北村タカトシ(旧ブログ)

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当選翌日~今日まで

2011年05月04日 | 選挙戦記

何回も皆で万歳をした。涙を流しながら抱き合った。
6番手の得票数、新人そして若手30代ではトップ。
私にはこれまで大きな基盤が無かった。
一人一人の力が集まって成し遂げた初めての勝利。

勝利の美酒に・・・酔えませんでした。
旨い酒なんだが、全く酔えない。
どうやら緊張感が先立っているようです。
「トップ当選しようがケツで上がろうが議員は議員」という先輩の言葉の重みをかみ締める。

3時ごろ最後の支援者が帰り4時就寝。2時間寝て起床、交差点に立つ。
皆さんの祝福が嬉しいです。
午前中は連れ立って挨拶回り。
午後から当選証書とバッジを頂き今後の日程など。
証書は会議室で手渡され、ワープロ印刷でそっけない感じ。
バッジは5月2日から任期が始まるのでそれから着用するんだそうです。

それから毎日の挨拶回りと会合の繰り返し。

町内会の総会で花束を頂いたり、スペシャル当選ケーキを頂いたり、本当にありがたい。
まだ電話も掛けきれていないし、地元も回れていない。

携帯着信と携帯メールはどうにかこうにか返信している。でも相手が誰だか認識できていなかったりする(まじでスイマセン)

毎日支援者の方と入れ替わり立ち代り挨拶回り。
あと1週間ぐらいはかかるだろうか。

その間をぬって会派のお誘いを多数頂きました。
また、合わせて先輩議員の人となりなど色々とご教示を頂いたり実際に会って話したり。

まだ良く分からない、というのが正直なところ。
慎重に、一人で突っ走らない、という事だけは注意をしたいところです。

5月6日が会派構成の締め切り。

是々非々でやれる、というのが希望だろうか。
25人それぞれの考え方があるんだろうし、イデオロギーの違いもあるんだろう。
ただ、あんまり色分けされたくないなあ、とも思ったりします。

民主主義国家の日本、その根源は多数決。
いくら吠えても落選すればただの人、饂飩屋の釜。

数が決する政治の世界に押し上げて頂いた以上、そのドグマからは逃れられない。

私は皆さんの信託に対し、世の為人の為、地域の為この国の為に働いてお返しをすると御誓い申し上げた。

建設的な身の振り方を前提にしっかり熟考いたします。

2日は新人オリエンテーションで議場の見学や財政レクチャー。
説明を聞くだけかと思いきや元職からは色々な質問が飛ぶ
まあ色々勉強になりました。


ともかく、落ち着くまではもう少しかかりそうです。

皆さんにお願い。

私は調子に乗りやすい性格、自分でも気を付けねば・・・と思うんですが、天狗になることもあるのかもしれません。
どうかこれまで通り、いやそれ以上のご指導お叱り諫言を賜れば幸いです。


皆さんに立たせて頂いた政治家としてのスタートライン。
しっかり勉強しつつ自分らしさを失わないようにボチボチ走り始めます。


坂の上の雲に向かって。

審判の日

2011年05月03日 | 選挙戦記
いつも通り朝6時に目が覚めた。
今日はもう少し眠ることにする。

少しばかり悪あがき。
また新しいご縁を頂きました。感謝。

夕方から支援者の皆さんが集まってくる。


7時ごろ自転車で投票にいってきた。
お声掛けを頂いたり。嬉しいですね。


皆「手ごたえ」は皆感じていた。
しかし選挙は開けてみないと分らない。


所在なげな時間が続く。
自転車を吹きあげてみたり。
イスや机を運んでみたり。


9時からケーブルテレビで開票速報が始まった。


「北村タカシ」


と読み間違えられ事務所がドカンと大笑いで盛り上がったりする。
皆、気持ちに余裕があるような

開票所からも情報が逐一入る。
滑り出しは良いようだ。

ウロウロと事務所を歩き回る。
座っとけ!と何回も。


23時を回ったころ、当確の入電。

初めての勝利、祝福の花束、達磨の目入れ、涙の抱擁、何を話したかあんまり覚えていない。

本当に良い選挙だった。

楽しかった。
嬉しかった。
選挙はエモーショナル、日本に残された”いくさ”。

この素晴らしい戦いを同志たちと戦い抜けたことに心から感謝したい。
何ものにも替え難い経験をさせて頂いた。


本当にありがとうございました。

最終日

2011年05月02日 | 選挙戦記

ラストの朝立ちは企業前へ。
前日の依頼にもかかわらず付き合ってくれる友情に感謝。
人の流れが途切れたところで皆でおにぎりをほおばる。
駐車場で立ったままの朝食、戦闘中って感じ。
それから自転車にまたがり松原方面へ。

