【日光集】
柱に縋り起てば赤飯春隣 星野石雀
毎月の発表句から足をはじめ体の不調や老いのことを存じ上げている。室内では杖より柱に縋るほうが好都合のこともあるとみえる。自分の部屋から立って何かの祝いの赤飯の用意された居間へ行くのだろう。「柱に縋り起てば」は辛いが「赤飯」「春隣」で劣勢を挽回して見せたのはさすがの俳句魂である。
鷹鳩と化してロボットこき使ふ 布施伊夜子
ロボットといってもまだそう普及していない。ロボット掃除機ルンバあたりがいちばん手頃。「こき使ふ」といってもあれは勝手に動いてくれる。そこまで言いたい背後に自分のいうことを聞かなくなった家族、知人への若干の怨みがあるか。
テニスネットの中央垂るる鳥雲に 細谷ふみを
全豪、全仏みたいなトッププロの闘うコートではない。公民館の隣のテニスコートでこういうネットはよく見る。さすがはふみをさん、こういういじましい素材をとらえる天性の資質がある。この皮肉の効いた目のつけ方は川柳的であるが「鳥雲に」で俳句として立たせている。
父の日や電気かみそり水洗ひ 山本良明
「電気かみそり」を「父の日」のプレゼントに使う娘もいるから両者は近い。近いが「水洗ひ」といったことでさっぱりさせて、しみじみした父の日の感慨としている。
わが肉(しし)もいづれ炎に散る花吹雪 奥坂まや
官能的というかナルシズムというのか、この抒情には驚いた。作者は短歌的ともいえる女性の好きなこの種の情念をずっと以前に断ち切り森羅万象の核心に迫るような世界を邁進してきたと思っていた。そのまやさんにまだかような甘さが残っていて句にしたくなるときがある。まやさんはカラオケで「天城越え」を歌うかもしれないな。
【月光集】
鳥声に朝寝の夢のはねずいろ 大石香代子
この句は万葉集に見られる「はねずいろ」を取り込んだことで一句になった。白色を帯びた紅色である。箪笥の奥に母の縮緬があってそれが意外に自分にぴったり似あったというような趣がある。
地球まだ冷めやらず蟇交むなり 志田千惠
あちこちで噴火活動が活発である。それが「地球まだ冷めやらず」である。その地球の土から生まれたような生き物。その生殖活動を地球のマグマでもって応援しているように作者は感じた。ぼくもその感じがよくわかる。
水仙の群れて日差を奪ひ合ふ 荒木かず枝
水仙は春の光をよく感じる花である。ぼくは反射していると思っていたが作者は「奪ひ合ふ」と見た。ユニークである。
春の鴨ひろき水面を余したる 岡本雅洸
ほとんどの鴨がいなくなったので水面を広く感じる。中七下五は味のある言い方。俳句は言い方の妙で一句が立つことがある。
夕雲に見とれて一握の土筆 桐山太志
春の夕暮の憂いもある時間を描いている。句跨りのリズムでそれを出したのは巧い。
渦潮を落ちゆく船の吾と汝と 岸 孝信
渦潮に現代の堅固の船が巻き込まれないだろう。また、そういう危ない水域へ行かないだろう。などと言うとおもしろくない男だと作者に言われそう。奥坂まやと同じでこういう情念に浸りたいときはある。それは理解する。
紅知らぬ少女の口や夏柳 岩永佐保
さて少女は何歳くらいかわかることが俳句では大事。小学生では当然なので中学生を思った。高校生ではもう紅を引く子もいそう。このころの娘さんは夏柳の生命力である。佐保さんはいつころから口に紅を引いたのか。
摘草や前歯かけたる女の子 中村哲乎
これも女の子の俳句。「かけたる」は事故で折ってしまったととるのは辛い。永久歯がまだ生え揃わぬ年齢、小学1年生の女の子と見る。
犬が見る我は川見て西東忌 今野福子
おもしろい句である。作者は犬を連れて川に来ている。連れて来ず犬はそこにいただけかもしれないが、犬の視線を感じながら自分は川を見ている。これだけのことで風情が生じる俳句はおもしろい。西東三鬼の忌は4月1日。
百鳥に突つかれてゐる干潟かな 山地春眠子
人はアサリ、ハマグリを掘り、鳥は小さな生き物を嘴でとらえる。鳥が出て来る干潟の句はあまり見ていないので新鮮。
風船を放して寡婦となりにけり 喜納とし子
