天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ある世捨て人の物語

2018-08-30 04:43:45 | 


『ある世捨て人の物語』(原題The Stranger in the Woods)マイケル・フィン著/宇丹貴代実訳/河出書房新社。
この人物はクリストファー・トーマス・ナイト。
1965年12月7日生まれ、現在52歳。彼が住居への不法侵入と窃盗のかどで逮捕されたのは2013年4月4日、47歳。その場所はアメリカ合衆国メーン州ノーストポンド界隈のとある別荘であった。
彼はチェルノブイリの原発事故の起きた翌年(1987年)から逮捕されるまで27年間の間に人と会ったのは予期せぬ一度のみ。森の中の隠れ家(ナイロン製テント)でずうっと一人暮らしを貫いた。あたりの別荘へ入って(侵入回数1000回以上)食料や本、生活物資などを調達する(盗む)ことで生き抜いた。度重なる窃盗の被害に監視態勢がきびしくなってついに発見され逮捕された。
対面取材を許されたマイケル・フィンがクリストファー・トーマス・ナイトから聞き取りをしてまとめた本である。

8月26日付讀賣新聞の書評欄で紹介された本書に目が釘付けになった。評を書いた服部文祥氏(登山家・作家)はこのように語りかける。
「会話はもちろん、家族や他人とまったく関わることなく、孤独な時間をどのくらい過ごしたことがあるだろうか。私は単独行を好んでおこなうが、登山中誰にも会わない連続した時間はせいぜい10日ほどしか経験したことがない。」
服部氏が誰にも会わない10日というのもぼくは凄いと思う。そのように孤独に対しての思いのある方ゆえ本書に興味を持ったのであろう。

ナイトにとって現実世界の人間とのやりとりはあまりに複雑すぎた。人々の会話はテニスの試合のようにめまぐるしくて予測できない。かすかな視覚的、言語的な手がかりがつねに存在する。ほのめかし、あてこすり、音声もある。誰しも、人とのつきあいでしくじって容量の悪さの犠牲になる。そういう一切から彼は逃げた。

ナイトは発見されることを恐れて雪の上を歩いて足跡を残さなかった。また、暖をとるための焚火もしなかった。煙を出すことが自分の居場所を知らせることになる。
主食はマカロニ・アンド・チーズということだが基本的に煮炊きさえしなかった彼は水を加えた食べたのか。ぼくはほとんど食べたことがないのどうすると口に入る状態になるのかわからない。


医学者たちはアスペルガー症候群の一種か、自閉スペクトラム症か、スキゾナイドパーソナリティ障害かと病気にこの孤独癖を解明しようとして結局、匙を投げる。
扁桃体の損傷、オキシトシンの欠乏、エンドルフィンの不均衡などもうんうんされる。

地元住人はナイトをただの泥棒でありペテン師だといった。後援者がいて泊めてやり風呂も供給していたはずだと。そうでなければ大寒波を生き延びられるはずがない。
また彼らは敬虔はクリスチャンであり聖書を信じていた。創世記第二章には「主なる神は言われた『人が独りでいるのはよくない』」とある。この精神が隠者を嫌った。

ナイトは逮捕された境遇に耐えられず独房を切望した。監禁された囚人の多くは、10日もたつと精神障害の兆候を示すから国連は人を15日間以上孤独状態にしておくのは残酷で非人間的な刑罰だとしている、その独房を彼は求めた。
拘禁された最初の数ヵ月、同房者がいたが言葉を交わさなかった。そしてようやく独房へ移されたとき心底ほっとした。

ナイトはもっぱら永遠の現在にただ存在した。日誌をつける、写真を撮るなどのいっさいの記録を残さなかった。自分を認めてほしい、自分はここに存在しているといういっさいの行為を嫌った。
自己喪失こそナイトが森に求めたことである。公の場で人はつねに社会的な仮面をつけ、世間への体裁をつくろう。ひとりきりであっても、鏡をのぞいたらつい演じてしまう。それもあってナイトは鏡を置かなかった。

ナイトはそうとうの読書家であった。本のなかの暮らしは居心地がよかった。なんの要求も押しつけられないからだ。文字の世界とのかかわりは、彼にできる精一杯の人づきあいだった。
その彼が推奨するドストエフスキーの『地下室の手記』はどうしても読んでおかなくてはいけない。

森を出ていま社会の片隅でかろうじて生を保っているナイトが再び森へ入るときは死を求めるときであろうとこの本の著者は分析する。そのほうが彼にとって幸せなのかなあ、と妙な気持になってしまう。
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