。新しい発見が多い深い学びの場となりました。

震災復興は未だ道半ばです。まだら模様にしか進まないのが復興の現状であり、現時点でも全国の避難者数31万人(内福島県民16万人)行方不明者2600名を超え、住み慣れた故郷に戻る事さえ許されません。私達も経済活動、同友会活動を通して復興に力を注がなければならないと認識を新たにした第三分科会でした。

文責 大村支部 北村貴寿

出向者報告

2012年12月06日 | 原稿等
本年、有り難くも九州地区協議会顧問という担いを賜りました。橋本会長を初めとする地区役員、スタッフの皆さんに1年間お付き合いを頂き本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。また出向のお許しを頂いた芦塚理事長、たまに運転手なってくれた非公式セクレタリーに改めて御礼申し上げます。

この話を頂いた時は驚きました。JCのキャリアは2008年長崎ブロック協議会会長職がピークだと思っておりましたし、私事ですが今は市議としての公職に就いておりますので公務最優先。どうしても諸会議に失礼する事が多くなります。本会の運動にもブランクがありますし、相応の経験者は九州一円に他にも数名おりました。
JCの返事は「イエスorはい」声がかかるだけ有り難く思え、成長のチャンスだと思えと教えられてまいりましたが、今回ばかりは迷惑をかけるかもしれない。大村JCの看板に傷がつくかもしれない。なにも私でなくとも・・・と迷いが生じたのも事実です。
しかし「地区に昨年の恩返しをしなければいけない」という時直前会長の重いお言葉。ご承知のとおり、2011年は大村JC初の地区会長を輩出した誉れの年でありました。それは同時に大村JCの一会員が九州地区協議会を始め九州4千名のメンバーにお支えを頂いたと言う事でもあります。その恩返しをという言葉には抗えるはずもありません(涙)
「公務で失礼をするかもしれないが、私なりに」と考え直し出向する旨のお返事をいたしました。

出向は大村JCの看板を背負うもの。会頭といえども理事長の承認印が必要です。まつり担当という担いも既に決まっていた事もあり、芦塚理事長予定者に相談しなくては、と電話したところ「隣で聞いてましたよ。いってらっしゃい♪」と有り難くも快諾頂いた時はアタマがクラクラいたしました。

顧問の役割といえば何といっても会議冒頭の挨拶が最高の修練です。開会前、金光運営専務が議長委員長に飛ばす激、厳粛なセレモニー後の故事を引用される橋本会長のご挨拶、時局を捉えた自由自在の時直前会長のご挨拶、スタッフを包み込むような温かい中島顧問のご挨拶(顧問は二人)を経ての4人目の挨拶はなかなかのプレッシャーです。含蓄のある色々な話をされるなかで、毎回何を話そうか、被らないようにしなければ、どんなメッセージを伝えようかと頭を悩ましながらの挨拶でした。
また、議長委員長を罵倒もとい叱咤激励するのも顧問の役割でもあります。根が優しく温和な性格の私には高いハードルでしたが、この担いが全うできたのかどうかの評価は皆様にお任せしたいと思います。

本年の出向でも新たな出会いや学びがありました。また、JCから軸足を移しつつあった自分を発見し反省した年でもあります。私はJCで学び育てられました。JCなくして今の私はありません。現役生活は残りの1年。これまで学んできた全てを後進に伝えなければならない、それこそが恩返し、恩送りとなる。そんな自覚と覚悟を新たにした出向でありました。

「JCの協力とは、登録と動員である」そう仰ったのは中村大介歴代地区会長であります。私は「JAYCEEの成功とは卒業である。JCの美学とはやせ我慢である」いう言葉で締めくくり本年の出向者報告といたします。ありがとうございました。感謝。

(公社)日本青年会議所 九州地区協議会 顧問 北村貴寿

特別室長報告

2012年12月04日 | 原稿等
「100年続くまつりにしよう」

私がそう言いだしたのは2004年、理事長職を拝命する前年の夏越まつりの打ち上げの時でした。
その後も表になり裏になりこのまつりに携わらせて頂きました。市民の皆様は勿論ですが、何よりも共に汗し、時に涙した仲間たちに心から感謝しております。
「100年のまつり」というスローガンはその後もたびたび顔を出し、本年その名を冠した担当職を仰せつかったのも縁(えにし)を感じずにいられません。なにより私に青年会議所運動の扉を開いてくれたのはこのまつりなのですから。

まつりに携わらせて頂く中で、一つだけ思い残す事がありました。それは実行委員長職を理事長から他団体に移管する、という大改革を鶴田歴代理事長と共にやり抜いた事に端を発します。それは「JCのまつりから市民のまつりへ」というこれまで何年も唱え続けてられきた目的の為の改革でした。歴代理事長が毎年務めてきたこの役職を移管するにあたって議論は紛糾。諸先輩方からも様々なご意見を頂きました。当時は調整に腐心、東奔西走した大変な一年だったことを思い出します。
しかし、この改革が意図した目的は遂行できなかったと言えます。回を重ねるごとにまつりへの熱が冷め始めるような面が見受けられ、会員からは「まつりをやらされている」という言葉まで出るような状態。改革の手を緩めることが無ければ当時の目的は遂行できたのかもしれませんが、いつしかその目的は「JCがまつりから手を引く」というものにすり替わっていたようです。
JCは社会変革運動団体であるという側面があります。新しく始めたものを他の誰かに引き渡し、更に新しい運動を起こすという論理には適っていたのかもしれません。しかし、地域のまちづくりを担う責任世代であり、大村の夏の文化の担い手として、まつりの提唱団体としての責任と覚悟という側面から考えれば「まつりを投げ出す」という極めて無責任な行動であるともとる事ができます。これも実際にやってみなければ分からない事でした。

