三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

11月23日の紀州鉱山「現地調査」 2

2008年11月27日 | 紀州鉱山
 日本の「南方」侵略とともに成長した企業である石原産業は、1934年7月に、日本三重県入鹿村に、紀州鉱山(銅鉱山)を開設し、1939年から、そこで1000人を越える朝鮮人を朝鮮から強制連行し働かせました。同じ時期に、石原産業は、海南島の田独鉱山で、海南島各地、上海、広州、厦門、汕頭などの中国本土と香港、朝鮮などから連行してきた人たちを酷使し、おおくの人の命を奪いました。
 1941年12月8日、日本軍は、マラヤのコタバル、フィリピンのマニラ、ハワイの「真珠湾」を同時に攻撃してアジア太平洋戦争を開始しました。フィリピンを占領した日本軍に従って、1942年1月から、石原産業は、フィリピンで、ルソン島のカランバヤンガン鉄山、ネグロス島のシパライ銅山、パナイ島のアンチケ銅山やピラカピス銅山などの「経営」を開始しました。
 熊野市紀和鉱山資料館には、紀州鉱山を経営していた石原産業が、アジア太平洋の各地でおこなった企業犯罪についての展示がまったくないだけでなく、1945年12月にA級戦犯容疑者として逮捕された創業者石原廣一郎を、「広く南方各地で地下資源の開発を進める一方、1934年から紀州鉱山の開発に着手し、これを全国屈指の大鉱山に成長させて紀和町の輝かしい近代鉱山史を築きあげました」(原文は「元号」使用)とする説明板が展示されています。

 以下は、11月24日『毎日新聞』三重版に掲載された記事です。

 朝鮮人強制連行
 紀州鉱山跡を調査

 【熊野】
 1940~45年まで朝鮮人延べ1300人が強制連行され約30人が亡くなったとされる熊野市紀和町の紀州鉱山跡の現地調査が23日あった。「紀州鉱山の真実を明らかにする会」が実施、会員ら8人が追悼碑建設のため、市と交渉中の建設予定地などを視察した。
 銅を採掘した紀州鉱山では第二次世界大戦中、東南アジアで捕虜となった英国人300人が送られ、うち16人が死亡したことが知られている。その一方で朝鮮人労働者のことは未解明な部分が多い。
 この日、参加者は市鉱山資料館のファイルに同会の会報をとじ、来場者が閲覧できるようにしたほか、英国人の展示コーナーで「朝鮮人の展示物も併設してほしい」と求めた。英国人を祭るとされる外国人墓地で会員らは、「朝鮮人も埋葬された可能性が高い」とし「発掘調査をしてもらいたい」と語った。  【汐信之】
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