出馬を表明したのが丁度一か月前。
足づくり、いわゆる事前のトレーニングが全くできていなかったのでかなりきつい。
なのでスピードも乗らない。
朝は曇りで良かったが昼が近づくにつれ気温が上がり苦しくなる。
自転車といっても私はカッ飛ばすタイプ、歩道は走らない。
(そもそも自転車は車両だから大抵の場合歩道を走っちゃダメ)
街宣車を自転車で引っ張るスタイルなので相応の速度が必要となってくるんですが、平坦な大村といっても微妙なアップダウンが。
それがボディブローのように効いてくる。
11時までペダルを踏みまくりましたがホトホト疲れました。

それからアーケードで桃太郎、そして街頭演説
私は中心市街地活性化政策に疑問をもつ一人。
なんとなくアウェイ感があるが、最後まで聞いてくれている人もいた。

自宅事務所が坂の上にあるのでバテバテになって帰りつく。
午後からは街宣車に乗りこむ・・・はずだったが某事務局長から挑発を受けまた自転車に。正直足がキビシイッスよ。

福江からまたサプライズ、本当にありがたいことです。


足に痙攣がきたので車に乗せてもらうことにする。

少しばかり街宣するが、なんか反応が薄いような。
そりゃそうだろう。期間中30人が同じようなことをやってるんだから。

なのでもう一度乗るぞ、と車から降りる。
ストレッチを少しばかり。またペダルを踏む。

やはり反応が良いのは気分が良い。
パフォーマンスと分かり切っているが期間中は”まつり”という側面もある。
賑々しいのも宜しいんじゃないでしょうか。


夕方帰りつき地元を桃太郎。
出てきてくれる皆さんの元へダッシュを繰り返し走り回る。
坂はキツイが夕日が美しい。遅まきながらの青春だね。
町内を回り切ったところでもう少し足を伸ばすか、と考えたが駅前へと踵を返す。


桃太郎中の他候補と遭遇しつつ最後の駅前での街頭演説を。


私の政治への挑戦は4年前の駅前から始まった。

ハンドマイクと旗、そして言葉が私の武器だった。

当初は恥ずかしくって車の中でウジウジすることも多かった。
ロックを聞いてテンション上げて「エイヤッ」と飛び出して演説する。
カミカミの時も多かった。

毎日続けていると慣れてはくるもののテンションが上がらない日もある。
車中から交差点をしばらく見つめ、そのまま帰ってしまうことだってあった。

孤独感によくとらわれた(実際は違ったのだが)



