天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

NHK 俳句大会の句を読めという

2019-01-24 12:51:50 | 俳句


ひこばえ句会の精鋭シロウくんが今年のNHK 俳句大会の大賞句等を知らせてくれた。
ぼくはNHK学園俳句講師をやめて2年もたちほとんど当大会に興味がなかった。
が、俳句をどうだと言われれば何かは答える。

天下取り損ねし父の昼寝かな  田代きみ子

これがNHK 俳句大会の大賞句という。

シロウ評
昼寝以外に具体的な映像はないのに父の人柄や今までの人生を想像させる面白さがあります。ただ、リズム感が悪く大賞句としては物足りません。

わたる評
ぼくも面白いと思った。ふつうの人が天下取りなどできっこないが敢えてこう言って句が面白くなった。はったりはこのように嫌味なく使うのがいい。
リズムが悪いとも思わない。天下取り・損ねし父の・昼寝かな、と読む句跨りである。天下取りで軽く切って読めばよく、シロウは「天下取り損ねし」と意味でつなげて読んだのではないかな。形式の上で切って読めというのが藤田湘子の指導であった。そのようにできていて問題はなし。


ゆつたりと机使ふや夜学生  森沢悠子

これも大賞句か。
シロウ評
「や」で切った意味がわかりません。コメントから察するに、「ゆつたりと机を使ふ夜学かな」のような気がします。

わたる評
たしかにシロウ君の添削のほうが流れがいい。机を「ゆつたりと使ふ」はかなり類想がありそうなので、ぼくは並選くらいでいい気はする。ひこばえへ出たら〇です。特選にはしません。


東京は光の積木神の留守 日野久子

シロウ評
「光の積木」のフレーズは秀逸です。しかし、大賞句としては季語の斡旋に説得力が欠けている気がしました。

わたる評
ぼくも「光の積木」は大胆かつ浪漫的でほれぼれした。季語「神の留守」も意表をついた感じがしてのめる。ぼくは「年の果」「年つまる」というようなありきたりなものをつけてしまいそうで反省したくらいです。
作者は踏ん張って「神の留守」をつけたことでこの句は現代性と批評性をより濃くもって立ち上がったのではないか。3句のなかではもっとも新しさがあり評価したい。

シロウ君、熱心だね。怠けていたぼくに俳句の刺激をしくれてありがとう。



撮影者:井ノ口博司(彼のフェイスブックから)
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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (シロウ)
2019-01-24 18:03:03
こちらこそ勉強になりました。
東京は光の積木神の留守 日野久子 (tuki)
2019-01-27 01:56:42
「光の積木」は抜群に洒落てますね。上五「東京は」としている点も見事で、これが「東京に」とか「東京の」だと、せっかくの「光の積木」が原句ほどには活かし切れないように感じます。「積木」という玩具性は、(一神教的発想ですが、創造主たる)「神」との親和性もよいように思えます。

「ゆつたりと机使ふや夜学生」について、「や」に関するシロウさんのご指摘には共感しつつも、シロウさんの添削案(?)「ゆつたりと机を使ふ夜学かな」よりは、原句の方がよいように思えます。「夜学かな」とすると「ゆつたりと机を使ふ」ことが夜学の日常的情景として一般化され、原句の中の、とある「夜学生」個人の所作的特殊性が薄れてしまうのではないでしょうか。
Unknown (Unknown)
2019-01-27 18:51:23
またまた、勉強になります。

「ゆつたりと机を使ふ夜学かな」

は添削ではなくNHKの公式コメントを読んで私なりに再現した物です。評価のポイントと原句には少々ギャップがありました。それと原句から「ゆつたり」とした調べを感じなかったのも事実です。
失礼しました (tuki)
2019-01-27 22:30:42
憶測でのコメント、失礼しました。添削ではなかったのですね。

