三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「ドイツ教会、ナミビアの大虐殺を謝罪」

2018年09月02日 | 個人史・地域史・世界史
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23699/20170502/german-evangelical-church-apologise-namibian-genocide.htm
「Christian Today」 2017年5月2日22時02分
■「わたしたちの負い目を赦してください」 ドイツ教会、ナミビアの大虐殺を謝罪

【写真】1904年の反乱を起こしたとして首に鎖を付けられて捕らえられているヘレロ族の人々(写真:Ullstein Bilderdienst, Berlin)

 ドイツのプロテスタント教会が、アフリカ南部の国ナミビアで20世紀初頭、当時のドイツ帝国が現地の先住民族に対して行った大虐殺(ジェノサイド)について謝罪した。声明では、聖職者が直接虐殺行為を呼び掛けたことはなかったとしつつも、植民地支配を神学的に正当化することで、大虐殺に加担したと指摘。「これは大きな罪であり、全く正当化されるものではない」とし、ナミンビアの人々に赦(ゆる)しを求めている。
 ナミビアの虐殺について謝罪したのは、ドイツ人口の約3割が所属する同国の主流なプロテスタント教派である「ドイツ福音主義教会」(EKD)。マタイによる福音書6章22節から「わたしたちの負い目を赦してください」と題した声明(ドイツ語・英語)を、4月24日に発表した。
 ナミビアは当時、「ドイツ領南西アフリカ」とされ、ドイツ帝国の植民地だった。大虐殺は1904〜07年、先住民族のヘレロ族とナマ族に対して行われたもので、20世紀最初の大虐殺とされている。死者は、ヘレロ族が2万4千人〜10万人、マナ族が全人口2万人の半数に当たる1万人に及んだと考えられている。
 EKD副議長のペトラ・ボッセ・フーバー監督は、謝罪がとても遅くなってしまったと述べた。ボッセ・フーバー氏は、当時の聖職者らが大虐殺を実行した軍と密接に関わりがあったことを指摘。ドイツの国際放送局「ドイチェ・ヴェレ」に対して、「聖職者が直接にそこで(先住民族の)絶滅を呼び掛けたことはありませんでしたが、植民地の入植者と軍の関係はとても緊密だったので、残虐行為に立ち向かうことはできませんでした」と述べた。「ですので、私たちができることは、ただ赦しを求めることなのです」
 EKDの謝罪表明は、ルーテル派の世界組織である「ルーテル世界連盟」(LWF)が、5月10〜16日にナミビアの首都ウィントフックで総会を開催する前に行われた。ナミビアは人口の8〜9割がキリスト教徒で、さらにそのうち約半数がルーテル派とされている。一方、第2次世界大戦後に設立したEKDは、ルーテル、改革、合同の各派からなる。
 ボッセ・フーバー氏は、今回の謝罪表明に至るまでには、教会の指導者らを説得する必要があったことを認め、今後も両国の教会間で和解と関係改善のための試みが継続されていくだろうと述べた。
 しかし、教会が直接的に大虐殺に関わったとする歴史的証拠はないため、教会による賠償は否定。ドイチェ・ヴェレには、「もし私たちが賠償を検討すれば、(歴史の)正直な再評価がいっそう難しくなるでしょう」と語った。
 ドイツ軍によるヘレロ族とナマ族に対する大虐殺は1904年1月、ヘレロ族が植民地支配に対する反乱を起こしたことで始まった。反乱への報復として、ヘレロ族はナミブ砂漠に追いやられ、大半はそこで脱水症状により死亡した。その後、ナマ族も反乱を起こしたが、ヘレロ族と同じ運命をたどった。

さらに、何千人ものヘレロ族とナマ族が強制収容所に収容されたり、強制労働に従事させられたりし、多くが病気や極度の疲労で亡くなった。
 この大量殺りくは、国連でも1985年、ヘレロ族とナマ族を絶滅させる企てだとする報告書が提出され、20世紀の最初の大虐殺として認識されている。ヘレロ族とナマ族の代表は、賠償金の支払いが繰り返し拒否された後、補償を求めてドイツ政府を提訴。EKDは、ドイツ、ナミビアの両国政府が今後も交渉を継続していくことを求めている。

     ※この記事は英国クリスチャントゥデイの記事を日本向けに翻訳・編集したものです。


http://www.afpbb.com/articles/-/3113437
http://www.afpbb.com/articles/-/3113437?page=2
「AFPBB News」 2017年1月8日 16:27 発信地:ニューヨーク/米国
■ナミビア先住民、ドイツ植民地時代の虐殺めぐり集団訴訟

【写真】ナミビア・オビトト近郊の1904年4月9日に決起した先住民ヘレロ人たちが虐殺された現場で、共に花輪をささげるヘレロ民族の最高首長(左)とドイツの駐ナミビア大使(右、2004年4月9日撮影、資料写真)。(c)AFP/Brigitte Weidlich