でも、今は違う。

頼もしい仲間がたくさんいる。


これまで、仲間たちの支援を二度も無駄にしてしまった。


今度こそ勝たねばならないし「タカトシば勝たせんば」と言ってくれる方々のなんとありがたいことか。


夕日に染められた丘に並ぶ家々に

交差点を通り過ぎる人々に

後ろで旗を持ってくれる同志たちに


そして私自身に語りかける。


事務所に戻ってマイク収め、また泣いてしまった。
三度目だったがこんな選挙は初めてだった。
本当に良い選挙を戦わせてくれたことに心から感謝申し上げたい。


明日は審判の日。

三度目のジャッジはどうなるのだろうか。

六日目

2011年05月01日 | 選挙戦記

前日の夜の急な呼びかけにも関わらず、6人が集まってくれ最後の地元朝立ち。
支援者から紹介された方が見ていたらしく元気が良くて良いですねと嬉しいメールが。

途中車から御仁がツカツカと。
クレームかな?と思いきや「怪文書を出す卑劣な輩に負けるな、絶対に勝ってくださいね」と嬉しい激励を受ける。

とかく嬉しい事が多い朝でした。

午前中は街宣車に乗り三浦方面へ。
住宅街で街頭演説を何回か入れる。

住宅街、中学時代の恩師から「語りかけるように」とのアドバイスを気にかけて、家々の壁の向こうに居るであろう有権者に訴える。

演説終了後には家から出てくる人があったり、庭先から「良い演説だったよ、貴方に私の一票を託す」と。

絶対に負けられない戦いだな、と改めて。

午後からとある地域を歩いて回る。

目の前から他陣営がバツが悪いので路地に入る、するとはたまた物の陣営の声が。
声の方向を聞きながら迂回しまくり三つ巴で入り乱れ。
上空から見たらパックマンだな。

ラストはここでも街頭演説
料理の途中だったという方が「よかこと良いよるけん聞きに来た」と手を真っ白にしたまま車で駆けつけてくれた。
フライを作ってる途中だったそうで。火のもと注意です。

夕方まで携帯電話のメモリーと睨めっこ。
「お願いのときばかりで・・・」と旧友に電話を入れるが暖かく接してくれた。

雨がひどくなってきた。

最後の個人演説会は身内が集まる。地元の人が少なかったが4年前の二倍と考えればありがたいです。また最後で泣いてしまいました。

帰りの車中で若干の反省会。言葉が難しすぎる、講演会のようだ、という。
数年前も同じことを言われたような。
進歩が無いなあ・・・

最終日の打ち合わせなどをやって早めに解散。
票読みの確定データを持ってきてくれた。
本当にありがたい。

この選挙戦はのテーマは”リアリティ”と言っても良いかもしれない。
私に出来ない戦術戦略を選対がしっかり練って、実行させている。
本当にこんな選挙は初めてだ。

ともかく明日でこの”いくさ”が終わる
悔いが残らないような1日にしたいと思う。


五日目

2011年04月30日 | 選挙戦記

地元の交差点で朝立ち。

知った顔が多く反応が良くて楽しい。
この戦いが終わっても立とうかな。

街宣車だけ先に出す、ということで出てもらった。
11時に合流、街頭を入れることに。
それまでひたすら電話掛け。

11時の合流地点まで自転車で行くことに許可が下りた。

個人的には毎日乗りたいところであるが、陣営はパフォーマンスよりリアリティを求める雰囲気。選対本部長はスモーキングルームでPCと睨みあい、票読みと戦略・戦術の思案に没頭中。


私的には

街宣車を自転車で引っ張る、とか、
ビールケースのお立ち台、とか
箱乗り一歩手前、とか

に惹かれてしまうのです。


最後の1日だけ乗せちゃる、という許可が下りたが、そのウォーミングアップも兼ねてということで自転車に乗った。

街頭演説の後1時間街宣車の前を走る。
街宣車を引っ張るにはかなりのペースで走らなければならないところも。
当然車道を走るんですが、すぐに汗だく、ホトホト疲れ果てました。
運動不足だなー

食事をとってすぐに電話掛けにと椅子に座る。
数十分気絶していたようだ。

街宣車は私抜きで回してもらった。
人員が定員に足らず少し寂しめの街宣だったらしい。
乗りたいのは山々で心苦しいが、今は電話を優先させてもらう。
申し訳ない。最後に爆発させたいと思います。


夜は所属団体の会合へ顔だし。
相当な歓待を受ける政治的には中立な団体なのだが、壇上で激励を。
本当にありがたいことです。

終盤だから勢いを付けた方が良いという話もあり、前夜に朝立ちの人員を募る。
何人来てくれるだろうか。


選挙ハガキもオール手書きで出し切ったようだ。


泣いても笑っても後二日。

四日目

2011年04月29日 | 選挙戦記

折り返し地点。

今日の朝立ちは大企業。
他陣営が向かいに経験豊かな候補が陣取っていた。
「新人です!」なんてアピールしてみる。
助っ人の参戦もあって賑々しかった。
帰りしなアルカディアのグランドゴルフ練習に突撃。

朝食をすませ街宣車は私抜き、午前中までは電話・電話・電話
午後からは一緒に回っていただいたり。
数時間回って、夕方まで単独で回る。

二回目の個人演説会。
4年前もやった場所で参加者2名という会場。
開けてみれば身内関係を除いて8名だった。総勢は30名程か。上出来だと思う。
中には怪文書が出ていたから来た、という方も。
熱く熱く語ってやっぱり泣いてしまいました。