風船を放したから夫が死んだのではない。夫の死を自分の手から風船が離れて行くように感じている。死別の感情を象徴化してみごとである。
遠望に如かず盛りの八重桜 中山玄彦
この作者は八重桜をうるさいと思っている。八重桜はソメイヨシノと違い、花も葉も一緒に出てごてごてしている。ぼくも八重桜は重たいなあと思うので「遠望に如かず」は納得する。作者らしさの出た句は楽しい。
てのひらは齢刻まず桜貝 黒澤あき緒
「てのひらは齢刻まず」の裏に、といっても手の甲だが、ここほど老いが顕著な部位はないだろう。日焼で黒ずみ皺がおびただしい。作者はそれを知って「てのひら」は老いていない、私は若いと叫びたいほどうれしかったと推察する。「桜貝」を置いたのもいい。こういう句を読むと俳句は発見が生命線であると痛感する。
あはゆきを滲みあへるが兄いもと 竹岡一郎
奥坂とは別の情念である。「滲みあへる」なる独特の言い回しで、淡雪の中で遊んで溶けるような兄と妹を描く。近親相姦的なあやうさを込めたのがこの作者らしい。
カフェラテの泡風に散り新社員 辻内京子
「カフェラテの泡風に散り」は昨今の若者の風俗を活写している。すぐ消えてなくなりそうな泡と人。面倒なことが起きればさっさと会社を辞めそう。いかにも今様の新社員である。
文にして恋愚かしや朧の夜 本橋洋子
冷静になったら恋はできません。恥ずかしくても恋文は出してしまうこと。えいやっと清水の舞台から飛び降りるのが恋なのだから。
アルバムに詰りし時間花の冷 景山而遊
五木寛之先生は晩年の孤独は回想にあてるのがいいとおっしゃる。それを実践なさっているような内容だが、「花の冷」を持ってこられるとこの句を読むほうは辛い。
ペースメーカー夫に働くさくらかな 志賀佳世子
こちらは明るい。夫が機械に心臓を支えてもらって元気です、桜もきれいです、と現世を謳歌している。
杉花粉巻き上げ金子兜太去る 加藤静夫
そういえば兜太さんは杉花粉を巻き上げるように話題を作り、にぎやかだった。美化しない哀悼句が逆に真に迫る。
春深し皿にオリーブオイル縷縷 有澤榠樝
オリーブオイルは高価ゆえ「縷縷」なのだろう。このみみっちさが春愁を誘う。
日に風に誕生仏の立姿 永島靖子
甘茶をかけられて立つ仏像。「日に風に」と置いたことで感興が生じた。
衰へし金魚の水に射す日かな 髙柳克弘
水に糞や餌などが溶けて汚れを感じる水。その饐えた匂いも感じられリアルな一物仕立て。
桑解きしばかりの秩父遍路道 小浜杜子男
いかにも秩父を感じさせる。パンフレットに引用できそう。
道路鏡映るを映し春は逝く 榊原伊美
「映るを映し」は持って回った言い方。たまに通るクルマを感じる。作者の別に映らなくてもいいんだけど鏡は映るものなんだよね、という心理がおかしい。春にも人生にも飽きている。さて、これからどうする。
靄が木をいたはる雨の末黒かな 南 十二国
雨上がりで靄が立っている。それが木をいたわるように作者は感じた。木も草が燃えたとき火を浴びたのである。
鳥交る鍵のかたちの無数なり 原 信一郎
鳥が交ることと鍵の形がみな違うこととの間になんら関係がない。だから二つが合わさるとおもしろくなるという典型的な配合の句。
土塊にたたら踏みたる余寒かな 足立 守
山畑のような荒れたところを感じさせる臨場感のある句。実直で押してくる力がある。
釘抜いて開くる牧小屋まだら雪 尾形 忍
「釘抜いて開くる」が効いて小屋がよく見える。春の到来が伝わる。
練絹の指につめたき朧かな 畠 梅乃
水分の多い大気と手に取った練絹の感触とが織りなす情感たっぷりの世界。
春雨や頂きもので済む夕餉 鈴木照江
一人分の食事をつくるのは面倒なときがある。買ったお惣菜とご飯で済まそうというとき知人が何か持ってきてくれた。僥倖といっていいひととき。
写真:KBJKITCHENの新メニュー
少なくとも、サッとひとかけしたのではなく、オイル注ぎ口の物理的条件から少量づつしか出ないこともあり、時間をかけて料理にオイルを垂らしている状況を思い浮かべます。