三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島近現代史研究会第2回総会報告

2008年08月06日 | 海南島近現代史研究会
 海南島近現代史研究会は、昨年8月5日の創立集会をもって発足しましたが、その1年後の8月3日に第2回の総会が大阪梅田で開催されました。総会には42名が参加しました。
 はじめに研究会のこの1年間の活動報告がおこなわれ、昨年9月11日のホームページ開設、10月~11月の海南島での調査活動、月塘村の追悼碑の基金カンパ活動、今年2月10日の第1回研究集会開催と『会報』創刊号発行、4月~5月の海南島での調査活動、4月26日の月塘村での除幕式参加、6月22日の大阪でのコリアン・マイノリティ研究会とのドキュメンタリー上映会共催などの活動報告がおこなわれました。
 続いて、研究報告に入り、まず海南島からこの研究会にあわせて来日した海南省民族学会の二人のメンバーからあいさつと報告がおこなわれました。
 海南省民族学会副会長の王建成さんは、黎族の文化を紹介するための民族博物館の建設、黎族の歴史や民族を研究する人たちを育成する必要について話しました。
 また同じく学会のメンバーであり海南大学日本語学部の教師をしている金山さんから「社会転形期における黎族の伝統文化」と題する報告がおこなわれました。金山さんは、黎族が3000年の歴史をもつ民族で、現在の人口は138万人で、伝統的な文化を保持しているが、海南省が設立された1988年以後、伝統的な民族文化が大きく転換しつつあることを強調しました。かやぶきの伝統的な居住様式が減り、男女共にはいていたスカートの服装が少なくなり、自然崇拝の宗教などがすたれ、都市型生活様式の浸透や若者の離村などによって民族文化が変容しつつある、しかし女性を中心にして、伝統的文化を継承する動きも見られる、との報告がなされました。
 討論の中で、黎族などの先住民が中国では「少数民族」と呼ばれているようだが「先住民族」としての位置づけはないのか、という質問が出されました。
 おふたりの研究報告に続いて、月塘村で行われた追悼碑の除幕式とその前後ようすを伝える新ドキュメンタリー『月塘村 63年後』(海南島近現代史研究会制作)が上映されました。村の小学校からこどもたちが多数参加し、爆竹が鳴らされ、代表者があいさつする光景が映し出されました。碑の右横に殺害された190名の村民の名前が刻まれ、犠牲者の遺族が名前を一人ひとり指差している姿が印象的でした。碑の左側には、村民が日本政府に対しておこなった要求が刻まれています。
 
 その後、後半の報告に入り、まず東京都埋蔵物文化財センターの調査研究員である五十嵐彰さんから「「日本考古学」と海南島」というテーマで報告がおこなわれました。五十嵐さんは、日本の考古学が時間と空間を細切れにして研究領域を細分化し専門化することによって、線引きのできない場所を切り落とし、不都合な事実を意図的に切り落としてきたことに着目します。その結果、日本の考古学は日本列島に視野を限定し、日本列島を超えたアジア全域の広がりのなかでみずからの狭い視野を内省するという作業を怠ってきたことを批判し、日本の戦争責任を追及する運動の視点から考古学を再考するという貴重な問題提起をされました。五十嵐さんは、2006年5月に紀州鉱山の真実を明らかにする会が海南島の「朝鮮村」でおこなった「試掘」に参加していました。

 続いて、中国の近現代史の研究者で、日本軍による海南島の統治政策に詳しい水野明さんから「海南海軍特務部編『海南島三省連絡会議決議事項抄録』について」と題する報告を受けました。水野さんは中国人で、学生時代に国民党と共産党の双方から迫害を受け、中国大陸から海南島、台湾、そして日本へと渡ってきた自分史を紹介しながら、みずからの自分史の体験を学問の対象としていった経緯について話されました。陸軍、海軍、外務省の三省連絡会議による海南島の統治方式については、「朝鮮併合」のような形ではなく、傀儡政権を使った統治で、この統治方式は「満州」をモデルとしたものであり、日本の軍部はこの統治モデルをアジア全域に広げようともくろんでいた、しかしそれは軍参謀のまったくまちがった判断に基づいていた、と話しました。

 休憩を挟んで、4人の報告についての質疑応答と、参加者の発言がおこなわれました。
 その後、「月塘村全村民の日本政府に対する要求について」の提案がおこなわれました。
 4月26日の追悼碑除幕式のあと、全村民が、海南島近現代史研究会に、日本政府に要望書を提出することを委託したことが報告され、その要望書が漢語と日本語訳でそれぞれ読み上げられました。
月塘村全村民のこの要望を受けて、海南島近現代史研究会がどう行動すべきかの議論が続いておこなわれました。研究会としてそのような政治的行動をとるべきではないという意見もありましたが、われわれの会が会則でも示しているように日本政府の戦争責任を追及する運動体であること、月塘村の村民は10年前に北京政府に対して日本政府に要望書を出すよう要求をしていながらそれが実現していないこと、この要望書の提出は海南島における村民虐殺の実態を日本社会に広く明らかにすると同時に、そのような虐殺の責任の所在を問う運動を切り開く重要な契機となることなどの意見を受けて、海南島近現代史研究会が月塘村村民の委託を引き受けることが、満場一致で確認されました。
 続いて、今後の研究会の活動の課題について提案がおこなわれました。来年の2009年2月は日本軍が海南島を軍事占領してからちょうど70年になります。この占領の歴史的意味を問い、占領の実態をあきらかにするための研究集会を2009年2月11日に開催したいという提案がおこなわれ、全体で確認されました。かつての「紀元節」は日本軍がアジアで軍事行動をとるときにつねに目安とされた侵略を象徴する日にちでありながら、その日が「建国記念日」として今日にいたるまで「祭日」とされていることに対する批判の意味もこめて、この日に研究会を開催する意義が確認されました。
 最後に、会則の変更(会費と会報の発行についての改定)をおこなって、総会を閉じました。
 総会終了後、懇親会をおこない、全員から発言を受けました。新聞社やテレビ局の記者も参加し、これらの記者との協力関係も築くことができました。
                                 斉藤日出治
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