撤収後選対会議。

1300票がボーダーライン、今ギリギリ、という分析がリアリティ。
最終日、最後のマイク収めでたくさん集まろう、という事に。
取り壊す予定の自宅事務所なので障子にマジックで告知を書きなぐる。
センスが無いとなじられる。

風呂につかりながら居眠りしてしまう。
喉を詰まらせてちょっと戻してしまった。
頭がぼーっとしていて疲労がたまっている感じがする。

演説指摘事項等

政策が細々と具体的過ぎて良く理解できない
攻撃的な文句は抜いたほうが良い
怪文書の対応漏れ

等々

ありがたいことだ。
やるべきことをやるのみ。

あと三日

三日目

2011年04月28日 | 選挙戦記

早朝から旗を忘れたり揃いのジャンパーを忘れたりしてバタバタした。
駅前から少し移動して交差点に二人で立つ。
こちらの方が交通量が多い。反応も良くて正直楽しかった。
駅前には他の候補が陣取っていたようだ。

朝食に戻って街宣カーは私抜きで回す。
単独で数か所の訪問と合流&街頭演説を繰り返す。

怪文書は広範囲にばら撒かれているらしく通報多数。
そんなヒマと金があったら震災ボランティアや義援金にでも回されてはどうか。
存在自体が恥ずかしいことにそろそろお気付きになられたほうが良い。

街宣中に怪文書を配っている輩を見た!という通報が。
とっつかまえろ!と色めきだって飛び出していったがよくよく確認してみれば、選挙公報を配っている地域の方だったようだ。みんなで大笑いです。

上滑りへの危惧、怪文書について対応してもらいたかったので、対策会議を開いて貰うようにお願いする。
票読みの為の新たの手法などもスタート。

それから夜まで電話をかけ続ける。頭と耳が痛くなった。
何回か電話かけのお願いをしていたが大変さを実感。改めて感謝。
反応はそれぞれで楽観的だったりその反対だったり。

なんと福江からT君が!
昨年の無理ないくさに付きあってくれた心強い助っ人。
これで役者がそろった感じだ

スケジュールをホワイトボードに書き出す。
あんまり埋まってない感じもする。
まあ走りながら、ってやつだ。

明日で折り返し。

二日目

2011年04月27日 | 選挙戦記

早朝から駅前に立つ。
思ったほど交通量が多くない。

まるっきり無視も多いが、時折の暖かい反応が嬉しい。
学生や子どもたちは素直に返してくれる。
大人になったら無視することも覚えるんだよねえ・・・なんて思いつつ。

朝食のお気遣いを
本当にありがたい。実は朝飯どうしようかな?なんて思ってたんです。

午前中は街宣車に乗りこみ方々を。
昨日とは打って変わって女性ばかりのウグイス軍団となる。
賑々しくて面白い。名前間違いはご愛敬。
スポットで街頭を入れながら市内を回る。

午後から大先輩と回らせて頂く。
本当にありがたい事です。

二日目ながら怪文書第二弾が落とされた。
内容は同じ。
初回は名簿から拾ったのか住所名前で配送されていたが、次は地区特別郵便。
いわゆるポスティングみたいなものだ。
こんなリスクとコストを掛ける暇があったら額に汗して働けと言いたい。
大村の恥だな、これは。


再度街宣車に乗りこみ山間部を回る。
人影を確認したら降りて突撃を繰り返す。
今日の風は冷たい。コオロギの鳴き声まで聞こえてきた。

選挙ハガキの取り扱いで急きょ多量のこまごました作業。
私がいない間に段取りが済み作業が進んでいる。
本当にありがとうございます。

夕刻に事務所に戻り地元中の地元、小佐古で個人演説会。
自分でなんだがスピーチはとても旨くいった。
決起大会の時より良かったかもしれない。
事務所に戻って添削が無いか聞いたがあまり無かったようだ。
雰囲気も最高。


