三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「慶州金鈴塚から現存最大サイズの「馬形の土器」を出土」

2019年10月10日 | 韓国で
http://www.donga.com/jp/List/article/all/20191001/1862247/1/慶州金鈴塚から現存最大サイズの「馬形の土器」を出土
「東亞日報」 October. 01, 2019 09:09,
■慶州金鈴塚から現存最大サイズの「馬形の土器」を出土
 韓国国内史上最大の馬の形の土器と盛大な祭祀の痕跡が、慶尚北道慶州市(キョンサンブクド・キョンジュシ)の金鈴(クムリョン)塚から新たに発掘された。これにより、これまで子供の王族が埋葬されたと推定していたが、この墓は王陵である可能性も持ち上がっている。
 国立慶州博物館(館長=ミン・ビョンチャン)は、「日本植民地時代に発掘された金鈴塚を最近再び発掘した結果、護石の周りから30個余りの祭祀用土器が出土した」とし、「積石木槨墳といわれてきたが、土を掘らずに作った地上式である可能性が高いことが明らかになった」と明らかにした。
 金鈴塚は、5世紀後半〜6世紀前半に築造された新羅の古墳で、歴史の教科書にもよく写真が登場する国宝第91号「騎馬人物形土器」1組が出土したところだ。今回の発掘調査では、高さが56センチに及ぶ馬形の土器が頭から前足まで出土した。口を開いて舌を出している姿や顔、顎、首、蹄などの部位が精密に表現されている。祭祀用土器と重なって出土されており、背中と腹の部分がきれいに切断されたような跡から見て、わざわざ砕いて墓に奉献したものと推定される。
 護石の周りから牡蠣や二枚貝などの貝殻や、当代の奉献物が多く詰まった大きな壺が一定の間隔で30個以上見つかったことも、特に注目に値する。金鈴塚は今回の発掘調査で、直径が従来いわれているものより8メートル長い28メートルであることが明らかになったが、依然規模が大きい方ではない。しかし、禁総塚よりも大きい近所の瑞鳳(ソボン)塚なども、護石の周りから祭祀用壺が発見されたが、禁総塚のように多くはない。祭祀用土器の内外からは馬、牛などの動物の骨、蓋杯、土鈴、ガラスビーズなども出土された。シン・グァンチョル慶州博物館学芸研究士は、「土器が出土した層から見て、墓を作る過程と完成後に盛大な祭祀を複数回行った痕跡だ」と説明した。
 金鈴塚が王陵である可能性も提起されている。禁総塚からは、新羅金冠(宝物第338号)をはじめ、金製鈴と帯、玉腕輪、大きな刀など、王陵級墓から出てくる遺物が確認された。しかし、装身具は概ね小型であり、王陵というよりも若い王族が埋葬されたと推定してきた。しかし、発掘現場を調べた東亜(トンア)大学考古美術史学科の朴廣春(パク・グァンチュン)教授は、「王陵級の墓のみ、5世紀も残っている器臺(下が丸い瓶を置く台)も出土した」としながら、「出土した祭祀用土器で祭祀儀式の規模を推定してみると、王陵だと思う」と語った。
 金鈴塚は、日本植民地時代の1924年、封土と積石を取り除いて埋葬部分だけが調査された。金冠が出土したり、大型である他の新羅の墓が地上式積石木槨墳であるのに比べ、地下式と誤って伝えられたりしたのも、そのためだった。慶州博物館は、来年は埋葬部位まで再発掘する予定だ。
          趙鍾燁
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「町の野山のどこかに地雷…3... | トップ | 「日本共産党、安倍氏の面前... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

韓国で」カテゴリの最新記事