卒業という文字がちらつきはじめた頃「やらされ感」があるまつりを後進に担わせることは心残りでありました。しかしそれもこのまつりの歴史なのかもしれない、と思っていた矢先にまつりの担当をというお話を頂きました。これも縁かもしれません「実行委員長職をJCに戻す」という事を条件にこの担いを引き受けさせて頂きました。こりゃまた調整が大変だなあ・・・と思っていた矢先に地区出向の話が出たり、総会を年二回開催したのはまさしく想定外でしたが。
担当理事は坂野君。一時は「理事長への登竜門」とも言われたこの役職。彼は経験が少ないながらもこの大役を持ち前の誠実さで全うしてくれました。
委員会を担当する上で、JCの組織退化も懸念の一つでありました。理事会の委員会化、副理事長が委員会に出席しメンバー化、という私が先輩方から学んできたJCの流儀には退行としか考えられない状態が端々に見てとれます。委員会には顔を出さない。委員長を易きに流させない。そんな事を念頭に置きながらの一年でした。メンバーからは不評もかいましたが、まさしく意図する通りとなったのかもしれません。彼にとっては初の理事、分からない事だらけで色々とミスも有ったと自省しているようです。しかし、それこそが成長の糧となり、立派なJAYCEEとして成長してくれたと思っています。33年目のまつり男としてその経験を今後のJC活動・運動に活かして頂きたい。協賛会会則変更にまで手を付けたのはまつり始まって以来の事なのですから。

「奢るな、誇れ」

ここ数回のまつりで皆さんにお伝えしている言葉です。
誤解を恐れずに言えば、このまつりはJCが始めたまつりでJCがやっているまつりでJCしかできないまつりです。しかしそれを鼻に掛け、奢り高ぶった瞬間に私達はその輝きを失うでしょう。
まつりに浄財を喜捨頂く皆様に、道路を封鎖しご迷惑をお掛けする住民の皆様に、まつり場に足を運んでくれる市民の皆様に感謝する心を持ち続けながら、まつりに携わり深夜に道路のゴミを拾いを続けることが私達の輝きの源泉となり誇りとなるのです。

JCの美学はやせ我慢です。商売にならない、目立たない、お叱りに頭を下げてばかりかもしれません。しかしそれに堪えることこそが私達を鍛え、強くします。
その成果は必ず私達に還ってきます。今は分からないのかもしれない。でも後から分かる、そんな事も沢山あるじゃないですか。四の五の言わずにまつりをやり続けなさい。それがJCそのものなのだから。

33年目となるまつりを滞りなく終える事ができた事に心から感謝して、本年の活動報告といたします。ありがとうございました。

特別室長 北村貴寿

特別室長報告

2011年12月16日 | 原稿等
本年は組織開発委員会を担当させて頂く特別室長を拝命いたしました。特別ってなにが特別なの?という話も時折ありましたが、そこは歴代理事長、歴代ブロック会長への配慮という事でしょう。基本時にそのような役職をこなすと、LOMでは隠居というパターンが多いのですが、私の理事長時代、ブロック会長時代とお支え頂いた赤水理事長よりのお達しですのでお断りする理由はありません。青年会議所は義理と人情、返事の言葉は「ハイorYES」であります(泣)

春、思い出深いのは3月11日、東日本大震災における我が担当委員会、LOMを始めとした青年会議所の行動であります。自然の猛威に蹂躙される祖国の大地を見るにつけ「何かをやらなければ」という思いに突き動かされ、即座に街頭募金運動を開始。募金箱や横断幕を作成しつつ13日より許可申請等を開始、15日より街頭に立ちました。我々の行動原理は理事会の承認可決を原則としていますが、この時ばかりは即断即決即行動。多くのメンバーが高瀬委員長のセッティングした募金運動に参加して、大村市民の皆さまのお心を頂戴するにつけ、時折涙が頬を伝ったことを思い出します。その他にも被災地支援物資の収集、ブロック会長同期会の報告を求めない送金運動、被災地のお茶購入等々、皆さんのご支援に心から感謝しております。今般は起業家が多い青年会議所の特質を活かし、被災者の就職支援運動を継続的に続けているとのことです。

夏、青年会議所の夏は夏越まつりであります。15年目にして初の設営部会担当者に登用されました。まつりについては担当三役や担当理事も歴任しておりますのでここ数年は神事を極めてひっそり卒業・・・と目論んでおりましたがなんと人使いの荒い事でしょう。実は全く段取りが分かっておらず素人も良いところ。しかしそこは15年目のふてぶてしさ全開であります。あれやっといてこれやっといてとスルーパスを連発。しかしツメが甘すぎ佐藤事務局長に叱責を受ける毎日。冷や汗をひた隠しながらなんとか設営をやり抜けました。皆さんの寛大なお心とご協力に心から感謝。やはり「夏越はどうにかなる」とほくそ笑えんだのが運のツキでしょうか。来年は再び担当室長に登用されました。私自身まつりについてはやり残したことがあります。それを片づけるまでは私のまつり人生は終わらないのかと遠い目をしながら夏越夢通りを眺める毎日であります。

秋、フンドシ一丁で高瀬委員長と共に研修事業現調査の為に滝に打たれました。禅寺で座禅を組んだり火を起こしたり竹を切りだしたり。一泊型の研修は昔はよくやっておりましたが近年開催されていなかったのでなかなか楽しかったです。ああもう時間がありません。実は遅れに遅れ今日書いているのです。私事ですが4月には自身の選挙を抱えており、完全ほったらかしの超放任主義でありました。そんな担当室長にも係わらずスクスクと育ってくれた高瀬委員長、それを支えてくれた委員会メンバーに感謝を申し上げ報告とさせていただきます。


