三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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ヨ・チャボン老人(その5)

2007年07月28日 | 海南島からの朝鮮人帰還
すさまじい責め苦をくぐりぬけてヨ老人が生き残ったのは、仲間が食べ物をコッソリ運んで救ってくれたからでした。それともう一つ、過酷な労働やマラリアの感染から離れた場所で殴られ続けたからでした。そうして、そのうち日本の敗戦を知りました。日本が負けたと知った時、どう感じましたかと尋ねると「気分が良かった」と答えました。その後は山などをさ迷いながら食べ物を探したり、仕事を求めたりしました。ヨ老人は左官の腕があったのです。しかし不自由になった体では思うように仕事が出来ず苦労しました。日本の敗戦から3ヵ月後、生き残った仲間7人と一緒に故国に戻ることが出来ました。釜山の港で下船したとき初めて3円もらいました。ヨ老人は幼い頃、御両親を亡くされたそうですが、帰国後、結婚なさって娘さん2人に恵まれました。「海南島での出来事はその後の半生に大きなハンディとなったのじゃないですか?」と尋ねてみました。「苦労なんてもんじゃない。どんなに大変で苦しかったか、口では言い表せないよ。今でも体が不自由で、痛くてたまらないよ。いつも市場の中にある鍼灸医院に通っているよ」と言われました。お気の毒で返す言葉が見つかりませんでした。  記録者 崔文子
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