三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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西截村で 2

2007年06月17日 | 西截村
 蔡春究さん(1919年生)は、
   「日本軍が村にきたとき、まだ暗かった。わたしは家にいて臼でもみをついていた。精
  米して市場で売るためだ。
   日本兵はとつぜん家に入ってきて、父と叔父ふたりを殺した。母も刀で胸を4か所刺され
  た。母はその日には死ななかったが、つぎの日に死んでしまった。
   わたしも首を切られそうになったが、必死でその日本兵をつきとばし、日本兵が落とした
  銃を拾おうとしているすきに逃げることができた」
と話しました。
 蔡春究さんの従弟の蔡東太さん(1932年生)は、
   「日本軍がきたとき、家の門のうしろに倒れるようにして隠れて助かった。父と母が殺さ
  れた。わたしをふくめて子ども5人が生き残った。母は気性の強い人だった。日本兵に抗議
  し、すぐに殺された。
   両親が殺されたので、生活していくのが難しかった。わたしは、まだ7歳だったが地主の
  家で働いた。飢饉のとき、2番目の兄と弟が死んだ。
   日本兵を見つけたら殺したい」
と話しました。                               佐藤正人 
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