来年も空気は読まない特別室長 北村貴寿

日本JC 日本の未来選択委員会・出向者報告

2011年12月15日 | 原稿等
本年は九州地区協議会会長を輩出するというLOMの歴史始まって以来の誉れの年でありました。私もブロック会長職をはじめとして、本会の運動に深くかかわった身であります。本会の運動は一言でいえば「激烈」

担いの重い役職になればなるほど、様々な、そして大きな犠牲を払いつつ「青年会議所の国づくり」に身を賭さねばなりません。そんな覚悟をした時君を支えなければならない。そして「青年会議所の国づくり」という運動に触れるチャンスを多くのメンバーに楽しんでほしい、という思いから「私の担当委員会メンバーは全員セク出向すべし」という通達を出しました。

するとどうでしょう「担当室長は出向どうするんですか?大人の背中運動を忘れてませんよね?私達に背中を見せてくださいよ、どうなんだよオラー」と高瀬委員長が冷たい目でつぶやくではありませんか。
その視線に耐えることができず「そんなら俺の生きざま見とけ!オラー」ということで半ばやけくそで本会出向となりました。

私が出向した日本の未来選択委員会、通称「みらせん」の担いは、本年4月の地方統一選挙を主眼に置いたマニフェスト型の公開討論会の開催を更に推進すること。そして本年より全国の立候補予定者による政見放送を動画配信する、という二本柱です。

九州地区内からの出向は私一人、ということで九州地区全域を担当、まずは京都会議です。全国で行われる選挙において公開討論会の開催を企画しているLOMの相談窓口を担当。4月の選挙では長崎県内で行われる首長選挙の動画撮影を担当しました。活動の中心となった県内では当該LOMの協力を得て、佐世保市長選挙、そして長崎市長選挙の動画配信が実現いたしました。

特に某市長選挙の動画撮影と配信は思い出深いものでした。とある候補者からは撮影のドタキャンをくらったり。とある候補者からは「納得のいくまで」ということで10回以上も撮り直して事務所に拘束されたり。取った動画の拡張子を変える為に再生中のモニターをビデオで撮りなおすという荒技のためにN専務を拘束したり。告示ギリギリにアップできたはよいものの候補者の名前が間違っていたり。

私事ですが4月は自分自身の選挙を抱えながらの活動でありました。候補者の名前修正というトラブル発覚は自分の選挙の出陣式の朝。なかなか連絡が取れない担当メンバーに街宣中の選挙カーから電話を入れまくり、告示後の文書図画変更に「修正だから問題ない修正だから」と言い聞かせつつ変更する綱渡り。兎に角死に物狂いの紆余曲折な4月でありました。

サマーコンファレンスでは「日本の未来選択フォーラム」に参画、パネリストに楽天の小澤氏、ドットジェイピーの佐藤氏、公開討論会コーディネーター養成マシーンの池田氏をお招きしネットやスマートフォンを活用した新しい民主主義の手法をメンバーと共に学びました。

青年会議所が係わって開催された公開討論会は全国で2,000回を超え、選挙の標準装備になりました。外注ばかりだったコーディネーターもLOM間で人材交流が行われメンバーやOBが務めるなど新しい流れも出てきました。2003年から始まり、黎明期の運動から関わった身としては当時の苦労が笑い話のようです。末席ではありますが、青年会議所による「新しい民主主義による国づくり」運動の推進に係われたことは、JAYCEE15年目といえども様々な発見があり、知見と友情を深める事が出来ました。

最後に急遽の出向となり、あわただしいエントリー事務の労をとってくれた事務方の皆さん、そして本会の民主主義推進運動にお力を賜った全ての皆さんに感謝申し上げ報告とさせて頂きます。ありがとうございました。


日本の未来選択委員会 委員 北村貴寿

祖国の再建から再生へ(第一稿)

2011年12月10日 | 原稿等
祖国の再建から再生へ

~東日本大震災における復興ボランティア活動に参加して~

 7月14・15日の二日間、長崎ブロック協議会主催の震災復興ボランティア活動に参加いたしました。初日はレンタカーで仙台市を視察いたしました。市街地には殆ど震災の爪あとは見られないのですが、高速道路の高架を潜り抜けると景色が一変します。いたるところにがれきが散乱し飴のようにねじ曲がった電車や車が田畑に突き刺さっています。津波にさらわれたのでしょう、基礎だけが残った墓地のような住宅街、窓ガラスが全て無くなっている老人ホームや小学校、鼻をつく独特の臭気とハエの大群。聞けば高速道の高架が防波堤の役割を果たし、市内の被害は少なかったのだという事でした。報道で知りえてはいたものの、現地に立つと改めて自然の脅威と震災の規模に言葉を失いました。

 翌日は宮城県亘理郡山元町の社会福祉協議会でボランティア登録を行いました。事前の打ち合わせでは先日も津波注意報が出たとのことで緊急時の避難について指導があり緊張感を持ちながら作業に入りました。私達の支援内容は重機などが入らない個人宅の復旧作業です。海岸から三キロ離れているという老夫婦のお宅は1階が津波の被害を受けられており、敷地内のガレキと土砂を撤去する作業に取り掛かりました。