だから恐い。

完全に楽勝ムードになっている。
当選祝いを何処でやるかなんて話が出た時はびっくりした。
選挙は開けてみるまで分からないのに。

最後の反省会でそんな話をして兜の緒を締め直したつもり。
全体をしっかり締めることが出来るだろうか。

浮ついたら負け。
本気でそう思った二日目。


明日早朝から交差点に立つ。
後は個人的なお願いに徹しよう。

2011市議選・開戦

2011年04月26日 | 選挙戦記

開戦前日、ギリギリまで家々を回っていた。
お昼時、とあるお宅にずうずうしくも上がり込み昼飯を。

ここら辺は代々続く方の地盤が磐石、と思っていたらそうでもないらしい。
なんとそのまた別の候補と鉢合わせて相席となる。
先に来た私が先に帰るべきかとも思ったが相手が早々と引き上げたので、心の中で「勝った」とガッツポーズ

怪文書が送られてきたぞ!と数人から入電。
本部長にお任せし、訪問を続ける

とある方から
「バカな文章だ、でも君を知らない人が読んだら、そう思う人も居るかも知れない。私が君についてこの事を聞かれたら全力で否定する」
という電話を頂く。
なんか泣いてしまいました。


しかしバカな輩がいるものだ。
世の中をダメにしている原因そのものなんだろう。
世のため人のため早く消えて無くなって欲しい。


日も暮れ落ちた頃帰りつき、告示前最後の選対会議、8畳の会議室から人が溢れてしまった。
資料が用意できていなかったが集まってくれた皆がめいめいに準備をしてくれる。
なんと有難い事か。

怪文書は一蹴
我が陣営も怪文書まで出されるとは対したもんだ、となった。

討議資料が1万枚余った。
出馬表明は1ヶ月前、立ち上げが遅れているのに発注しすぎたか。


メインは翌朝の出陣式の話になる


「だるまは?」との問いに沈黙。


準備してなかった。
じゃ明日までに何とかしよう、と話になって翌朝なんとかなってしまった。

なんだか凄いぞこの選対


諫言を賜る。有難い事だ。

数日あまり寝ていない。
時折鋭い頭痛がするが気にしないようにしよう。

届け出もスムーズに終わってくじ引きは21番
程なく出陣式がはじまった

「皆さんを裏切らない政治家になりたい」

私の誓いは皆さんの心に響いただろうか。


街宣カーでぐるぐる回る

車を降りて歩いたり
飛び込んでいって握手したり
街頭演説したり

出陣式ということで一張羅の靴を履いてきたのが失敗。
田畑に飛び込むもんだからドロドロになってしまった(泣)

今回の街宣クルーは全員素人ボランティア
今日はカラス男揃い。
めいめいのキャラクターが際立っててかなり面白い。
街宣者の中は爆笑多し

1日を回りきって反省会や明日の打ち合わせなど。
演説を数点矯正しなければいけない。

嬉しい連絡が、それも数件。
「なんか選挙事務所みたいだな」と誰かが言う。
明らかにこれまでの雰囲気とは違う。

しかし選挙は空けてみるまで分からない。
上滑りしているようにも感じる。

ともかく今日からは祭りなんだ。

この”いくさ”を力いっぱい同志たちと楽しみたいものです。

1673人の信託

2011年04月25日 | 選挙戦記
1673票を賜り初当選させて頂きました。

皆さまからお預かりした信託は、世の為人の為、地域の為大村の為、日本の未来の為に懸命に働いてお返しをいたします。

公選法上、当落の御礼が表明できませんが、お察しくだされば幸いです。

STAND UP!

2011年04月16日 | 選挙戦記

明日から市議選が告示される。
私にとっては3度目の戦いだ。

”いくさ”に挑めるのは無上の喜び。
私を支えてくれる支援者の皆さんのお陰です。本当にありがとうございます。
もう少しお付き合いを頂きたい。

2回の敗戦で思い知らされたことがある。
選挙は政策だけでは戦えない、ということだ。
しかし政策抜きの選挙が現状を作り出していると今でも思っている。

わたしは今の政治に不満や疑問、憤りがあった。
世界に変化を望むなら自らがその変化となれ。公開討論会の推進やマニフェスト運動に熱を上げてきたが、なかなか世界は変わらない。

