三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「「李容洙さん、うさんくさい」発言、『金於俊のニュース工場』に法定制裁」

2020年08月23日 | 日本軍隊性奴隷
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/08/21/2020082180084.html
「朝鮮日報日本語版」 2020/08/21 19:00
■「李容洙さん、うさんくさい」発言、『金於俊のニュース工場』に法定制裁
 放送通信審議委「主観的推定と断定」

 放送通信審議委員会は19日、放送審議小委員会を開き、日本軍慰安婦被害者・李容洙(イ・ヨンス)さんの記者会見に対して「背後に何者かが存在している」との説を提起したTBS交通放送FMラジオの番組『金於俊のニュース工場』(以下、『ニュース工場』)に対して法定制裁である「注意」を議決した。
 放送審議小委員会は同日の会議で、「『ニュース工場』は、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)疑惑に関する李容洙・正義連顧問の記者会見に関連し、『他人が会見文を作成した』『歪曲(わいきょく)された情報を誰かが提供した』などの背後説を明確な根拠もなく提起した。客観的根拠を提示せずに不明確な事実を主観的推定により断定して言及した」と今回の決定の理由について説明した。
 『ニュース工場』の進行役を務める金於俊氏は、李容洙さんの2回目の記者会見の翌日だった5月26日、「記者会見文を読んでみると、李容洙さんが書いたものではないことが明らかに分かる。においがする。(革新系少数野党)『行こう平和人権党』崔容相(チェ・ヨンサン)代表の主張に似ていて、崔代表の論理が事前記者会見文にも登場する」「誰かが歪曲された情報を与えたようだ」と話した。また、「少数名望家」などの表現についても「政界で使う言葉」と言った。これに対して、李容洙さんは別のラジオ番組に出演し、「私は認知症ではない。100回、1000回話しても私一人しかいない」と背後説を一蹴(いっしゅう)した。法定制裁は放送審議小委員会の建議に基づき審議委員全員(9人)からなる全体会議で最終議決されるもので、放送通信委員会が毎年行う放送評価で減点されることになる。
          シン・ドンフン記者
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「強制動員の実情伝える ソウル歴史編纂院が研究書刊行」

2020年08月23日 | 朝鮮史
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200821001300882?section=news
「聯合ニュース」 2020.08.21 12:35
■強制動員の実情伝える ソウル歴史編纂院が研究書刊行
【ソウル聯合ニュース】韓国・ソウル市のソウル歴史編纂(へんさん)院は21日、日本による植民地支配の末期の京城(現在のソウル)を対象に強制動員の実情を調べた研究書「日帝末期京城地域の強制動員と日常」を刊行したと発表した。
 研究書は、▼日中戦争後の京城府の主要政策▼京城に暮らす人々の戦時中の暮らしと抵抗▼アジア・太平洋戦争関連の遺跡の現況と活用案▼強制動員による死者の遺骨返還問題――など七つのテーマを扱った論文を収めた。

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「<光復75周年-日帝強制動員、奪われた家族2> 「死ぬまで叫び続けます、父の命の代償を返せと」」

2020年08月22日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://japanese.joins.com/JArticle/269454?servcode=A00&sectcode=A10
https://japanese.joins.com/JArticle/269455?servcode=A00&sectcode=A10
「中央日報日本語版」 2020.08.21 14:07 
■<光復75周年-日帝強制動員、奪われた家族2>「死ぬまで叫び続けます、父の命の代償を返せと」

【写真】キム・インソンさんは新型コロナウイルス(新型肺炎)で都心の集会が禁止される前まで青瓦台前で99回の火曜集会を開いた。韓日協定が締結された日が火曜日ということで火曜集会に決めた。父親を強制連行した日本も、韓日協定の時に受け取った日本の金を強制動員被害者に分けない政府も、その金を受け取って栄えた企業も、全て彼の闘争対象だ。光復(解放)75周年前日の14日、青瓦台前の噴水台で1人デモをするキム・インソンさん。イム・ヒョンドン記者

