■フィルム番号2017「旧海軍軍属身上調査表」6
「死没場所」が「海南島方面」である8人の朝鮮人のうち、4人の「所轄」は「西太平洋漁業(第11南洋丸)、他の4人の「所轄」は「西太平洋漁業(第12南洋丸)」と書かれており、8人すべての「死没区分」が「戦死」とされています。
第11南洋丸は、1945年2月28日に、第12南洋丸は1945年3月28日に沈没したと書かれていますが、その状況は、第11南洋丸の場合も第12南洋丸の場合も、「潜水艦の砲撃を受け沈没」、「潜水艦の攻撃により沈没」、「艦砲射撃を受け沈没戦死」などさまざまに書かれています。
この8人の個人記録紙にも、すべて、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印と、1959年10月17日付けの「靖国神社合祀済」という縦長のゴム印が押されています。
「死没場所」が「海南島近海(戎克光風号)」の「山本漢亀」さん(本名不明。本籍、咸鏡南道)の「所轄」は「南政」、「身分」は「嘱託(無待遇)」、死亡日は日本敗戦半月後の1945年9月1日と書、「死没区分」は「戦死」、「状況」は「乗組員として航行中船隊と交戦中戦死」と書かれています。
「山本漢亀」さんの個人記録紙にも、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印と、1959年10月17日付けの「靖国神社合祀済」という縦長のゴム印が押されています。
佐藤正人
「死没場所」が「海南島方面」である8人の朝鮮人のうち、4人の「所轄」は「西太平洋漁業(第11南洋丸)、他の4人の「所轄」は「西太平洋漁業(第12南洋丸)」と書かれており、8人すべての「死没区分」が「戦死」とされています。
第11南洋丸は、1945年2月28日に、第12南洋丸は1945年3月28日に沈没したと書かれていますが、その状況は、第11南洋丸の場合も第12南洋丸の場合も、「潜水艦の砲撃を受け沈没」、「潜水艦の攻撃により沈没」、「艦砲射撃を受け沈没戦死」などさまざまに書かれています。
この8人の個人記録紙にも、すべて、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印と、1959年10月17日付けの「靖国神社合祀済」という縦長のゴム印が押されています。
「死没場所」が「海南島近海(戎克光風号)」の「山本漢亀」さん(本名不明。本籍、咸鏡南道)の「所轄」は「南政」、「身分」は「嘱託(無待遇)」、死亡日は日本敗戦半月後の1945年9月1日と書、「死没区分」は「戦死」、「状況」は「乗組員として航行中船隊と交戦中戦死」と書かれています。
「山本漢亀」さんの個人記録紙にも、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印と、1959年10月17日付けの「靖国神社合祀済」という縦長のゴム印が押されています。
佐藤正人