それどころかマニフェストが体裁だけのキャッチフレーズに使われたりもする。
自ら選挙にでるという行動を起こして判ったことは、有権者は政策だけで政治家を選ばないということ。

そして我が師は「選挙はエモーショナル=感情」と仰る。
身も蓋もないですよ、それ。

有権者はやっぱり浪花節が好き。マニフェストを読み比べて投票するのはまだまだ少数派、JCぐらいなもんだという笑い話。

思えば彗星のごとく現れた政治家にはそれなりのバックボーンがあった。
タレントとびぬけた知名度や代々続く世襲政治家。高名な学者高級官僚+政党。大企業だったり宗教だったり労組だったり。

私には主だったバックボーンがない。

あったとすれば、それは挫折、というところだろうか。
二度の敗戦で志まで自ら折りそうになった。

それを思い止めてくれたのは、私と同じ思いを持ってくれた同志達
今日まで本当に良い戦いをさせてくれた。

そんなこともあってか中傷文書まで出回った。
下劣な品性の輩が居るものだ。
言葉の暴力には屈しない。しかし同じ土俵に上がるつもりもない。

私の陣営をそれなりの脅威ととらえてのことだろうか。
そう考えれば腹も立たない。
ただし選挙は開けてみるまでわからない。
バカバカしい文書が影響することもあるのかもしれない。

何のシガラミも無い同志たちが私のバックボーンで私の最高の財産だ。

公選法でホームページ更新はNGとなります。
コメントも一時停止。
日付が変わる前に戦いの女神へメッセージを。


失敗するさ、人間だから。
負けることもあるさ、人生だし。
世知辛いのが世の中だ。
だから人の情けが嬉しいんじゃないか。
喜びが際立つんじゃないか。

いろんな道が開けてるはずだ。
君と仲間たちの戦いは決して無駄にならない。
絆がより強くなったはずだろう。
そしてまた走り出せば良いじゃないか。


俺も明日から命を掛けて、戦い抜きます。

そうだ、明日も笑顔で立ち上がろうぜ。

STAND UP!

三度目のチャレンジ

2011年02月25日 | 選挙戦記
昨年暮れごろから「今後はどうするの?市議選は?」と良くお声掛けを頂いていました。

激励会を開いて頂いた時も、宴席ごとに皆さんからお尋ね頂いたときも口ごもってしまい、はっきりとお応えできませんでした。

市長選の結果が厳しいものだった事はご承知の通りです。家族とも話合い市議選は見送ろうかと考えていました。

「市長選は市議選の為の売名」
「そそのかされて市長選に出た」
そんな政局話を吹いてまわる輩がいると聞いたり、同世代である20~40代の投票率は上がるどころか低下。
私の力では大村の政治を変えるのは難しいのではないか。
事業に徹したほうが良いのかもしれない、地域で雇用を創るのも立派な仕事だ。
なにも私がやらなくてもいい、誰か志の高い人を応援することもできる。

そう思ったのも事実です。


しかし、3千名を超える皆さんが
「これまでの政治から脱却しよう、新しい大村を創ろう」
という私の訴えにご支持頂いたのも動かしがたい事実でした。

近しい方々に市議選を見送る旨を事を伝えますと、多くの皆さんが驚かれました。
そして、殆どの方が出馬を薦めてくださいますし「出馬しないのは支持者への裏切りだ」とのきついお叱りまで頂きました。
もちろん、落ち着いてからまた再チャレンジを、という声もありました。


私はなぜ政治という道を志したのか。

このまちをもっと良いまちにしたい。
大村に生まれてよかった、大村に帰りたい、大村に住み続けたい、そんなにまちしたい。
ならば今のままではダメだ。
だからこれまでの政治を変えなければならない。

今でもその思いに一遍の曇りもありません。


私は何処を向いているのか。

政局好きの輩でしょうか。
投票を諦めた同世代でしょうか。


それは違う。

私は同じ思いを持つ皆さんを向かなければならない。
同じ志をもつ仲間とともに、新しい大村づくりを目指して進まなければならない。
地域を、国を憂う同志を一人でも多くふやさなければならない。