 2018年4月10日火曜日。その人が「命をかけた」と表現する青瓦台前の抗議集会が始まった。初めての集会を火曜日に決めたのは、韓日協定が締結された日が火曜日だったからだ。デモ用に改造したトラックに上った彼がマイクを握った。
 「日帝強制動員被害国民は号泣している!韓日協定請求権資金無償3億ドルは私たちの父の命の代償だ!政府は恨(ハン)が極に達した被害国民と遺族たちに3億ドルを現在の価値に換算し、今すぐ返還せよ!」。
 一日も欠かさず、大雨が降ろうと雪が降ろうと、毎週火曜日午前11時、青瓦台(チョンワデ、大統領府)前の集会を99回まで続けてきた彼は強制動員被害者・故キム・パンゲさんの息子キム・インソンさん(80)だ。
 「私は弁が立つ人間ではありません。ですがデモが始まれば何時間でも言葉が出てきます。被害英霊が私を見守ってくれているという感じがします。ただの一度も、天気のせいでデモを中断したことがありません。だから言うのです。『見よ、英霊たちが助けてくださっているではないか』と」。
 あと一週間で100回を達成するという時点だった。新型コロナウイルス(新型肺炎)が猛威をふるい、都心集会禁止が下された。集会は無期限延期となるよりほかなかった。
 「私の父は1942年6月に連れて行かれました。解放を迎えても便りがなかったのでみんな死んだと思っていたそうです。パプアニューギニアまで軍属として連れて行かれた父は47年に帰ってきます。密林の中でどうにか命をつないで日本に入り、貨物船に乗って韓国に密航をしましたが、農産物を積んできた船が波風によって座礁すると、3日間を海に漂うカボチャを食べて生き延びたと聞きました」。
 帰ってきた父親は1949年警察に入り、順天(スンチョン)警察署で最初の服務を始める。しかし、韓国戦争(朝鮮戦争)が勃発し、智異山(チリサン)白鵝山(ペクアサン)の戦いで戦死し、短い警察生活を閉じた。1951年9月21日、キム・インソンさんが11歳の時だった。
 父親がいないこともわびしかったが、どこへ行っても「父なし子」と言われながら大きくなければならなかった。それだけは耐えることができず、性格が乱暴になり、荒んだ青少年期を送った17歳、今度は母親が亡くなる。祖父まで長男を失った火病で徐々に体を蝕み亡くなると、家勢が傾き始める。彼は2人の弟を世話しなければならない21歳の青年になっていた。
 「あらゆる辛酸をなめました。母は生まれつき淡々とした性格でしたが、父は本当に優しかった。戻ってきた後、短い数年間、父にかわいがってもらいましたが…」
 「戻ってきた父は…」と話を続けようとした瞬間、頭を下げた彼の目に涙が光った。波乱の歴史をくぐり抜けなければならなかった世代の心の奥にしまい込まれた悲痛の深さを誰が分かるだろうか。
 「私は80年代初期から闘争に出ます。父は国を守って命を捧げましたが、国家は何か遺族にしてくれましたか。デモをすれば警察が地団駄を踏んでいる私たちを強制的にバスに押し込みますが、警察署に行くのではありません。遠く郊外まで乗せていってそこに私たちを置いていきます。あの時、金浦(キンポ)空港側が開発の真っ最中だったので、そこの空地に降ろし、逃げるように行ってしまいます。その時の警察はそうでした」
 バス停留場も見えない乱開発の原野を力なく歩いて通り抜けながら、命を捧げて国を守り、血気盛んな若さの絶頂で散っていった父の息子だという自尊感の中で生きた。
 80年代後半に法が整い、遺児手当てが支給される。その時キム・インソンさんは遺族側交渉代表として参加した。
 そして強制動員補償運動の第一線に出た。彼は韓日会談に対する文書を勉強して闘争の「鎧」をつくった。彼の矛先はポスコ〔浦項(ポハン)製鉄〕だった。ポスコは韓日請求権の資金を使った代表企業だった。「血の対価で建てられた工場が失敗すれば、私たちは全員、迎日湾(ヨンイルマン)に身を投げて死ななければならない」という朴泰俊(パク・テジュン)会長の悲壮な発言も知った。
 2006年4月、強制徴用被害者および遺族100人がポスコを相手取り損害賠償請求訴訟を起こす。キム・インソンさんは原告代表として参加したが敗訴した。ただし、調停に代わる判示があった。「被告人ポスコは強制動員被害者およびその遺族に対して企業の社会・倫理的責任がある」と指摘したのだ。
 ポスコが責任を履行しないのでキム・インソンさんはポスコ株主総会に進入する計画を立てる。2010年2月25日、株主ではないため出席自体が不可能な株主総会の入口を彼はスーツ老紳士の謹厳な一喝で突き抜けた。発言時間を得た彼は説得力ある発言で社会的責任を促し、「政府が制度的装置を用意してくれれば快く支援する」というポスコの公式立場を引き出す。
 このころ、政府は「太平洋戦争戦後国外強制動員犠牲者とその遺族らに人道的次元で慰労金などを支援」することにする。海外で死亡した者には2000万ウォン(現レートで178万円)、生還者のうち生存者には年80万ウォンの医療費が支給されることになった。
 しかし生還者のうち死亡者は対象から除外された。生きて帰ってきた父親がすでに亡くなっていたキム・インソンさんはただの一銭も受け取ることができなかった。

【写真】故キム・パンゲさんは日帝に軍属としてパプアニューギニアまで連れていかれた強制動員被害者だ。解放後、2年過ぎた1947年になってようやく九死に一生を得て生きて帰ってきて、警察に身を投じた。警察の制服を着ている生前のキム・パンゲさん。イム・ヒョンドン記者

 青瓦台前のデモを始めた時、彼に許された場所は遠く離れた清雲洞(チョンウンドン)事務所の前だった。
 「警察を訪ねて行ってこう言いました。私は、33歳で戦死したあなたがたの大先輩警察の息子だと。警察庁長官が授与した遺族記章1号を有している護国英霊の子孫だと。青瓦台まで私の声を届けなければならないので、場所を移してほしいと」
 警察の配慮で3回目のデモから青瓦台サランチェ横にデモ場所を移すことができた。ところが昨年のことだった。チョン・グァンフン牧師デモ隊がまさにその場所を占拠し、徹夜の座り込みに入っているではないか。
 「相手と私の間にひと悶着ありました。私のデモを邪魔する牧師のマイクを奪い取って投げると、そちら側のデモ隊がわっと駆け寄ってきます。年老いた私には方法がありません。手の甲の皮がむけて血が出て、体にも傷を負って。結局、警察が仲裁に出ました。この人の時間だけはあなたたちが中断しろと」。
 彼は青瓦台に対して「この強盗らめ、泥棒らめ!」。激しい言葉もはばからない。「お前たちが父の魂を売り飛ばしたんじゃないか!」。
 「悪口、ちゃんと聞いています」。青瓦台職員が笑って挨拶をする間柄になった。「韓国は泥棒野郎で、日本は臓物売買人だ!」この発言をもう少し穏便なものにできないかと言われたが、彼はむしろデモ装備を格上げしたと語った。
 父親のこと考えると今も涙がにじむ今日、戦争と分断で父親を失った悲劇も時間と共に流れて75年。自分は年を取り4男1女の子どもたちが育った。夢も期待も共に育ち、15人の孫に恵まれた。次男の娘が息子を産んで曽孫子を見ることもできた。今年は遅く結婚した長男の一人娘がソウル大学経営学科に入学して祖父を喜ばせた。
 今は娘と一緒にアパートで暮らし、老夫婦は友人のように過ごしているという。「お母さんと一緒に仲良く遊んで暮せばいいのに、その年齢で何のデモか」と言って小遣いを打ち切った息子もいるといった。
 「あきれるのは、請求権資金無償3億ドルが日帝被害者のものだと扇動した某弁護士が、2018年10月30日強制徴用大法院判決以降、その金は経済協力資金であり被害補償金ではないと言ったことです。某教授は、韓国政府も、支援を受けた企業も補償する責任がないといいます。私はこのような人々が私たち日帝被害者を分裂させる偽装活動家だと考えます。補償運動の障害物です」。
 強制動員被害者の遺族で、南北分断の悲劇の中で戦死した谷城(コクソン)警察署警衛の息子として、17歳で母親まで失った長男として2人の弟を見守り3重苦の人生を耐えてここまできた。しかし頭を下げることも、躊躇することもなかった。踏まれれば再び立ち上がり、殴られればもっと声を出して「響く鐘の音」となり生きてきた。その歳月ももう消失点を成し、背中の後ろ彼方に延びている。終わりのない抵抗の中で生きてきた日々が80歳の彼の肩に腕章のように光っている。
 「私は息絶えるその日までやる覚悟です。最後には国家の補償を手にすることでしょう」。彼が残りの人生をどのように生きていくか、それは情熱と根気、そして賢明さ次第ではなかろうか。私と別れて帰っていく彼の年齢を感じさせない後ろ姿をいつまでも見送った。彼が成し遂げようとしていることが、強制動員犠牲者とその遺族が75年間渇望してきた解決の糸口の一筋でも見つかるように願いながら。