 7月の盛暑、快晴。34度での屋外作業では汗が滝のように流れ落ちます。社協から渡されたクーラーボックスには水と梅干しが用意されていました。韓国からの支援物資なのでしょうか、中にはハングル語のペットボトルなども見られました。水分補給を頻繁に行いながらスコップで土砂を掘り起こす作業を続けます。表面は乾いていますが、掘り返すと湿っており海のヘドロと同じ悪臭がします。掘り起こした土砂とガレキを土のうに入れて一か所に集める単純な作業なのですがなかなか思うように進みません。30代の男性8名で作業しているのですが、改めて人間の力は無力だと痛感します。撤去するガレキや土砂の中には農作業用品の残骸が多いのですが、たまに台所用品や本、写真が出てきます。私たちが発見した写真にはクリスマスパーティーでしょうか、サンタ帽をかぶり楽しそうなようすの男の子が写っていました。写真はボランティアセンターへ持ち帰り、再生されて持ち主に渡るよう展示されるそうです。

 作業の合間にお話をお伺いすると水道が使えるようになったのは1か月前、電気はまだ来ていないということで避難所暮らしが続いている。夜は避難所、日中は自宅に来てボランティアの方々と復旧作業を続けているということでした。私達の復旧支援は一瞬でしかありません。しかし、被災者はこの現状に毎日向き合っていられると思うと、胸が痛みます。しかし「皆さんに助けられて本当にありがたい」と繰り返し述べられます。その表情からは悲痛さは感じられませんでしたが大変な艱難辛苦に遭われてのこと。その辛さや悲しみは想像を絶します。社協のスタッフに現況を聞きましたが、土日はボランティアも多いそうですが、平日が少ないとのこと。これから夏休みに入るので学生のボランティアが増えることを期待しているとのことでした。

 短い間でしたが現地で復旧作業にかかわる事ができ、改めて命とは、私達の使命とは何なのかを考えさせられました。

昭和24年、大東亜戦争において国土を蹂躙された我々の先輩方は「新日本の再建は我々青年の仕事である」と高らかに宣言し「祖国の再建」を使命とする青年会議所を興されました。そして本年3月11日、戦後の国難とよばれる東日本大震災が発生、自然の猛威によって故郷や尊い生命が失われ、日本全土が悲しみに打ちひしがれたのは言うまでもありません。

この国に生きる青年として我々は今何をなすべきか。

それは「祖国の再生」です。

我々日本人は自然の脅威に臆することなく、その力をしなやかに受け止めながら国民の絆を紡ぎ合わせ、復興という希望の灯を燈しあい、行動を興さなければなりません。青年会議所はもとより、我が国全ての青年の仕事は「祖国の再生」なのです。

また、震災よりの復興は無論のこと、経済の停滞や超高齢化社会の到来など様々な課題を抱え、国力が失われつつあると言われています。しかし、私達には必ずできる。戦後の荒廃した我が国を「JAPAN AS NO.1」と言わしめるまでの経済大国へと成長させた英知と勇気、情熱を再び興せば、気高き日本を、凛然とした日本を創造することが必ずできる。明るい豊なまちを再生する事が必ずできるのです。

私事ではありますが、11月末に陸前高田市、気仙沼市を訪れました。震災の爪後はまだ生々しく残り、復興への道のりはまだ遠いと改めて感じましたし、当地の副市長は全国報道が少なくなっていることを懸念されていました。

東北は厳しい寒さに包まれています。私達は祖国再生への熱を冷ますわけには行きません。彼の地に思いをはせると共に、大村市民の皆様に継続的な復興支援を頂きますようお願いを申しあげ報告とさせていただきます。

文責 特別室長 北村貴寿

H23・政治信条

2011年02月22日 | 原稿等
平成21年、この国の政治は新たな変化を迎えました。
55年体制より長きに渡り衆議院第一党であった自由民主党が下野、「政権交代」というスローガンとともに民主党政権が生まれたのです。
二大政党が切磋琢磨しつつ、この国の舵取りを担えば、閉塞感に覆われたこの国の未来に光が見えるのではないか。1990年より長期にわたる経済成長の停滞、”失われた20年”から抜け出せるのではないかと期待を抱いた国民も多かったのではないでしょうか。

しかし政権交代が成されたとはいえ、財政状況が一気に好転するわけでもなく、少子高齢化が止まるわけでもありません。
現実は国・地方を合わせて900兆円に届こうかという借金が積みあがり、現役世代2.5人で一人の65歳以上の高齢者を支えるという現実が横たわっているのです。
また、グローバル化した経済により、企業が国を選ぶ時代となりました。海外拠点を増やす国内企業が珍しくもなくなり「企業退出競争」が始まっていると言われています。一方、日本に投資をする国=資本流入は一向に増える気配はありません。

輸出産業によって成長、成熟しきった日本は今後ヨーロッパ諸国が迎えたような長期衰退期に入るという見解もあるようです。
日本の強みであった「技術」や「ソフト」はアジア諸国の台頭もあいまって優位性が揺らいでおり「新しい価値」を創造できるような「国力」は感じられないのが現状といえるでしょう。また、民主党政権の迷走ぶりも極まり、国民の期待は失望へと変わりました。

「国力」の源泉とはなんでしょうか。

国は地域の集合体であるといえます。地域の力の集合体が国力となるのです。
しかし長らく続いた中央集権体制の所以、限られた都市を除いては自ら立てる力があるという地域はなかなか見当たらないようです。一部の都市が稼ぎ頭となって生み出された「富」が霞ヶ関を経由し地域に分配されてきた構造は、自主自立の精神を蝕み、中央とのパイプを強調し、補助金を引っ張る利権政治を生み出しました。
加えて1990代ごろより景気回復の名の下に国債が乱発され続け、膨れ上がった債務を解消すべく打ち出された財政規律の回復は有名無実化しています。