これまで頂いたご支持を結果に繋げる事が出来なかったのは私の力不足。
ならば結果を結べるように、さらなる修練を積まなければならない。

己の弱さゆえ迷いました。
自ら志を折りそうになりました。

ですが皆さんの友情と思いに支えられて、なんとか立ち続けることができそうです。


今春、3度目のチャレンジを決断しました。

己の弱さゆえ、戦いまでの時間を空費してしまいした。
時間がありませんが、審判の日まで全力疾走します。

どうぞ皆さまのご支持を賜りますよう心よりお願い申し上げます。


      北村タカトシ

戦いを終えて

2010年10月10日 | 選挙戦記

悔いはないか?と聞かれれば「ああすれば、こうしておけば」と色々と反省することは沢山ある。
最低得票数にも届かなかったので供託金も没収、公費支給もナシ。
組織無し、シガラミ無しで戦い抜いたものの、やはり選挙には組織が必要なのだということも痛感した。

なぜ出るの?

「勝てない選挙に出る=裏がある」という穿った思考に縛られる人々はそんな質問を繰り返す。それについて改めて。

ツイッターなどで出馬をつぶやいた頃は「ひょっとしたら奇跡が起きるかも」という、甘い願望のようなものがあったのも事実だ。革命を夢見る青二才といったところか。本気で勝てるかもしれないと思っていた。

ただ時間が流れ、情勢がはっきりしてゆくにしたがって「これは勝てない」と感じたことも事実。止めたほうが良いのか、と何度も心折れそうになった。


それでも私を立ち続けさせたのは信念だと言うほか無い。


私はこのまちを変えたかった。

今のままでは、今の政治では駄目だと思っている。
バラマキ、シガラミ、政争にがんじがらめのこの街は大きな可能性を秘めているにも係わらず、変化の兆しはない。

この戦い、たとえ勝てなくとも、一石を投じる事は出来るのではないか。
その波紋が広がれば、このまちに変化が起こるのではないか。


そして今日まで、友情に支えられながら、すがりながらこの戦いを続けてきた。
結果は思ったよりも厳しかった。
負け戦だとは判っていたが、結果が出るとやはり落ち込む。


私は「これまでの政治では、二人では駄目だ」という選択肢を示したつもりだ。

私以外の二人の政策に大きな違いも無いという声も頂いたし、マニフェストへの評価は高かったようだ。
3,236人の有権者がそんな選択をした。
全体から見て多い数字とは言えないのかもしれないが本当にありがたいことだ。

私自身の存在や理念、政策を知っていただくことが出来なかったのは私の力不足。
根拠は無かったがもう少し戦えるだろうと自分を過信していたのも事実。

投票率は60.85%、前回は57.36%だったので若干上がった。喜ばしいことではある。

ただし若年層の投票率は先般の知事選と比べれば下がった。

20代 42.00%→39.49%
30代 49.85%→48.38%
40代 59.82%→59.64%

この数字が意味しているのは何なのだろう。


以下はバカバカしいと思っていたが、支持者の皆さんには知っていただきたいので二点ほど。


・私は某陣営に頼まれて出馬した。

有権者をバカにするのもいい加減にしてはどうか。政争、政局まみれの思考から脱却しない限り、この街の政治に変化は起きない。
私はこれまでの政治ではこの街は良くならない、他の二人では駄目だ、という決意と厳しい戦いを覚悟で出馬した。
そして、二人ではなく、私を選んだ有権者が3236人居たというだけの事だ。
それにそんな恥ずかしい事をする様な生き方は選ばない。


・私はカネがある、選挙は道楽。

道楽で選挙はやれない。一度やってみれば判ることだ。
実質的な経営者だが事業の借金もある。それ以外に収入があるわけでもないし、そんな事を言う皆さんが想像しているような環境ではない。
ただ、妻は自立しているし子どもがいない。そんなアドバンテージはあると思う。
だからこそこんな挑戦が出来た。だから私は恵まれていると思っている。
今回の挑戦も貯金と借金での挑戦だった。
民主主義にはコストがかかる。しかし、だからと言って、カネを掛けた選挙は止めたほうが良いと思う。
それがシガラミとなり政治を見失う。掛けない方法を模索するべきだ。
会計報告もブログでさせて頂く事になると思うが、かなりコストを絞った戦いだった。