※編集者の言葉
 「あっちが朝鮮だ」
 作家ハン・スサンの小説『軍艦島』は日本に連行された徴用工のこの言葉から始まる。中央日報光復75周年企画「日帝強制動員、奪われた家族」は徴用工がそれほど懐かしく思った「あっちの朝鮮」に残された息子・娘の話だ。彼の小説の中で、命をかけて軍艦島脱出を試みた朝鮮人は徴用工である前に一人の父だった。27年間の調査と考証の末、軍艦島に連行された父の死闘を小説として完成させたハン・スサン氏が、残された強制動員被害者の息子・娘の生存記を中央日報に記録する。
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「<光復75周年-日帝強制動員、奪われた家族1> 「父の棺には水だけがあふれていた」80歳の息子のサハリン悲劇」

2020年08月21日 | 朝鮮史
https://japanese.joins.com/JArticle/269231?sectcode=A10&servcode=A00
https://japanese.joins.com/JArticle/269232?servcode=A00&sectcode=A10
「中央日報日本語版」 2020.08.14 13:49
■<光復75周年-日帝強制動員、奪われた家族1>「父の棺には水だけがあふれていた」80歳の息子のサハリン悲劇

【写真】兄弟に代わって日帝に連れて行かれたサハリンの朝鮮人徴用工は光復(解放)後には無国籍者になった。このようにして祖国に戻ってこれなかった故イ・ソクドンさんは別れてから36年ぶりに手紙を通じて再開できた息子のイ・ヒグォンさんに、若い頃におしゃれをして撮った写真を送った。「ひょっとしてサハリンに私の異母兄弟はいるのではないか」と尋ねる息子に、イ・ソクドンさんは「ここで家族を作ったら一生故郷へ戻ることができないと考え、一生独身だった」と話した。イム・ヒョンドン記者

 今年で光復(解放)75年。日帝の収奪に飢えた家族と故郷を後にして連行されるほかなかった日帝強占期の強制動員780万人。初々しく活力みなぎる20歳前後の朝鮮の若者たちは暗鬱だった韓国現代史の闇を通り過ぎながら、死ぬかけがをするか生きて帰ってきた。そして75年の歳月が流れた。やっとよちよち歩きを始めた1歳の息子が、母親のお腹の中で遺腹子として生まれて顔も知らない父親を描いて生きてきた娘が、今や白髪が目立つようになり歳を取り老いていく。
 父親不在のまま生き抜かなければならなかった遺族の家族史75年。彼らはどのように生き、どのように生き残ったのか。乾いた涙の告白ではない。生涯会うことができなかった父親の空席を意識して生きなければならなかった彼らにとっては痛切な苦難、最後の最後に成し遂げた人間勝利の壮厳さが混在する。父親の遺体を遠く海外から迎え、遺族賠償運動に身を捧げて戦ってきたが老年にやってきたのは貧困だけで手元には何も残っていない。「慰安婦おばあさんにも娘はいます」と涙で絡まる回想もある。父親が倒れていった南洋諸島の広々とした海に花を手向ける彼らのしわだらけの横顔は私たちの歴史の鏡だ。
 日帝強占期被害者遺族、彼らが生きてきた人生の物語を聞く。彼らはどのように歳月を耐え抜き、生き残ったのか。波乱の韓国史、その空間の横糸と時代の縦糸の中を通り過ぎてきた遺族の至難極まる人生の軌跡を作家のハン・スサンが訪ねていく。
 「父は5人兄弟姉妹の3番目でした。兄弟の中から誰か一人は行かなくてはならないというから、『お前がいって苦労してこい』と言われて連れて行かれたそうです。私が4歳のときのことなのでどこに行ったのか分からないまま『北海道からも3000里離れた遠方』に行ったと、そうとばかり思って大きくなりました」。
 サハリン強制動員被害者の故イ・ソクドンさんの息子、イ・ヒグォンさん(80)の回想は淡々と続いた。
 解放を迎えたが夫は帰ってこなかった。年若い妻は月が明るい夜になると、幼い息子を連れて川辺に来て、白い容器に水を汲み夫が戻ってくるように祈った。幼い息子のイ・ヒグォンさんの胸に刻印されたこの姿だけは歳月が流れても錆つかない記憶として残った。
 その後、韓国戦争(朝鮮戦争)が勃発し、伯父と一緒に先に避難していた息子と母親は運命が交錯して互いの所在が分からなくなった。親子はもう二度と会えない生き別れとなった。戦争は終わったが、一日にして孤独な人間になった息子は伯父の家に住み込み育った。
 「どうして学校に行かせてくれなかったのか分からない。国民学校も中退し、農作業だけしていたので勉強できなかったことが恨(ハン)となった」。
 1965年10月に陸軍を満期除隊して戻ってきた彼は誰にも言わずに家を出た。持って行くカバンさえなく、除隊するときに担いできた軍用鞄に荷物を入れてソウル駅に降り立ち、野宿でしのいだ。
 仕事を探し回った末、漢江(ハンガン)の近くの九宜洞(クイドン)のレンガ工場で一人立ちが始まった。レンガを背負う肩と背中はただれる苦痛に耐え、冷凍食品輸出会社プンヤン産業に入社し、会社で出会った女子社員のイ・ヨンファさんとの間に芽生えた愛が結婚まで続いた。いつのまにか彼は29歳になり、花より美しい花嫁は22歳だった。結婚式で新郎・新婦のチョル(韓国の伝統的な挨拶)を受けたのが叔母だった。両親がいないという喪失感と自分は一人なんだという佗びしさが押し寄せてきた。
 「なぜこの人がチョルを受けなければならないか考えると胸が張り裂けそうですが、これほど悲しいことはありません。父や母のことがこれほどまでに思い出されるのに…。どれほど悲しかったか」。
 雨が降った地面もいつかは乾くだろうと信じていた。長男に続き第二子にも恵まれ、少しずつ暮ら向きも良くなっていった。
 稼ぐために大林(テリム)建設のサウジアラビア海外建設現場にも行ってきたし、帰国後はヨンイン輸送の座席バスの運転手になった。家長として「ただ、正しく、ひたすら一生懸命に生きよう」、そう固く思うばかりだった。
 ある日、六親等の甥から驚くような連絡をもらった。父がサハリンで生きているというのだ。月刊誌『マダン(広場)』1980年4月号でチョ・ヤンウク記者が書いた記事だった。京畿道坡州(キョンギド・パジュ)出身のイ・ソクドンさん。故郷を離れて38年、4歳の時に別れた息子の消息を尋ねていた。
 「ヒグォンはしっかり育って成人になっただろうか。成長していたら今42歳になっているだろう。ヒグォンよ、母親も生きているか」。
 40歳になった息子の年齢さえ42歳と記憶している父と息子の手紙のやりとりが遠い海を挟んで始まった。未修交国のソ連から日本に手紙を送ると、それが再び大邱(テグ)の中小離散家族会を通じて息子に配達された。数カ月かかる時もあった。
 「私は一人暮しをしながら寂しくはあるが、日常生活では何の心配もないので幸いだと思ってほしい」「私は瑞山(ソサン)に沈む太陽と同じだ。遠からず80になるが、この無念を誰に話すというのか。全くあきれることこの上ない」。手紙を読もうとすると、嬉しさよりも先に離散の悲しみで胸が痛んだ。
 父が生きているなら、いつか迎えて一緒に暮らすことができるだろうという希望の日々が流れた。いつのまにか長男は大学を卒業して米国に留学し、初孫の誕生を知らせてきた。次男も結婚して年子で2人の孫を抱かれてくれた。年が変わり、長男がニューヨークの大学で教授になったという喜びの便りが飛び込んできた。
 しかし、喜びと悲しみは隣り合わせだ。1987年、サハリンから悲報が飛び込んできた。友人のイ・ヨンハさんが送った手紙だった。
 「ヒグォン。その間、元気だったかい。君に悲しい知らせがある。君の父が亡くなった…。死亡日は陽暦5月24日朝6時ごろ、葬式は29日にした」。サハリンから送られた手紙が日本を経て伝えられるまで2カ月以上かかり、ようやく息子は父の死を知った。
 兄弟に代わって日帝の徴用で連れて行かれた。解放を迎えたが、未修交国で帰国の道が閉ざされた彼に祖国はなかった。冬ならマイナス40度を上下する凍りついた土地サハリンで無国籍者として生きた。妻と子供がいる家へ帰るという一念で独身として生きた一人の男の人生はそのようにして幕を下ろした。忘れないで大事に持っていた故郷の住所も、寝床を涙で濡らした故郷の道も、握りしめた手から砂のようにこぼれて彼は土に戻った。息子と手紙のやりとりを始めてから5年目の離別だった。