【1月8日 AFP】ナミビアでドイツ植民地時代に起きた先住民ヘレロ(Herero)人とナマ(Nama)人の虐殺をめぐり、両先住民の代表団が5日、ドイツ政府に補償を要求する集団訴訟を米ニューヨーク(New York)の裁判所に起こした。代表団は虐殺をめぐるナミビア政府とドイツ政府との交渉にも参加させるよう求めている。
 訴訟の争点はナミビアが南西アフリカと呼ばれていた19世紀末から20世紀初期のドイツ植民地時代にさかのぼる。
 原告側の主張は、当時のナミビアで1885~1903年、ドイツ人入植者たちが植民地政府の了承のもとでヘレロ人とナマ人から土地を奪ったというもので、奪われた土地は両先住民の土地の約4分の1、数千平方マイルに及んだという。
 さらに原告団は、入植者らがヘレロとナマの女性や少女たちをレイプし、両民族を強制労働させていた事実を植民地政府が黙認していたと非難している。
 1904年、迫害に耐えかねてヘレロの人々が決起し、これにナマの人々も続いたが、反乱はドイツ帝国軍に鎮圧された。原告団は、ドイツ軍のロタール・フォン・トロータ(Lothar von Trotha)中将による「全滅作戦」でヘレロとナマの人々10万人が殺害されたと主張している。

★ドイツは直接補償を拒否
 1904~05年に起きたヘレロとナマ人大虐殺をめぐり、ナミビア政府とドイツ政府は共同宣言の発表に向けて協議を続けている。
 ドイツ側は虐殺の事実を認める一方、ナミビアが1990年に南アフリカから独立してから、ドイツは数億ユーロ規模の開発援助を「ナミビア国民の利益のため」に続けてきたことを理由に直接補償は拒否し続けている。
 原告団は、世界各地のヘレロとナマの人たちを代表して、ドイツの植民地支配に苦しめられ、虐殺された両先住民たちの賠償と補償を求めて集団訴訟を起こしたと説明している。
 これに対し、独外務省のマルティン・シェーファー(Martin Schaefer)報道官はドイツの首都ベルリン(Berlin)で、訴状を見ていないのでコメントできないとしたうえで、この問題で「未来に続く共通の道」を切り開くため、2年ほど前からナミビア政府と共同宣言に関して協議を続けていると強調した。
 原告団には、ヘレロ人の最高首長ベクイ・ルコロ(Vekuii Rukoro)氏とナマ人の首長でナマ人の団体の会長でもあるデービッド・フレデリック(David Frederick)氏の他、虐殺を生き延びた人たちの子孫が作った在米の非営利団体などが名を連ねている。


http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2016_02.html
■ 時事解説:永原陽子「植民地期ナミビアでの大虐殺に関する対独補償要求」
『アフリカレポート』ジェトロ・アジア経済研究所、2016年 No.54、pp.13-18


http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=210627
「中央日報日本語版」 2016年01月11日17時45分
■【噴水台】強者にだけ謝罪するドイツ
 アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』が絶版から70年ぶりの今月8日、ドイツで再出版された。この本は1925年に36歳のヒトラーがミュンヘン暴動で投獄された当時、ナチズムの思想的土台を整理した自叙伝だ。ナチ崩壊後に版権を得た独バイエルン州が出版せず、事実上の禁書だった。しかし昨年末に70年の著作権が消滅すると、ドイツ研究所が激しい反対を押し切って「極右人種主義を防ぐにはナチズムの正確な理解が必要」として再出版したのだ。
 その間、国内外を問わず、『わが闘争』出版禁止は反省するドイツの良心の象徴のように描写されてきた。反省をしない日本とは違い、ドイツはナチズムなら接触さえできないようにこの本を禁止したという論理だった。ところがこの悪名高い本が出てくると、世界メディアは「ナチズムを批判するための措置」という形で再出版も美化している。出版を禁止しても解除してもドイツはいつも模範的な国と見なされているのだ。
 しかし本当にそうだろうか。隠れている歴史を見てみよう。ドイツの醜悪な顔が一つ一つ見えてくる。1904年、ドイツは植民地のナミビアから土地を奪うためにヘレロ族・ナマ族を無惨に殺害した。井戸に毒をまいたという話もある。20世紀初めの人種虐殺だった。ヘレロ族8万人のうち6万5000人、ナマ族2万人の半分の1万人が死亡した。これだけでなくドイツは生存者2000人を強制収容所に入れて人体実験もした。その後、ドイツは遺体を本国で運んで研究用として使用し、2011年に20人の遺骨を本国に返した。
 ドイツ人はあまりにも純真であるためヒトラーという狂った人物にだまされ、悪行を犯したようになっている。しかしドイツ人はヒトラーの登場前から悪魔の人体実験をしていた。
 ドイツは繰り返されるナミビア政府の謝罪要求にもかかわらず、100年が過ぎた2004年に虐殺の事実を認めた。それも首相ではなく経済開発相が演説して一言述べたのがすべてだ。しかし経済的賠償は拒否し続けている。
 日本の否定的なイメージを強化するため、我々は「誠実なドイツ」という虚像を築いて見たいものだけを見ている。もう一つ。それではドイツはなぜユダヤ人だけに頭を下げるか。専門家らの答えはこうだ。「米国内のユダヤ人の影響力が強く、ナミビア人は弱いから」。悲しくもこれが国際社会であり、これが「不都合な真実」だ。日本からきちんと謝罪を受けようとするのなら、我々から強くならなければいけない。

     ナム・ジョンホ論説委員
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