その国債は94%が国内保有であり、それを買い支えているのは「まさか政府が債務不履行するはずがないだろう」という国民の信頼でした。経済が低迷し他に有効な投資対象がないということもありますが、「国債バブル」という状況が続いていると言われています。

しかし民間格付け会社による評価が低下したり、長期物金利が僅かながら上昇するといった変化も起こり始めました。それは政府への信頼が薄れると同時に国債バブルの破綻が迫っているシグナルだという見解もあります。
日本はGDP比で180%を超える債務を抱えていますが、そんな国は世界中何処にもありません。中国は20%、韓国40%、欧米は60~70%、高いと言われるイタリアでさえ110%、昨今話題のギリシャは120%です。1400兆円の個人資産が担保となっている、という見解もあるようですが、日本の家計貯蓄率は下がり続けており、その根拠さえも怪しくなってきています。兎も角、国家が個人資産を自由にできるはずがないかぎり、財政規律を回復させる為には様々な手段が語られています。

「ハイパーインフレによるデフォルト」という説があります。

この国債バブルが破綻すれば国民の生活はどうなるのでしょう。信用力の決壊により円の価値が暴落すれば様々な資源や食料を交易によって調達している我が国の国民生活は相当な混乱を来たすことが考えられます。一証券会社の破綻が世界金融危機を引き起こすグローバル化した経済状況では国際社会が破綻を許さず、IMFが強力な内政干渉を行うと考えたほうが現実的でしょう。
記憶に新しいのが1997年アジア通貨危機、IMF管理下に置かれた韓国です。強制的な財閥解体や、シーリングされた財政健全化による国民負担が強いられました。
しかしその危機を乗り越えて、いわばスクラップ&ビルドされた現在の韓国の勢いには目を見張るものがあります。皮肉なものです。

財政破綻を回避するには大増税、同時に歳出カットによる公共サービスの著しい低減、という手段が一番現実的だと思われますが、それは同時に国民により一層の痛みを強いる、という事です。しかしツケを先送りにしてきたこの国の体質は政権交代が起こっても改まる様子は見られないようですし、増税を掲げた内閣がことごとく敗退してきたこの国には政治的に不可能でしょう。

さて、視点を私たちの街、大村市に移してみましょう。

大村市は人口減が進む長崎県の中でも、唯一人口が微増し続けている街です。空港や高速道路があり2018年には新幹線が開業、公的施設や医療・介護の面も充実しています。地価も安く、美しい大村湾や自然の宝庫である多良山系に恵まれ風光明媚。都市としては恵まれた環境にあると評され続けてきました。
しかしながら何年たっても「素通りの街」と揶揄されるように「便利だが特色の無い街」ともいわれています。また「大村の産業は?」と問われれば「役所、病院、自衛隊」というような笑い話があり独自性の薄さを暗喩しているのではないでしょうか。歴史観光都市としての浮揚を図ってきたところではありますが、残念ながら観光に資するレベルの遺構や施設が有る訳でもなく、長崎市や佐世保市と比較すれば観光資源の脆弱さは否めません。経済的な効果が伴ってこその活性化政策であるべきだと考えますが、現段階では郷土の歴史学習や歴史編纂までに留まっているのでは無いでしょうか。
現状は大村の持つ力を活かしきれていない「宝の持ち腐れ」状態が続いてきたと言えます。
また雇用の減少(有効求人倍率0.4p)や生活保護世帯の増加(2009年10月前年比10%増)等に見られる様に市民生活は豊かさを失いつつあります。財政改革は一定の成果を挙げているのかもしれませんが、いぜん自主財源に乏しく財政力が低い。補助金や借金に依存してきた体質であり財政健全化は予断を許しません。

その原因は有権者を置き去りにした政治家同士の争いにあると考えます。「政争のまち」というレッテルに甘んじてきたことにほかなりません。
政治家は落選すればただの人です。選挙には勝たなければなりません。
しかし選挙に勝つことばかりが目的となってしまった政治に終始した結果、有権者にまちの未来を選択させる、税金の使途を選択させる、という政治本来の意義は失われて来たのではないでしょうか。

国政にこの国の未来が見出せなければ、地域の未来を自治に見出すしかない。

保険料等の地域間格差が顕在化し広がりつつある昨今、大村の未来は大村市民の力で作り上げなれければならないのです。国・県の補助金依存、借金依存型の体質から脱却し、民間の力を活かし、育て、伸ばすような都市に生まれ変わらなければならない。
この街に生まれて良かった。この街で暮らしたい、働きたい。子を育てたい。この街で年をとりたい。そう心から思えるような大村を作る為には、今こそ「政争のまち」から脱却し、新しい大村をつくりなおさなければならない。政治の転換である「おおむら維新」が必要です。

県や国の補助金頼み、借金頼みの公共事業を中心としたバラマキ開発から脱却し、行財政改革を再加速する「次世代にツケを回さない政治」が必要です。事業仕分けを行い、「未来へつながる投資」という観点で取捨選択をしなければならない。
小さく効率的な行政経営を実現しつつ、民間力を活かし、育て、伸ばすような経済政策が必要です。地域内再投資力を強化しながら循環経済の主役である中小企業振興を図り、新たな需要・市場を創出する起業家を支援しなければならない。
縮小する国内需要に囚われず、グローバル化した経済にも対峙できうる力を持った「市民力を活かす世界へ向かう経済産業交流都市」を目指すべきです。
美しく豊かな自然の恵みを享受できる環境整備を推し進め、健やかに暮らし続けることの出来る医療・介護・教育等の住環境が充実した「市民の声が活かされる住み続けたい都市づくり」が必要です。