【写真】無縁故者として処理され、事実上放置されていたイ・ソクトンさんのサハリンの墓地。 父の棺の中に水があふれるように入っていたのを見たイ・ヒグォンさんは、改めて心が張り裂ける思いだったと語った。

 時間が流れて1990年、ソ連との国交が正常化する。そして政府が日帝強制動員被害真相調査を進めながら、考えもしなかったあきれたことが起きた。
 「2007年11月、国から父『イ・ソクドンを特別法第17条に基づいて日帝強制動員被害者として決定する』という通知書を受けました。江西(カンソ)区庁に行って補償申請をするよう言われて訪ねて行くと、1945年8月以前の死亡者に限って補償するとのことでした。一体このような国がどこにあるのか、背を向けるよりほかありませんでした。その後も期限を延長し、もう一度機会があったとのことでしたが、それさえ通知してくれないので知らずに過ぎてしまいました。国の補償のようなものは忘れて生きました」。
 2011年夏、韓国政府はサハリンの韓人墓に対する全数調査に着手した。この実態調査を通じて父親がサハリン・ホルムスク地区の墓地に安置されていることが確認される。墓地番号027-02-070、故人の名前リ・ソクドン、性別未詳。
 2018年秋、イ・ヒグォンさんは息子と共にサハリンに発った。初めて踏む土地、サハリンはすでに秋が深まり空を覆うように立ち並ぶシラカバが黄色に染まっていた。空港に降りるとすぐに車を走らせて3時間、墓地に到着した。腰よりも高く生えていた雑草を除去し、酒を供えて2回のチョルをし終わった時だった。いつの間にそれほど多くの涙が流れていたのか。心の奥底から湧きあがり出てくる涙が自身もどうすることもできず、あふれるままに任せた。案内してくれた韓人会の海外同胞まで共に涙を流した。
 お父さん、と呼ぶだけでなぜ涙が流れるのか。手の甲で目の下を拭うイ・ヒグォンさんの声が震えていた。
 「私も分かりません。母と別れたのが11歳、母には殴られ叱られたことしか覚えていません。父親のいない子だからと思って厳しく育てようと思ってそうしたのかもしれません。でも顔も知らない父はなぜこれほどまで懐かしく、会いたいと思ったのか分かりません」。
 昨年10月、14人の遺骸を迎える第7回サハリン遺骸奉還事業の一環として、イ・ヒグォン氏は現地に出発した。翌日、墓を掘り返していたときだった。サハリンは寒いので深く埋めると聞いていたが、いくら掘っても遺骸が見当たらないので、ひょっとして父親を見つけられないのではないかとの不安がよぎった。さらに地面を掘り進め、ドロドロした水の中から棺が姿を現した。水に濡れてぬれてふにゃふにゃの衣服に包まれていた遺骸は収拾する骨もあまりなく腐っていたが、棺桶の中の姿は平常時の身なりそのままだった。靴も履いたままだった。財布とカミソリひとつ、また一足の靴が遺品として埋められていた。
 太極旗に包まれた父親の帰還は祖国の丁重な儀典の中で国立「望郷の丘」に続いた。骨になって帰ってくるまで、故郷を離れて80年余り。気が遠くなるような長い歳月が流れ、ソウル加陽洞(カヤンドン)の息子のアパートに入った父親は、曽孫子まで家族全員一緒に初めての夜を送った。そして翌日、祖先の墓に埋められた。息子は墓碑に、どこにいるのか分からない母「孺人碧珍李氏」の横に「全州李公錫東」とし、2人の名前を刻んだ。
 「確かに非常に残念ではありますが、国や政府を恨んだりしません。私は父の遺骸を迎えることができた人ではないですか。再びこうしたことが起きてはなりません。今ですか? 孫と幸せに暮らしています」。
 決して、そして最後まで、人間の尊厳を失わないで生きた父親とその息子の生き様。歴史に踏みにじられ、時代に忘れられても、最後には立ち上がるこの民衆の人生は高潔だ。息子から孫に流れる人生の波が、自身の後が壮厳に受け継がれていることを故人は知っているはずだ。どうか安らかに眠ってください。

