十歳を過ぎた頃、私が<私>というものを意識するようになったとたん、世界は気味の悪い場所に変わった。胸のあたりが辺に息苦しく、見慣れたはずの景色が違う。自転車に乗って遊んでいる自分と、家で夜御飯を食べている自分と、教室でノートをとっている自分とが、ひとつのものという感じがしなくなって、どんどんばらばらになっていくようだった。
(中略)
中学校に入った頃から世界の不気味さはいよいよ本格化した。毎朝起きるたびに辺りには冷たい腐った臭いが充ちていた。「あたらしいあさがきた。きぼうのあさだ。よろこびにむねをひらけ。あおぞらあおげ」というラジオ体操の歌が地獄のテーマソングのように感じられた。なぜみんなは、あれが平気なんだ。わからない。
穂村弘著 「短歌という爆弾」より
穂村弘の「世界音痴」や「絶叫委員会」などの軽妙なエッセイも好きだけれど、「短歌の友人」や「短歌という爆弾」のずしんと重たい評論も大好きだ。
世界としっくりいかない、そのどうしようもない不器用さが切なくて、何度も読み返してしまう。
(中略)
中学校に入った頃から世界の不気味さはいよいよ本格化した。毎朝起きるたびに辺りには冷たい腐った臭いが充ちていた。「あたらしいあさがきた。きぼうのあさだ。よろこびにむねをひらけ。あおぞらあおげ」というラジオ体操の歌が地獄のテーマソングのように感じられた。なぜみんなは、あれが平気なんだ。わからない。
穂村弘著 「短歌という爆弾」より
穂村弘の「世界音痴」や「絶叫委員会」などの軽妙なエッセイも好きだけれど、「短歌の友人」や「短歌という爆弾」のずしんと重たい評論も大好きだ。
世界としっくりいかない、そのどうしようもない不器用さが切なくて、何度も読み返してしまう。