国力が急速に萎みつつある今、地域が変わらなければ大村の未来は無い。
地域が輝かなければこの国に未来は無い。
政治が何をしてくれるのか?という事ばかりを考えていては私たちの子孫の未来は暗澹たるものになるでしょう。

私は大村の為に、この国の為に何が出来るのかを皆さんと共に考え、共に行動してゆきたいと思います。

顧問報告

2009年12月16日 | 原稿等
議決権を持たずに青年会議所の理事会に出席するのは監事と直前理事長と相場が決まっておりますが、本年は「顧問」という稀な役職を仰せつかりました。昨年は外部の目線に立ってLOMの運動を評価する、という監事職でしたので手厳しい言葉ばかりをメンバーに投げかけていたように思います。変わって顧問という職務はどういうスタンスでJC活動へ望めば良いのだろうと考えました。目の上のタンコブにはなるまい、水戸顧問、もとい水戸黄門のようなメンバー皆の優しい相談相手、というコンセプトで活動に望もうと考えたことを思い出します。しかしそんな考えはつかの間、すっかり忘れて随分上から目線な厳しい物言いも多かったことと思います。どうぞお許しをお願いしたいと思います。
ハッと我に返って優しく・柔らかく・大らかに、と活動を続けてまいりましたが顧問という役職は、明確なミッションを持たないだけに難しいものだ、とつくづく感じる一年でした。
本年は創立50周年という記念の年であり、周年事業実行委員会が設置されました。私は市民アンケート及び提言・主張の作成を担当するプロジェクトチームの指揮・運営を担当させて頂くことになりました。様々な記念事業が行われる中での勉強会や議論でしたので、停滞や迷走する時期もありましたが「まちづくり戦略の為の10の提言」というタイトルで何とか形にできました。式典ではその一部を抜粋して発表させて頂くこともできましたし、LOMの未来へ向けた運動の試金石になったのではないかと考えております。この提言書がどういう形で世にリリースされるかは、プロジェクトチームの手を離れるところではありますが、作成に費やした時間は我々の財産となったと考えております。関係各位のご協力に深く感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。10年前の話になりますが、創立40周年の年に私は広報委員長を仰せつかりました。当時は外報誌や記念誌の発刊を担当させて頂き「JCの主張」の作成に明け暮れていたことを思い出します。極めて手前味噌な評価で恐縮ですが、10年前の私は超えることができたと自負しているところです。
来年は角谷理事長の下で相談役という役職を仰せつかりました。来年も心を新たにして職務に望みたいと思います。また念願かなって委員会メンバーにも配属していただきました。これで私の理事長信任投票における公約もまた一つ実現できたと一人ほくそ笑んでおります。同時にLOMには会員拡大が急務です。私になりに正林委員長を支えながら運動に邁進したいと考えております。
創立50周年という記念の年にも様々なご縁を頂きました。メンバーの皆様に改めて感謝を申し上げ報告とさせて頂きます。一年間ありがとうございました。

(社)大村青年会議所 顧問 北村貴寿

09出向者報告

2009年12月09日 | 原稿等
本年は昨年の会長職を私なりに全うさせて頂き、花原会長を陰で支えるという役割をもつ直前会長として出向をさせていただきました。
リーダーを全うした翌年には老婆心が沸き起ってくるものです。直前会長としては発言を極力控えよう、小姑にならず花原会長のやりたい様にやっていただこう、と考えておりました。そんなスタンスで出向に望んでおりましたので会長を務めた昨年からすれば活動の量、質とも落差があったのは否めない一年でもありました。リーダーを務めた者の宿命、乾杯要員、もといボーナスイヤーということでお許しを願いたいところであります。
とはいえ幾度か厳しい言葉を投げかけたこともありました。我ながらずいぶんな物言いもあったことと存じます。どうかJCの友情をもってご理解をお願いしたいと思います。
昨年九州地区の副会長として九州各地に赴いたこともあり公開討論会のコーディネーターのご依頼を幾度か頂きました。中でも柳川市、筑後市の市長選挙における公開討論会にコーディネーターとして参画させて頂き、刺激的な経験をさせて頂きました。JCのご縁でマニフェストおよび公開討論会運動に携わるようになりましたが、コーディネーターという新しい一歩を本格的に踏み出した年にもなり、本当に勉強になりました。また昨年に続き長崎ブロック協議会主催の政権“せんたく”公開討論会でもコーディネーターを務めさせて頂いたことは、花原会長の元で長崎からの国づくりに係わることができた意義深い一年でもありました。今後も青年会議所は全国津々浦々に根付いた自主自立のまちづくり団体として、有権者の意識改革を促す公開討論会の開催を進めていくべきだと思いますし、私自身も一層注力してまいりたいと思います。
そして、来年は時君が第36代会長として出向します。おりしも年頭には長崎県知事選挙や夏の参議院選挙と、長崎づくり、国づくりにおける重要な機会の重なる年でもあります。九州地区や日本出向で研鑽を積んだ時君は、日本から見た長崎、長崎から見た日本、そして世界からという観点に立ちJC運動を展開できる力の備わったメンバーであります。時君が率いる長崎ブロック協議会の運動に益々期待するところでもありますしLOM一丸となって支えなければなりません。
長崎ブロック協議会は、県単位、国単位でのJC運動に触れられる最も身近な機会でありますしLOMを超えた友情を育めるチャンスでもあります。メンバーの皆が出向というチャレンジに怯まぬように、背中を押せるメンバーであり続けたいと思います。1996年にご縁を頂き13年目のJC、今年も一年間ありがとうございました。感謝。