※編集者の言葉
 「あっちが朝鮮だ」
 作家ハン・スサンの小説『軍艦島』は日本に連行された徴用工のこの言葉から始まる。中央日報光復75周年企画「日帝強制動員、奪われた家族」は徴用工がそれほど懐かしく思った「あっちの朝鮮」に残された息子・娘の話だ。彼の小説の中で、命をかけて軍艦島脱出を試みた朝鮮人は徴用工である前に一人の父だった。27年間の調査と考証の末、軍艦島に連行された父の死闘を小説として完成させたハン・スサン氏が、残された強制動員被害者の息子・娘の生存記を中央日報に記録する。
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「韓国慰安婦団体 定例集会への参加自粛呼び掛け=コロナ拡大で」

2020年08月20日 | 日本軍隊性奴隷
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200819002700882?section=news
「聯合ニュース」 2020.08.19 15:01
■韓国慰安婦団体 定例集会への参加自粛呼び掛け=コロナ拡大で
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者を支援する韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)は19日、慰安婦問題の解決を求める定例の「水曜集会」をソウルの日本大使館前で開催した。

【写真】水曜集会の様子=19日、ソウル(聯合ニュース)

 1453回目を迎えたこの日は国内で新型コロナウイルス感染が再び拡大していることを受け、同団体の関係者6人のみが参加した。先月までは集会場所に報道陣や支持者ら50人以上が毎週訪れていた。正義連は前日、ホームページとSNS(交流サイト)で参加希望者に対し、新型コロナ感染拡大防止のため当面は動画投稿サイト「ユーチューブ」でのライブ配信を視聴するよう呼び掛けた。
 集会に参加した正義連の李娜栄(イ・ナヨン)理事長は、先週開かれた「第8回世界日本軍『慰安婦』をたたえる日」世界連帯集会と関連行事について言及し、「慰安婦問題がまだ解決されていないことを確認した。この深く重い問題を直視し、解決に向けて共に取り組んでほしい」と訴えた。
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「武装集団が先住民族40世帯を襲撃、家屋焼き尽くす グアテマラ」

2020年08月19日 | 国家・社会
https://www.afpbb.com/articles/-/3299583?cx_part=latest
「 AFP」 2020年8月17日 20:13 発信地:グアテマラ市/グアテマラ
■武装集団が先住民族40世帯を襲撃、家屋焼き尽くす グアテマラ

【資料写真】グアテマラ・アルタベラパス県の先住民族の村(2018年12月15日撮影)。(c)JOHAN ORDONEZ / AFP

【8月17日 AFP】グアテマラ中部にある先住民族の村が16日、武装集団に襲撃され、40世帯の家屋が焼き尽くされた。
 当局によると、首都グアテマラ市の北方約120キロに位置するアルタベラパス(Alta Verapaz)県クビルグイツ(Cubilguitz)町内のバルバツル(Balbatzul)村に早朝、武装集団が侵入。村にはマヤ(Maya)系先住民のケクチ(Q'eqchi)人が暮らしている。
 政府報道官によると、警察は襲撃に関する通報を受けて警官らを村に派遣したが、現場ではすでに40世帯が襲撃されていたという。
 農民統一委員会(CUC)のダニエル・パスクアル(Daniel Pascual)氏によると、違法な武装集団が農業を営む40世帯を暴力的に家から追い出し、その家屋を焼き払ったという。
 グアテマラのアレハンドロ・ジャマテイ(Alejandro Giammattei)大統領は、警察などが現場を捜査していると発表した。
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「8人の日本人はなぜ三菱に爆弾を投げたのか」

2020年08月19日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/37519.html
「The Hankyoreh 」  2020-08-19 08:15
■[映画レビュー]8人の日本人はなぜ三菱に爆弾を投げたのか
 キム・ミレ監督の新作ドキュメンタリー『東アジア反日武装戦線』

【写真】ドキュメンタリー『東アジア反日武装戦線』のポスター=ガーム・ピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 1974年8月30日、日本の東京にある三菱重工業本社で爆弾が爆発した。8人が亡くなり376人が負傷したこの事件により、日本社会は強い衝撃を受けた。1カ月後、「東アジア反日武装戦線」という団体が声明文を出した。「三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫として日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう企業だ」。戦後の日本で初めて植民地責任を強く追及し武装闘争に乗り出した彼らは、ほかでもない日本人だった。
 以後、彼らは翌年5月まで、三井物産や大成建設など日本の戦犯企業8社で次々と爆弾を爆破させた。幸いにも死傷者はそれ以上は出なかった。彼らの目的は、人命殺傷ではなく、警戒心を呼び起こすことだった。この事件で大道寺将司など8人が逮捕され、投獄された。彼らは大学中退者や会社員など平凡な社会の構成員だった。2020年現在、死亡したり釈放された者を除き、まだ2人が監獄に残っているが、日本社会はあえて無視している。韓国でもこの事件を知る者は多くない。

【写真】日本の戦犯企業の爆破事件を引き起こした東アジア反日武装戦線のメンバーたちが収監された東京拘置所=ガーム・ピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 これを取りあげたドキュメンタリー映画『東アジア反日武装戦線』が20日に封切られる。2005年に今年の独立映画賞を受賞した『土方』、大型マートの労働者のストライキ闘争を取りあげた『外泊』などで労働問題を粘り強く扱ってきたキム・ミレ監督の新作だ。キム監督は最近、ハンギョレとのインタビューで「2000年代初期、日本の“土方”の運動家を取材し、東アジア反日武装戦線に関する話を聞いたが、当時は(映画にしようという)考えすら及ばなかった」とし、「2014年に労働運動が力を失い、セウォル号惨事まで発生し、無力感と敗北感が深まっていたとき、これを克服しようと埋もれていたこの事件を再び掘り起こし始めた」と語った。