今回の挑戦を理想主義だと一笑されるかもしれない。

しかし理想を失った政治が現実を作り出していることを忘れるべきでない。
そんなに私は丸くない。
ただし、理想や信念だけでは政治は動かせないことは痛感している。

世界に変化を起すには、理想と信念と、戦う組織が必要なのだろう。


写真の積み上がったハガキは大阪に居る妻から毎日送られてきたもの。
私が弱気になっていた頃、そんな話をしたころから届くようになった。
灯のともっていない自宅に帰る毎日、ポストを覗くのが楽しみだった。
理子、ありがとう。


私を裏から表から支えてくれた全ての人々に心から感謝いたします。
多くの人を巻き込んだにも係わらず結果を出すことが出来なかった。
本当に申し訳ないと思っています。

ただ、本当に厳しい戦いでしたが、私なりの方法でやり抜けたこと、信念を貫けたことをせめてもの救いとしたい。


今後はどうするの?と良く聞かれますが、今は白紙とさせて頂きたい。

この経験が私の人生の糧となるのは間違いがありません。

本当にありがとうございました。



最終日

2010年10月09日 | 選挙戦記

最終日ということもあり、8時~20時のフルタイムで街宣カーを回す。
初っ端から雨だったが自転車でスタート。
すぐに下着までずぶ濡れになる。

五島からの助っ人を送り届け事務所に退避。
着替えて街宣カーに乗り換え、弊社の近隣で街頭を入れる。

暫くすると雨が上がった。
土曜なので休日の友人達が集まってくれていたのを尻目に自転車に乗り換え再スタート。
自転車に乗りながら街頭をあちらこちらで繰り返す。
反応は良い。これが結果に繋がるのだろうか。
グローブが破れてしまった。

再開発の見直しを訴えているアーケードや漁協などを回り街頭を入れる。
反応は厳しいだろうと思っていたが意外に暖かかった。

夕闇になり自転車を降りる。そして街宣カーで地元を回り。
玄関先からご支援を頂く。硬い握手に涙が。

選挙にはマイク収めというセレモニーがあることを初めて知った。
ラスト5分、これまでの思いを語らせて頂きながら最後のお願い。
皆の前で涙でグズグズになってしまった。

それから小さな反省会。断酒を解く。
明日の予想や未来のまちづくりについてあれやこれや。

奇跡は起きるべくして起こる。
経験豊かなウグイスによれば反応は凄く良かったですよ、とのこと。

私は奇跡を起こす事が出来たのだろうか。


喉がつぶれてしまった。
明日全てが解る。

六日目

2010年10月08日 | 選挙戦記

朝6時集合、部隊前にて朝の挨拶を。
効果も疑問だったし人員に余裕も無かったのでやるつもりは無かったが、友人からの勧めと五島からの心強い助っ人も来てくれたので二人で立つ。
判りきっていたことだが、場所取りと数では完敗。

自転車を一日休んで手首の痛みも引いたので、今日は朝、夕の2回乗る。
やはり自転車乗ってる時、街ゆく反応は良い。

しかし向かい風あり、微妙な上りあり、汗だくになってホトホト疲れる。
街宣カーを引っ張っているので、交通の妨げにならない様に気も配らなければならない。
もっとトレーニングが必要だ。

妻も空港からそのまま事務所に入ってくれた。
自転車に乗っていないときは、街宣カー&街頭演説を繰り返す。
住宅街に向かって誰かが聞いている筈だと思い、青空に吼える。

「貴方の話を聞いてみたかった」

とわざわざ家から出てきて耳を傾けてくれる事も数回。
私のマニフェストの評価が高かったらしい。
本当に嬉しいことだ。

作業中のみかん畑に飛び込んでいけば「まだ甘くないけど」とみかんを頂く
農村部でも一定の認知はあるようだ(票に繋がるかは分からないが)

今日はトラブルが沢山。
街頭をやっていたら他陣営がすぐ傍で個人演説会の準備を始めたり、住宅街で吼えていれば、うるさいと苦情を言われたり。
よくよく見てみれば他陣営のポスターが掲示してある家の前だった。
他にもイロイロあった。

今日は五島からの助っ人と朝から晩まで1日中一緒だった。
彼の男気にどうやって報いれば良いのだろうか。

あと1日。