はじまりは去年の末頃、カメラマンの久我秀樹さんからの電話だった。
「佐賀でアイドルを作りたいんですけど協力してもらえませんか?」
アイドル? 嫌いではないけれど、別に・・・という感じ。
ただ話の成り行きからうちのスタジオで話をすることになった。
言い出したら止まらない久我さんの性格なのか?
年末押し迫った12月27日、オーディションが強行された。
僕も参加したけれど、とりあえず僕は顔つくり程度の気持ちだった。
合格者が決定して、名前がみゅう☆スターと決まった。
運営の中心メンバー、4人のオヤジたちが夢を語り、割と盛り上がった。
すぐお正月休みだったので、時間を利用して曲を作った。
合格者発表、その2週間後、みゅう☆スターは初ステージを踏むようになった。
決して出来のいいパフォーマンスではなかったが、ひたむきさがカワイイと思った。
その後出来るだけみゅう☆スターのステージには顔を出したけれど、
特に運営にはタッチせず、音楽制作のみだと考えていた。
地域活性化応援団・佐賀乙女みゅう☆スターは
佐賀を応援するために生まれたアイドルだという解釈で曲作りをした。
僕が作る楽曲はイマドキのアイドルたちの曲とはどうも違うらしく、
メンバーに不評なのかな?・・・そんな不安な時間が過ぎた。
夏になり、様々なイベントに参加して彼女たちが輝き始めた。
今 原石たちは磨かれて宝石になろうとしている。
自覚が芽生えたのだろうか、うまく言えないけれどキラキラしている。
何もないと言われ続けた佐賀で何かを生み育てることは大変だと思う。
実際自分も大変、しかし大きな希望をこの子たちからもらった。
自分もだんだん夢中になろうとしている。
そして大勢の大人たちが無償で協力してくれている。
それこそがアイドルの魅力なんだろう。
「佐賀でアイドルを作りたいんですけど協力してもらえませんか?」
アイドル? 嫌いではないけれど、別に・・・という感じ。
ただ話の成り行きからうちのスタジオで話をすることになった。
言い出したら止まらない久我さんの性格なのか?
年末押し迫った12月27日、オーディションが強行された。
僕も参加したけれど、とりあえず僕は顔つくり程度の気持ちだった。
合格者が決定して、名前がみゅう☆スターと決まった。
運営の中心メンバー、4人のオヤジたちが夢を語り、割と盛り上がった。
すぐお正月休みだったので、時間を利用して曲を作った。
合格者発表、その2週間後、みゅう☆スターは初ステージを踏むようになった。
決して出来のいいパフォーマンスではなかったが、ひたむきさがカワイイと思った。
その後出来るだけみゅう☆スターのステージには顔を出したけれど、
特に運営にはタッチせず、音楽制作のみだと考えていた。
地域活性化応援団・佐賀乙女みゅう☆スターは
佐賀を応援するために生まれたアイドルだという解釈で曲作りをした。
僕が作る楽曲はイマドキのアイドルたちの曲とはどうも違うらしく、
メンバーに不評なのかな?・・・そんな不安な時間が過ぎた。
夏になり、様々なイベントに参加して彼女たちが輝き始めた。
今 原石たちは磨かれて宝石になろうとしている。
自覚が芽生えたのだろうか、うまく言えないけれどキラキラしている。
何もないと言われ続けた佐賀で何かを生み育てることは大変だと思う。
実際自分も大変、しかし大きな希望をこの子たちからもらった。
自分もだんだん夢中になろうとしている。
そして大勢の大人たちが無償で協力してくれている。
それこそがアイドルの魅力なんだろう。
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