北国いなか暮らし

りんごです。北海道の自然の中で夫とのいなか暮らし。
愛犬メイは2022年10月空へ旅立ちました🌈
乳がんホルモン治療中。

嬉しい再会

2019年02月04日 | 不登校
最近、混んでいるJRだけれど、たまに
とっても空いていることがある。
隣の席も前の席も後ろの席にも
誰もいない。
広々して空気も清々しく感じる。

斜め前の人が、おにぎりを食べ始めた。
カバンからラップに包まれた手作りの
おにぎりを出してラップの上から何度か
握り直して形を整えてから食べ始めた。
見たことある食べ方だなと気がつく。
いつだっけ。。。


次男が小学校5〜6年生で母子保健室登校をしていた時だ。
養護の先生、小麦粉アレルギーだった。
給食がパンの時は自分でおにぎりを持参
していたなぁ。
食べる前に形を整えて食べていた。
そう言えば、斜め後ろから見る横顔が
似ている???
まさか違うよね。
最後に会ったのは、一昨年の登校拒否・不登校を考える全道のつどい。
たまたま札幌にいらしていて、次男の不登校経験談を聴きに来てくれた。
その時もそれまでも短めのボブだった。
斜め前にいる彼女は肩甲骨くらいまで
髪が長い。こんなに伸ばさないよなぁ。
でも似てる…
遠軽で、列車の向きが変わるので
イスを回転するのに立ち上がった時、
そっと「先生」と、ささやいてみた。
気がついてくれたその人は、やっぱり
お世話になった養護の先生だった。

次男が不登校になった時その校長先生にとっては前代未聞の不登校と別室登校だったらしい。

初めは特別支援教室に通えた。
特別支援教室の先生は若い期限付きの先生で根っから子どもに寄り添える人だった。
温かく迎えてくれて、次男は楽しく過ごせていた。
けれど少し経つと特別支援教室のお子さんが情緒不安になるからと、特別支援教室への登校ができなくなった。
そのかわり会議室登校を許してくれた。
会議室へは通えたけれど、ずっと居られる先生はいないから、母子で過ごした。
工作したりナンプレしたり。
特別支援教室の先生がアイディアを出してくれた。時には自分の大型LEGOを持って来てくれたりした。
だけどそのうち会議室も、他の人たちが使うからと追い出された。

やっぱり、教室へ行ってもらわないと。
と言う校長先生。

その時。

「教室に入れないけれど学校に来たいと子どもが言っているのだから、別室がないのなら私が保健室で見ます!」
とタンカを切って下さったのが養護の先生だった。

カッコいい。

それからは保健室に通いながら、少しずつ同級生とも交流し、これなら中学までには教室に戻れるのではないかと、私はどこかで思っていた。
そして、押し過ぎちゃった。
今から思えば本人にとっては、いっぱいいっぱいだったんだ。

結局次男はある朝突然、保健室へも行けなくなり、外にも出られなくなった。
小学校6年生の冬。
養護の先生は知り合いの不登校親の会の人に連絡をしてくれた。
「中学校までは私、一緒に行けないから」と言い、絶望感でボロボロの私を連れて、一緒に親の会の人に会いに行ってくれた。


保健室に行ける間、そして行けなくなってもずっと私たちを支えてくれた恩人。


今、髪を伸ばしているのは、ウィッグが必要な子どもたちのためのボランティアをしているそう。
ヘアドネーションと言うらしい。
「今の私が出来ることってこのくらいしかないから。」と。

髪を伸ばすのって根気がいる。
手間もかかる。
本当に子どもたちの事を考えて
子どもたちのために行動出来る人なんだ。


外は雪が降りしきる静かで人の少ない
列車の中の、嬉しい再会だった。
コメント
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