【写真】ドキュメンタリー『東アジア反日武装戦線』を演出したキム・ミレ監督(右)と映画製作に参加した独立研究活動家のシム・アジョン氏=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 キム監督は獄中にいる当事者に接触する一方、監獄の外で彼らを支援する人々に会った。事件当時、彼らを凶悪なテロ犯として追い込む雰囲気の中でも、一部の市民は彼らが極端な行動にまで出なければならなかったその趣旨に共感し、集まってきた。支援活動を行った太田昌国氏は、試写会直後の記者たちとのネットインタビューで「日本帝国主義は、戦後も清算されないまま、経済的植民地主義の形で現れた」とし、「これに対する問題提起は、戦犯企業が多国籍企業の形で世界の様々な国に進出した今この時代でも変わらず有効だ」と語った。さらに「今、韓日関係は良くないが、草の根の民衆同士が話し合い連帯しようとする試みを続けなければならない」と力を込めて語った。

【写真】収監された東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行う太田昌国氏=ガーム・ピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 映画制作の過程でキム監督は「加害者性」を反芻するようになったと語った。彼女は「自分が加害者であることを認めるのは苦しいことだが、それにも関わらず、彼らは自覚し社会に警鐘を鳴らした」とし、「私たちもまた、他の誰かに対する加害者になっているのではないか、それならば、私たちはどう自覚し行動しなければならないのかを悩むようになった」と述べた。
 この映画を機に、私たちの日常の加害者性を十分に考えてみなければならないという声も出ている。映画制作に参加した独立研究活動家のシム・アジョン氏は「例えば、私たちが早朝に新鮮な野菜を宅配便で受け取り、地下鉄で通勤する日常生活の裏面には、激務に苦しむ宅配配達員と地下鉄労働者の犠牲が敷かれているという事実を忘れてはならない」とし、「私たちの労働市場にはびこる『下請の下請の下請』構造が、他国を収奪する帝国の構造と違わないという事実を悟り、これを解消するために努力しなければならない」と強調した。

ソ・ジョンミン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/958259.html
韓国語原文入力:2020-08-19 02:36




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「徴用問題 「日本は解決に前向きな姿勢示すべき」=韓国当局者」

2020年08月18日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200817000900882?section=news
「聯合ニュース」 2020.08.17 13:33
■徴用問題 「日本は解決に前向きな姿勢示すべき」=韓国当局者
【ソウル聯合ニュース】韓国外交部の当局者は17日、日本による植民地時代の強制徴用被害者への賠償問題を巡り、「わが政府が対話を通じた問題解決の重要性と意思を伝えたにもかかわらず、日本側が具体的な解決策をわれわれに一方的に求めたとの報道が事実なら遺憾だ」と述べた。
 また、「政府は司法の判断を尊重し、被害者の権利実現や韓日関係などを考慮しながら多様で合理的な解決策について論議することに対し開かれた立場だ」とした上で、同問題の解決に向けた日本側のより積極的で前向きな姿勢を改めて促した。
 前日の読売新聞の報道によると、日本政府高官は、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)の15日に行った演説で対話による問題解決を強調したことについて、日本に譲歩を迫る従来の立場を示したものだとして、韓国側が具体的な解決に至るような案を示すべきだと指摘した。
 韓日両国は昨年12月の首脳会談で懸案解決に向けて率直な対話を行うとの原則に合意した。その後、対話を続けてきたが双方の立場に変化がないことを確認しただけで進展はなかった。両国の外交当局の局長協議も6月24日の電話協議以降、開かれていない。


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200817000800882?section=news
「聯合ニュース」 2020.08.17 12:18
■資産差し押え命令巡る日本製鉄の即時抗告 「理由なし」=韓国地裁支部
【浦項聯合ニュース】韓国の大邱地裁浦項支部は17日、大法院(最高裁)が新日鉄住金(現日本製鉄)に強制徴用被害者への賠償を命じた判決を巡り、日本製鉄が韓国国内資産の差し押さえ命令を不服として行った即時抗告に対し、「理由なし」と判断し、司法補佐官が決定したこの差し押さえ処分を認めたと明らかにした。
 
【写真】日本製鉄とポスコの合弁会社、PNRの事業場。慶尚北道浦項市所在(PNRホームページから)=(聯合ニュース)

 これにより、日本製鉄が行った即時抗告は大邱地裁の抗告担当部署の判断を仰ぐことになる。大邱地裁は、一般の裁判と同様の手順でこの案件を扱う。
 韓国大法院は2018年10月、日本製鉄に対し、強制徴用被害者1人あたり1億ウォン(約900万円)の賠償を命じた。
 日本製鉄が賠償に動かなかったことから、大邱地裁浦項支部は昨年1月、原告側が申し立てた同社の韓国国内資産の差し押さえを承認。差し押さえ対象の資産は、日本製鉄と韓国鉄鋼最大手ポスコの合弁リサイクル会社、PNRの株式のうち、日本製鉄が保有する8万1075株だ。
 資産差し押さえの書類が日本製鉄側に届いたと見なす「公示送達」の効力が今月4日に発生すると、同社は7日、浦項支部に不服を申し立てる即時抗告状を提出した。
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「韓経:10兆ウォンのK空母・原子力潜水艦事業…現代重と大宇造船が受注戦」