(社)日本青年会議所九州地区長崎ブロック協議会 直前会長 北村貴寿


本年は大村JC有史以来、日本青年会議所の委員長を輩出するという、LOMの誉れの一年でもありました。昨年時君が出向を決意された際、その大きな覚悟に感銘を覚えたことを思い出します。昨年ブロック会長職を経験させて頂き、日本の委員長の運動量を目の当たりにいたしました。日本の会議は東京のJC会館で行われ、委員会はその運動の伝播の為に日本中を駆け巡り、世界へも足を踏み出さねばなりません。東京―長崎という地理的なハンディを考えれば彼の挑戦は、度重なる九州地区出向で豊かな経験があるとはいえども凄まじくハードルが高いものであり、彼の胆力に敬意を抱かずにはいられませんでした。
その支援、ということで委員会のフォロワーメンバーとして出向させていただきました。しかし彼の支えになれたかと自問すれば、充実した出向だったとは言えないと一年だったと考えております。京都や横浜といった大きなファンクションや数度の委員会、対馬事業の際等に一メンバーとして出席、事業の一要員として活動するのが精一杯の一年でありました。委員長そして委員会スタッフの運動量を思えば申し訳なさがつのる次第です。
日本への出向は地理的なハンディもあり、それなりのハードルの高さがあります。しかしそれに挑戦する勇気や、ミッションを成し遂げた時の成果は絶大です。なにより国づくりの最前線で運動に携わることは、JCメンバーの本懐でもあるのではないでしょうか。
大村を飛び出してこそ、見えてくるものが必ずあります。そしてその移動距離に応じて思考は飛躍を遂げ、成長を遂げることでしょう。LOMメンバーにも日本出向の醍醐味を一度は経験して頂きたいと願い、本年の報告とさせて頂きます。

(社)日本青年会議所 国防問題検証委員会 委員 北村貴寿

出向者報告

2008年12月18日 | 原稿等
2008年第56回総会に提出

本年、長崎ブロック協議会へ第34代会長として出向をさせていただきました。大村JCからは4人目の会長輩出となり、私自身にとって本当に大きなチャレンジの年でありました。
昨年初夏、私に打診があったことは寝耳に水でした。正直なところ数年前までブロック会長は雲の上の存在のように考えていましたし、協議会内には私より年上の有資格者が他にも数名在籍しておりました。自身の卒業までに5年を残しておりますのでこんな早い時期には・・・と尻込みした事を思い出します。
ただ早くに理事長をさせて頂いたこともあり、卒業までに条件を整えることが出来ればチャレンジしてみたい、という思いも心のどこかに持っていたのも事実です。個人的な事ですが「明るい豊かな社会を実現するには政治にイノベーションを興さねばならぬ」という志を抱き市議会議員選挙に挑戦、落選という結果を甘受した年でもあり、落胆を隠すことはできず前向きになれない時期でした。しかし最後に決断させてくれたのは大村JCのメンバーです。当時の三役を中心に多様な支援を頂き決心することができました。私が新しい一歩を踏み出せたのは皆さんのお陰です。心より感謝しております。
協議会は県内7LOMの出向メンバーで構成されますので、出向人事については各理事長様にお願いするばかり、と気楽に構えておりました。
ただ女房役であり運営の要となる運営専務職は、会長とほぼ同じ動きをしながら協議会運営と事務を取り仕切るという重責のある役職ですので、その選任にあたっては苦労するかもしれない、と考えておりました。しかし、朝長靖洋君が快く引き受けて頂きました。彼なしでは2008年の運動の成果は成しえなかったと思ってしますし、歴代役員名簿に彼と名を残せることは私の誇りでもあります。本当にありがとうございました。
本年は「気高き日本の創造」~地域に必要とされるJCであり続ける為にイノベーション!~というスローガンを掲げ運動を展開してまいりました。
しばしばブロックは「LOMに至近の日本JC」と表現されます。我々はそれぞれが在住する地域の未来を考えると同時に、この国の未来についても考えていかなければなりません。日本の未来を明るく豊かなものに変革していくNOM単位での運動を日本JCが担い、ブロックは長崎県内でその運動の旗手となるのです。
ともすればピラミッド型の組織を想像しがちですが、トップダウンで降りてきたものをそのままやるのではなく、地域性を鑑みながら水平な目線で運動を展開する必要があります。
その為に年頭より7LOMの例会へ訪問をさせていただきました。県内様々な地域において運動を展開しているLOMの情勢や課題などを再認識することが出来ましたし、何処へ行っても暖かく迎えていただきましたことに改めて感謝申し上げます。特に会頭訪問を北松浦、地区会長訪問例会を福江の地で開催いただいたことについては、日本JCのスローガン、ローカルコミニティの復活への一助になったのではないでしょうか。
本年の運動については、島原でのブロック大会においての各分科会、おやじの背中プロジェクト、政権せんたく公開討論会、憲法勉強会等々、担当委員会の活動を一つ一つあげたいところですが、紙面も限られていますので、それぞれの事業報告書をご覧頂きたいと思います。
また会長職ということもあり数多くの多様な経験を積ませていただきました。北方領土に上陸することがあるなど想像もしておりませんでしたし、長崎県内や九州一円はもとより、全国各地を飛び回らせて頂き、自分の目で確かめないと、行ってみないと分からないことが沢山ある、と改めて感じました。日本は広く、JCには「凄い」と舌を巻くメンバーが沢山います。私も負けないように、そして長崎ブロックの代表として恥ずかしくないように勉強せねばと思い、読書に励んだ一年でもありました。
加えて本年は全国47ブロック会長発「OTONANOSENAKA運動」を興した年でもありました。この運動は自らの立ち振る舞いや生活を律し「後ろ指を刺されない大人」となり、我々の運動により説得力を持たせよう、というものです。私にとってその象徴である「マイ箸」はこれからも続けたいと思っております。
本年一年を振り返って、スローガンである「イノベーション」が我々に興ったのかどうかは正直なところ分かりません。社会にイノベーションが興ったのかどうかは、かなり怪しいところです。しかし、本年携わったJC運動は微力ではあったかもしれませんが、無力ではなかったと確信しています。連綿と続くこの運動は5年後、10年後に結実すると信じております。その結実の為には、更なるイノベーションに果敢に挑戦し続けなければなりません。私は、イノベーションとは「変革」という意味と同時に「進化の継承バランスを保つこと」と定義しています。近年JCが継承すべき「精神」は語りつくされてきたように思います。これからは何を変えていくかを考え、実行しなければなりません。
そこに必要なのは、自己への厳しさ、決断力、(高慢といわれても良い位の)気高い志です。自身はもとより、皆さんにそれらが備わっているかどうか、今一度自分と向き合っていただきたいと思います。何よりも我々が変わらなければ未来は変わらないのです。
これからも皆様から頂いた暖かい心を忘れずに、08の運動を自らの誇りとし、同時に驕ることなく微力ではありますが、花原会長率いる09ブロックが更なる躍進を遂げますように力を注いでまいります。
JCの素晴らしさと難しさ、奥深さを改めて感じる一年でありました。ブロックが展開する事業にご参加頂いた市民の皆様や携わってくれたメンバー、先輩諸兄や事務局員、弊社スタッフそして家族に心をこめて御礼申し上げます。ありがとうございました。感謝!