思うに「ゆったり」した感じにかけるのは、中七末尾音と下五1音目にて「や」が連続することによる朗読時の窮屈感によるのではないでしょうか。
「夜学子の机ゆつたり使ひをり」とか、「や」の連打を回避すればよいのでは?と、安易に思ったりします。こんな下手な添削をすると、そろそろブログ主に叱られそうですが(笑)
Unknown (シロウ)
2019-01-28 02:55:54
句の内容にあった調べを取り戻すだけなら

ゆつたりと机を使ふ夜学生

助詞を入れて切れを無くせばいいだけの事では。

原句の

ゆつたりと机使ふや夜学生

は上五中七ですでに人物が登場しています。しかも机を使うのだから人物像はある程度特定されてしまいます。そしてさらに下五に人物を置くのは言葉の無駄使いでは?しかも学生か社会人であるかは上五中七である程度想像できるはず。
果たしてこれが大賞句なら選者のセンスを疑われても仕方がないと思います。

この手の話をわたるさんは「もっとやってくれ」と思っているでしょう(笑)。
失礼しました (tuki)
2019-01-29 02:27:38
「調べを取り戻す」添削として「ゆつたりと机を使ふ夜学生」でよかったのですが、これは既にシロウさんが提示されていたので、それを再び持ち出すのも芸がないかな?と、下手な例示をしてしまいました。

上五中七の中身で人物像はおよそ特定される故に下五での人物の具体化は余計ではないか、といった点については、ちょっと違う風に考えます。机を使うといってもその人物像は多様でしょうし、シロウさんがお考えのように人物以外の季語を持ってくる着地も当然ありなのと同じレベルで人物像を具体的に提示する着地もあり、そして何よりも、そのいずれがベターなのかという議論と同様に、そもそも作者はこの句にて何に焦点を当てたかったのか?ということではないのでしょうか。
上五中七ではまだ季語は含まれていないが故に、無季の句でない限り、下五には季語がくることは想定されますが、だからと言って、季語は余計ということにはならないのと似たようなことに思えます(極論すればですが)。

よく「季語が動かない」という評価がありますが、仮にそのような句があり、それが共通認識されるのであれば、それこそその句においてその季語は不要なのではないか?と、わたるさんに質問したことがあります。
そういう意味では、シロウさんの感覚の方向性に、私も近いようようにも思えます(笑)
Unknown (シロウ)
2019-01-29 06:28:20
まず原句の

ゆつたりと机使ふや夜学生

の「や」で切る意味がわからないと申し上げましたが上五中七で人物をイメージさせて「や」で切りその後にまた人物を登場させる事に理解が及びません。

私の俳句仲間に「季語が全く動かない句は滅多にない。後は読者を納得させるだけ」と申す者がおります。
私も全く同感ですがこの大賞句に対して単純に私の勉強不足で納得がいかなかっただけかもしれません。
Unknown (tuki)
2019-01-29 11:59:15
わたるさんがよーくご承知ですが、私の俳句理解は極めて浅薄です。
シロウさんほどには、この句に対して違和感を感じないのですが、さりとて、それをもってシロウさんの評を否定するつもりは無論なく、私の理解が浅いという可能性の方が大きそうです。
コメントありがとうございました。
Unknown (シロウ)
2019-01-29 19:33:09
そもそもが原句とNHK側のコメントのギャップが発端なのでもしtukiさんがコメントを御覧になっていなければ違和感に差異があるのは当然かと。
ところで、私は現金や商品券や物品諸々目当てであちこちに駄句を送り付けては選者に熱があるような時に選を頂いているようなただの俳句詠みです。
わたるさんは私の事を「高邁な理論の持ち主」とか「ひこばえ句会の精鋭」など仰います。ですが、私よりも付き合いの長いtukiさんはわたるさんが「アリンコをゾウに」「素麺一本をラーメン二郎野菜マシマシ」にする名人なのは御存知かと思います。
正直、tukiさんとわたるさんの俳句談義には難しくてついていけない事ばかりですがいずれ理解できるようになりたいと思います。
これからも宜しくお願いいたします。

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