2020年08月18日 | 韓国で
https://japanese.joins.com/JArticle/269276?servcode=300&sectcode=300
「中央日報日本語版」 2020.08.17 11:05
■韓経:10兆ウォンのK空母・原子力潜水艦事業…現代重と大宇造船が受注戦
 韓国国防部が軽空母と原子力潜水艦の建造計画を公式化した中、造船業界と防衛産業界の動きが活発になっている。建造費用だけで10兆ウォン(約9000億円)以上が投入される大規模プロジェクトであるうえ、レーダーやミサイルなどの発注も続くと予想されるからだ。高度な技術力が要求される軽空母と原子力潜水艦の建造に成功すれば、韓国産武器の輸出の道も広がると期待される。
 国防部は10日、今後5年間の軍事力増強と戦力運用計画を反映した「2021-25年国防中期計画」を公開した。事業費だけで計300兆7000億ウォンにのぼる中期計画には3万トン級の軽空母と4000トン級の原子力潜水艦、北朝鮮の長射程砲に対応する「韓国型アイアンドーム」の開発が含まれた。
 関連業界によると、軽空母と原子力潜水艦の建造事業は現代重工業と大宇造船海洋の競争になると予想される。艦艇建造費用だけで約1兆8000億ー2兆ウォンが投入される見込みの軽空母の受注戦では現代重工業が一歩リードしている。現代重工業は昨年10月、海軍と「大型輸送艦(LPX)II概念設計技術支援研究」事業の契約を結んだ。造船業界の関係者は「概念設計が最終受注まで続くわけではない」とし「軍艦建造の経験が多い大宇造船海洋が勝利する可能性もある」と話した。
 原子力潜水艦は大宇造船海洋が建造する可能性が高いというのが業界の見方だ。国内最多の艦艇設計技術者(約500人)と最大の建造設備を保有し、「保皐(チャンボゴ)-III」級(3000トン)など国内最大規模の潜水艦を建造した経験もある。国防部は1隻あたり1兆ウォン以上投入される4000トン級の原子力潜水艦を3隻以上確保する計画だ。
 艦艇の頭脳であり中枢神経といえる戦闘体系の受注戦はハンファシステム、LIGネクスワンなどの競合が予想される。戦闘体系には先端レーダー、ソナー(音響探知装備)、赤外線探索追跡装備などが含まれる。ハンファシステムやLIGネクスワンは韓国型次期駆逐艦(KDDX)戦闘体系の受注戦でも競争している。原子力潜水艦のミサイル発射台はハンファディフェンスが引き受ける可能性が高い。
 業界は今回の事業が「受注の崖」に苦しむ国内の造船・軍需産業業界の追い風となり、艦艇建造産業の生態系を一段階発展させると期待している。
 業界関係者は「グローバル武器受注戦で最も重要なのは建造および運用経験」とし「今回の事業をきっかけに潜水艦の輸出が本格化する可能性がある」と述べた。大宇造船海洋は2011年に初めてインドネシアに潜水艦3隻を輸出した後、昨年1兆ウォン台(3隻)の追加建造契約を結んだ。


https://www.donga.com/jp/List/article/all/20200811/2147598/1/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E3%80%81%EF%BC%94%E5%8D%83%E3%83%88%E3%83%B3%E7%B4%9A%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6%EF%BC%93%E9%9A%BB%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%80%8D%E5%BC%B7%E3%81%8F%E7%A4%BA%E5%94%86
「東亞日報」 August. 11, 2020 08:17,   
■韓国軍、4千トン級潜水艦3隻の「原子力潜水艦開発」強く示唆
 軍当局が10日、300兆7千億ウォンの国防予算が投入される「2021~2025年国防中期計画」を発表し、今後建造する4千トン級潜水艦3隻を原子力潜水艦で開発する可能性を強く示唆した。原子力潜水艦は北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対処し、周辺国を牽制する核心戦略兵器だ。
 軍は現在、2030年代初頭までに3千~4千トン級潜水艦9隻を戦力化する事業を推進している。1番艦(島山安昌浩艦)は2018年に進水し、2022年に実戦配備される予定だ。1~6番艦は、通常動力型(ディーゼルエンジンおよび燃料電池)で決定されたが、7~9番艦(4千トン級)はまだ動力が決まっていない。
 軍関係者は同日、定例会見で、「4千トン級潜水艦を原子力潜水艦とする可能性はあるのか」という記者の質問に、「現段階では言及することは適切ではない。適切な時期に話す機会を持つ」と答えた。7~9番艦を原子力で建造する可能性を示唆したのだ。このため、軍が事実上、4千トン級潜水艦を原子力潜水艦で建造する方針を定めたのではないかという観測が流れている。
 これに先立ち、金鉉宗(キム・ヒョンジョン)大統領府国家安保室第2次長も先月、固体燃料推進体の開発許可を骨子とした韓米ミサイル指針の改正を発表した後、番組のインタビューで、「次世代潜水艦は核燃料を使うエンジンを搭載した潜水艦」と言及した。また、「韓米原子力協定と原子力潜水艦は別で全く関連性がない」と強調し、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が大統領選の公約に掲げた原子力潜水艦導入への意欲を再確認したのだ。軍内外では、現政権の任期(2022年5月)内の原子力潜水艦開発の公式化を念頭に置いているという見方が出ている。
 韓国は、原子力潜水艦開発の技術的条件を全て備えたと評価されている。ドイツと対等の世界最高水準の潜水艦設計建造技術はもとより、3千~4千トン級潜水艦用の小型原子炉製造能力も保有している。決定さえあれば、フランスのバラクーダ級(4700トン)に匹敵する原子力潜水艦を6、7年以内に戦力化することも可能だ。軍当局者は、「(原子力潜水艦用の低濃縮ウランの確保で)米国の支持さえ得られれば、原子力潜水艦の開発は一瀉千里に進むだろう」と話した。
 原子力潜水艦の戦略的必要性も高まっている。北朝鮮が数発の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を装着した新型潜水艦(3千トン)の戦力化を目前に控えており、中国やロシアも新型原子力潜水艦を次々に配備している状況で、韓国も「相応の戦力」を備えなければならないということだ。軍消息筋は、「隠密性と攻撃力で通常動力型潜水艦を圧倒する原子力潜水艦は北朝鮮と周辺国を牽制する戦力」と強調した。
 軍は同日、軽空母の導入も発表した。垂直離着陸戦闘機(F-35Bステルス機が有力)約10機を搭載した3万トン級軽空母は、来年から事業に着手し、2030年代初めに戦力化する計画だ。軽空母は、韓半島付近の海域と遠海の海上交通路を守る海上機動部隊の指揮艦として活動することになる。また、北朝鮮の長射程砲の脅威から首都圏を防衛する「韓国型アイアンドーム」と北朝鮮および周辺国を監視する超小型偵察衛星(2025年以降)の開発も本格的に推進される。北朝鮮の弾道ミサイルの迎撃用ミサイルを2026年までに今より3倍に拡充する案も含まれた。
 一方、兵士の月給は2025年までに96万ウォン(兵長基準)に引き上げられ、予備軍訓練の手当ても今(4万2千ウォン)より3倍ほど上げる計画だと軍は説明した。
          尹相虎 ysh1005@donga.com