(社)日本青年会議所 九州地区
長崎ブロック協議会第34代会長 北村貴寿

名前の付いたドラゴン

2008年12月12日 | 原稿等

OB総会懇親会、お疲れ様でした
久々にお会いする先輩方からは

「まーだ現役や?」
「ブロ長の次は?」

なんて質問が挨拶代わり
色々と楽しい夜でした

さて先日原稿依頼を受けた雑誌が送られてきた
表紙は熊本のHさんがデカデカと

以下原稿

「万物は流転する、不変のものなど無い」
という信条、モノに対する拘りも年を重ねるたびに薄れてきている。なので「不変のモノ」というテーマには少々戸惑った。まず何を題材にしようか考える。
そいつは俺の相棒のハーレーだ、といったところで何台も乗り換えているのは周知の事実で説得力が無い。一時は革ジャンならバンソン、ブーツはレッドウィングだ、なんて拘っていたが、最近は革ジャンを羽織る回数も少なくなりロープが切れた財布は懐にしまうようになった。生来の飽きっぽさはいかんともし難い。でも自分が死ぬまでという期間限定で不変のモノってなんだろうと考えてみるとあっさり決めることができた。
それはクラブメンバーお手製のクラブカラーを模したシルバーのペンダントトップだ。
「FOREVER TWO WHEELS NAGASAKI」と彫られたホイールにドラゴンが絡みつき、裏側には「POLICE」という私のバイカーネームが彫りこんである(注・私は警察官ではない)。
このペンダントを受け取ったときはとかく感動した。平面だったドラゴンが立体となり活き活きと躍動している。そしてカネを出せば買える物ではなく私の為だけに無垢から作り出されたモノだ。このサイズであれば何時でも身につけていられる。愛着が沸かぬ訳が無い。シルバーも以前はジャラジャラと音が鳴るほど着けていた事もあったが今は殆ど身につけなくなった。しかしコレだけは別だ。ピカピカだったそれは時が過ぎるとともに鈍い光を放つようになり益々肌になじむようになった。
クラブを設立して十年になろうとしている。短いようだが十年一昔、本当に色々なことがあった。嬉しいことや悲しいこと、悔しいことや誇らしいこと。その度一喜一憂する私の胸の上にこのドラゴンは静かに鎮座しており、くさびのような仕事をしてくれているようだ。それも背中に背負ったカラーとはまた違う内向的な仕事。
このドラゴンは時折私に話しかけてくる。それも質問ばかりだ。
「それはお前が望んでいることなのか?」
「お前が相手だったらどう思う?」
「それで後悔しないのか?」
そんな風に私に無表情で問いかける。そして私はその問いに答えることで自分の方法を再確認したり、時には考え直したりする。このペンダントは私を映す鏡のようなものなのだが、私の信条や価値観を再構築する為に、思いに耽る部屋の扉を開くカギのような役割も果たしてくれているようだ。
そして、ホイールの向こう側に見えるものがある。それは一緒に走り始めてもう十年を過ごそうとしているメンバー達の姿だ。皆それぞれに変化が訪れ、昔のように走れたり走れなかったりしているのだが、ホイールの向こう側に見えるメンバー達はみな満面の笑みで愛車に跨っている。それは何ものにも変えがたい眺めで、色あせることの無い姿だ。このペンダントはそんな大切で変えることの出来ないモノを内包している。
不変というモノは自分に忠実であるモノだと思う。天気や景気、痛みや劣化、そんな外的要因に左右されるものではなくて「自分が変えなければ変わらない」そんなものが唯一不変である為の担保になりうる。同時に「変えない」という意志を強く鍛え上げることと同義なのだろう。考えすぎだろうか。
ナマエ、ソレハ、モエル、イノチ・・・そんな歌が流行っていたことを思いだす。私が死ぬまで背負うドラゴンには私の名前が付いている。




あんまりモノは買わなくなったのですが、パラパラめくってると色々欲しくなってきますね

いや、いかんいかんパーツが先だ


今日は最後の地区協議会です