http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/08/11/2020081180006.html
「朝鮮日報日本語版」 2020/08/11 08:20
■韓国軍、原子力潜水艦開発を示唆
 5年間で300兆ウォンを投じる「国防計画」で4000トン級潜水艦の建造計画を公開
 韓国軍当局が10日、原子力推進機関搭載の可能性も取り沙汰されている4000トン級潜水艦を建造する計画を明らかにした。韓国首都圏を狙った北朝鮮の長射程砲を防ぐ「韓国型アイアンドーム」開発にも着手することとした。韓国国防部(省に相当)は10日、こうした内容が盛り込まれた「2021-2025年国防中期計画」を発表した。来年から5年間で計300兆7000億ウォン(現在のレートで約26兆8390億円。以下同じ)が投入される予定で、計画通りであれば韓国の国防予算は2024年に60兆ウォン(約5兆3550億円)を超えることになる。
 この日の国防中期計画では、4000トン級潜水艦の建造計画が初めて公開された。現在、3000トン級の韓国型次世代潜水艦事業が進行中だが、これより大きい潜水艦を開発したいという趣旨だ。規模が大きくなるだけに、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)など武装能力も大幅に強化されるものとみられる。この潜水艦には、従来のディーゼルエンジンではなく原子力機関が搭載される可能性が浮上している。これについて国防部関係者は「現段階で(原子力機関搭載について)話すのは不適切」とし、「適切な時期になれば、別途話す機会があるだろう」と発言した。原子力潜水艦開発の可能性を示唆した発言と解釈されている。
 青瓦台(韓国大統領府)の金鉉宗(キム・ヒョンジョン)国家安保室第2次長は先月、韓米ミサイル指針改正発表の直後、「次世代潜水艦は核燃料を使うエンジンを搭載する潜水艦」だと発言した。また「韓米原子力協定と原子力潜水艦は別個で、全く関連がない」とも語った。原子力潜水艦は文在寅(ムン・ジェイン)大統領の選挙公約でもある。
 また韓国国防部は、首都圏を脅かす北朝鮮の長射程砲を防ぐための「韓国型アイアンドーム」研究に着手し、2020年代後半に戦力化する計画も立てた。「アイアンドーム」とは複数の場所に誘導弾のランチャーを設置し、飛来する長射程砲の砲弾を迎撃する、イスラエルの兵器システムだ。北朝鮮は軍事境界線(MDL)付近の地域におよそ1000門の長射程砲を配備しているといわれる。
 さらに韓国国防部は今回の中期計画で、3万トン級軽空母事業も公式のものとした。今年末までに概念設計を終え、来年から基本設計に着手した後、2030年初めに戦力化する計画だ。
          梁昇植(ヤン・スンシク)記者


http://life.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/07/21/2020072180149.html
「Chosun Online 」 2020.07.21 14:00
■「世界の軍事力ランキング」 韓国6位、北朝鮮25位、日本は?
 グローバル・ファイヤーパワー(Global Firepower=GFP)が分析した「2020年国別軍事力ランキング」で大韓民国が6位だった。
 GFPがホームページに掲載した資料を見ると、韓国の今年の軍事力評価指数は前年の7位からワンランクアップの6位となっている。今回は138カ国・地域を対象に調査が行われ、韓国の今年の軍事力評価指数は0.1509を記録した。
 GFPは人口や兵力、武器数、国防予算など50項目を総合して軍事力指数を算出し、0に近いほど軍事力が高いことを意味する。ただし、核兵器保有については評価基準に含まれていない。
 北朝鮮は今年0.3718を記録し、前年に比べ7ランクダウンの25位だった。一方、今年の評価で1位は米国、2位はロシア、3位は中国、4位はインド、5位は日本という結果が出た。
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「日本軍の造兵廠から米軍基地に使用された「キャンプ・マーケット」、初めて一般開放」

2020年08月18日 | 朝鮮史
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/37456.html
「The Hankyoreh 」  2020-08-12 08:25
■日本軍の造兵廠から米軍基地に使用された「キャンプ・マーケット」、初めて一般開放
 「日帝収奪の現場」かつ 
 「分断の傷跡」として残された空間

【写真】キャンプ・マーケットA区域に残っている日帝強占期当時の造兵廠の建物=仁川市提供//ハンギョレ新聞社

 日帝強占期(日本の植民地期)当時の日本軍の兵器工場で、解放後は米軍基地として使用された仁川市富平(インチョンシ・プピョン)の「キャンプ・マーケット」が、81年の歴史上初めて一般に開放される。
 仁川市は11日、「仁川市民の日」の前日の10月14日に、富平区山谷洞(サンゴクドン)の富平米軍基地「キャンプ・マーケット」の一部施設を一般市民に開放すると発表した。44万平方メートルあるキャンプ・マーケットのうち、昨年12月に韓米合意により在韓米軍から仁川市に返還された21万平方メートルの中から、B区域10万平方メートルをまず開放する予定だ。
 開放区域には、米軍が使用していた野球場などの体育施設や、付属の建物約20棟が残っている。仁川市は開放時期に合わせ、キャンプ・マーケットの歴史や現在の建物の用途などが分かるように案内表示板を設置するとともに、「造兵廠、終わらない歴史」と題して特別企画展を開く。

【図】開放予定のキャンプ・マーケットB区域//ハンギョレ新聞社

 キャンプ・マーケットは、日帝強占期の1939年に日本陸軍の兵器工場である「造兵廠」として開設され、解放後は米軍基地として使用された。今日まで81年間にわたり、一般人に開放されていない場所だ。ここに約1万人にのぼる朝鮮人が強制動員され、労役に苦しんだ。
 当時、日本が軍需品輸送のために敷いた軍用の線路が、今も傷跡のように残っている。金属生活用品を溶かした鋳物工場は、最近まで米軍の倉庫用の建物として使用されるなど、日帝強占期に建設された建物もかなりの数が残されている。
 ただし市は、今回の開放から除外された造兵廠の本部と推定される建物や、兵器を製造していた鋳物工場の建物などは、近代建築物調査や環境浄化などを経て、段階別に立ち入りを許可する予定だ。市は、富平地域の軍部隊再配置事業などを総合的に検討し、キャンプ・マーケットの活用策を準備している。
イ・ジョンハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/area/capital/957362.html
韓国語原文入力:2020-08-11 15:48
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